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「30万人虐殺」根拠ない 米出版社が論破本 南京事件 SankeiWeb2007/03/10 23:34 http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070310/usa070310011.htm 【ワシントン=古森義久】南京事件に関して中国当局の「30万人虐殺」などという主張に根拠がないことを実証的に報告した英文の書が米国の権威ある学術書出版社からこの2月に刊行された。南京事件についての日本側のこうした見解が米国側で単行本として出版される前例はなく、米側の南京事件の研究や議論にも重要な一石を投じることが期待される。 同書は立命館大学文学部教授で中国近現代史を専門とする北村稔氏による「南京の政治学=偏らない調査」。米国の「ユニバーシティー・プレス・オブ・アメリカ」(UPA)社から出版された。日本ではすでに中国史研究で広く知られる北村氏は南京事件について国民党などの新たな資料多数を基に「『南京事件』の探究」(文春新書)を2001年に出版したが、今回の米国での出版は同新書を一部、書き直し、加筆して日本在住の長い米国人歴史研究者のハル・ゴールド氏が英訳した。 英語版の内容は南京や台湾で発掘した1次史料を基礎に、日本軍による中国軍捕虜のかなりの規模の処刑があったことを認めながらも、「日本軍が計画的に中国民間人など30万人以上を大量虐殺したという中国側の主張には根拠がない」として、中国の主張を論破する趣旨となっている。 南京事件について日本人による著作が米国の出版社で刊行された例としては元朝日新聞記者の本多勝一氏の書の英訳があるだけで、他の日本人の英語の書はみな日本の組織による出版や米国側での事実上の自費出版だという。本多氏の書は中国当局の主張と共通部分が多く、その中国の主張を否定した米側での日本人の書の一般出版は北村氏が初めてだとされる。 北村教授の英語の書は日本側の主張の数少ない英文資料として議論の正常化に寄与することが期待されている。 「『南京事件』の探究」(文春新書)2001年出版 本書は、南京による大虐殺が「あった」のか「なかった」のかを性急に議論するのではなく、「南京で大虐殺があった」という認識がどのような経緯で出現したかを順序だてて確認したものである。南京事件が初めて世界に発信されたのはイギリスの日刊紙「マンチェスター・ガーディアン」の特派員・ティンバーリーによる書物だが、それは実際には中国国民党中央宣伝部の意を体して発行されたものであり、巧妙な戦時外交戦略であった。著者は、徹底した史料探索によってその事実を確認し、さらに南京事件の真実に迫っている。 当時、南京において日本軍による相当数の捕虜、あるいは民間人の殺害行為が行われたことは覆い隠せないことであるが、「30万人大虐殺」はすでに戦争中から準備されていた戦犯裁判のシナリオに沿って、日本の戦争犯罪を告発するためのハイライトとして作り上げられたといわざるを得ない、と著者は結論づけている。もちろん、だからといって日本軍の行為が許されるべきものではないが、ひたすら謝罪を続けるのみが「戦争責任」の取り方であるかのような戦後の日本外交のあり方を見るとき、歴史に対する正確な事実認識を持ち、それによるきちんとした申し開きをすることは国際社会で生きていく上での必要最小条件であるとの思いを強くせざるを得ない。(杉本治人) 出版社/著者からの内容紹介 まず結論ありの"神学論争"をやめ、大虐殺があったという「認識」がどのように出現したのかを、歴史学の基本に戻って分析検証する 30万人虐殺説成立過程のイデオロギー批判, 2006/2/2 レビュアー: モチヅキ (名古屋市) 本書は1948年生まれの法学博士号を持つ中国近現代史研究者が、「南京事件」研究にまつわる「政治性」から一定の距離を保つために、「南京での大虐殺」があったか無かったかを性急に議論せず、「南京で大虐殺があった」という認識の形成過程を解明しようとして(=イデオロギー批判ないしイデオロギー暴露)、『東亜』連載論文を元に2001年に刊行した新書本である。