北朝鮮分析

北朝鮮のブログ : huntbaki@yahoo.co.jp

北朝鮮の話し

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北朝鮮で科学技術分野専門家を養成するメッカと言える金策(キムチェク)工科大は、インターネットの活用度も北朝鮮で最も高いレベルにある。この大学には、金日成大もまだ持っていない電子図書館があって、科目別の遠隔動画講義も行われるレベルである。「ミレ(未来)」という名前のこの電子図書館には、金日成・金正日に関連した書籍や単行本などが保管されている「一般資料基地」と、大学の教育図書、学位論文、学報などが保管されている「大学資料基地」ある。また、講義日程と教授情報、最近の講義内容も検索できる。金策工科大の教職員たちの間には、総長は毎朝出勤してホームページを見ることで一日の仕事を始めると言う噂が広がっている。

ホームページのデザインは、外部世界と隔離された北朝鮮らしくなく、非常に精錬されて見易く構成されているのが特徴である。専門家は多いのにホームページの数が相対的に少ないので、一つ一つのホームページが丹精込めて作られるからである。

しかし、北朝鮮にはまだグーグルやヤフーのような検索サイトがない。人民大学習堂や中央科学技術通報社のホームページに入ると、各種資料のリストを検索することができるが、実際の内容は見られない。インターネットに掲載された資料と言っても、暗号を知っている極少数の人たちだけに公開されているので、一般人は直接に図書館に行かなければならない。

北朝鮮は2007年9月、国際インターネット住所管理機構(ICANN)からKCCをインターネット住所管理機関にする国家ドメイン「kp」運営の最終承認を受けた。

現在、北朝鮮にある一般的なコンピューターは、ぺンティアム4級で、ぺンティアム3級も一部ある。北朝鮮の公式の店舗で新型コンピューターを売っていたりもするが、高価なので概して一般人は中古を購入する。中古は大体、中国を経由して入って来るが、サムソン、LG、サンボといった韓国製品も相当数が存在する。このような密輸されて持ち込まれた韓国コンピューターに、韓国で保存された資料がそのまま残っているケースが多くあると言う。最も多いのは、「成人映画」とのことである。

コンピューターの価格は、今年3月現在、ぺンティアム4級の中古が150〜250ドル程度である。わずか7〜8年前は800ドルはしたのだから、価格はかなり下がった訳である。北朝鮮で中産層の4人家族が1年間生活するのに約400〜500ドル使うという点を考慮したら、この程度のお金があったら、富裕層でも1カ月以上は十分に生活できるだろう。生活水準の高い人々は中国で、もっと性能の高い最新式コンピューターを購入したりもする。このようなコンピューターの性能は、韓国で現在販売されているコンピューターと同レベルである。

北朝鮮でコンピューターは、お金さえあればいくらでも購入することができる。しかし家に設置しようとしたら、政府の難しい承認過程を通過しなければならない。

まず、コンピューターをどこで購入したかを証明できる領収証を準備しなければならない。ハードディスクを密輸して持ち込めなくするためである。領収証を貰ったら、一番先にしなければならないことは、国家保衛部27局(過去の16局)の「電波監督局」に行って、「反電波検査」を受ける。システム内に異常な発振を起こす機能があるかどうかを検査するのである。

反電波検査が誕生した理由が特異である。北朝鮮の中央級機関でコンピューターを使った事務が丁度、日常化された頃、中央党検閲指導課のコンピューターが衛星が感知できるギガヘルツ級の発振を起こすという事実が摘発されたと言う。北朝鮮政府はこれを契機に、コンピューター関連者たちに「反共和国敵対勢力が北朝鮮とコンピューター輸出の取り引きをする業社を通じて、本体の中にタイピングされた内容を衛星に自動的に送信することができる特殊装置を設置した」と非公開で注意した。このような主張は簡単に納得できないし、真偽も確かではないが、実際にその直後、各党の機関、保衛機関、行政機関のコンピューターが集中的に検査されたと言う。

反電波検査で合格したら、該当する市や道の保安所に行って設備登録をして、登録証を貰わなければならない。登録証が出されたら、最後に出版総局の検閲局へ行って、ハードディスクの検査を受けなければならない。反社会主義的資料や「資本主義」の風を起こせる成人向けの動画及び写真があるかどうかを検閲する手続きである。全ての検閲手続きが終わったら、これを証明する確認証が貰える。これを付着すると、コンピューターを使うことができる。

