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かつて見た映画ですが「戦争と人間」というのがありました。 [http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6288 ] 大陸での関東軍が描かれたもので、前者ではその暴走となしようもなく戦争に引き込まれていく日本が描かれています。3部作で、第1部1970/s45 第2部1971 第3部1973 「南京大虐殺」はウソだ! [http://www.history.gr.jp/~nanking/ ] の中に、昭和46(1971)年8月末から12月までの間に、「朝日新聞」紙上にて衝撃的なレポートである「中国への旅」という本多勝一記者による記事から「南京大虐殺」が広く知られるようになったとあるその傍証となるかとチェックしたのですが問題の南京侵攻のエピソードは第3部1973にありましたので、どちらとも言えない。 また、1999年12月10日−12日 東京「戦争犯罪と戦後補償を考える国際市民フォーラム」ワークショップ「南京大虐殺」分科会報告 南京大虐殺と軍事郵便 小池善之 [http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/asaba.htm#houkoku ] の中で、 ・静岡県磐田郡浅羽町の町史編纂事業の中で収集された資料のなかに、日中戦争期の軍事郵便があった。私には、軍事郵便は軍の検閲を受けているから、問題となるようなことは書かれていないという思い込みがあった。しかし読んでみると、後述するように、南京事件に関わる記述があることを発見した。 ・私はそれを『浅羽町史近現代資料編』に掲載した。その刊行を報せる記事が新聞に掲載されたところ、様々な反応があった。ほとんどは「南京虐殺事件」などなかったのに何故掲載したのか、というようなものであった。私の認識は、学校の教科書にも記されているように、南京虐殺事件は何人も否定できない事実であり、残されている問題は虐殺された人数であるというものであった。このように「否定派」から電話、手紙、訪問などが多数寄せられたため、私はこの軍事郵便についてはきちんとした調査を行い、実証の点でミスのないものにしなければならないと考えた―― 以下の記事で、「あった」とする傍証があげられています。 それも生々しい実体験のようにおもわれる。ただし、その手紙の存在を実見したわけではない、まして鑑定したわけでもないので、これの真偽も不明です。 近年、考古学における捏造事件が巷間を騒がしたことを考えれば、いかなる証拠も、確かな鑑定の後に信じるべきで、それまでは伝聞に過ぎません。 ただ上記の手紙に<便衣隊が我々の手に捕われる>とあります。 便衣隊とはゲリラ兵、「ウソ!」にある、参考資料中のような状況であれば、正規兵とゲリラ兵、まるでベトナム戦争のような図式です。とすればベトナムで起こったようなことが、南京で起こらなかったとは言えない。 <上海戦があったから、南京事件があったわけではないと思うのです。>とありますが、これも、上海戦があったから後送された負傷兵によりあたかも虐殺がなされたような様相を呈したと、とれぬ事もない。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
抗日統一戦線 八路軍 [http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%B7%AF%E8%BB%8D ] 八路軍は、現在の中国人民解放軍の前身のひとつ。中国工農紅軍を改変した軍隊組織。 八路軍は主に日本陸軍占領地域の後方攪乱とゲリラ戦を担当した。また、1940年には華北において百団大戦という大規模な会戦を行い、延安と華北地域への回廊を確保した。 「南京大虐殺」はウソだ![http://www.history.gr.jp/~nanking/nanking.html#11 ]の中で他に、出典を確認したい、、と思った記事を上げる。 全市に医薬の香りがびまんしたという表現は、前述の「東京日々新聞(現毎日新聞)」がスクープした某外人の日記の中にも「25日(11月)戦死傷者の南京後送で、移転後の政府機関はもちろん、私人の邸宅まで強制的に病室にあてられ、全市医薬の香りがびまんし、軍人の町と一変した・・・・」、とおり、すでに11月25日ころから南京全市が兵站病院の観を呈した様子がうかがえるのである。 >>>某外人の日記の出典? 11月25日の中支那方面軍特務部長の中央に対する報告によると、、、、中沢参謀はさらにこう言っている>>>の出典は確認できるのか? 南京戦における中国軍の戦死者の数をダーディン記者は3万3000と推測している――― >>>の出典は確認できるのか? また、米ライフ紙には「日本軍は15万人の南京市民が避難した安全区をちょっぴり可愛がった」と書いている 。>>>出版されたものを実見できるのか? 以上、
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「南京大虐殺」?
