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日本社会のアレコレ

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江田五月法相は14日夜の記者会見で、死刑執行について「死刑というのはいろんな欠陥を抱えた刑罰だ。国民世論や世界の大きな流れも考え、政治家として判断すべきものだ」と述べ、世論の動向などを踏まえて慎重に判断する考えを示した。
 江田氏は「もともと人間はいつかは命を失う存在だ。そう(執行を)急ぐことはないじゃないかという気はする」とも指摘。ただ、制度の存廃に関しては「勉強したい」と述べるにとどめた。

ソース元: Yahoo!ニュース 時事通信
 
 


 
この発言にたいする問題点?
 
1.ルールを守り守らせるべき立場の人間が、ルールを無視するのか?!
  「死刑が確定したら半年以内に執行」という法律がある?!
 
2.当然のことに、被害者感情はまったく度外視されている!!
 
3.死刑囚たちの食費等の諸々の経費は、税金!!!だ!国民の血税といっていいかも!
  それをわきまえてしかるべき法務大臣が法を無視して血税を費消する?!
 
立場を忘れて個人感情で、法を無視し、死刑を執行しないなら、その立場を辞任すべきでは?!!
どうしても死刑を執行したくないにしても、その立場にある以上義務を遂行しろ!!!と、いいたい。
そのうえで、死刑廃止等の法整備を進めるべきでしょう?
 
などと、諸処の先達の意見をまとめてみました。
 
 
 
m_ _m;;;;;
 
 
 
 
 
先日NHKで放映された「ライスショック」
うつうつと惰眠を貪っている間に食糧自給率が40%を切ってしまった

そんな中で米のグローバル化はとどまるところを知らず、外国産の安い米が輸入され、
ただでさえ減少の一途をたどる生産者に追い打ちをかけている

「ライスショック」第一回、番組の中では『食糧安全保障上、凶作や天候異変などが起きた時、危機的な水準(40%)だ』と、指摘する一方、
『大量流入する輸入米と長年続く消費の低迷によって、生産者価格は暴落している。さらに、WTOやFTAなどの交渉によって、最後の聖域「コメ」を守ってきた「関税」等が下げられる方向に進む中、離農の激増、自給率の低下は避けられない』として、なかばこの流れを是認しているようにも思われる。

識者のひとりは、経済のグローバル化が進む中で国際的な分業のあり方として農産物の自由化を推し進め安い食料を手にすることが、望ましいと語った。

一見、もっともな意見のように聞こえる、しかし、ほんとうにそうだろうか、
さらに輸入に依存するようになったとき食料の安定した供給がこの先どこまで保証されるのだろうか
’60年には70%を切っていたドイツは現在100%近くへ、イギリスは40%ぐらいだったのが80%近くへ、それぞれ食料自給率を上げている。
先進各国では必死になって自給率を上げる努力をしているのだ。それななぜだろう。

ある国では農業従事者の収入のうち60%が国の補助であるという。そのような農家に対する手厚い保護をしているのだ。その国では食料の自給率を高めることが国として大切と考えられてそういう政策が打たれてきたわけだ。
それはなぜなのか。


「ライスショック」第二回では、『さらなる農業の市場開放が議論されている今年、日本の農業をめぐる政策は大きく舵を切った。全ての農家を支援してきた従来の方針を転換し、大規模化を条件に「強い農家」に支援を集中することにした』として、大規模化ができない中山間地の零細農家を切り捨てていく現実を報じ『グローバル化が進み、内外から市場開放を迫られている日本の農業。果たして、大規模化の道は、農業の再生につながるのか』と、疑問を呈してみせる。

それは、市場開放の波に呑み込まれ再生を果たせなかった日本の農業への不在証明、反語のようにも思える。

これはまるで、流通業界におけるシャッター商店街の農業版だ。
大規模農家だけを支援するこのようなやり方で、農業は、ほんとうに再生するのだろうか。
灯の消えた商店街に見る、地域の衰退が、起こるだけではないのか。


そして、いざというとき、食べるものもない何千万の国民が巷に溢れることになるのではないか。

小規模農家を生かしていくことこそが、農業の再生につながるのではと考えるのは、間違いか。

ふじふじのフィルター http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/
「日本のこれから 農業」 http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_ba53.html
「食糧自給率はエネルギー自給率?」 http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_4ae2.html


