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私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです・・・
■ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞) 日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」 さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。 「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。日本はかつてアジアに対して責任を感じ、そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」(昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル) ■朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月) 「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」 「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」 「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」 ■朱 耀翰 {韓国 元国会議員 ゴーマニズム宣言第六巻p232} 「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようとしたときこれに反対し削除したのはどこの国だ?黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」 ■ニミッツ元帥(アメリカ 太平洋艦隊司令長官) この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を! ■スリム中将(イギリス第十四軍司令官) たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。(「敗北から勝利へ」) かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。(同書) ■蒋介石 ラモウ・騰越を死守しある日本軍人精神は、東洋民族の誇りたるを学び、範として我が国軍の名誉を失墜せざらんことを望む ■ベルナール・ミロー(フランス ジャーナリスト) これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。(『神風』) 引用・参考文献 『「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編、展転社』 おまけ・終戦直後の新聞記事より 「国体を護持し得るか否かは、片々たる敵の保証(ポツダム宣言)にかかるのではなく、実に日本国民の魂の持ち方如何にかかる。特攻魂に端的に現れた七生報国の烈々たる気魄は、我々がこれを祖先よりうけついだものであるが、これは永劫に子孫に伝えねばならぬ。日本国民が果たしていつの日に再生し得るかは、一に日本国民の魂がこの試によっていかに鍛えられるかによってきまるのである」私達の先人は大東亜戦争を戦ったのですより引用
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日本の戦争責任?
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インドは程なく独立する・・・
■グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士) このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。 インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。 インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。(1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶) ■ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士) 要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。