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「南京事件「証拠写真」を検証する」 以下のテキストは討論のポイントを抜粋しました。写真の検討も出てきますので、まず動画をご覧ください。 司会 やしきたかじん、辛坊治郎 パネラー 虐殺なかった派 ○三宅久之、○金美齢、○西村眞悟、○宮崎哲弥 虐殺あった派 ○川崎泰資、○デーブ・スペクター、○桂ざこば、○遙洋子 ゲスト ◎東中野修道(亜細亜大学教授) 【外電について】 川崎 「戦争というのは異常事態。報道管制が厳しいし、事実は伝わらない。でも外電は南京で虐殺事件があったと伝えてる。人数は考え直さないといけないのは当たり前だが、なかったと言うのは大問題ですよ」 金 「どこの外電が、どういうふうに伝えたんですか?」 川崎 「・・・」 東中野 「シカゴデイリーニューズ、ニューヨークタイムズが南京陥落の3日後、5日後に出しています。しかし、南京の欧米人が目撃した殺人事件は1件もありません」 辛坊 「誰がどこで取材して記事にしたんですか?」 東中野 「シカゴデイリーニューズのスティール記者と、ニューヨークタイムズのダーディン記者です。12月15日に南京にいました。南京というのは城壁で34km囲まれていて、高さは25メートルです。2ヶ月間出られません。その中で陥落直前の人口は20万人。陥落10日後の人口も20万人。人口減少を言った人は一人もいないんです」 辛坊 「陥落直前の人口は国際機関が認定した数字ですが、10日後の人口はどこが?」 東中野 「10日後は南京外国人会が出した数字です。クリスマスイブの日に、ジョージ・フィッチがそう書いています」「1ヶ月後には人口は25万人。日本軍の調査で、南京の外国人がそう出すわけです」 (米国人スマイス氏の調査でも約25万人となっています) 【捏造写真について】 遙 「一枚残らず真実の写真はなかったということですか」 東中野 「私どもは手に入る写真を全て手に入れました。そして写真は真実なのかどうなのか綿密に調べました」 デーブ 「虐殺があったとして、立証する写真ないから捏造したということはないんですか?」 たかじん 「そんな難しく考えなくても。プロパガンダと言うて何らはばからないのではないかと」 宮崎 「デーブの今の論法だと、UFOは実在するから、捏造写真でも許されるという論法になる」 金 「デーブさんの今の話、まったく説得力ゼロですよね。『なかったことは説明できない』というのは全く賛成です。あったというのを証明するなら本当の証拠を出さないといけない。証拠写真が全部いい加減なものとわかった時点で、この事件は本当にあったのかどうかをみんなが疑問を持って考えないといけないというのが、普通の人間の感覚だと思います」 ※注 無いことを証明することは「悪魔の証明」とも言われ、不可能なこととされています。従って、訴訟ではあったと主張する側が証拠を出し、なかったと主張する側がその証拠を覆すことになっています。あったと主張する側の証拠がすべて覆された場合、なかったとされます。 南京虐殺事件は現在、証拠はすべて覆されている状況にあります。従って、なかったと推定することが妥当です。確実な証拠がない以上あったという推定はできません。 【欧米人の証言など】 遙 「写真は証拠となりませんと、中国の言い分も信用ならないとなると、戦争に利害のなかった海外の外交官が本国に向けてる文書、宣教師の証言とか、一兵卒の日記とか証拠に出てきてるが、これはどのように位置付けられているんですか?」 東中野 「外交官にしても特派員にしても、色がない中立的な立場にあると見るのは極めて単純な考えです。一方の考え方に染まっているのです」 「東京裁判で、何人目撃されたかと言われて、『一人だ』と答えたジョン・マギーという牧師の、当時の日記を見ると、実際の殺人は見ていなかったと言ってる。だから南京で殺人事件があったことを目撃した人は一人もいないんです」 「南京の欧米人はどう見てたか。彼らは「市民重大被害日報」をほとんど毎日日本大使館に渡してるんです。その1セットになってるのが残っているんですが、それを見ても、目撃された殺人は合法的処刑の1件だけなんです。ですから、アウシュビッツと南京とは違うんですね。南京の問題を一生懸命当時の記録に従ってずっと掘り下げていくと、玉ねぎの皮と同じで、何も残らないんです」 【百人斬りについて】 三宅 「中国人の本を読むと、『俺は南京では何万人殺したのを見た』と言うと拍手される。『そんなに見なかった』というと臆病者、スパイと言われる。こういう中で出てきた。本多勝一が百人斬りというの書いた。若い少尉が二人で百人斬りをやろうと言って、毎日何人斬ったという話なの。記事を書いた浅見一男さんという毎日新聞(当時は東京日日新聞)の記者を知ってる人に聞いたら、あれは戦争講談だと言いましたと。百人斬りなんて誰もできるわけがないと。新聞の拡張戦術なのに、それが証拠にされて二人とも死刑になったんですよ。だからマスコミは罪が深い。記者が名乗り出てあれは創作だったと言ってたら、二人は助かったかもしれません」 たかじん 「西村先生、刀で何人ぐらい斬れるもんですか?」 西村 「山本七平さんが、少尉の時の体験で、人の骨を斬ったという(「私の中の日本軍(下)」にある戦死者の死体の親指)。斬ったら鞘に刀が入らない。日本刀が曲がる。私の弁護士の時の経験で、殺人事件で刀使うと、右利きは刀は右に曲がる。それでめっためったと斬れるはずがない」
