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今月3日、ザンビアの首都ルサカの空港に到着した中国の胡錦濤国家主席は、現地の人々約2000人からの歓迎を受けた。しかし、空港から市内に至る道には武装警察数千人、ザンビア大学内には学生デモを阻止するための警察数百人が配備されていた。また野党「愛国戦線」のマイケル・サタ総裁は2日間、胡錦濤主席の訪問先に接近することを禁じられている。 それもアフリカ大陸で最も早い1965年に中国と国交を結んだザンビアで「反中感情」が膨らんでいるからだ。確執の根は98年、北部シャンビシ経済特区内の銅鉱山を買い取った中国人が、現地人の労働組合設立を弾圧し、わずかな給料しか与えないという横暴を極めていることにある。 昨年7月には中国人の賃金未払いで労働者のデモが起き、これを制圧する際に中国人監督官が労働者らに発砲、46人が死亡した。元労働者のアルバート・ウムワナウモさんは「中国人は私たちを人間扱いしない。彼らは私たちを支配できる権利を持っているかのように振舞う」と非難した。 昨秋の大統領選に出馬したサタ氏は「ザンビアは中国の1つの省に転落しつつある。私たちは非民主的な外国の存在を望んでいない」と露骨な中国追放論を主張、28%の支持を得た。同氏は、首都ルサカでは対立候補だったレヴィー・ムワナワサ現大統領の3倍の票を得た。 こうしたムードはナミビア・ジンバブエ・南アフリカ共和国・アンゴラなどにも広がっている。低価格の中国製品で就職先を失った南アフリカ労働組合会議(COSATU)のメンバーたちは、2005年12月の集会で自国の繊維産業を衰退させたことに抗議する意味で「メード・イン・チャイナ」と書かれた赤いTシャツを引き裂いた。 今年、ナイジェリア武装集団が中国人労働者を狙い拉致事件を起こしたのも、反中感情と関係があるものとみられている。これは中国がアフリカの天然資源を奪い、低価格で製品を作り、現地の産業を衰退させていることから、「中国も欧米諸国とまったく同じ略奪者だ」という認識が拡大しているためだ。 スウェーデンにある「ダグ・ハンマーシュルト財団」を率いるヘニング・メルバー氏は「アフリカ人たちは中国に対し人種差別主義への怒りにも似た強い憤りを表している」と語った。 香港=宋義達(ソン・ウィダル)特派員 朝鮮日報/朝鮮日報JNS 2007/02/05 11:01 |
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朝鮮日報より二つの記事を転載させていただいた。以下。 ソウル大教授「日本による収奪論は作られた神話」 2004/11/20 09:48 日本による植民地時代に韓国が土地と食糧を収奪されたという韓国史教科書の著述は歪曲されたものだという主張が提起されている。 韓日問題を論じるシンポジウムでソウル大学の李栄薫(イ・ヨンフン)教授が発表した内容だが、李教授は過去の「従軍慰安婦は売春業」発言に続き、再び論争を呼び起こしている。 「1910年に日本は大韓帝国を強制的に併合した」 「日本は韓国が植民地だった35年間に、韓国の土地の40%以上を収奪し、膨大な米を略奪していった」 これらが韓国が独立後、40年以上にわたり中学・高校の国史教科書に記載されている内容だ。 しかしソウル大学経済学科の李栄薫(イ・ヨンフン)教授はこうした収奪論が歪曲された神話だと主張した。 収奪という表現は太平洋戦争末期を除き、被害意識から出てきた言葉だと李教授は話している。 以下はYTNによるインタビュー。 李教授「日帝(日本帝国主義)が韓国の米を供出、強制徴収したとされているが、実際には両国の米市場が統合されたことにより、経済的『輸出』の結果だった」 客観的数値で見ても、奪われた土地は10%に過ぎなかったと説明している。李教授は韓国の歪曲された教科書で学んだせいか、反日感情の根がかなり深くなっていると話した。 李教授「私たちが植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ」 こうした主張について市民団体は植民地状況自体が不法であるという点を見過ごしていると反発している。 李教授「植民地時期全体を見れば、労働力搾取だとか、状況が・・・その中に不法もあり、そうでなかった場合もあり、様々な次元があるため・・・こうした状況を通称し収奪と表現するのでしょう」 李教授の主張がメディアを通じ知れ渡るとインターネットの各掲示板でも熱い討論が展開された。植民地史観の先兵と変わりがないと非難する書き込みが殺到した。 一方で李教授の理論にも一理あるとし、教科書を客観的に見るべきという声も少なくなかった。 李教授は2か月前にテレビの討論番組で従軍慰安婦を売春業と関連付けた発言を行い、物議を醸した人物だ。 日本による収奪論を否定する李教授の発言は、韓国で新たな熱い論争を巻き起こしている。 【歴史】日本統治時代の韓国人の平均身長 2006/02/18 11:47 「“経済厚生悪化”“大きな恵沢あった”などの主張、妥当性欠ける」 韓国人の平均身長が1900年代から日帝時代の1920年代中頃まで2センチ程伸びたものの、日帝時代の末期から韓国戦争(朝鮮戦争)までの間に1センチ程縮み、それ以後は飛躍的な伸びをみせたという研究結果が出た。 ソウル大学経済学部修士課程の崔成鎮(チェ・ソンジン)さんは最近、修士論文として承認を受けた「韓国人の身長変化と生活水準の変動―植民地時期の身長に関する資料を中心に」で、このように述べた。 分析結果、1900年に約165センチだった平均身長は1925年の167センチをピークに縮む傾向をみせ、1945〜1950年には約166センチまで落ち込んだことがわかった。 この論文は、日帝時代の西大門刑務所の受刑者カード、全州小学校の生活記録簿、日帝の徴兵検査資料、国家標準院の身体検査資料などさまざまなサンプルと、西江(ソガン)大学の吉仁成(キル・イルソン)経済学部教授のこれまでの研究を分析したもの。 崔さんはこのような身長の変化について、「1910年から1920年代中頃までの身長の増加は、1人あたりの食料費支出と実質賃金の増加、日帝の衛生統制政策の効果と説明できる」としながら、「1920年代中頃以前の朝鮮人の生活水準が着実に向上していたのは明らか」と述べた。 一方、日帝時代末期に身長が縮んだのは、1920年代中頃以後の実質賃金の減少と1930年代後半の戦時下の食料不足と関連があると分析した。 また、「身長の推移を分析した結果として、日帝時代に経済厚生が悪化したという主張や植民地時期に大きな恵沢があったという主張はすべて妥当性に欠けると判断される」と主張した。 |
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