・・・・私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演) ■アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者) 第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」) 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」) ■ククリックド・プラモード (タイ国元首相 ) 「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において ) ■バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より) 約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答 日下公人 PHP研究所) ■ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥) 日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言) ■ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授) 大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。 ■ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者) すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁) ■ラグ・クリシュナン(インド、大統領) インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。(昭和44年「日本経済新聞」) ■アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士) 日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(「魂を失った日本」未央社、57〜65ページ) ■ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相) 我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。私達の先人は大東亜戦争を戦ったのですより引用
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外国人登録は、こうして駆け込みで作られました。是非、読んでみて参考にしてください。 2006/8/3(木) 午前 11:31 旧日本軍人、軍属、日本人なら恩給、傷痍軍人としてあらゆる補償を受けれるのに、同じく「日本人」、「日本軍人」として徴兵されたうえに戦傷あるいは戦死した朝鮮人や台湾人が、 日本国憲法の施行の前日である1947年5月2日に、天皇の名の下で政府が法律を制定できた最後の勅令によって、日本政府が在日朝鮮人及び台湾人を「外国人とみなす」措置により、在日朝鮮人及び台湾人を日本国籍をはく奪する悪法が制定されました。 戦後、我々在日KOREA、台湾人に日本国民としての基本的人権を与えられず、「日本国籍をはく奪された外国人」となった経緯を知らず若しくは語らずして、ことある度に『「在日」がなぜ、帰化しないのか?』と、無神経に語るコメントを見るたびに寂しくなる思いが募るばかりです。 戦後、日本政府は朝鮮人・台湾人の日本国籍を「サンフランシスコ講和条約締結まで」認めると言っておきながら、1947年5月2日、突然「外国人登録令」を発令して 「当分の間、外国人とみなす」と通告し、我々に対して外国人登録に応じるよう強制しました。 強制した、というのは、 これに違反して登録しなければ「国外に退去強制」できるという項目があったからです。 この外国人登録令が発令された 1947年5月2日がどういう日か?そう、日本国憲法の施行の前日です。 翌日からは、新憲法が施行されるので新たな法律を制定するには国会の議決を経なければなりません。 しかし、5月2日までは天皇の名の下で政府が法律を制定できた。勅令というものです。 この外国人登録令はまさに最後の勅令でした。 新憲法施行の前日にかけこみでこの外国人登録令を制定した理由は明らかです。日本政府が在日朝鮮・台湾人を「外国人とみなす」措置を何がなんでも実行したかったからです。新憲法は国民の基本的人権を重要な柱としていますので、その施行の前日に在日を「外国人」に戻すということは、我々在日に日本国民としての基本的人権を与えたくなかったのです。 別の言い方をすれば、日本国内に朝鮮・中国系の大量の少数民族を誕生させたくなかったのです。 最終的に1952年4月28日、この外国人登録令を手直しした外国人登録法が公布され、 在日朝鮮・台湾人は「日本国籍を離脱した外国人」となりました。 「国籍を奪ってはいけない」という国際法の原則を踏みにじって日本政府が在日朝鮮・台湾人に実施した棄民政策。 これをいまだかつて日本政府は我々在日に謝罪していません。 いかにこの国籍剥奪という行為が非常識なものであったかは、ドイツと比較すれば明らかです。戦後、ドイツは旧ナチスが奪ったユダヤ人に対するドイツ国籍を回復し、ポ−ランドなどのドイツ帝国に編入されていた占領地の人々にも国籍選択権を与えました。 