40過ぎて独身で(断じて言い訳ではない)
「食料安保」 http://blogs.yahoo.co.jp/singleandover40/50765328.html

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温暖化と食糧自給

食糧自給40%の日本、問題なのは安全性だけではないでしょう。
だからといって、安全性を無視して言いと言うことではありません!!!が、

いまは過剰気味に、かつては毎晩歌舞伎町で捨てられる生ゴミだけで世界の飢餓が救えるとまで言われてきた日本の食糧事情も、タダ安閑と手をこまねいていれば、どうなるか、、、

地球の温暖化で惹起されるのは風水害だけではなく、世界的な規模の耕地の減少です。
世界の穀倉地帯で砂漠化が進んだとき、どれだけの国が日本の需要をまかなってくれるか、、、
農業のサイクルさえがこれまでとは変わってきて従来の常識が通用しなくなると言われているのです。
耕地が減少しなくても、従来どうりの生産性を維持できるかは疑問です。

輸入に頼った食糧供給は遠からず破綻するのでは、と言う危惧は
温暖化を警告する一部の学者に煽られた過剰反応と、ただ捨て去ってよいのでしょうか。

国の政事の根幹はまず国民にできない危機管理だと思います。

その一端が国民を飢えさせないことだと思いますが、
今のまま、長期的な展望もなく、施策もなく推移すれば、いずれ、、と思ってしまいます。

世界的に食料生産が減少したとき、自国を満たすために他国を脅かすを厭わない国があることは火を見るより明らかなことのようにも思えます。

欧米では平和は力によって勝ち取るべきモノです。
、、イヤ、話がそれましたが、
つまり何が言いたいかというと、いま日本の国民は二者択一を迫られているのだと思います。
ひとつ、、何もせずに、迫り来る飢えに覚悟を定めるか、
世論を喚起して政治家、官僚の自覚を促し、将来の飢餓に備えさせるか、、、
ア、もう一つあった、でもこれは、富裕国民に限られた手段であるので除外。
ァ、まだあった。自ら廃村に入植し、自給自足の生活を、、、

、、マア、これがusamiの過剰反応ではなかったとしても、国民の何割かは生き残りますねm^o^m;;
失礼しましたm_ _m;;;





BBCニュース・ウェブサイト環境通信員リチャード・ブラック

現在の海からの資源採取傾向が今後も持続的に続くならば、組織的な科学的研究によって今世紀の中頃までに海からの資源は枯渇するという報告がある。海の資源は広範囲な漁場のほぼ3分の1ですでに崩れている、そして低下率は加速度的に増えている。科学ジャーナルを書き込んでいるの研究者の国際的チームは、漁業の資源低下は海の生物の多様性のより幅広い損失に密接に拘束されると言う。

しかし、保護された地域の眼を見張るような資源の回復力は既存の資源をどう保護するかということを教えてくれる。「我々が海を使う方法は、我々が期待する種の保存を完璧に実行して多様性を持たせ、我々が最後のものを完全に行ったあとも利用するもう一つの種が常にあると仮定する状況を維持することです」とカナダのダルハウジー大学の研究リーダー・ボリス・ウォーン虫が言う。我々が強調しているのは海の資源は有限であるということだ。我々はすでに海の資源の3分の1を取り尽くした、そして残りは3分の2しか残っていない」と彼がBBCニュース・ウェブサイトに話した。

スティーヴ・パルンビはカリフォルニア・スタンフォード大学の海の科学プロジェクトの科学者である。
「我々が基本的に全ての人が一緒に全ての海洋種を管理する方法を変えない限り、働く生態系としてこの世紀は野生のシーフードの最後の世紀になることは間違いありません」

海に及ぶ事柄

これは研究の最大で巨大な部分でもある。そしてヨーロッパと米州の多くの機関が4種類の明確に異なるデータのスケッチから科学者はあらゆる分析を試みる。公海からの資源採取記録は魚の資源量が減少するデータを与えている。2003年には29%の公海では漁場は魚資源が崩壊(枯渇)状態を示している。そして彼らの最初の産出高の10%未満まで低下として定義された。魚を見つけるより大きい船、より優秀な網と新技術は世界の魚艦隊により大きい収益を持ってきていないのである。実際、世界的な漁獲高は1994年と2003年の間で13%も減少している。