本書の特徴としては、第一に一見中立的だが実際には「虐殺派」批判に重点があるように思われること(例えば14頁で「虐殺派」自体が十数万虐殺を主張していることと20頁の「虐殺派」が30万人虐殺説を擁護しているかのような危惧との矛盾、「虐殺肯定願望」の指摘等々)、第二に証拠資料に対立する日本人側資料は援用しない(22頁、これも虐殺派への危惧の為)ため、中国側文献の政治性のみが問題とされること、第三に「常識」という曖昧な基準の強調(22頁、軍国主義批判という「極端な」捉え方の忌避に帰結、106頁)、第四に南京事件当時の記録では大虐殺という認識は見られず、国民党中央宣伝部顧問ティンパーリーが30万人虐殺説の出所となったことの解明、第五に他都市より南京の戦争被害が深刻に扱われていることを認めつつもその意義を過小評価する傾向(93頁)、第六に著者にとっての南京事件の「文明史的意義」は、現在にも残る日本社会の成り行き任せの説明責任の欠如であること(なお日本軍の構造的な欠陥については「虐殺派」も論じているはずだが)、第七に戦中・占領下の農村部の被害に関しての検討が170頁以降で、占領下南京市内の検討に比べてそっけなく扱われていること、第八に遺体処理の方法として埋葬数だけが検討されていること、第九に「虐殺派」の誤訳の興味深い指摘、第十に愛国虚言という「近代中国人の心性」が「本書の意図にそぐわぬ」にもかかわらずわざわざ指摘されていること等である。 |
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この種の論を張ると、罵詈雑言、罵倒、嫌がらせがコメントに列挙されるので敢えて避けてきたのだが、現実に今なお、屈折した自由主義史観が罷り通っている事に憤ったので、取り上げてみる。 従軍慰安婦問題 そもそも、「従軍慰安婦」と言う言葉は、戦後に作られた造語と考えている人が多いのにも 驚かされている。小生の亡父は、帝国陸軍、少佐として戦後を向かえ戦犯として巣鴨に拘留経験の ある人であったが、週刊実話が、最後の性戦従軍慰安婦なる記事を掲載したのは昭和43年で、これが 最初であると言われている。昭和43年と言えば、小生が小学校6年生の時に当たる。 父の所属する戦友会の方々と始めてお会いしたのは、昭和40年が最初で、この時に既に 「従軍慰安婦」と言う言葉を彼らは使用していた事実があり、現実には正式な呼称では なかったにしろ、その呼称は戦前からあったと思われる。 況や、朝日新聞が昭和50年代にキャンペーンを張った時に造語したなどと言う主張は完璧に 間違いである。 更に、今年78歳になる母が、戦時中に女子挺身隊に志願を希望した折、亡祖父(海軍工廠、幹部) に「従軍慰安婦の様な真似をするな。」とその志願を取りやめさせられたと言う記憶もあり、戦前から 一種の呼称として使用されていた可能性が大きいと判断される。 また、慰安婦の員数についても、自由主義史観であると、数万人規模を逸脱しないと判断している。 根拠が、当時、彼女達を前線基地まで送った記録が存在しないと言う事だが、それも間違っている。 まず員数については、恐らく10万人〜20万人程度になっていた可能性が大きい、この根拠は 昭和12年、日中戦争の拡大に伴って、陸軍参謀本部付けの計画書に20万以上の慰安婦が必要と 書かれている。この計画に基づいて送られたと考えるほうが自然であり、この員数からそう遠くない 慰安婦を送ったと思われる。 また、どうやって送られたか?についても陸軍の資料に散見されている。女子挺身隊や従軍看護婦など の場合、陸軍の正規部隊付けとして、その行動計画書に氏名、年、出生地の明記があるが、慰安婦の名が その記録にないを理由に軍が、その輸送を組織的に行わなかったとは言えない。