数年前、戦前の強制収容所への収容が人権侵害であったと、日系人に対して謝罪と補償をしたアメリカ政府のように、日本政府も旧植民地出身者に対する人権侵害に対して謝罪と補償を行う義務があるはずです。 テレビや雑誌で言いたい放題の右派評論家は、「日本はアジア諸国に謝罪し過ぎだ」と言うでしょうが、少なくとも我々在日対して日本政府が公式に謝罪と補償をしたことは一度もありません。 転載元:★ファピー の바람꽃★ [ fwapy7777 ] comment_________o 日本人の本質は「責任回避」です。戦争に負けたので政府がやった最初の仕事は植民地の切り離しでした。つまり親が子供と縁を切るあれです、私はこれを「過去の清算」と呼んでいます。この清算は日本側からの一方的なもので旧植民地の言い分は一切認めません。日本人の無責任体質は古くは戦争責任で、戦犯同士が責任のなすりあいを東京裁判で演じました。東條英機がただひとり「私の責任である」と発言しています。そして現在の無責任は官、民合同の談合体質で責任を追及していくと最後には誰もいなくなるのです。 2006/8/3(木) 午後 1:53 lamerfont そうですね、徳川から数えて何世紀にも及ぶ責任回避、今も昔も、国内外を問わず、全て同じパターンの繰り返しですね。でも、諦めず、誰かが言い続けないと、、そう思ってるんですが。ハンセン病の場合もそうでした。いつかは何かが変わる事を信じて、次の世代がこの問題を風化させないためにも、決して硬いとか、スタンドプレーではなく、自分自身の問題として捉えてます。また、色々とお教えください。、 2006/8/3(木) 午後 5:00 [ fwapy7777 ] 日本は朝鮮を武力で併合し強制的に日本人としたのに、自分の都合で勝手に日本に住んでいた日本国籍の外国の人を棄民したわけです。こんな卑怯な事は許せません。本当に恥ずかしい次第です。資料として転載させていただきます。 また、朝鮮の人と結婚した日本人の女性について平和条約の発効とともに日本国籍を奪ってしまいました。このように人の心を考えないのが自民党の政治です。 2006/8/17(木) 午後 11:19 秩父雲竜 転載、ありがとうございます。私は、自分の持分として、在日と向かい合って在日社会や韓国社会に声をあげて自覚と反省を、そして日本社会に訴えて生きたいと思ってます。どうかこれからも叱咤激励ください。 2006/8/19(土) 午後 8:26 [ fwapy7777 ] 勉強不足なままの発言を許してください。帰化するという道は閉ざされていたのでしょうか?たとえば私がアメリカにいたとして、その地に骨を埋める気があれば、躊躇無く帰化したいと考えるのですが、そんな簡単な話では無いのでしょうか? 2006/8/21(月) 午後 3:01 zgenech いいえ、以前は、手間取りました。日本風の名前をつけろとか、家庭訪問や近所の聞き合わせで、、家に韓国風の人形や生活様式があるだけでもチエックされました。今は、大分、緩和され本名での帰化も許され始めてます。でも、色んな意味で個別の対応で嫌がらせやらで、すっきり気分良く出来たってのはありませんがね。 zgenechさんの質問にですが、在日と言う特異性かも。私も、犯罪歴が無く、納税を果たし、日本人の保証人が3人いることで、申請後、1年前後で許可が下ります。年間、2〜3万人のペースで帰化は進んでいます。 なら、なぜしないか?ですね、95%以上の率で通名で帰化しています。自分のアイデンティーを捨ててまで、隠してまで日本人になる事を日本政府も暗に強要し、在日社会ですら、そうせざるを得ない社会をつくってしまったんです。アメリカや、他国で日本人が国籍取得のため、自分の先祖や文化、しいては身内まで疎遠になる、それがこの国の帰化の実態でした。 地方参政権つぶしの為、近年、簡易国籍取得の法案が準備されています。これが出来れば、急速に帰化は進むでしょう。でもその裏には、在日社会の崩壊があるでしょう。95%以上の率で通名での帰化が行われます。在日自身の問題もあるでしょう、しかし、韓国、朝鮮人を蔑視する日本社会の風土にも大きな原因があるのは否めません。 hwkhonさん、ありがとうございます。スタンスは色々ですが、目指すところは同じですね。여러가지 배울것두 있고,곰부도 할겸,많이 가르쳐 주세요. 2006/8/21(月) 午後 7:42 [ fwapy7777 ] 韓国の人で自分の命を犠牲にしてまで、線路に飛び込んでまで人の命を救おうした崇高な行為は今でも忘れませんし、日本人のほとんどの人は心から感謝しているはずだと思います。世代交代も進みあまり偏狭な差別を行う人ってどうなんでしょう、やはり今でも多いのでしょうか?それとアイデンテティはDNAに刻まれるのではなく社会環境によると思うのですが、同じ立場じゃないので、こういう考え方は軽いのでしょうかね・・・。 2006/8/21(月) 午後 11:39 [ zgenech ] 異文化サポートのひとつとして 来日される方々と一緒に外人登録に始めていったときは ものすごいショックでした。まるで難民! 掃除のあまり行き届いていないビルに 雑然としてオフィス、そこで長時間待たされる。