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南京戦からの続きです パネラーのその他の主張 ●デーブ・スペクター(あった派) デーブ 「数じゃない。何万人も10万人もいっしょ。数字だけにこだわるのは、なかったとすり替えたいから?」 金 「数字にこだわってるのは中国人で、日本人じゃない。中国は数をどんどん増やしてる」 宮崎 「ユダヤ人虐殺は600万人と言われてる。民族を滅ぼすという目的のもの。世界遺産にしようという例にあるように、南京をアウシュビッツと同列に置こうとしてる。それは違うというのは、しかるべき批判だと思う」 デーブ 「外国の記者がすぐ南京に入って、あれだけの遺体ですから処理する余裕もないし、いっぱいあるはずなんですけど、何で写真を撮らなかったんですか」 東中野 「戦闘の死体の写真は残しています。ダーディン記者が」 デーブ 「ですよね。大虐殺があれば、当然写真で撮りたいわけです」 「それがないわけです。じゃあ、虐殺はなかった!」(なかった派へ変更か) ●桂ざこば(あった派) 「大ではなくても、虐殺は小でもあかん。でも先生の写真を見て、今まで証拠だったことが証拠でないということで、ごっつい嬉しい。小はあったかもわからんと思っていたけど、なかったと。もうこれ変えてくれ!」(なかった派へ変更) ●宮崎哲弥(なかった派) 「70〜80年代は中国はあまり言わなかったが、江沢民政権になって反日、愛国心を高揚させるために盛んに言うようになったという側面は否めない。そこに日本のある種の勢力(サヨク)が呼応している側面は否めないですね」 ●三宅久之(なかった派) 「松井石根を総隊長とする攻撃をする前、ビラをまいて、『攻撃するから逃げろ』と言ってる。ドイツ人ラーベが管理している国際安全区の中にみんな逃げ込んだ。これは便衣兵と言ってゲリラになる。それは徹底的に洗い出す。後ろからやられたら困るから、誤って軍人でない者の処刑はあったかもしれないが、意図的に30万人殺すなんてない。考えてみなさいよ、全部死体の世界になるから」 「松井石根という大将が2回にわたって内外に会見してるが、責任追及はひとつもでていない。敵対していた欧米のマスコミも質問してないのは、なかったということでしょう。あればかならず質問するでしょう?」 ●金美齢(なかった派) 金 「ごく直近の報道でも、朝日新聞があんないい加減な歪曲報道をするわけでしょ。だから、60〜70年前のことを知るのは大変なんです。断片的にいろんな人がいろんなことを言っていて、報道にしたって真実とは限らない。だから総合的にものを考えければいけないのではないか」 「中国人の生命に対する考え方と日本人の生命に対する考え方は絶対違うんですよ。日本人には虐殺するという習慣も伝統もメンタリティもないと、思うのは、台湾は50年間、日本に統治されました。戦闘行為の中で1万人ぐらい亡くなっています。が、その後、政治犯として死刑になった人はひとりもいないんです。無政府主義者であった父親が受けた7年の判決が最長だったと、黄文雄さんから直接聞きました。日本の統治が終わった後、中国の蒋介石が入ってきた。2年後、1947年2月28日に台湾人が政府に抵抗しました。その後、中国大陸から軍隊が入ってきて、2〜3万人殺しました。たった2年足らずで。しかも犯行行為に関わった人たちだけじゃなくて、今後おそらく台湾のリーダーになりうるインテリ全員を殺しました。中国人はそういうことやるんです。だいたい中国人は、核戦争になっても人口十何億いるから、1億ぐらい死んでもどうってことないよという民族なんですよ」 宮崎 「本当にそう言ってますから」 金 「そういう人たちですから、日本兵が攻めて来たら何十万も殺すのは当たり前だろう思うのは、あの人達のものの考え方なんですよ」 宮崎 「現実に中国は自国民を文革でたくさん殺してるんですよ」 金 「1万人死のうが、30万人死のうが、1億人死のうが構わないと思ってるんですよ。我々は命の価値に対する考え方がまったく違うというのを、基本におきながら考えなければいけない」 ●西村眞悟(なかった派) 「子供の時に、南京に行った人に話を聞いたら、できるはずがないと言っていた。あっさりと」 「日本軍の名誉のために言うと、日本軍の戦争中の服装は簡単にレイプできる服装でない。小便するのも中でやらざるをえないような。上にベルト、たすきかけて、弾をつり下げて」
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映像サンプル(クリックしてください)(現在リンク切れ)
■関連記事 南京戦 南京戦2 向井・野田両少尉の辞世
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