韓国映画『クロッシング』はキム・テギュン監督の作品である。韓国で封切り直後、涙なしには見られない映画という評価を受けた。映画は北朝鮮の咸鏡(ハムギョン)道の炭鉱に住むある家族が、素朴に暮らしているという話で始まる。父親のヨンス、母親のヨンファ、11歳の息子ジュンという3人で構成された家族を通して、北朝鮮の悲しい現実が見られる映画である。

炭鉱で働く人々は、食事をまともに取れないので、フナのように水を飲みながら、空腹に耐えて厳しい仕事をする。そういう中、ヨンスの妻ヨンファが肺結核に掛かる。しかし、治療する薬を北朝鮮で入手するのは難しい。それで薬を手に入れるためにヨンスは中国に行く。そこでヨンスは、伐採の仕事をしてお金を儲けるが、それさえも中国公安当局の襲撃を受けて難しくなる。

公安から逃げている内に、脱北者を対象に韓国への脱出を勧誘するブローカーに出会う。ブローカーはヨンスにインタビューだけすれば、お金を儲けられるという話を持ちかける。ヨンスはブローカーの言葉だけを信じて、インタビューをするために中国駐在ドイツ大使館に行く。

しかし、これが北朝鮮にいる家族との別離になってしまう。ヨンスは薬を購入して家族と再会しようとするが、妻のヨンファは病状が悪化して世を去り、11歳のジュンが一人きりで残されてしまう。

この消息を知ったヨンスは嗚咽する。ヨンスが韓国で働く会社の社長は、ヨンスを慰めるためにキリスト教の話をするが、ヨンスは北朝鮮にいる人々はイエス・キリストを待つのではなく、薬を持って帰って来るの自分を待っていると訴えながら泣く。ヨンスはイエス・キリストがいらっしゃっるなら、どうして北朝鮮はあのように悲惨なままなのかと聞き返して叫ぶ。

北朝鮮に一人で残された息子ジュンは、空を布団に、地面を毛布にしながら、一日一日生きている。収容所にも入れられるが、韓国からの電話で連絡が取れたブローカーの助けで、そこから抜け出し、北朝鮮から劇的に脱出し、韓国にいる父親と涙の通話をする。

ヨンスは息子ジュンに会うためにモンゴルに行き、息子ジュンもモンゴルに向かう。しかし、結局、親子の出会いは成功しない。砂漠で死体になって帰って来た息子ジュンを、ヨンスは心臓が破れる程の苦痛の中で迎える。

映画『クロッシング』は悲しい世界の涙を私たちに見せてくれる。この涙を誰が拭いてくれるのだろうか?誰が彼らを慰めてくれるのだろうか?

 
1)北朝鮮教育の理念

社会主義教育学の基本原理は、人々を革命化、労働階級化、共産主義化することである。即ち、人々を共産主義革命思想で武装させて、それに基礎を置いて、深い科学知識と健康な体を持つようにさせることである。

このような脈絡から北朝鮮教育の理念は一言で言って、「全面的に発達した共産主義的新型の人間育成」である。北朝鮮憲法第43条に明示された教育理念を見ると、「国家は社会主義教育学の原理を具現して、次世代たちを社会と人民のために闘争する堅決した革命家であり、智・徳・体を兼ね備えた共産主義的新人間に育てる」と規定している。

このように北朝鮮の教育的人間像は、「労働を愛して楽しんで、これに自覚的に参加する人。個人主義、古くさい思想、資本主義思想を徹底的に根絶して、金日成唯一思想で武装された人。自分個人の利益を考えないで、唯一社会全体の為にだけに働く人」、即ち「共産主義的新人間」である。


2)北朝鮮教育の目標

1977年に発表された教育テーゼは、主体思想を北朝鮮の主要な教育的原理の核心にしている。教育テーゼでは、社会主義教育の目的を次のように明らかにしている。

社会主義教育の目的は、人々を自主性と創造性を持った共産主義的革命人材に育てることであり、社会主義教育は人々を社会と人民の為、社会主義共産主義の為に身を捨てて闘争する共産主義革命の人材に育てることであり、社会主義制度のために服務して、労働階級の革命偉業に貢献しなければならない。

このような教育の目的は、社会主義憲法(1998.9.6)に「国家は社会主義教育学の原理を具現して、次世代たちを社会と人民のために闘争する堅決した革命家であり、智・徳・体を兼ね備えた共産主義的新人間に育てる」と明示されている。