種多様性を傾けることと協調して、北アメリカ、ヨーロッパとオーストラリアの沿岸の地帯からの歴史の記録は、魚がいなくなっていることを示している。これらは魚の漁獲高ではなく他の種類の海の生物の産出高である。生物学的多様性損失の地帯も、より多くの浜辺閉鎖による原因に見る。そして潜在的に有害な藻の繁殖も生物の多様性を邪魔する要因になっている。小さな生態系に比較的含まれて実行される実験では、多様性の縮小が魚の資源量の規模と丈夫さに縮小をもたらす傾向があることを示している。これは生物多様性の損失がを大規模な研究において見られる魚の資源量低下に直接関係していることを意味している。


[解説]君が代伴奏命令 合憲  (2007年2月28日 読売新聞社会部 小林篤子)
                   http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070228ur03.htm

 「君が代」ピアノ伴奏拒否訴訟で、最高裁は27日、音楽教諭に伴奏を命じた校長の職務命令は憲法が保障した「思想・良心の自由」を侵害しないとする初判断を示した。


■1、2審と異なる枠組み 思想・良心の制約 慎重判断


合憲性が争点

 「君が代」に反対する教諭にピアノ伴奏を命じることが、思想・良心の自由を侵害することになるか――。訴訟の最大の争点は、校長が音楽教諭に出した職務命令の合憲性だった。

 教諭側は、「君が代は、過去の日本のアジア侵略と密接に結びついており、公然と伴奏は出来ない。君が代の役割を教えずに、児童に歌わせることも出来ない」と主張し、この考えを否定する職務命令は、憲法に違反するとして、懲戒処分の取り消しを求めていた。

 1、2審判決は、教諭の考えを「思想・良心」に当たるとし、職務命令が「思想・良心の自由」を制約する可能性があることを認めた。その上で、「教育に携わる公務員は、個人的な思想・良心に反するからと言って、法規で教えると定めたことを教えない訳にはいかない」との理由から、公務員の「思想・良心の自由」は一定の制約を受けても仕方がないとして、職務命令を合憲とした。


二つの基準

 最高裁判決は、結論こそ同じだったが、判断の枠組みは1、2審と根本的に異なる。

 最高裁判決は、教諭の考えについて、「歴史観ないし世界観」「社会生活上の信念」と指摘するにとどまり、「思想・良心の自由」に当たるかどうかにはあえて踏み込まないまま、「思想・良心の自由」が侵害されるのはどんな場合かを検討し、〈1〉思想の強制〈2〉告白の強要――という二つの基準を示した。

 「思想の強制」とは、国家が個人に対し、特定の思想を持つことを命じたり、別の考え方を持つことを禁じたりすることを指す。「告白の強要」は、例えば「踏み絵」のように、内心で信じていることを強制的に表明させることだ。判決は、ピアノ伴奏は音楽教諭にとって通常の職務の一つに過ぎず、思想を強制したり告白を強要したりしているとは言えないと結論づけた。

 1、2審のように、教諭の考えが「思想・良心」に当たるかどうかを正面から検討すれば、公務員の「思想・良心の自由」の制約はどの程度まで許されるのかという問題に直面せざるを得なくなる。最高裁は、この難しい問題を避けたとも見えるが、そこには、基本的人権の中でも最も手厚く保障されなければならない精神的自由を制約する論理を簡単に認めるべきではないという考え方があった。

 あるベテラン裁判官は「公務員だから制限しても良いという1、2審の論理は、やや乱暴な切り捨て方。最高裁判決の方が現実的で理解しやすい」と話した。


同種訴訟に影響は

 国旗・国歌を巡る同種訴訟は現在、全国で計13件起こされ、係争中の教職員は全国で延べ約950人に上る。東京地裁は昨年9月、都立学校の教員ら401人が起こした訴訟で「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するよう義務づけた都教委の通達は違憲」とする判決を言い渡し、教育現場に大きな波紋を投げかけた。

