日本に於ける近代史感について、昨今、その解釈方法に間違いがある様に感じている。それは、ストイックに資料史観を狭義に当て嵌めているからに他ならない。 近代史に場合、我が国に限らず、多くの資料が残されており、その資料を下に歴史解釈をすることに、何ら問題があるわけではないし、否定するつもりもない。しかし、現代日本に於いてですら、民間企業の場合、重大な案件や歴史的で記念碑的な事業についての資料は、残しているであろうが、その他の詳細な資料については、恐らく10年を区切りに廃棄処分しているのが現実であることを考えれば、万が一社史などの編纂をする場合、その詳細な部分については、その時代を生きた社員や役員などの記憶と傍証の積み重ねで推察して解釈することになろうと思う。 本来、歴史解釈は、古くなればなるほど資料が消失していたり散逸している場合が多い、この少ない資料から、歴史学者たちが当時の社会性や時代背景から推察して、その推論が新資料が見つかるまでの歴史観となる事に疑義はあるまい。 昭和10年当時から終戦までの謂わば、日本が軍国主義と呼ばれた時代の解釈について、鑑みる時、狭義に於ける資料史観を論じる人が増加している様に感じる。 従軍慰安婦の募集に於いて、国家的な関与があったか、あるいは強制的な徴用は起こっていたのか。 南京事件について、軍隊として虐殺行為を命じたのか、あるいは全く捏造的な虚偽であるのか。 日中戦争は、時代の必然であったのか、あるいは日本の暴挙であるのか。 太平洋戦争は、日本の暴走の結果なのか、米国の謀略による必然的な戦いであったのか。 挙げればきりがないが、この全てに於いて、新自由主義史観を標榜する人々は、公文書などの公式な資料がない事で、従軍慰安婦、南京事件は無かったとし、戦争の責任については、時代の必然であり米国の謀略に乗せられた被害者である日本と言う解釈を基本としている。 逆に糾弾派と呼ばれる人々の主張は、従軍慰安婦の強制連行はあったとし、南京虐殺も、その被害者数を除けばあったとし、日中戦争は軍部の暴走を止められなかった暴挙と断じ、太平洋戦争に至っては、その日中戦争を拡大した結果、米国を含める欧州などから孤立したことによる政治的な判断ミスとしている。 無論、歴史と言うものは、須く複雑で双方の主張の様な単純な判断では完全に説明することは不可能であるのだが、これほど、この昭和10年から終戦までの解釈が割れる歴史と言うものは、事、日本史に於いて存在しない。 何故、この様な真っ向から反する解釈が罷り通るのであろうか? そこには資料史観をストイックに採用する新自由主義史観と傍証の積み重ねで、充分に証明できるとする糾弾派の姿が見て取れるのである。 従軍慰安婦の強制連行について鑑みれば、少なくともその制度を設け、管理したのは国家であることは、それこそ公文書から証明されている。問題は強制連行や騙して連行されたと言う事が事実であるのか、あるいは国家関与はなかったが、現場に於いて行き過ぎがあり、ある意味管理責任だけが問われるのか。それとも全く、その様な事実の存在は無く、彼女たちは、その全てに於いて娼婦と言う事を知った上で売られて来たのか。 ここに幾つかの傍証がある。一つは、少なくとも内務省(警察)の正式な免許を持った女衒は、軍管理の 慰安施設で働く慰安婦の募集はしていないと言う事実がある。この従軍慰安婦の募集を行ったのは、陸海軍の発行した女衒の免許を与えられた特殊な者達によって募集された事は、徳島県警記録や、内務省の記録に存在している。さらに当時の法律によると、売買された娼婦は日本領土から出て営業する事が禁止されている。また満18歳以下の女性の売買は厳に禁止されていた。 しかし、軍の慰安所には、この年齢に満たない少女が売られていた事実も、当時の軍医日誌などにも散見している。つまり国内法を変えずに従軍慰安婦についてのみ、外務省は旅券を発行し、その出国を認め、更には、年齢制限については、本国(日本国内)だけを限定的に縮小解釈することで朝鮮半島や台湾に於いては、軍の募集に関して年齢制限を厳格には制限していなかったと考えられる。 つまり、朝鮮半島や台湾については、当時は日本国内であり、日本国内法によって日本国民であったと言う事を、主張する人がいるが、現にこの様な差別的な法解釈が存在していたと言う事を認めねばならない。 また、反日感情が強い韓国人などの場合、その経験者の証言が偏っている可能性を否定できない事を、主張して、それらの証言を否定しているが、現実にオーストラリア人やオランダ人、などの被害証言も少なからず存在していることを、忘れてはならない。彼女たちは、殆ど強制的に拉致され慰安所に送られたと証言している。 また、傍証であるが、多額の前借金をもらっているのだから、当然、綺麗事の仕事ではない事くらい、想定できたと言う主張もまかり通っているが、昭和16年を境に朝鮮半島で募集された慰安婦に対する前借金について、それまでは200円から300円の相場が、玄人や志願して慰安婦になった者を除くと、 30円から50円にまで減額されている事実も彼女たちの実家などから発見されているし、日本に残された数少ない資料にも残されている。 つまり一般労働者の1か月分の給与適度の前借で娼婦として保護者が売り渡したと言う事になる。しかし当時、釜山などの女郎屋に女衒を通して正式に売った場合、当時の記録を見れば200円から500円と言う相場が残されている。