北朝鮮の教育目標の中で一番最初に目に付くことは、1.首領独裁偶像崇拝の為の教育である。北朝鮮教育の特徴は韓国とは違い、「民主意識の涵養」であり「個人の能力開発」ではなくて、共産主義人間の教育と共産主義守備隊の養成、そして指導者である首領に対する徹底的な忠実性を涵養することが、北朝鮮教育の目標である。即ち、体制維持のための予備資源の育成と首領に対する忠誠心を最高に調和することである。良い例として、北朝鮮の学校の教室には、「共産主義守備隊になる為に、いつも準備しよう」というスローガンが掛けられていて、挨拶の言葉も「いつも準備」である。

次の目標は、北朝鮮教育は 2.科学技術より政治科目が優先視されるということである。北朝鮮の教科科目の中で珍しいことは、別途に共産主義理論と金日成、金正日偶像化革命歴史科目が組み合わせされているということである。こういった科目は政治科目と呼ばれるが、韓国で英語や数学が重視されるように、北朝鮮ではこういった科目の成績が一番良くなければならない。英語や数学で満点をもらったとしても、金日成革命歴史や金正日革命歴史科目の成績が悪い場合は、批判の舞台に立たされなければならないし、上級学校や大学に進学することができない。金日成、金正日の偶像化宣伝科目は全ての科目に最優先して、金日成、金正日偶像化語録は、何時何処で聞かれても、適時に答えることができなければならない。

また、北朝鮮教育は 3.組織化、軍事化に目標を置いている。北朝鮮教育から欠かすことができないことが、組職生活と軍事訓練である。人民学校3年生(9歳)の時から「少年団」という組織体に加入して組職生活に慣らされて、中学校に入ったら金日成青年同盟という所に加入させられて、結婚前まで拘束されなければならない。14歳の時は「赤い青年近衛隊」という民間軍事組職に加入して、銃を撃つ方法などの軍士訓練を受ける。「少年団」の組職には、「少年団」指導員という教員が別途に配置されており、その教員は学生たちの政治思想教育と首領独裁思想注入の任務を遂行する。また中学校に上がって加入する金日成青年同盟にも青年同盟指導員という指導教員が別途に配置されており、学生たちの思想動向と思想教育などを担当する。「少年団」と「青年同盟」は下部組職から中央組職に至る一部のすきもない体系を兼ね備えており、この組職から排除された人は、北朝鮮社会で生きていくことも、呼吸することもできない。


-> 日本国内の朝鮮総連学校の教育理念と目標も、これと等しい。従って、日本社会の中にある朝鮮総連学校の教育目標は、学生たちを金日成、金正日を守る戦士に育成して、北朝鮮の共産主義体制を守らせることである。

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韓国戦争当時、北朝鮮による米軍虐殺から生存した兵士の1人であるメリング一等兵

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1950年8月17日午後、韓国のナクトン河戦線の303高地で、2日前に捕虜になった1個小隊の米1騎兵師団の兵士たちが、北朝鮮軍に全員虐殺された。米軍たちは2日間、食事も与えられず裸足で引きずり回されてから、銃殺される非運により短い生涯を終えた。

虐殺の銃弾洗礼の中、奇跡的に3人の兵士が生き残った。彼らは2日前にナクトン河303高地周辺を占領していた時に、北朝鮮軍が米軍防御線を密かに突破して侵攻して来たので、大隊本部に増員を要請した。

大隊本部から韓国軍60人がすぐに増員されたので、待つようにという回答があった。小隊が回答を受けて待機していた時、山の麓の果樹園から韓国軍らしき兵士が現われて、接近して来るのを発見した。

当然、韓国軍だと思った米軍たちは、油断して彼らが数十メートル前に来るまで見守っていた。しかし間もなく、彼らが韓国軍ではなく北朝鮮軍であることが分かった。

米軍小隊長は、簡単に降参するように指示してしまった。小隊は一発の銃弾さえ使わずに、全員が捕虜になった。武器と所持品を全て奪わた米軍捕虜たちは、食事も与えられずに、あちこちを引きずり回された。

北朝鮮軍は米軍捕虜たちを率いて、ナクトン河対岸を復帰しようと試みた。しかし防御線の後に侵透した北朝鮮軍を発見した米軍は、強く圧迫して来た。米兵たちの脱走を恐れた北朝鮮軍は、途中で米兵たちの軍靴を脱がせて、軍靴の紐で米兵たちの手を縛った。これに抵抗した2、3人の兵士たちは、北朝鮮軍により殺害された。

8月17日午後3時頃、北朝鮮軍は303高地から捕虜たちを連れて降りて、20人ずつに分けて、道の両側に座らせた。そして突然、捕虜たちに向かって機関銃を乱射した。北朝鮮軍は道を行ったり来たりしながら、乱射を繰り返した。