 今回の最高裁判決は、こうした一連の同種訴訟の行方に、どんな影響を及ぼすのか。

 ある裁判官は、「最高裁の示した基準を当てはめれば、教職員側の主張が認められるのは難しい」と話す。ピアノ伴奏はもちろん、国歌斉唱時に起立、斉唱を命じたとしても、それは学校行事に関する職員の職務の一環であり、ピアノ伴奏の場合と同様に、「思想の強制」や「告白の強要」には当たらないと判断することが可能だからだ。

 那須弘平裁判官も補足意見で、「君が代斉唱について、学校としての統一的な意思決定が必要な場合、校長の裁量で意思決定に服させることも、思想・良心の自由との関係で許される」と指摘している。

 一方で、ピアノ伴奏と斉唱では、性質が違うとの指摘もある。音楽教師のピアノ伴奏は、職務と密接な関係があるが、斉唱はより内心の吐露に近いという見方だ。別の同種訴訟の代理人を務める沢藤統一郎弁護士は、「ピアノ伴奏は難しいかもしれないが、すべての同種訴訟での原告側の敗訴が決まった訳ではない」と希望をつなぐ。

 卒業シーズンを目前に控えたこの時期に、最高裁が判決を出した意味も重い。関係者からは、「通達に従わない教職員への処分を禁じた昨年9月の東京地裁判決が、教育現場に与える混乱を避けるためだったのでは」との声も聞かれる。しかし、判決が今後の同種訴訟にも通用する判断基準を示した影響は大きく、今後の国旗掲揚、国歌斉唱の徹底に拍車がかかると見られる。


■妥当な憲法解釈

 百地章・日本大学法学部教授(憲法学)の話「校長がピアノ伴奏を命ずることは特定の思想の強制や禁止ではなく、思想・良心の自由の侵害には当たらないとしており、妥当な憲法解釈だ。また、補足意見の言う通り、たとえ思想・良心の自由にかかわるとしても、教師が立場上、一定の制約を受けることは当然だ。判決に従えば、国旗掲揚の際の起立や国歌斉唱を命ずることも合憲となり、国旗、国歌を巡る混乱もこれで解消に向かうだろう」

 【国旗・国歌訴訟を巡る主な動き】

 1989年 3月 国旗掲揚と国歌斉唱について、「望ましい」から「指導する」に学習指導要領が改訂される

 1999年 4月 原告の女性教諭が入学式で国歌のピアノ伴奏を拒否。6月に戒告処分

       8月 国旗・国歌法成立

 2002年 1月 女性教諭が東京地裁に提訴

 2003年10月 東京都教委が国歌斉唱などを教職員に義務づける通達(10・23通達)

      12月 東京地裁が女性教諭の請求棄却

 2004年 1月 都教委の10・23通達は違憲として、都の教職員228人が東京地裁に集団提訴(その後、原告は401人に)

     2〜5月 都教委が04年春の卒業式、入学式などで10・23通達に従わなかった241人を懲戒処分

       7月 東京高裁が女性教諭の控訴棄却

 2006年 9月 東京地裁の集団訴訟で、「10・23通達は違憲。いかなる処分もしてはならない」とする教職員側勝訴の判決

 2007年 2月 最高裁が女性教諭の上告棄却


■「国旗・国歌法」施行後斉唱拒否で処分 教職員875人 都の懲戒突出

 卒業式や入学式での国旗、国歌の取り扱いについては、1989年に文部省(当時)が、「国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」としていた学習指導要領を、「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と改めた。99年には「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌と定めた国旗・国歌法が成立したのを受け、同省は全国の教育委員会に国旗掲揚と国歌斉唱の徹底を求める通知を出した。

 こうした指導強化の結果、同法成立前には9割以下だった公立小中高での国歌斉唱率は、2003年に99・9%に上昇した。

 一方で、国歌斉唱時に起立、斉唱しない教職員への処分件数も増加。99年度に懲戒処分や訓告を受けた教職員は全国で96人だったが、翌2000年度には265人に急増した。同法施行後の00〜05年度に処分された教職員は延べ875人(懲戒処分535人、訓告340人)に上っている。

