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今回の内容も前回(#1)に続き、韓国の雑誌「新東亜」に連載された金正日の「喜び組」(金正日の女性たち)の話を翻訳したものです。過去に北朝鮮を脱出して韓国に入国して韓国のマスコミで働く記者が、前職金正日の「喜び組」の女性を直接取材した内容を元に、記事を作成しました。
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Q)2次を通過した後はどのようにするのですか?
A)2次を通過すると、家へ行って約2週間位休んでから、また呼び出されました。この時は全国から選ばれた学生たちが全て平壌に集まって、高級ホテルに泊りました。4人部屋を使いましたが、4日間は特別なことはしませんでした。
あの時のことを思い返すと、本当に面白かったです。女の子たちの間には、嫉妬と競争心がすごく強いんです。一晩中笑う訓練をする子がいたり、きゅうりパックを塗って横たわっている子がいたり、とにかく皆大騷ぎでした。パンも分けて食べないし、化粧品もお互いに分けて使わなかったです。
元々、北朝鮮では学生に化粧の許可をしませんが、芸術分野で選ばれて来た学生たちだからか、抜群の美貌で注目を集めながら学校に通った学生たちだからか、化粧にはかなり慣れていたようです。当時、既にきゅうりパックをするなんて、本当に北朝鮮では誰も知らなかったことですからね。
思い出に残っていることは、あの時、チキンフライが出たことです。初めて食べました。北朝鮮ではニワトリは油で揚げないのです。それで不味くて、皆、肉を全て捨てて、骨だけ食べた記憶があります。
Q)最終審査はいつしましたか?
A)4日位経ってから、5日目にバスに乗って、どこかへ連れて行かれました。全国から集まった学生たちが約30〜40人位いましたが、男子が15人位いました。そこで試験官たちの話を聞いたのですが、1年にこんなに沢山選ばれた事はなかったと言っていました。
最終選考では身体検査はしないで、主に写真を撮られました。拡大写真、全身写真など沢山撮られました。ところで、化粧をしないようにと注意をされたのに、して来た子たちがいました。そのような学生たちは、皆顔を洗って来るように注意されました。そして、また1人ずつ得意なことは何かと質問されたり、して見なさいと言われたりしました。
この最終選考を統括する女性がいました。黒い乗用車に乗って来ましたが、真黒いサングラスを掛けて、真黒い皮のジャンパーに、膝まで来る真黒いブーツを履いていました。この若い女性の前では、他の年上の人々がペコペコしていました。
Q)最後選考でも脱落者が出るのですか?
A)当たり前です。しかし誰が落ちるかは分かりません。試験が終わると、家へ帰りました。そして、4日位してから、中央党からベンツが家へ来ました。他の人々が見ないように、夜来ました。そして両親に、娘を祖国の為の重要な仕事が出来るように、立派に育ててくれて感謝するという内容が書かれた感謝状が与えられました。特別な点は、お金をくれたことです。当時の労働者の月給と比べると巨額でした。しかし、その時は物価があまりにも上がってしまっていて、市場価値では巨額と考えることは出来ませんでしたが。
Q)どこに連れて行かれましたか?
A)私はそこが何処か、よく分からないのです。ある部屋に入ったら、背広を着てお腹の出た男性が座っていました。そして、机の上に大きな本が置かれていました。大きさはこれくらいで(彼女が描いた絵を見たところ、長さが約70cm、幅が50cm位の大型サイズだった)、表紙は濃いえんじ色で金縁が付いていました。
表紙には「朝鮮労働党中央委員会5科委員会」と書かれていて、その横に何かの数字が書かれていました。私たちの番号ではないかと思います。私のページが開けられていましたが、1人当たり3ページ位ありました。最初のページには私の名前、両親の名前、家族構成、学校の評価、成績などの個人的な事項が書かれていました。3ページ目には、これまでの3次試験までの評価と身体検査の結果などが書かれているようでした。2ページ目を開けたら1番上に「この同士は**学校を卒業して、党と首領の配慮」で始まる文がありましたが、その文を中央党幹部が直接読んでくれました。
その文の下に写真が5枚位が貼られていました。それまでの試験で撮られた写真でしたが、正面、側面と多様な角度の写真が上に貼られていて、全身写真は1番目の写真の下にありました。写真を貼った余白に、言われた通りに文を書きなさいと言われました。
軍人宣誓に似ている忠誠の誓いでした。ところで、北朝鮮でこのような宣誓には、必ず金日成の名前が入っていますが、この宣誓には金日成の名前が入っていなかったのが、ちょっと違う点でした。文を綺麗に丁寧に書くようにと、何度も強調されたのを憶えています。多分、金正日に差し出される本だったのでしょう。全部書いてから、下に血書きをするように言われました。
Q)血書きまで書くように言われたのですが?