ロイ・メリングは足に銃弾を受けた。彼は傷から出る血を頭に塗って、倒れた死んだ戦友の死体の下に潜り込んだ。射撃をしながら道の端まで行って米兵たちを虐殺した北朝鮮軍は、再び戻って来て拳銃で確認射殺をした。死んだ振りをしていた彼の腕に、銃弾が再び当たった。しかし彼は歯を食いしばって、悲鳴をあげるのを我慢した。

米軍捕虜たちを全員虐殺したと思った北朝鮮軍が現場を去ってから、間もなく米軍が303高地に進行して来た。メリングは銃弾に当たった体を起こして、彼らに向かって走って行った。米軍は彼を北朝鮮軍と間違えて射撃を開始したが、彼が「射撃中止!私は米軍だ!」と叫ぶと、射撃を中止した。米軍は彼の銃傷を応急処置して、後方に移送した。

メリング以外に2人の米兵が銃撃を受けて負傷したが、生き残った。彼らはテキサス州エル・パソ出身のロイ・デー一等兵、もう1人はケンタッキー州出身のジェイムズ・ラド兵長である。メリングが救出されてから、米軍の度重なる作戦により、翌日、北朝鮮軍が多数射殺され、捕虜になった。

部下たちが虐殺された様子を見て怒った米軍大隊長は、生存した米軍たちに北朝鮮軍の捕虜たちを見せて、虐殺に加わった北朝鮮軍を捜すようにと命令した。

メリングは北朝鮮軍の兵士1人を虐殺加担者として指摘した。彼は米兵を虐殺した北朝鮮軍兵士だった。そして、もう1人を見た瞬間、恐怖で顔を背けた。大隊長は大声で叫んだ。
「頭を下げろ!」
彼が見るや否や頭を下げた北朝鮮軍兵士は、発砲命令を下した北朝鮮軍の将校だった。

北朝鮮軍に降伏したメリングの小隊員31人中、26人が射殺されて4人が生き残った。1人が重傷を負って死体の間から発見された。10人から15人の他の小隊所属の米兵たちが、メリングより先に降伏して捕虜になり、やはり全員殺害された。

虐殺から生存した3人の米軍たちが、全員、虐殺者だと指摘した北朝鮮軍兵士は、北朝鮮軍105戦車師団206連隊所属のキム・グァンテク将校、もう1人は兵士として射撃をしたチョン・ビョンドックだった。2人に関する資料は、2人とも現場で射殺されないで釜山に移送されて拘禁されたという記録を最後に、消失している。

虐殺事件が起こると、アメリカのマスコミはこの事件をトップニュースとして報道し、米軍は大きな衝撃を受けた。彼らは「降者不殺」という戦場の美徳を北朝鮮軍が守らないというを知り、戦況がいくら不利でも死ぬまで抵抗した。また、捕まえた北朝鮮軍虜たちを、密かに処刑する事件も発生した。北朝鮮軍として得たことより、失ったことが多い虐殺事件だった。

米軍捕虜たちを虐殺した105師団は、侵攻先頭戦車旅団として戦線に参加した。指揮官のユ・ギョンスは、開戦初日から彼らの戦車に攻撃をした韓国軍捕虜を虐殺したり、ソウル市内に戦車を駆って侵攻してソウル駅前にあったセブランス病院に侵入して韓国軍将校の捕虜たちを虐殺したりした、悪辣な戦車中隊長でもあった。

虐殺を何とも思わない伝統があった部隊だったと考えられる。メリングは1990年代末に韓国に来て、自分が奇蹟的に生き残った虐殺現場を訪問した。

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**韓国の北朝鮮分析サイトにある資料を翻訳したものです。

幸福中学校は農村学校で、中学校と小学校が同じ建物にある。元々、北朝鮮では小学校を人民学校、中学校を高等中学校と呼んでいる。しかし、2002年に高等という言葉は中学校の次の段階に付けるのが正しいという金正日の一言で、高等中学校が中学校に、人民学校は小学校になった。

小学校は4年、中学校は6年である。これに就学前教育と指称する幼稚園教育の1年を加えて、北朝鮮が誇る11年制義務教育になる。

北朝鮮は元々7月1日生まれから翌年6月30日生まれまで同じ学年になっていたが、2004年から同じ年度に生まれた学生は同じ学年にならなければならないという金正日の指示により、一瞬にして制度が変わった。新しい制度では、満7歳に学校に入学して17歳に卒業してから軍隊に行く。