やっと順番になったら 無表情な係りの人から命令口調。’ああ、入国第一歩なのに 最悪’と思いました。一番サービスがほしいところが一番無礼なのはやりきれません。 知り合いが今度日本国籍をとります。でもその条件は 収入、仕事、住まいなどが大変恵まれているからーとしか思えないものです。 2006/8/29(火) 午前 10:04 たっき うん、でも、政治に無関心な友人や、仕事関係の人は、私の生き方はこだわりすぎ、って話します。誰も、拘りはそんな嫌な思いを半世紀も繰り返して生きてるんですよ、韓国人は協調性がないって?そんなことないですね。外国なら暴動が起こってますよ、はははは、、 2006/8/30(水) 午前 1:18 [ fwapy7777 ] 仲村あきらです。転載させて下さい。昭和天皇最後の勅令だったのですか。全く知りませんでした。中国人留学生の保証人として、入国手続きに同行したことがあります。留学生へ高飛車にふるまう入管の職員は、私がひと言話し始めたら、がらっと態度を変えました。あの豹変振りには、本当に驚きました。外国人へ何であんな態度が取れるんだろうと、びっくりしました。 2006/9/12(火) 午後 6:10 仲村あきら 日本の公務員社会にある親方意識でしょう。でも、英語を話す西洋人には愛想がよくって腰も低いです。聞いて見たら、英語を話すときはボディーアクションだって、嘘付け〜。 2006/9/13(水) 午前 9:18 [ fwapy7777 ] 勉強させていただきました。帰化すればすむという問題ではないですよね。国籍法と戸籍法。結婚した友人は日本国籍を取るつもりはないようです。欧米人なら、なんで帰化しないのという質問は少ないですよね。(お気に入りチェックさせていただきました) 2006/9/21(木) 午後 0:43 みとん? |
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「閉ざされた言語空間」江藤淳。2006/9/25(月) 午後 5:59 高名な書物であるが、文庫を見つけたので読んだ。生来の貧乏性で、ハードカバーにはなかなか手が伸びないのである。 本書は、大東亜戦争において、GHQが行った検閲がいかに準備され、またどのように実行されたかを、米側の一次史料に基づいて詳細に記述したものだ。GHQが仕掛けた壮大な「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム;戦争をしてすいませんと罪の意識を持たせるための宣伝計画)」の全容をほぼ掴むことができる。 米国憲法は修正条項によって、思想・信条の自由を定めている。日本政府がポツダム宣言を受諾して、連合国に降伏した時点で、日本は連合国最高指令(米国)の支配を受け入れることになった。そこで問題が生じるのであるが、連合国司令部(米国)が日本において検閲を行うことは、彼らの国にとっては「憲法違反」であるということである。米国は、米国の政治下にある国において、米国憲法違反の政治を行うことについて認めているわけではない。 従って、検閲の最大の力点として「検閲を行っているということ自体を秘密にするべく検閲する」ことになった。 たとえば、戦前においては、書物・新聞の検閲は発禁になるケースは稀であって、だいたい「○○○○主義」みたいな「伏せ字」が使われていた。つまり、心ある人が読めば「マルクス主義」てな具合に、伏せ字に自分で字を当てて読むことが可能であった。ところが、GHQの検閲は、このような検閲ではない。伏せ字があれば、検閲自体が暴露されてしまう。そこで、差し戻しをする。つまり、発表したくば、全文を書き直すしかないのである。 このような検閲は昭和20年の暮れから実行されるわけである。言葉に関しても、徹底的な言語封鎖が行われた。「大東亜戦争」は禁止して、すべて太平洋戦争と言い換えられた。連合国に対する批判はすべて禁止。東京裁判は、検察側主張のみを詳細に報道させ、弁護側主張については禁止。皇室に関する用語の言い換え(御製→お歌、東宮→皇太子、など)。ラジオ放送「真相はこうだ!」を放送し、「戦争指導部のために国民は苦しむ」という考え方を宣伝した。そうすれば、日本国民のパワーが外に向かわず、自分たちの支配層に向くだろうという目的であった。戦争は、誰が考えても国家と国家の戦いであるが、それを指導者と国民の戦いだというふうに論理をすり替えるのが狙いだった。 私が注目したのは、このときから「現代かな使い」「当用漢字表」の使用が厳しく命ぜられたことである。これは、おそらく「文化の断絶」が狙いだろう。そのように教育を行っていけば、戦前戦中の文書をまともに読み書きできる者は激減するだろうし、仮に読めたとしてもタダの「歴史的文書」であり、リアリティを持って読むことはできなくなるであろうから。 最終ページで、著者はついに日本のテレビ局が「自主規制」をする姿を描き出す。当初は米国から言われた検閲を、日本人自らが行い始める。それは、そのほうが「良識」だからであり、マスコミに携わるものは一般大衆よりも高い見識があるから、良識に沿わねばならんという考えが染みついたためであろう。 さすが米国、見事な手際ではないかな。 評価は、この労作にして名著であることに敬意を表して☆☆。 