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「従軍慰安婦」?
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別冊正論「日韓・日朝歴史の真実」に新田均・皇学院大学教授の「歴史の嘘に呪縛される不幸を絶つために」という論文があり、「“慰安婦狩り”を許すほど朝鮮の人々は臆病だったか」という文章が、私を納得させるに十分だったので紹介する。
「従軍慰安婦や強制連行が史実でないことは、はっきりしている。問題は、韓国・朝鮮の人々を納得させるのに、どう語ったらよいかということだ。 ポイントは、私たち日本人も、韓国・朝鮮の人々も、朝鮮半島のことを考える場合に、今日の在日韓国・朝鮮人のように、多くの日本人に取り囲まれて暮らしていたように思い込んでいないか、ということである。 しかし実際には、朝鮮の人口に占める日本人の割合は、大正期までは1%足らず、昭和6年でも2,5%に過ぎない。つまり朝鮮半島の日本人たちは、圧倒的多数の朝鮮人に囲まれて暮らしていた。 その上、警察署長、裁判所の判事・検事、朝鮮総督府の局長・部長・課長に朝鮮人が多数おり、道知事や軍人にも朝鮮人がいた。このような状況の中で、日本の官憲による“慰安婦狩り”などできただろうか。 できたとすれば、よほど朝鮮人というのは、臆病な人々だと解釈せざるをいない。そんなことはあり得ない。呉善花さんが取材した日本人の証言が、それを裏付けている。 “朝鮮の田舎へ行って若い娘たちを奪ってきたと言われていますよね。そんなことあり得ないです。もしそんなことをしたら、誘拐犯ですし、懲役刑を受けることになります。いや法律の問題以前に、村の人たちに、めちゃめちゃにやられてしまいますよ。 強制的に連れていかれる娘を見ながら、そのままほっておくような卑怯な朝鮮人がいたとは決して思えません。田舎であればあるほど、連帯意識も民族意識も強くて、そんな彼らが我慢して、黙って見ているわけがない。 彼らの民族愛がいかに強かったかは、私はいろいろの場面で見てきていますし、今でも鮮明に覚えています。そんな世界で女狩りなど、きるはずがないのです。 慰安婦狩りの話は、一度も聞いたことがありません。これは、当時朝鮮に住んでいた日本人の名誉に関わることです。もしあったとすれば、我々もそれを黙って見ていたことになるのですから”。呉善花“生活者の日本統治時代”より。」 戦時中の日本本土、私の周辺には多くの朝鮮の子供たちがいた。彼らは、ふだんはおとなしかったが、正義感が強く、時に日本人相手に火のような取っ組み合いのケンカをした。まして大多数が同族である朝鮮半島で、若い娘の強制連行など許すはずがない。従軍慰安婦20万人強制連行説など、自らの民族をこの上なく卑しめる言動と思わないのか。
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転載元:台湾春秋 10月31日の読売新聞社説は、「問題の核心は“強制連行”の有無だ」と題し、いわゆる河野談話について論じている。要約し考え方を述べたい。 「この発言のどこが問題だと言うのか。いわゆる従軍慰安婦問題に関する河野洋平官房長官談話について、“研究”の必要性を指摘した下村官房副長官の発言のことである。 民主党など野党は、河野談話の“継承”を表明した安倍首相の答弁と矛盾するとして、“閣内不一致”と批判する。下村氏の発言は、“個人的には、もう少し事実関係を研究して、その結果を、時間をかけ客観的に考えるべきだ”というものである。 元慰安婦への“お詫びと反省の気持ち”を表明した河野談話は、前提となる事実認定で、旧日本軍や官憲による“強制連行”を認める記述になっている。韓国政府から”日本政府は強制連行だったことを認めよ”と迫られ、ろくな調査もせず閣議決定してしまった。 慰安婦問題は、“朝日新聞”が勤労動員制度である“女子挺身隊”を、“慰安婦狩り”だったと虚報したのが発端だ。慰安婦狩りをやったと“自白”した日本人も現れたが、結局作り話だった。政府の調査でも、強制連行を示す直接の資料は、ついに現れなかった。 河野談話は、客観的資料に基づく科学的アプローチより、反日世論の激した韓国への過剰な外交的配慮を優先した産物だった。そうした経緯を踏まえて、下村氏は“研究”の必要性を指摘しただけだ。 民主党などが、それでも問題だというなら、強制連行の有無という河野談話の核心部分をどう考えるのか、自らの見解を示すべきである。(全くその通り) この談話の継承を表明した首相も、“狭義の強制性”との表現を使い、強制連行は“今に至っても裏付けるものはない”と指摘している。下村発言は、首相答弁と矛盾しない。仮に首相答弁と違っていても、“個人的”と断った見解まで、完全一致を求めるのは不健全だ。 政府見解は、金科玉条のように継承するものではない、おかしなところがあれば、正すべきだ。大事なのは事実である。軍や官憲による強制連行はあったのか、なかったのか。 “研究”の結果、 “強制連行”の事実がなかったら、河野談話は見直されるべきである。」 