幸福中学校は各学年が1クラスずつで構成されていた。小学校と中学校を合わせて10クラスである。各クラスの学生数は25人から34人である。教師は全部で19人である。この中の4人が小学校教員で、10人はクラス担任である。幹部として校長と副校長、青年同盟秘書、党秘書などがいるが、幸福中学校は校長と党秘書を一人が兼任している。しかし校長の権限は小さい。副校長は音楽を教えるが、クラス担任も引き受けている。

どうせ教員をするなら、担任教員をした方が良い。父兄から幾ばくかの援助を受けながら、生活することができるからである。担任でない教員は、主に男性である。彼らはにとって4月15日や少年団の節日である6月6日、青年節日の8月28日などは、一番心待ちにされる節日である。

この日は、普通学校では体育大会をしたり近くの山に遊びに行くが、学生たちが先生のために準備した美味しいお弁当やお酒を、思う存分飲み食い出来るからがある。学生節日が即ち先生の節日なのである。

幸福中学校の先生は2人以外、全員師範大学や教員大学を卒業している。師範大学は4年制で中学校の教師を養成し、教員大学は3年制で小学校の教師を養成する。従って、教員大学は女子大と同じである。北朝鮮の各道には師範大学が2校あり、教員大学は1校か2校ある。

幸福中学校の未来は、2000年以後更に暗鬱になった。昔は大学に進学する学生が1年に1〜2人はいたが、この時からは1年に30人内外の卒業生から1人を大学に送るのも難しくなった。これは、各郡、各区域毎に新たに生じた、第1中学校制度のためである。

元々、北朝鮮には各直轄市、各道毎に秀才学校が3校ずつあった。自然科学界の秀才を選抜して育てる第1中学校と、外国語の人材を育てる外国語学校、芸術界の人材を育てる芸術学校がそれである。道にだけあった第1中学校が2000年に金正日の指示で、各郡、各区域別に1校ずつ生じた。第1中学校は中学3年を卒業した学生を対象に試験を受けさせて、新入生を選ぶ。

北朝鮮でも都市と農村の格差が激しいから、第1中の入試では都市の学生たちが主に合格する。それに、農村の学生たちは幼い時から劣悪な寮生活をしなければならないという厳しさ故に、親が子供を送りたがらない。

中学校6年生の卒業シーズンになると、大学入学試験の準備をする。北朝鮮の大学入学制度は、地域別の割当制で、各地域に一定の人数が決められる。第1中が生じた後は、そこだけが大学入学の割り当て対象になって、農村学校は初めから除外されてしまった。

大学入学が出来なくなってから、幸福中学校の学生たちは勉強する意欲を失ってしまった。父兄も同様である。いくら何かを出しなさいと言っても動かない。どうせ一生懸命に学校に出しても出さなくても、結果は同じだから、何かを出す必要はないというのである。

それで何かを出しなさいと言われると、仕方なく出す真似だけするのが実情である。先生も同様である。一生懸命に教える気がない。特に、担任ではない男性の先生たちは、余った時間を使って、お金を儲けることばかり考えている。特に8月末から10月初めまで松茸とイカを収穫するために、男性の先生たちが休暇を取って、山や海に行きたがる。

この時は、校長が先頭に立って、船に乗ったり山に登ったりする。校長だから別途に配給を受けられるのではないからである。北朝鮮の学校では、校長が大学に送ってあげたり、先生を昇進させてあげられる権限がない。特に農村学校の校長は、担任より権限のない場合が多いである。

幸福中学校には学校の畑がある。先生たちが力を合わせて農業をして、収穫を分け合おうという主旨で開墾した畑である。農村学校なので、畑のない学校はほとんどない。農業と経費の全ては、先生の自前でまかなわなければならないが、実際は学生たちが農業に参加する。苦難の行軍の時期には、多くの学校が運動場にトウモロコシを植えて、先生たちが分け合った。運動場がなければ体育の授業はできないが、先生たちが飢えて、授業が出来ないよりはましだからである。

約20年間に渡って教職に携わっているファン先生は、2級教員である。北朝鮮の全ての教員には1級から6級までの等級がある。一定の期間が過ぎると、区域教育部で試験を受けて進級する。1番高い1級教員は、大都市の学校には数人ずついるが、幸福中学校では2級教員が1番高い。校長も3級である。等級とは関係なく優れた功績があった教員には、「人民教員」といった名誉職が授与されたりする。

しかし、大部分は進級も賄賂で全て解決される。過去の名誉職は段々価値を失っている。今や2級教員ということも自己満足に過ぎず、誰かが認めてくれたり尊敬してくれることもない。月給は数十ウォン高いが、このお金で市場で買えるものは多くない。

(次回に続く)

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