三つ星といきたいところだけど、前半の準備編は正直読んでいても面白くはない。史料としての価値は高いわけで、重要だけどつまらない(なんたる言いぐさか!すいません)からだ。 後半は、ぐいぐいと引き込まれます。綿密な検証による指摘は鋭く「ああ、そうか。。。」を連発。 ついでに言えば。 インターネットが登場して「ネット右翼」がはびこっているという言説があるけど。なぜそうなったか?を考えると、実はただ1点「ネットには検閲がない」からでしょうな。いや、このヤフーブログにも検閲 はあるんですけど、いわゆるマスコミでやっている「自主規制」がないわけで。 今まで、封じていたから、反動があるわけでしょう。 では、その「反動」がなくなったらどうなるか? いや、意外と冷静になっちゃうんだろうな、と思ったりするんですな。そう一直線にはいかないだろう、その程度には信用して大丈夫じゃないか、とね。 転載元:40過ぎて独身で(断じて言い訳ではない) comment――――――――o ついに出てきましたね。「前半ツマラン」は、その通り。マッカーサーは、昭和20年9月10日にいち早く検閲政策を実行しています。特に注目されるのが、昭和20年9月18日の、朝日新聞に対する24時間の発行停止命令です。「鳩山一郎が紙面で原爆批判」、これに怒ったGHQが発行停止命令。戦後50年目の朝日の言い分。「自分たちが一番怖かったのは新聞発行停止だ。それ以来、自分たちは、どうすれば発行停止にならないかということを、自分たちでチェックした」。これが、自主検閲の起源。 2006/9/25(月) 午後 10:35 tatsuya11147 その結果、マスコミに「閉ざされた言語空間」が出現してしまうわけですね。この手法は、左派知識人にも受け継がれていきます。大江健三郎は言うに及ばず、丸山真男、竹内収などの面々が、右派的な出版をしたことを理由に「中央公論」の執筆拒否。時の編集長、堤暁は更迭。GHQと同じく「戦後民主主義者が、自分の主張に沿わぬ者には自由を与えない」という先例を踏襲するんです。天に唾する行為に見えて仕方がないのですがね。 2006/9/26(火) 午前 9:21 singleandover40 「初めは食うために」マッカーサーにすり寄った者らは、マッカーサーが去った後は「おのれの既得権益を守るために」、マッカーサーの占領政策を代行する。これが「戦後民主主義」だろう。彼らには、強力な武器があった。それが、「占領下で成立した」憲法である。こうして、「占領下の自動延長装置」が作動してきた。 「戦後民主主義が、自分の主張に沿わぬ者には自由を与えない」との表現は、上品すぎるのではないか?本当は「戦後民主主義が、自らの胡散臭い出自にメスを入れられる事を嫌った」のではないか?本当は、「民主主義ではなかった」のではあるまいか? 占領政策の多くは、日本や日本人への誤解に基づいて作られ、実行された。メリーランド州立大のメイヨー教授は、百人以上の占領軍幹部にインタビューした結果、「彼らは占領を終えて帰国する頃には、日本文化の名状しがたい深さに打たれるようになった」と口々に語った。ところが、占領軍の人間が誤りに気づいている占領政策を、日本のマスコミ・文化人が継承し、拡大再生産してきたのが戦後日本だった。問題はアメリカにあるのではなく、日本人自身にある。 2006/9/26(火) 午後 8:29 tatsuya11147 おそらく、問題を複雑にしたのは、米国がくれた「自由」に、確かに日本人にとっても気持ちの良いものが含まれていたことでしょう。もともと、大正デモクラシーのように、日本人なりの民主主義はあったので、受け入れられたのだと思いますね。ところが、そこで素直に米国礼賛となれば話は簡単なのですが、反米=親ソが混じっておかしくなった。 つまり、米国が創った憲法なり戦後民主主義を擁護するのは反米親ソの連中、逆に自主憲法制定を訴えて国益を重視する保守派が親米反ソになる傾向が出てきました。護憲派が「革新」という奇妙奇天烈な状況です。世界で、革新勢力といえば普通は改憲を目的とするものですが。おまけに、ソ連崩壊で「革新派」が「自由主義経済推進派」になった。ねじれにねじれてワケがわからんのです。日本の中では左右は明快なように見えるが、世界はすでにそうではない、と思いますね。 2006/9/27(水) 午前 11:11 singleandover40 「日本の中では左右は明快なように見」せかけているのが、追いつめられた左(マスコミなど)でしょう。「世界はすでにそうではない」。では、どうなっているのでしょうね? 2006/9/27(水) 午後 3:40 tatsuya11147 素直な感想を言えば「米国」が右で、反米が左です。つまり、反米ならば、どんな独裁政権だろうが、軍事国家だろうが、転向勢力(笑)だろうが、とにかく「左のようなもの」。かつてのコミンテルンのような「指導原理」が失われたので、アンチ米国という形だけが求心力なのだろう、と思いますね。逆にいえば、どんな平和主義だろうと、国際協力だろうと、親米なら「右」。まあ、わかりやすくはありますが、思考停止じゃないかとも思います。 2006/9/27(水) 午後 6:57 singleandover40 |