 中でも懲戒処分者数が突出しているのが、03年10月23日、教職員に国歌斉唱時の起立などを義務づける通達を出した東京都だ。違反者に対し、1回目は戒告、2、3回目は減給、4回目以上は停職の懲戒処分を科し、再発防止研修を受講させるなどの厳しい指導を徹底。都立高校の国歌斉唱率は99年度の7・2%から03年度は100%になったが、同通達以降、延べ338人が懲戒処分を受けた。



法律には門外漢のワタシにもすんなりと納得できる、
とても明快な論旨に貫かれた解説、だな〜〜と思いました。
それにしても、自国の国旗、国歌を誇りにできない国民とはどういうモノでしょう。
確かに戦時中、この国歌、国旗の下にアジア諸国を蹂躙した歴史を持つ日本は、
その歴史から逃れることはできない、だからといってただそれを拒否しさればいいモノだろうか、、、
それは、真に戦争責任と向き合うことなく、戦争に至った経緯を教訓とすることもなく、
逐次的な対応に終始してきた政府やマスコミの姿勢と表裏のモノのように、
ワタシには思われるのですが、、、

歴史を見れば、いかなる国であろうと、
血で汚れることもなく怨嗟の念を呼び起こすこともない国旗、国歌を持つ国などない、
とまでは言いませんが、少なくとも、
先進国と呼ばれる国の国旗、国歌がさほど浄いとは言えないのではないかと、、、

だから汚れていたっていいじゃないか、ではなくて、
汚したから、取り替えればよいのか、、
全て新しくし、新たに出直せばよいのか、、ですね。

それで、他国を侵略した歴史が消えるのか、

血で汚れた、国旗、国歌だからこそ、それを教訓とし
二度と、侵略しもせず、されもしない、国を目指すことに
誇りを抱くような教育をするべきではないかと、

ワタシには思えるのですが、、、
アレ?!、、、

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この記事を書くきっかけとなったのは、あるブログ--あとで探したけど所在不明
タイトル < 細木や江原のような人間を、なぜもてはやすのか・・> というような、スミマセン、それも良く覚えていない。
コメントに、傲慢な細木は許せない・・・というようなカキコミもあり、
ドキッとしたわけです。まず細木と呼び捨てる、明らかな敵意の表明です。

江原って誰?と思うワタシですが、何を隠そう、< 細木数子のズバリ言うわよ!> 毎週録画して見てたんです。


あの大きな顔で、ズバズバやりこめるかと思うと、くりーむしちゅーの有田をバシバシぶったたく、、
何となく面白い、為になることも言う、訪問の仕方とか、手紙の書き方とか、お墓のソウジの仕方とか、、、、
女子高生やOLや大勢集めて、説教して、毎回、感極まって泣く人もいる、それってちょっとすごい!
勉強になるなーーと、楽しみにしてましたです、毎週、ハイ。

ハハなどは、一度細木さんに見てもらえなどと、、
と、いうのも、鬱病になって1年半近く、
家事もロクにせず、いまだにウツウツとした日々を送っているものでして、

しかし、見てもらうには1万円の勉強会に参加して、なおかつ一回10万円、、、
とても無理だと、とりあえず図書館で本を借りて読みました。
「六星占術宿命第殺界」「六星占術運命と宿命」

そしておや?!、と思ったのですね。

ずいぶん前になりますが、四柱推命とか、天中殺とかいう占いが大流行したことがあったのですが、、
これってそれの焼き直し、、、と思うほど内容が同じ、用語が違っているだけ、
そうなのです。わたし、好きなんです、当時やはり夢中になって本読んで、占ったりしてました。


そんなこんなで、上記の、あるブログの記事をもう一度見たくて、探し始めたのですが、
わからない。

で、googleで検索したのです。「細木」で検索して3,520,000 件、その内表示されたのが、767件
しかし、それらしいブログは見つかりませんでした。〜〜ア、疲れた。

結局わかったのは、江原って誰?かと、細木・・様から、婆ァまでかなり評価が割れている、
好奇心からいくつかのサイト、ブログに行きました。

で、細木ファン、取り分けて勉強会に参加したいと思っている方にゼヒ!見てもらいたいのが下記URL



テレビで見ている分には面白いし、為にもなる(面もある)。

でも、決して、勉強会に参加しようなどと思ってはいけません!!!

