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引き続き、石平著・「私は毛主席の小戦士だった」の、第3章「中華という呪縛から脱すべき時」を、要約しコメントする。
「2000年8月、故郷の四川省で「反日」に対する戦いを誓ってから、私はすぐ行動に移した。資料の収集・整理から原稿の書き上げ、さまざまな曲折を経て、処女作・“なぜ中国人は日本人を憎むのか”を出版した。あらゆる意味で私は、ルビコン川を渡ってしまった。 “反日”という怪物との格闘が、私のライフワークとなった。反日問題と本気で取組むと、もう一つの怪物、愛国主義高揚運動という集団的熱病にも対面せざるを得ない。 集団的熱病の実例を挙げてみよう。ツバメちゃんと呼ばれた茶の間の人気者・趙薇がいた。ファッション雑誌に、旧日本海軍の旭日旗とよく似たデザインの服を着て登場したため、一夜にして中国人民からいっせいに非難される悪役になってしまった。 それは、中国全土のマスコミを騒がす一大スキャンダルに発展し、彼女がいかに謝罪しようが、全国人民は決して許さなかった。あるコンサートに出場していた彼女は、一人の青年に汚物を浴びせられた上、殴り倒された。 中国最大のサイトは、青年の暴力を支持するか、支持しないかの設問を出した。回答者62万6千人の半数以上が、支持すると答えた。一人の若い女優への人民裁判的総攻撃が、すべて愛国という名のもとに行われたのである。マスメディアが、常にその先頭にいた。 中国にこのウルトラ・ナショナリズムが台頭してきたのは、江沢民政権の90年代である。天安門事件は、共産党が直面した最大の危機であった。大きく揺らいだ共産党の存立基盤を立て直すのが、事件後に誕生した江沢民の至上命題だったのだ。 江沢民のとった戦略が、愛国主義高揚運動だ。だがそれは、中国共産党にとって、望ましい局面を生んだ。天安門事件以前の80年代の中国には、民主主義と共産主義の対立構図があった。天安門事件は、その対立の爆発点だった。 江沢民政権は、“中国の人権に干渉するアメリカ”や、“軍国主義復活を夢みる日本”を、民族の敵に仕立て上げることに成功した。そして、民主主義と共産主義の対立から、民族と反民族の対立へのスリカエに成功した。90年代の知識人は、共産党の敵でなくなった。 “中華民族対外敵”という虚構が出来上がったなかで、西側の民主主義理念を叫ぶ者は、民族の敵と見なされるようになった。民主化運動に青春を書けた人間は、逆に嘲笑される存在に仕立てられた。 愛国青年になった私の甥は、私という“ニセ日本人”に、軽蔑のまなざしを向けてきた。しかし13億の愛国者の中で、一人の“売国奴”が出ても面白いではないか。13億の観衆が全員、“王様の新しい衣装”と言っても、私はあえて“あれは裸だ”とズバリ言いたい。」 中国は、“外敵攘夷”という視点で、日米を見ているという。北朝鮮が核実験を行なおうとする瀬戸際で、国会は、相変わらず安倍首相の歴史認識や70年も前の彼の祖父の戦争責任などを、ねちねち追及している。自国の総理に、傷を負わせて訪中させたいらしい。 核武装をしようとする北朝鮮、それを半ば容認する中国と韓国、それら諸国に対する謝罪を内容とする歴史認識を再確認することに、今どれほどの意味があるのか。“くだらないムダな論議を止め、北朝鮮の核問題に集中せよ”と、私たちは怒りを込めて要求する。
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