生まれて初めて血書きを書いたので、あの時の記憶は生々しいです。初めは血書きを書かなければならないとは言わないで、幹部が先にこのように質問しました。「手で一番大切な指はどれか。もし指を1本だけ残すとしたら、どの指を残したいか」本当に、最終選考まで来たら、幹部の言葉使いも丁寧になりますね。
あの時は、私はこれもテストの1部だと思っていたので、しばらく考え込んでしまいました。1番先に、薬指を除いて、そして次は中指を除きました。そして親指と人差し指、小指の間でしばらく悩みました。小指を除きたかったんですが、それがなかったら耳をほることができないと急に考えたのです(笑い)。結局、小指も除きました。記者さんは親指と人差し指のどれを選びますか。(私ですか。うーん…私は人差し指を選びますね。)そうです。私も結局、人差し指を選びました。
すると、手のひら位の長さのナイフを消毒綿で拭いてから、私にくれたのです。このナイフで血書きを書くようにとのことだったのです。そのナイフはとても素敵なものでした。北朝鮮のものではなく輸入品でしたが、折り畳んだり開いたりできて、切れ味も良くてとても派手なものでした。
その時までは、私はナイフで指を切るということは想像すらできませんでした。でも、雰囲気が雰囲気だったので、薬指をナイフで切りました。でも、血が少ししか出ませんでした。もう1回するようにと言われて、目をつぶって歯を食いしばって、心の中で「お母さん」と叫びながら、もう1回切りました。そして、その幹部が言うとおりに「忠誠に服務する」という7文字を書いたのです。その次に幹部が、その下に何かの判子をポンと押しました。
Q)血書きを書いてから、全く違った生活が待っていましたか?
A)血書きを書いた後にベンツに乗せられて、どこかに連れて行かれました。運転手が前にいて、後部座席に私と案内人が一緒に乗っていました。運転席と後部座席の間にはレースが付いたカーテンが掛けられていました。そして側面にも、全てカーテンが掛けられていました。ですから、外を見ることも出来ないし、運転手が私の顔を見ることも出来ない構造でした。もちろんカーテンは開けたり閉めたり出来ますが、許可なくそうすることはできないでしょう。
私はその後も車に沢山乗りましたが、私が乗ったベンツは、殆ど全てカーテンが掛けられていました。もちろんカーテンの色と厚さは、車毎に違います。外国の首脳が北朝鮮を訪問すると、リムジンに乗るじゃないですか。そのリムジンにも乗ったことがあります。
ベンツの止まった所は、平壌の郊外でした。山に囲まれていて、外からは見えない所でした。静かな郊外で木に囲まれた所に、3階建ての建物が1棟ありました。後に教育を受けて知ったのですが、地下にも3つの階がありました。建物の形は 万景台(マンギョンデ)学生少年宮殿のような丸い半円型でした。その真ん中に金正日の銅像があって、その下に学校の名前が刻まれた大理石の版がありました。金正日の銅像は生まれて初めて見ました。建物の長さは100m以上でした。その時はそれが何の建物か分かりませんでしたが、今考えてみたら、中央党5科の建物のようです。到着するや否や、私をある部屋に連れて行きました。これから暮らす所だと言っていました。
(次回に続く)
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