今も泣いている、被害者がたくさんいるのです!

参考図書



細木数子―魔女の履歴書 (単行本) 溝口 敦 (著)

[ http://www.amazon.co.jp/%E7%B4%B0%E6%9C%A8%E6%95%B0%E5%AD%90%E2%80%95%E9%AD%94%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%B1%A5%E6%AD%B4%E6%9B%B8-%E6%BA%9D%E5%8F%A3-%E6%95%A6/dp/4062137275/sr=11-1/qid=1166695283?tag2=nazotoki-22]

出版社/著者からの内容紹介
テレビがひれ伏す稀代の“女ヤクザ”が歩んだ、欲望の戦後史!
細木数子を人としての品格ゼロ、低俗、恥を知らない女と決めつけることは易しい。だが逆に時代の持つ低俗性が細木を生み育てた一面がある。彼女の少女期は日本の敗戦とぶつかった。空襲で焼け野原になった街、スリと掻っ払いしか生きる道がなかった戦災孤児、米兵の袖を引く街娼、愚連隊やヤクザとなった復員兵や学生崩れの群れ、,,そういう時代を生き延びて細木の今がある。(略)彼女はどう生まれ育ち、ついには「視聴率の女王」にまで成り上がったのか、詳細に跡づけることが本書のテーマである。,,<「序章」より>

内容(「BOOK」データベースより)
渋谷の青線地帯で生まれ、銀座、赤坂の夜で育った「魔性の女傑」―。暴力団幹部と深く永い契りを交わし、人気絶頂の流行歌手から歴代首相の指南役までを手なずけ、「世界一の占い師」として巨富を得た細木数子の真実に斬り込む。


キワものではない。必読の良書, 2006/12/31
レビュアー: 大元帥閣下 -
細木数子の暴露物と聞くと、安っぽい印象を受けるのだが、とんでもない。戦後社会の歩みと共に育った拝金モンスターを重厚な筆致で描いた見事なドキュメンタリーである。数々の脅しや圧力もあったようで、暴力団関係の取材では定評のある溝口氏しか、この偉業は達成できなかっただろう。占いや墓で数々の庶民を不幸に陥れている彼女に比べたら、一部投資家をひっかけたホリエモンなど無罪に等しい。今日なおテレビでは傲岸不遜で性悪な彼女の姿を電波で流し続けているとは、何とも恐ろしいことだ。えっ、ここまで書いていいの?と痛快を通り越して、やや「引きたく」なるほどの筆致の鋭さは必読。最後に彼女の脅しで芸名を変えた芸能人(おさる他)がすべておちぶれ、改名を断固拒否した次長課長だけが元気なのはおかしくもあり、哀れでもある...。


「ずばり」書いた本, 2006/12/19 レビュアー: まかない飯 (東京都港区) -
この本を読めば彼女のあの高圧的なキャラクターが、どのようにして形成されたのかが理解できる。人間不信や拝金主義が渦巻く環境のなかで、弱い立場の女性である彼女がどう生き抜き、現在の立場を築きあげたのか・・・、それはTVドラマ『黒革の手帳』のような、いやそれ以上にドラマティックな人生の連なり。また身の危険を感じながらも、筆を貫いた著者と取材チームのジャーナリスト魂に感服。


細木数子の実像, 2006/12/19 レビュアー: 百合普及委員会 (千葉県) -
今やテレビ等で顔を見ない日がないと言っても良いほどの細木氏ですが、恐らくこの本が出なければ多くの人々が素顔を知らないまま細木氏を褒め称えて、細木教の信者になっていたでしょう。

硬派のジャーナリストとしても著名な溝口敦氏がなぜテレビによく出る「占い師のおばさん」を題材にしたのか最初は疑問を感じていました。本書で溝口氏自身も最初は取材対象にもしなかったそうです。しかしながらその実像はとても他人事や見過ごす事ができないものばかりです。

とかく日本人は強い口調でモノを言い、歯に衣着せぬ言動を好む傾向が多いようですが、氏が出演している番組が高視聴率を叩き出している背景にはこれがあるのではないでしょうか。