それは、彼女たちが 物資として、兵站部が扱ったからである。 その兵器や牛馬と同様に兵站記録には、うめ、たけ、はな、などの名前のみに記録が多く残っている つまり彼女たちは人間ではなく、物資として扱われたと言うことである。この兵站記録の大半が 散逸しており、その全てを調べることは不可能であるが、残された記録に少なからずの名前がある事から 軍が制度として、この慰安婦利用していた事は否定できない。 また、慰安婦は日本人も多く含まれており、韓国人だけではないと言う反論をされる方々も少なからず おられるが、昭和16年、太平洋戦争以降の慰安婦は7割近くが朝鮮半島出身者で占められており、 日本人の場合、志願した現役の娼婦に限られていた。中国人の数が少ないのは、軍の行動や機密が 外部に漏れる事を考慮して、慰安婦に使用しなかった事も、その計画書に記載がある。日本人慰安婦の 員数は、終戦間際には1割を下回っているくらいである。 朝鮮半島で募集された慰安婦の内、その大半が仕事内容を知らされていなかったと言う事実も 陸軍、軍医、中野中尉の日記や日誌にも現れており、この一説に「朝鮮人は、パイパンが多いと言う 実しやかな話が、軍人たちに聞かれるが、現実には日本人より薄いものの、パイパンは殆どおらず、 その慰安婦たちが、まだ生える前の少女であった事が、この噂を増徴させた原因である。」とさえ 述べている。 最初の検診の際に、男である軍医にその裸を見せる事を躊躇った者が多く見られたとも書かれており 玄人の娼婦ではないことを、表している。 更に彼の残した、写真には、軍が直接管理する慰安所の姿も残っており、軍が主導する形で、この制度を 作り上げたことは間違いのない事実である。これを否定する事は歴史に対する冒涜であると言える。 新自由主義史観の主張に陸軍、軍令部の要請として、内務省に対して、「陸軍の名を勝手に使用して 女衒の真似をし、況や拉致、誘拐して女性を集めている輩の取り締まり強化。」を指示しているから、 強制的な連行は、軍の意思ではなく、民間の女衒たちが勝手に行った事で、軍の関与はない。 小林よしのり氏や、桜井よしこ女史の主張にもこの一文が載せられているが、これも資料の拾い読みに よる間違いで、この陸軍の要請以前に、この手の事件が多発していたかと言うと、その事実はない。 たった一件、徳島県警の取り締まり記録に、2名の女衒が陸軍の名を持ち出して女性を連れ去ったと言う 事件のみである、この2人の女衒は逮捕されたが、陸軍省発行による女衒の許可書を所持しており、後日釈放されている。この一件だけが事件として扱われたのであって、事件そのものは存在していないのである。 つまり事件も起こっていないのにも関わらず、陸軍は何ゆえ内務省に対して、この様な要請をしたのか? 容易に結論を導き出せる。陸軍が発給した証書を持って過激に立ち回るであろう、女衒に対して、やりすぎるなと言う陸軍の意思の表明であり、この事から逆に軍が組織的に慰安婦募集に関わっていた事を 証明するものと言えるのである。 資料の拾い読みである自由主義史観の主張は根本から間違った結論を引き出していると言えるのである。 国家として、この慰安婦問題に関わった事実を残す公文書は残されていない事が、彼らの主張を勢い付けさせているのだが、ポツダム宣言受諾以降、政府も軍隊も、資料の廃棄や焼却を命じている事実が ある限り、公文書が見つからないを理由にこの問題を否定する事は、卑怯卑劣の謗りを免れないものと 感じる。 南京事件 この問題も同様に、前線で戦った兵士たちは、その虐殺を認めている者が多く存在する。命令書の中にも、一部の集落を殲滅しろと言うものも残されており、基本的には南京事件はあったとするべきであり、 その被害数だけが、これからの調査によってある程度具体化すると言うことであろう。 ネット上でも南京事件はなかったと言う論調のものが多く見られるが、この主張に根拠がない。 