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ジェネラルストアの店主後藤濶が電柱につるされた状態で、今朝6時に発見された。 手足を縛られ、明らかにこの目的のために購入された径2インチのロープで、 しかも絞首刑に手馴れたものの手による、ロープの結び目が左耳の下に来る状態でつるされていた。 ---1889年10月29日のハワイの日刊新聞記事より訳--- 後藤濶(ごとう・かつ)は官約移民の第1回船シティー・オブ・トーキョー号で 1885年に日本からハワイへ渡った移民944人のなかの一人。 神奈川県出身。 当時は、3年間の契約でサトウキビ畑での農作業を行い、 その後、サトウキビ耕地に残るもの、日本へ帰るもの、他の仕事をさがすもの、などがあった。 後藤濶は3年の契約終了後、蓄えた金で店を購入し、ジェネラルストアを経営した。 英語が達者であったため、同胞の相談を受け、苦情などをサトウキビ耕地のボスにかけあったりして、 他の日本人移民から頼られる存在となった。 ジェネラルストアも軌道に乗り、一年もたたないうちに借金が黒字にかわり、 新しい店をもつほどになった。 そんなある日の朝、この事件が起きた。 言葉を達者に操る日本人、サトウキビ畑で農作業をするために移民してきたくせに、 店を持ち、白人と対等にやりあう東洋人、ある人にとってはけむい存在であったのか? ハワイ島の小さな町、ホノカアタウンで起きた小さな事件。 後藤濶の記念碑がホノカアタウンのヒロ寄りにある図書館近く、道路の海側にあります。 彼のお墓は、後年、有志があつまって、 ホノカアタウンから少しはなれた山手にあるハマクア浄土院に建立しました。 いまも、お参りする人があります。 日本ではほとんど知られていない、ハワイのヒーローです。 写真は後藤濶の記念碑開眼法要の風景。
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そんなすごい人がホノカアにおられたんですね。私、学生時代に南米移民の研究をやってたことがあって、移民の皆さんの苦労をいろいろ聞いたり調べたりしましたが成功しても逆につらい目に遭うこともあるんですね。
2006/5/20(土) 午後 10:50 [ pop**u06 ]
ハワイも南米も初期移民の人たちは大変な苦労をしてきたみたいです。南米はハワイよりももっと大変みたい。今でも村から離れると山賊が出るところもあるって聞きました。
2006/5/21(日) 午後 11:14
Jasonさんらしい素晴らしい記事です。ピクチャー・ブライドもそんな気持ちで見るものですかね。。。
2006/5/22(月) 午後 6:02 [ - ]
この記事読んで、鳥肌出た・・
2006/5/23(火) 午前 10:32
ISLANDさん、ありがとうございます。ずっと、この後藤さんのこと、書きたかったけど、あんまり長々と書くのもどうかな、と思って、なんとか、短くしました。ピクチャーブライドも確かにそうですよね。観光ハワイの陰にはこんな話がたくさんあるんですよね。
2006/5/23(火) 午後 9:13
kazueさん、日本人の知らない、日本人移民のつらい過去です。
2006/5/23(火) 午後 9:16
初めて聞きました・・でも、なんで?ネタミですか?一生懸命がんばってこられたかたなんですよんね。。。それを・・・ひどすぎる!人種差別ですか?? この人の苦労もしらないで、結果だけをねたむなんて、ひどすぎますよね。
2006/5/27(土) 午前 4:37 [ - ]
アメリカってね、ヨーロッパの白人が移民してきてインディアンの土地取って、出来上がってる。自分たちだって移民のくせに後から来た移民、特に自分たちより劣ってる(と彼らは思ってる)色の付いた人種には我慢がならないんですよ。で、出るくいは目障りだから。。。
2006/5/28(日) 午前 8:45
移民なんかするもんでない、 人は 生まれ育った祖国や故郷で生きて死んで行くのがbest?
2006/6/29(木) 午後 2:07 [ aho-san ]
経営者が恐れたのは移民同士の結託なだけに彼の存在は目障りだったのでしょうね…ホノカアタウン、ハワイ島で一番落ち着く町でした。。
2006/8/4(金) 午前 9:42