決してスキャンダル等の興味本位で描かれているものではなく、細木氏自身の様々な「功罪」がこの本には凝縮されています。

俯瞰で見る, 2006/12/9 レビュアー: タジオ -
巷では石原真理子の暴露本に大騒ぎしているが、この本はそれどころではない暴露本である。寧ろ、議論されるべきはこちらの本である。しかし、私が知る限り、この本がテレビや新聞で取沙汰されたことはない。出来ないというのが実情だろう。それは、この本にあるように、細木と暴力団との関係が大きな所以かと思われる。一読者の私にこの本の真偽を確かめる術はないし、ここに書かれている全てを鵜呑みにするつもりもない。しかし、現在のように、細木を時代の救世主が如く持ち上げる風潮は、非常に危険だと思う。大切なのは、「自分の目」で物事を俯瞰して見ることではないか。公の電波で「あんたは死ぬ」「地獄に堕ちる」と視聴者の恐怖を煽る人物と、オウムの麻原死刑囚とどれほどの違いがあるのだろう。『多数派に付和雷同せず、自分の見識を持つこと』。その事に気付かせてくれただけでも、この本には一読の価値があると思った。石原真理子の暴露本など読んでいる場合ではない。







あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝 佐野 眞一 (著)(文庫)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480034455/qid=1146734599/sr=1-1/ref=sr_1_2_1?tag2=nazotoki-22


日経ビジネス
バブルとは何だったのか。現在の深刻な不況の原因でありながら、その実像は今なおつかみにくい。1985年のプラザ合意以降の日本経済をマクロの視点から解き明かしても、それだけではあの時代の背景を描いただけにすぎない。人間の業にこそバブルの正体は潜んでいた、本書はそう確信させる人物ルポだ。
取り上げた「あぶく銭師」は、リクルートの創業者・江副浩正氏、地上げの帝王・早坂太吉氏、フジ・サンケイグループの盟主・鹿内春雄氏など6人。
それぞれ分野は違うが、バブルの主役にふさわしい人間の醜悪さが共通している。
(日経ビジネス1999/3/1号 Copyright©日経BP社.All rights reserved.)

内容(「BOOK」データベースより)
強烈なカリスマ性や驚くべき錬金術によって、バブルの頂点をきわめた6人の男女…。リクルートの江副浩正、地上げ屋早坂太吉、“大殺界”細木数子、フジサンケイグループの鹿内父子、代々木ゼミナールの高宮行男、“山陰の女帝”斎藤都世子。現代の虚業家ともいうべき彼らの実像を迫力ある筆致で描き出す。『カリスマ』『巨怪伝』などでビジネス界の謎をあばいた筆者による人物ルポの傑作。


今読んでも新しい!, 2005/8/24
レビュアー: 岩田 祐一 "komatta yarou" (東京都練馬区) -
サブタイトルにある「昭和虚人伝」という単行本(1989年初版)が文庫化されたもの。
リクルートの江副氏、代ゼミの高宮氏、フジテレビの鹿内氏、地上げの帝王の早坂氏、そして細木和子氏らが、80年代に至るまでどう表舞台にのしあがってきたか、取り上げられているが、
初版から15年以上経った今でも、その流れは着実に続いていることが感じ取れる1冊。
ライブドアv.s.フジテレビのバトルの記憶も新しい中で、鹿内氏の成り上がりゆく様、そして江副氏ら東大出身の”実業家”の流れにある堀江氏の様が、実にリアルに浮かび上がってくる感がある。また細木氏についても、画面を通じてさえ感じるその”凄み”の源が、その半生からリアルに感じられる。。。
そして、教育の危機が叫ばれる中、そのきっかけは予備校の全国展開に合ったのではないかという思いは、高宮氏の章から感じられ、
目下の不動産ファンド全盛は、元祖・地上げの帝王早坂氏の動きから既に予測できたのではないか、という思いさえも感じさせる。
全編通じて読み通すことで、バブル崩壊から10年以上を経て、時代の流れは脈々としていることが改めて感じられる・・・。
そして”金本(きんぽん)主義”は変わらないどころか益々その勢いを増し、時代の中心にどっかり腰を据えている感を新たにする。
正に今、読み直すにピッタリの一冊といえるのではないだろうか。

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