つい先ごろ、NHKの特番で南京事件を扱ったものがあったが、この戦線で戦った兵士たちが虐殺を 認めている。経験者が認めたものを経験もしていない者が否定できるはずはない。この事を肝に命じる べきであろう。 歴史認識 わが国の場合、その歴史観が明治維新後、断絶した歴史観を国民が持っている事が、この問題を 複雑にしている。 そものそも、歴史と言うものは継続したものであり、この時点で断絶したと言う考え方は、歴史そのものを否定すると思われる。 戦前の行われた戦争責任を東京裁判にだけ頼って総括せずに60年以上を過ごした結果、戦前の出来事は 既に終わった事と、断絶して判断している。 しかし、現実には継続性の中で歴史は存在し、だからこそ、韓国は豊臣秀吉にいたる、日本の暴挙に対して今なお批判しており、逆に日本人は秀吉を罵倒されたからと言って、憤慨することはないのである。 つまり江戸時代以前の歴史は、歴史と言う物語と言う判断があるからで、その秀吉を罵倒されても 罵られても不快と思わないのである。しかし近代史に至っては、全く違う反応を示すのが日本人と言える。 同じ歴史の事実に対して、明治以降の事柄は、批判され罵倒されると憤り、逆に江戸期以前の出来事には 無頓着でいられる。この歴史観が、断絶した歴史観と言う。 拉致問題と旧陸軍の強制徴用や、朝鮮戦争に於ける敵対関係は、繋がっていないと論じるのも、同様に 歴史観の断絶を意味している。 屁理屈であるにしろ、継続した歴史観の中で、物事を考えるのは、必ずしも否定できない。つまり、 歴史の流れは、止めることも断絶することもあり得ないのである。そういう意味においては、日本人の 歴史観そのものが硬直しており、間違っていると言える。 拉致事件を是とするのではなく、相手の言い分は屁理屈であるとしても、その考え方そのものは、否定 できないと言うことである。 つまり継続した歴史観を日本人は持つべきであろう。そうすれば、近代史に於いても共通の認識を 作り上げられるものと思っている。 最後に、被害者にとって、その被害実数は問題ではなく、その事件が有無が問題であるのだと言う事を 被害者の立場になって考えるべき時である。
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改革開放経済を採った中国共産党は、「共産主義の表看板」を下ろして政権維持の正統性を失った。代わりに持ち出したのが、「侵略国家・日本から中国を守った英雄」という漢民族主義・愛国主義路線である。その目玉が「南京大虐殺」だ。 これが日本で再び注目されたのは、昭和46(1971)年8月から朝日新聞で掲載された本多勝一記者による『中国への旅』という連載記事である。本多は内容の信憑性を田辺敏雄に問われると、 「私は中国の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば、中国側に直接やっていただけませんでしょうか」 と回答している。本多・朝日はハナから検証する気なぞサラサラ無く「中国共産党のお先棒を担いだ」訳だが、日中国交樹立直前では「これで商売になった」のである。 長らく日中での動向を見ていた光沢民は、「南京大虐殺で行ける」と踏んだらしい…。 日本での南京大虐殺論争は、次で概観できる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AB%96%E4%BA%89 ここでは、SAPIO 2006年12月13日号の次の記事を紹介して、「南京大虐殺」の背景を探りたい。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「日本で稼いだカネはいらない」―政府の洗脳はここまで浸透した 中国共産党の「反日・愛国」教育 石 平 SEKI Hei(中国人・日中問題研究家) ここ20年ほどで、中国は親日から反日に劇的な変化を遂げた。