つまり女郎として身売りするのであれば、30円しか前借のない軍を頼るより、むしろ民間の女郎として身売りした方が遙かに条件が良いのである。 このことから、彼女たちの証言にある様に、高級将校の身の回りの世話、つまり女中さんとしての年季奉公と言う虚偽の募集であった可能性の方が高いのではないかと判断できるのである。 また、現金でその対価を支払われたのは、昭和16年当時までで、以降は軍票であった。軍票は現金と同様と言うが、国家補償がなく、戦後紙屑同様となっている。少なくとも現金で支払われていれば、日本が負けたと言っても滅んだわけではなく、将来に於いて換金の可能性があったと言えるが、軍票は戦後紙屑と化している。 これらの傍証を積み重ねた場合、その数は少数であった可能性は否定しないが、強制あるいは騙されて連行された少女も少なからず存在していたと判断しても不合理ではない。 南京虐殺についても同様の事が見られる。南京事件が作られた虚偽の歴史であると断じる人の主張の場合、軍隊の上層部は、その事実を知らなかった、あるいは民間人に対する攻撃などを厳に禁止する旨の 命令が通達されていたなどを証拠としている。しかし、糾弾派の場合、ジョンラーベの日記を含めて、当時、この作戦に従軍した兵士や記者の証言から事実としている。 ドイツ人ジョン、ラーベについては、その人物評が二分している為に、その残した記録や日記を否とする意見も多いが、欧米では一級品の歴史資料として通っているのも事実である。また日本人兵士の証言についても、確かに近視眼的な視野の狭い証言である事は否定しないが、少なくとも彼らの目には、虐殺と映った事実が存在していた事まで否定できないであろう。 さらに、南京市内や郊外には多くの難民の集落があり、この集落に制服を脱ぎ捨てた国民党軍の兵士や更衣兵などが混じっていたために、その集落のせん滅を命じたと言う命令書なども残されている。この命令書は、NHKの特番でその存在が明らかとなっている。その集落に対する攻撃に従軍した元兵士の証言では、女子供の区別なく、全滅させたと述べている。つまりこれを虐殺と言わずに何と言うのであろうか? 中国が主張する、その虐殺による犠牲者30万人から60万人は大げさだとしても、少なくとも数万人程度の虐殺を疑わせる事実があったと考えた方が公正であろうと思う。 また、スパイ容疑や更衣兵と疑われた男の場合、殆ど調べもせずに処刑していると言う事実も、元兵士の証言から明らかと言える。この場合疑いだけでの処置である。 つまり、当時の日本軍は、無理に無理を重ねて中国戦争を戦っていたこともあって、甚大な被害による被害妄想がこの暴挙を促したと言えるのではないか。その為に上層部が意図したこととは別に、現場では、ある種のパニック障害に陥った事で、少しでも疑いがあれば有無を言わさずに処刑、あるいは殲滅したと考えても矛盾しないのである。 これも傍証の積み重ねで充分に判断可能と思われる。歴史判断の場合、刑事裁判の様な疑わしきは、罰せずと言う論法では、その判断ができない事が多いのが事実で、民事裁判の様な傍証の積み重ねで充分に推論可能であり、新しい資料が発見されるまで、その推論を是とする事が歴史判断であろう。 また、日中戦争は歴史の必然であったとする理解に対しては、小生は否とする立場である。関東軍は、この戦争は、1年で決着すると論じて始めながら、現実には、昭和16年までの4年間に及んでも、その終結を計画できないと言う体たらくであった。満州立国からの我が国は、自国の国益のみを八紘一宇などのお題目を立てて、白人によるアジア支配からの解放と綺麗事を主張しながら、その根底には、陸軍の強烈なソ連に対する恐怖感がその事実である。 大義名分を重んじた日本軍に於いて、その詭弁が八紘一宇であり、アジア解放であったことは、この計画そのものが明治時代から面々と作戦されていた事実で明らかである。 太平洋戦争についても同様で、日米開戦は、やはり明治時代から、日本の仮想敵国は米国であり、陸海軍とも、米国と戦うを想定して軍を養って来た結果が、安易な宣戦布告となったと言える。 為政者の責任として。戦争を計画するれば、それを終わらせるを想定しておかなければならないのだが、 現実に近衛首相にしても、東条英機にしても終戦を計画せずに戦争を始めている。このことだけでも 国民意に対する裏切り行為と言える。 つまり、軍部の独走を許した政府の在り方も、決して必然ではなく、時代に流された無計画な為政者の姿がそこに存在しているのである。 この全てを反省せずに60年間、東京裁判のみを、その総括にした結果が、新自由主義史観と言う、自己欺瞞の解釈を生んだとも言えるのである。 東京裁判を否定するのであれば、この近代史を総括する必要があるのだが、それらの生き証人は既に 高齢であり、況や責任者であった者などは既に、鬼籍入っているのが事実である。遅き失したと言える。 資料史観を否定しないが、刑事裁判の様な狭義に於ける史観ではなく、傍証と証言による推察を徹底すべきである。 |
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2007年03月20日
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