民主党が日本人の立場に立つのなら、「事実に基づかない河野談話はおかしい。それを安倍首相が継承するのは、更におかしい」と追及すべきだ。間違いなく日本人は拍手喝采する。民主党は、いつから社会党のような発想になったのか。良識派の奮起に期待する。 comment: 不思議なのは、まだ戦後60年、そして、これまでにも多くの戦中を生きた人が存在したにも関わらず、まだ、曖昧であるという点です。これは、南京大虐殺にも言えることですけど。また、”強制”と言うのも誤解を生みますよね。例えば、体制やお役所が得意とする”無言の圧力””甘い交換条件を提示した誘惑の提示”など、単に”強制”という言葉の有無の問題ではありませんよね。 2006/11/1(水) 午前 11:19 [ koko ] kokoさん、コメントありがとう。ご指摘のように戦中に生きた人間がまだいるのですから、その人たちが正確に反論すればいい話です。台湾の人たちは、あれは商売人が戦地で女郎屋をやったのだ、とはっきり言います。もちろんその背景には、当時の貧しさがありました。戦後、日本でも基地の周辺には、政府公認のこの種の施設がありました。子供でしたが、私には何をするところかはっきりわかりました。それにしても、300万の軍隊に20万の従軍慰安婦(娼婦)がいたのでは、戦争になりません。 2006/11/1(水) 午前 11:46 [ kim123hiro ] |
自民党有志議員による議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文科相)は13日、党本部で総会を開き、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認め謝罪した「河野洋平官房長官談話」(1993年)の見直しに向けた活動を強めていくことを決めた。年明けにも小委員会を設置、談話を出した経緯や事実関係の検証を進めた上で報告書を作成、安倍晋三首相に見直しを提言する。 (07:02)NIKKEI NET 河野談話は本人が何の証拠もなく,発言したと述べていますからね。 http://www.tsukurukai.com/02_about_us/2_maso/maso01_file/undogaaru_p248.html 裏付けのない論理は崩壊する運命にあるわけです。
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10月16日付・読売社説(2) [『慰安婦』決議案 ]「日本政府はきちんと反論せよ」 こんな問題の多い決議案を放置すれば、日米関係に禍根が残る。日本政府はきちんと反論すべきである。 米下院の国際関係委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題で日本非難決議案を議決した。 決議案は、「20万人もの女性が性奴隷にされた」「家から拉致され……性的な強制労働につかされた」などと、裏付けのない記述が数多く含まれている。 慰安婦問題は1990年代初頭、一部全国紙が、戦時勤労動員制度の「女子挺身(ていしん)隊」を“慰安婦狩り”だったと、歴史を捏造(ねつぞう)して報道したことから、日韓間の外交問題に発展した。 当時、「慰安婦狩りに従事した」と名乗り出た日本人もいて、これも「強制連行」の根拠とされた。だが、この証言は作り話だった。90年代半ばには、学術レベルでは「強制連行」はなかったことで決着がついた問題だ。 にもかかわらず、96年の国連人権小委員会報告書や今回の決議案のように、事実誤認や悪意に満ちた日本批判が繰り返されるのは、日本政府が毅然(きぜん)と反論してこなかったためである。 米下院委員会で議決されたのは初めてだ。外務省は何をしていたのか。本会議上程阻止が最優先だが、二度と失態を繰り返さぬようにすべきだ。 決議案には、「慰安婦の悲劇は20世紀で最大の人身売買」など、歴史認識へのバランス感覚を欠いた表現も目立つ。 第2次大戦中、ドイツは占領地域で組織的な“女性狩り”をしていた。にもかかわらず、米議会がこれを一度も問題にしていないのは、なぜか。 占領下の日本には、占領軍将兵専用の慰安婦施設があった。もとは占領軍将兵の性暴力を恐れた日本側の主導でできたものだが、占領軍の命令で設置された施設もあった。決議案に賛成した議員たちは、こうした事例も精査したのか。 慰安婦問題が混乱する原因は、93年の河野洋平官房長官談話にある。 河野談話は、確かな1次資料もないまま、官憲による慰安婦の「強制連行」を認めたかのような叙述を含む内容になっている。以後、「日本が強制連行を認めた」と喧伝(けんでん)される材料に利用された。 河野談話について、安倍首相は国会答弁で、継承する意向を表明した。同時に、「狭義の意味での強制性は事実を裏付けるものはない」とも指摘した。 狭義の強制性、つまり、官憲による「強制連行」がなかったことは確かではないか。首相はこう言いたいのだろう。 事実誤認や歴史の“捏造”まで、「継承」する必要がないのは当然である。 (2006年10月16日1時39分 読売新聞) |