とりわけ、共産党のなりふり構わぬ愛国教育の激しさは目を覆うばかりだ。 今から6年ほど前に中国四川省の実家に帰省した時のことである。大学1年の甥が遊びに来たので、私が財布から何百元か取り出し小遣いとして渡そうとすると、彼はこう言った。 「おじさんのお金は日本人からもらった給料だろう。そんなお金は要らない!」 まさか身内からそんな言葉を浴びせられるとは、思いも寄らなかった。甥は純真で真面目な子だったので昔からかわいがって来たし、彼もよくなついていた。それなのに、当時の大学生の一ヶ月分の生活費を、「日本人の汚いカネだ」と、ためらいもなく振り払ったのだ。私はその何年か前から、中国に帰るたびに、社会の空気の変化に気づいてはいた。中国の友人や知り合いに会い、日本で仕事していると伝えると、「あんな陰湿な社会にいたら、非道い目にあっているに違いない」と決めつけられ、同情される。それに反論すれば、今度は「お前は日本人に買収されて、ウソをついている売国奴だ」と罵倒されるのである。だから、この甥に対して説明しても無駄だとすぐに悟り、話題を変えようとした。ところが、彼は逆にこう質問してきたのである。 「日本がもう一度中国を侵略して来たら、おじさんはどうする?中国に帰って来る?」 あまりにバカバカしくて反論する気にもならず、冗談半分に「そうなったらお前はどうする?」と聞き返してみた。すると、甥は背筋を伸ばして、「僕は最前線で戦う。小日本を徹底的にやっつけるんだ」と答えた。 「実は、大学で共産党の入党申込書を提出したんだ」 私が「そうか、お前は共産党が好きなのか?」と聞くと、「当然だろう。中国人なら、みな共産党が好きじゃないか。昔、日本侵略軍をやっつけたのは共産党だし、今も日本の侵略を防いでいるのは共産党のおかげだ。おじさんは歴史を知らないのか!」と、食ってかかってきたのである。 こうなると、叔父も甥もない。 「じゃあ聞くが、今から11年前に北京で起きた6・4事件(天安門事件)を、君はどう思う?」 「あ…、あれのことか。はっきり言いますが、おじさん達のやったことは間違いです。党と政府の措置は正しかった」 さすがに堪忍袋の緒が切れた。 「丸腰の学生達を虐殺して、いったいどこが正しかったんだ!政府が罪もない人を銃殺するのは正しいと言うのか!」 しかし、甥も譲らない。 「おじさんたちは、外国勢力の陰謀の道具に使われただけだ。鎮圧しなければ、中国は外国勢力の支配下に入ってしまうじゃないか」 私は怒り心頭に発し、あやうく平手打ちを食らわせそうになったが、かろうじて理性で抑えこんだ。すると、甥は、 「殺人と言えば、日本人こそ殺人者じゃないか!南京大虐殺をやり、何千万人の中国人を殺した。おじさんは忘れても、僕は忘れませんよ!」 そう言い捨てると、甥は部屋から出ていった。これが、今でも鮮明に残っている甥との対話の一部始終である。 憎しみの対象を変えただけで、共産党の洗脳教育は昔のまま それまで、私は共産党が反日宣伝を繰り返す意図をつかみきれてなかった。しかし、この一件で全てががわかった。 共産党は反日宣伝と教育を繰り返すことで、「日本は悪魔の侵略民族であるという幻想」を作りだし、その洗脳により甥は憎しみの感情を煽り立てられていた。日本を憎むあまり、日本の侵略から祖国を守ってくれる共産党に心酔し、天安門事件の虐殺まで正しいと断じたのである。彼のような考え方の若者を継続的に量産すれば、共産党の統治基盤は盤石のものとなる。それこそが党のねらいだった。 洗脳教育というものは恐ろしいもので、ありとあらゆるウソが集まって1つの完璧な世界観を形成してしまう。ウソをついている本人までも、本当のことのように錯覚し始めるほどだ。 天安門事件は、共産党にとっても史上最大の危機だったと言える。この事件を境に、共産党は方針転換を図った。つまり、かつては西欧資本主義を邪悪な暗黒世界とし、理想の共産主義国家を建設するのが共産党だと位置づけていたのが、日本という暗黒国家が再び中国への侵略を企てており、その侵略から祖国を守るのが共産党であると、対立の構図を変え、民族主義、愛国主義の教育を始めたのである。 