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1983年11月、旧陸軍将校の親睦団体「偕行社」により公募された 「いわゆる『南京事件』に関する情報提供のお願い」に対して「虐殺を告白する手記」が多数寄せられた。それにより、南京事件の証拠を「憶測・誇張・伝聞が多い」「デタラメ」と批判。参戦者の証言を集めて「『大虐殺の虚像』を反証し、公正な歴史を残す」予定が編集部の加登川幸太郎氏の「弁解の言葉はない」と日本軍の責任を認める謝罪となった。 機関紙「偕行」連載「証言による南京戦史」1984,4〜1985,3
ただし、これによる犠牲者は「3000ないし6000人」又は「13000人」としている。 南京攻略までの経過 1937年 7月7日 盧溝橋事件、日中戦争始まる 8月13日 上海で日中両軍戦闘開始 15日 日本政府、上海派遣軍の派遣を決定 11月5日 援軍の第10軍が杭州湾に上陸 7日 派遣軍と第10軍を中支那方面軍に編合 15日 第10軍、独断で南京追撃を決定 20日 大本営設置 12月1日 大本営、追撃を追認し南京攻略を命令 8日 日本軍が南京城を包囲 13日 南京城陥落 以後、南京城内外で「残敵掃討」続く 17日 松井石根・方面軍司令官ら「入城式」 (『南京戦史資料集』偕行社、藤原彰『新版南京大虐殺』などから作成) 一九三七年七月の盧溝橋事件で始まった日中戦争。南京大虐殺は、日本軍の場当たり的な戦線拡大の末に起きました。 同年八月、東シナ海に面した大都市・上海で日中両軍の戦闘が始まります。当時、日本の上海派遣軍の任務は「上海付近の敵を掃滅し…帝国臣民を保護」と地域を限定したものでした。 しかし十一月十五日、援軍として派遣された第一〇軍司令部が独断で「南京追撃」を決定、進撃を始めたのです。明白な命令違反に対し、中支那方面軍司令部は「ここでとどまっては戦機を逸する」と支持しました。 結局、大本営は十二月一日に南京攻略を下命。天皇制政府が正式に現地軍の独断を追認し、上海から北西約三百キロの南京を目指して攻略戦が開始されました。 ![]() 南京城(奥)を目指す日本軍=『画報躍進之日本』1938年2月号から < 補給部隊なし > この経緯に大虐殺の遠因がある、と研究者は指摘します。 大陸の奥地まで攻め込むには、兵士の食料や軍備の補給を担当する部隊が必要です。地域限定の予定で編制された方面軍には十分な食料補給部隊がなく、住民から食料を略奪し戦闘行動を維持するという方針をとりました。笠原十九司・都留文科大学教授は「殺害や放火など住民への暴力を助長した」と指摘しています。 日本軍の不法行為は、南京城に達するまでの道筋で発生しています。多くの農村で▽村の青壮年四十人余りを小屋に押し込め、小屋ごと焼き殺す▽女性を集団で強姦(ごうかん)し殺害する▽食料の徴発の後、放火し全村を焼く―などの被害が記録されています(笠原十九司著『南京事件』)。 当時の陸軍刑法は「掠奪(りゃくだつ)・強姦」を禁じていました。しかし同軍には、軍紀風紀を取り締まる憲兵がごく少数しかいませんでした。非戦闘員への暴力にたいする歯止めを欠いた軍隊が、南京を目指したのです。 日本軍は十二月十二日深夜に南京城を占領、さらに城区内外で殺りくを繰り返します。 統計的な犠牲者数は不明です。敗戦直後、軍事裁判を恐れた日本軍部の命令で、各部隊が戦闘記録の大部分を焼却したからです。しかし残存する約三分の一の部隊の記録から、虐殺の実態が浮かび上がります。 < やってしまえ > 上海派遣軍歩兵第三〇旅団長の佐々木到一少将は、私記にこう書いています。「俘虜続々投降し来り数千に達す…片はしより殺戮する。多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば…『皆やってしまえ』と云い度くなる」(十二月十三日、『南京戦史資料集』偕行社) 第一〇軍歩兵第六六連隊第一大隊の戦闘詳報は、多数の捕虜を「命令により」殺害したことを記しています。 一般市民の大量殺害などを報じる米紙ニューヨーク・タイムズ(複写) 「捕虜一五〇〇余名及び多数の兵器弾薬を獲得」(同十二日)「旅団命令により捕虜は全部殺すべし」「意見の交換をなしたる結果…刺殺せしむることとせり」「午後五時準備終り刺殺を開始し概ね午後七時三十分刺殺を終り」(同十三日)(同前)。 ハーグ陸戦条約の「規則」は無抵抗の捕虜の殺傷を禁じていました。明確な条約違反です。また、「敗残兵狩り」の名で多数の市民が殺されました。派遣軍歩兵第七連隊の兵士は日記に記しています。「三十六名を銃殺する…哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないことだという」(同前) 当時、城内には米国の新聞記者やキリスト教宣教師など複数の外国人がとどまっていました。 米紙シカゴ・デイリー・ニューズのスティール記者は南京攻略を「地獄の四日間」と表現、「何千人もの生命が犠牲となったが、多くは罪のない市民であった」(十二月十五日付)と伝えています。 ニューヨーク・タイムズも「日本軍の大量殺害―中国人死者、一般市民を含む三万三千人」(翌年一月九日付)と報道。英、中国など各国メディアも、惨状を連日伝えました。 強姦も多発しました。南京の金稜大学教授だった米国人マイナー・ベイツ氏は、現地の日本大使館に繰り返し抗議の書簡を送っています。 「兵士による強姦、暴行と強奪のため悲惨さと恐怖が至るところで続いています。すでに七〇〇〇人以上の貧民(その多くが婦女子)が本学の建物に避難…迅速な対策が必要」(十二月十八日付、南京事件調査研究会『南京事件資料集』) 虐殺は当時から、事実として世界に知られていたのです。 