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沖縄県民として、この記事を最初に目にしたときは非常なショックを受けました。
産経新聞社の取材に対して、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった 照屋昇雄さんという方が、沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、 実際は軍による命令はなく、 「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、 自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」 と証言されたのです。 終戦直後の困窮を極めた島民生活を救うためだったとはいえ、事実であれば非常に残念な思いがします。 この証言の内容の真偽については、残念ながら私には確認する手段はありませんが、 そうである以上、照屋氏の証言を事実として重く受け止めようと考えています。 ところで、この証言についての記事をあちこちのブログで見かけました。 そこで気になるのは、この証言が出たことで、どういうわけか旧日本軍の蛮行がすべて「虚偽」 であるかのような論調の記事が多く見受けられることです。 「おいおい、それは違うでしょ!」と、突っ込みの一つも入れたくなるのですが。。 たとえ、この証言が事実であり、正式な「軍命令」がなかったとしても、 味方の軍隊が駐屯する地域で、非戦闘員(住民)の集団自決という悲劇が起こった ということは確かなのです。 本来守られるべきはずの住民が死を選ばざるをえない状況に追い込まれ、 守る立場であるべき「無敵皇軍の神兵」たちが生き残る。 こんな無責任な話があるでしょうか。 軍命令の有無にかかわらず、その点は厳しく糾弾されてしかるべきではないでしょうか。 住民はなぜ自決しなければならなかったのですか? 家族を殺して自分も死ぬ。このような異常な状況に追いこまれたのはなぜですか? 軍はなぜ、住民を守らず自決するがままにまかせたのですか? ノー天気に「やっぱ、無敵皇軍の神兵がそんなデタラメな命令を出すわけないよね!」 なんて喜んでいる場合ではないと思うのですが。。 しかも、この件に直接関係ないアジア各国での蛮行についても、「眉唾ものだ」と都合よく解釈する神経って いったいどこがどうなっているのでしょうね? (つか、なぜか「やっぱりアジアの解放のための戦争だったんだね!」ということになってるし。。) 産経新聞の取材記事には、「村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った 恩賜の銀時計も飾られている。」という記述もあります。 「恩賜」というのは、士官学校等を特に優秀な成績で卒業した人物に天皇陛下から 特別に下賜される品のことを意味します。 それをもって、「優秀な人物」だったという内容の記事やコメントもちらほらと見かけます。 「はぁ?」と思っちゃいますね。 決して、その当事者の大尉個人に対してではなく。。 ようするに、恩賜組のエリートたちが指導したあの戦争の無様な結果。 現場をしらず、敵味方の状況も把握せず、マヌケな作戦を次々と立案して多数の将兵を死地に追いやった どうしようもない「秀才」たち。 兵力の逐次投入。情報の軽視。補給の軽視。人命の軽視。 そんな人たちが優秀なのですかね? (まぁ、国語や算数は良くできたのかも知れませんが。。) 毎年6月23日には、沖縄平和祈念公園で慰霊祭が行われます。 この証言でハシャいでいる方々は是非、沖縄の人間にもあなた方の「喜び」を伝えてあげてください。 やぁ!沖縄の皆さん、お元気ですか? 先の聖戦では酷い目に遭いましたね! 集団自決をされた方、お悔やみ申し上げます。 軍命令ではなく、自らの信念で敵の捕虜となることを潔しとせず、 祖国に殉ずるという選択を行ったことについて、ニッポン人として誇らしく思います。 それにしても、皆さん、無敵皇軍に守ってもらってよかったですね! もし、皇軍が命がけであなた方を守らなかったら、犠牲者は10万人ぽっちではすまなかったはずですよ! 鬼畜な米兵どもに女は全員強姦され、男はまとめて皆殺しにされたはずです! 皆さん、ほんとラッキーでしたね! オマケに、国家から生活保障やら振興策やらを引き出せて、羨ましい限りですよ。 ゆめゆめ、皆様を命がけで守った皇軍将兵や帝国政府に恨み言を言ってはいけませんよ。 罰当たりにもほどがありますからね。 それから、皇軍にあらぬスパイ容疑で虐殺されたとか、皇軍兵士が防空壕から住民を追い出したとか、 あらぬ妄言虚言も飛び交っているようですが、照屋氏の証言が出てきたことでも明らかなように、 すべて、皇軍をおとしいれるための悪意に満ちた風説だということが理解できたと思います。 そのような「非国民」の「サヨク的」「ジギャク的」な思想に感化されることなく、 一等国であるニッポン人としての誇りを胸に、皆様を守るために亡くなられた英霊に恥じぬよう 生きて行きましょう! 大日本帝国、万歳!
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