学校の教科書はすべて書き換えられ、日中戦争の日本軍の残虐行為をあげつらうものになった。相変わらず、小学校の教師は、授業で日本軍の残虐行為を語る時に、感極まって泣き崩れる。壮絶な話に興奮した生徒たちは泣き叫び、教科書を黒板にたたきつけ、机をひっくり返し、集団ヒステリー状態に陥る。しかし、それが収まった後には、教室の中に恍惚とした一体感と、日本に対する激しい憎悪が生まれるのだという。 例えば、2000年1月に、日本の民間団体が南京大虐殺の真偽の検証をテーマに開いた集会は、たった400人が参加しただけの小規模なものだったにも関わらず、『人民日報』や中央テレビ局をはじめ、全国の新聞、テレビ、雑誌が総力を挙げて嵐のような日本批判キャンペーンを繰り広げた。経済誌や生活・娯楽を扱う夕刊紙までもが参加し、「日本軍国主義の侵略に備えよう!」と気勢を上げた。この反日キャンペーンは半月にも及んだのである。 基本的に中国のメディアには報道の自由はない。経済や娯楽などのニュースは自由でも、政治、外交、イデオロギーに関する報道は、完全に党の指導下でコントロールされる。つまり、こういった反日キャンペーンは、共産党の指示や許可がなければできないのである。 戦争を知らない世代ばかりが共産党を盲信している 私は日本の残虐行為の話を聞かされるたびに、80年代の友好ムードは何だったのかと虚しい思いにかられる。当時はまだ戦前の人間がまだ大勢生きていたわけで、もし日本が本当に共産党の言うような虐殺をやっていたとしたら、あれほどの友好ムードが醸成されるはずがない。 中国で「虐殺を忘れるな!」と騒いでいるのは、どういうわけか甥のような戦争の実態を知らない若い世代なのである。 教育とはパラダイムを作り出す行為である。共産党は、天安門事件以来、学校教育とメディアを利用し、20年以上かけて「邪悪な日本」と「侵略から中国を守る共産党」という偽りの世界を見事に構築した。共産党は自らの権力を守るためだけに、中国人民に対して情報戦を仕掛け、大勝利を挙げたのである。
本論文の抜粋は、次でも読めます。
http://blog.livedoor.jp/sanchez7/archives/50602449.htmlhttp://d.hatena.ne.jp/rawlspan/comment?date=20061127 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 中国共産党の政権は、メディアと教育によって13億の人民を洗脳してきた訳ですな。今や経済大国になろうという中国の若者たちが、この20年間に政府から中共本位の誤った歴史を教えられてきました。中国の今日の発展に最も貢献してきたのは日本です。ODAや円借款などの資金や、留学生受け入れ、黄土緑化や新幹線などの技術の援助ですな。ところが、「日本は中国を侵略しようとしている悪魔のような民族」と中国人民に宣伝・洗脳されているのです。「中国の環境問題」同様、おどろき、怒り、戦慄するのでありますな。 しかし、日本人の大半はこういう事実を知らないのであります。マスコミが報じないのです。「日中記者交換協定」のためですな。
http://www.h3.dion.ne.jp/~realrobo/shina/shina6.htm だから、2004年夏の中国でのサッカー・アジアカップの大規模な反日騒動や、2005年4月の日本大使館・領事館へのデモ隊による投石騒動について、その背景を十分に理解できていないのですな。
2006年から反日騒動は抑えられていますが、これはオリンピック開催を考えてのことでしょう。オリンピックが終われば、中国共産党政府は、「貧富の差が拡大する一方の人民の怒りを外に向けるために」、台湾問題や尖閣諸島領有権などで、かならず「敵国・小日本との対立の構図」を作り出すでしょう。それが「中国共産党の生き残り戦略」なのですから。つまり、『第二の南京大虐殺』を仕掛けて来るっちゅうこってす。