複数の部隊が万単位の殺害を記録していること、近郊農村での被害記録などから、「少なくとも十数万人単位の被害は間違いない」(笠原氏)とみられています。 証拠は圧倒的 事件の存在を否定する論者の多くに共通するのは、都合の悪い証拠に目をつむった上で「東京裁判が事件を捏造(ねつぞう)した」と断言する点です。 東京裁判でA級戦犯被告全員の無罪を主張したとして、彼らが好んで言及するインドのパル判事は、南京事件について「残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、はたまた、戦時俘虜にたいし犯したものであるという証拠は、圧倒的である」(『共同研究パル判決書』)と断じています。 「否定論者はいつの世にもいる。ナチスのユダヤ人虐殺に対してさえ、いるのだから」と笠原氏は語ります。「それに社会がどの程度影響されるのか。ここにその社会の歴史意識や、道義性の水準が露呈する」 南京から事件を報じたスティール記者は、八七年のインタビューで語っています。「日本兵の中国での行為が日本人には信じられないというのは分かる気がします…ただ、実際に起きたことであり、その事実からは逃れることはできないのです」(『南京事件資料集』)(安川 崇) ▼南京市 城壁に囲まれた南京城区と周辺の六県からなる行政区(南京特別市・当時)。全面積は東京都・神奈川、埼玉両県の合計に匹敵します。偕行社の資料によると人口は全体で約百万人で、大部分が城区内とその近隣に集中していました。都留文科大の笠原十九司教授は全体で百五十万人以上、城区内は四十―五十万人だったとみています。 |
「南京大虐殺」?
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ついこの前の事なのに、どうして 正確な事実が掴めていないのか、不思議ですよねぇっ
2006/9/8(金) 午前 3:00 [ 建築や ]
戦乱のどさくさで、公的な記録がほとんど残されていないことと合わせ、やっぱりそれぞれの陣営がその利害にからんで情報操作をした結果でしょうね。それは、事件当時だけでなく、更に以前からの歴史の流れを見ることで、ある程度は見えてくるとは思うのですが、、、
2006/9/8(金) 午前 8:27
昨日のニュースステーションで、検閲で不許可になった6万枚の写真が報道されていました。旧日本軍がいかに、あの戦争を美化し、勝ち戦に見せかけたかが報道されなかった写真から、見て取ることが出来ました。南京事件や、今まで、見てきた戦意高揚の写真らが皆、見せ掛けであったと言う、内容でした。アメリカがイラク戦争での殺戮の写真を報道しないのと同じで、国民は、事実を知らされてない事が又、実証されたんですね。
2006/9/29(金) 午前 9:19
そうでしたか。その番組見て無くて、残念です。ただ今日では当時の大本営発表なるものがいかにご都合主義なものであったかは、お笑いのネタになるほどです。で、私はといえばどちらを信じてよいか、というより、どちらも信じられない、といった状態なのです、、、難しいです。p_ _q;;;
2006/9/29(金) 午後 8:04
この記事はなんでしょう?事実と大きく違います。これだけを読んでいれば日本が悪いという意見になりますね。南京へ進軍した兵の生き残りの人々の話や当事の現地の兵隊のフィルムなどからこの記事は信じられません。開いた口がふさがらない!シナ兵のことを日本人に摩り替えたのでしょうか?あまりの記事に・・・・
2006/10/21(土) 午後 9:46
これが世界に信じられている南京事件の姿です。ただここでも、犠牲者は機関紙「偕行」の「3000ないし6000人」又は「13000人」から、ニューヨーク・タイムズの一般市民を含む三万三千人と、現在中国が主張している30万人とは大きく差があります。南京市の人口の算定自体、大差があり、物的な証拠もほとんどないことから、両者は水掛け論状態です。また、各証言自体、彼我供に、100%信じられるというようなものではありません。
2006/10/21(土) 午後 11:48
双方の謀略が絡み合い、さらにはドイツ、ロシアの介入により、複雑に錯綜した情報の中から、浮かび上がってくるものを読み解いて頂ければと、出来うる限り客観に基づいたと思われる記事を集めていこうと、思っているのですが、、、時間が、、、拝。
2006/10/21(土) 午後 11:48
この問題は現在の社会主義、共産主義、偏ったマスコミ、日教組も絡んだ大変難しい問題で、人権問題も絡み日本は公表できない、と言うコメがありましたが、アメリカの議会でも問題にされその責任を問われている事件であるからこそ、国民としては、事実を知る権利と、義務が、政府としてはそれを国民に知らしめる義務と、責任があると思います。
2006/10/22(日) 午後 10:40
なんで遺骨の欠片すら出て来ないのでしょう?不思議です。戦後間もなく引き揚げの日本人が朝鮮人に虐殺されて38度線付近に埋められました。その付近を園芸用のシャベルで掘っても遺骨が出て来ます。何故南京だけ遺骨が出て来ないのでしょう?
2017/1/24(火) 午前 0:21 [ ななし ]
欠片も出てないんでしょうって……
こういう人って98〜00年の調査で遺骨が出てるのとか調べないんだろうか。南京の博物館の新館に展示されてる。
しかも、日本の右翼の言い掛かりがきっかけになった再調査だから、後々に難癖が付かないように法医学者や考古学者も呼んで、「事件前後に埋められた遺骨だ」というお墨付きを貰ってる。
不思議に思うなら調べれば良いのに。
2017/7/9(日) 午後 8:17 [ ななしさん ]
小林よしのりの漫画から無知の流れが始まった気がする…。
2018/1/3(水) 午後 4:42 [ mesajk ]