共産党一党独裁の中国と我が国とではもともと政治的価値観が違うのですから、もやは「日中歴史共同研究」は茶番です。カネと時間の無駄を承知で、お付き合いのナンチャッテ協議は、ほどほどにやればよろしい。その一方で、スパイ防止法などの法律や制度を着々と整え、経済や環境、さらには軍事について、日本の対中国防衛機構を構築して行くしかないのでありましょうなあ…。
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転載元:40過ぎて独身で 07/2/14 主人公は、元貿易商社マンで、退社後は金門島で非合法の偽物の輸出入ビジネスを行っている。ある日、彼の旧友が尋ねてくる。その男は、そのまま金門島で殺されてしまう。 その遺体を引き取りにきた人物は、主人公と別居状態で、送金だけを続けている妻だった。友と妻の不倫を知った彼は、正式な離婚を決意する。金門島の愛人と入籍を考え始める。 そんな彼のもとへ、今度はすっかりちんぴらに成り下がった息子が尋ねてくる。その息子は、主人公の愛人を殺してしまう。 そんな状態になった彼は因果応報だと思うのであった。彼を追って、日本から警察がやってきて、最後には主人公の昔日の殺人も白日のもとへ。。。 例によって、国際的な情勢を背景にした船戸節である。やっぱり面白い。 この小説で面白いのは、金門島がなぜ非合法ビジネスのメッカになってしまうか?という解説である。 実は、金門島は、その存在自体が「国際法の狭間に落ちた存在」である。 現在、金門島は台湾の国民党政権が実効支配している。国民党は、日本が敗戦によって手放した台湾を領有している。ところが、日本はもともと金門島を領有していなかった。ならば、中国共産党はどうかといえば、なにしろ「一つの中国」という建前がある。台湾政府に文句をつければ、自国以外に政府が存在することを認めることになってしまう。 結局、金門島問題は国際間の狭間に落ち込んだままであるのだ。従って、中国共産党は、金門島の偽物ビジネスについて文句をつけられても「取り締まる」とも言えないし、「知らない」とも言えない。台湾は文句をうつけられたいのだが(国内問題として処理する口実になる)諸外国もそれは言わないのである。 評価は☆☆。 やっぱり船戸与一は面白いなあ。 ところで。 さらに面白い話として「白団」の話が出てくる。 50年代になって米国に見捨てられた蒋介石は、旧日本陸軍に軍事指導を依頼する。「米国式の物量に頼む作戦は、我が軍には向いていない」つまり、米軍の支援がなくて物量作戦はとれないわけだ。 「赤化」に対する防衛を頼まれたのは、元陸軍大将の岡村寧次である。彼は、自分の元部下を台湾に派遣する。ちょうどそのとき、中国共産党の金門島侵攻が生起。たまたま現地にいた旧日本陸軍将校達は指揮を執り、見事金門島防衛に成功するのである。その数、実に700人と言われる。赤化に対抗する軍団という意味で「白団」と呼ばれたのである。これも歴史の狭間であろう。 たいへん船戸与一らしい綿密な調査に裏付けられた、面白い小説である。お勧めですぞ。 comment: 船戸さんは、今のレベルなら20年前に直木賞でしたねえ。フィリピンの独立軍と日本兵とのからみも面白いですし、ソ連赤軍と旧ロシア白軍との戦闘にかかわる樺太師団の遊軍のお話もおもしろい。さらに国内でいえば、今、花村が書いている蝦夷地開発の部分も面白い。全て船戸さんの得意分野ですけどね。 2007/2/20(火) 午後 7:28 http://blogs.yahoo.co.jp/nazunayh クルド問題を提起したのも船戸さんだし、米国については本名「豊浦史郎」名義の「叛アメリカ史」という名著があります。今いちばん面白い作家じゃなかろうか?と思いますね。 2007/2/21(水) 午前 9:38 |


