北朝鮮分析

北朝鮮のブログ : huntbaki@yahoo.co.jp

北朝鮮

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(前回から続く)

この記事は韓国の雑誌「新東亜(シンドンア)」に連載された脱北者の話を翻訳したものです。
80年代の北朝鮮の漁村の様子が良く分かります。
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個人の船があったとしても、イカ漁の季節に誰でもお金を儲けられるのではない。

リーさん村の船主の中で、約20%だけが家族を1年間養っても利潤が出る部類に属し、30%位は何とか1年間養うことが出来て、50%は借金をしながら暮す。4人家族の家長が船を運営して家族を食べさせるのに、1年に350万ウォ程度が必要だとのことである。北朝鮮の貨幤で350万ウォンは、市場為替で1,000ドルに相当する。運営費はディーゼル油の購入費が一番多く、水風(水中に浸す帆)購入費、各種修理費、釣り工具購入費などが含まれる。機関が使えなくなって、5〜6馬力の中国産の新式機関を買おうとしたら、300ドルは必要である。

2009年6月、リーさんは「今年は北朝鮮貨幤で50万ウォンだけ借金した」と満足した。去年は200万ウォンを借金したと言う。夏中、捕獲したイカを乾かして売って大金を儲けても、借金を返済するのに全額使ってしまう。それで、翌年の夏まで家族が生活するためには、借金するしかない。それでも、船を保有しているから、大金を借りることができるのである。

リーさんにも個人的に辛い想い出がある。彼には息子と2人の娘がいた。彼は息子を、中学校に通い始めた時から船を乗せた。今のような時代には、お金が儲けられる息子が最高だというのが、彼の持論だった。海辺には中学を卒業する16〜17歳位から船に乗る若者が多い。リーさんは中学校を卒業した息子を、賄賂を使って軍隊に送らなかった。

当時、北朝鮮では大学へ行けば軍隊の服務が免除されたが、リーさんは賄賂を使って息子を地方大学に入学させた後、夏には船に乗せた。数カ月間大学に行かなくても、教授たちに賄賂をちょっと使ったら、単位の心配はしなくても良かった。息子と一緒に漁に出るとイカが沢山捕まえられて、暮らし向きが多少は良くなるようだった。ところが、その一人息子が、19歳の時の海で死んでしまった。波が高くてイカ漁に出られなかったので、ウニでも捕ろうかと海に出たところ、海に落ちて死んでしまったのである。幼い時から海辺で育ったので、息子は水泳の達人だった。リーさん自身も「ポクチャン(服装)」をする時は、その程度の波は波とは思わなかったので、息子がすると言った時、止めようとはしなかった。やはり運命とは、分からないものである。

今や、2人の娘だけが残った。リーさんは無口になった。常に死と隣り合わせで生きているこの村で、リーさんが経験した不幸は、ありふれたものである。息子の死体を探して弔えたので、それでも慰められた。

ある未亡人は、大切に育てていた2人の息子を、一瞬にして失って、死体も探す事が出来なかった。その中の1人は、夫の忘れ形見だった。もともと、兄弟が同じ船に乗るのは避けるのが不文律だった。事故が起こっても、1人は生き残らなければならないからである。しかし、船に乗る競争が激しくなってから、このような原則は崩れた。この世の中にたった1人で残されたその未亡人は、一時は茫然自失していたが、次の年の夏には、たらいを頭に載せながら、また海辺に現われた。イカの賃加工でもして、生きて行かなければならなかったからである。
遠くから来た漁夫たちは、自分たちがイカを乾燥させることができないので、捕って来たイカを、幾らかの賃金をもらって加工する人々に任せる。主に未亡人や老婆たちがこの賃加工を引き受けていたが、20匹乾燥させると3匹貰って、生計を立てていた。リーさんの村には、未亡人が多く、子供を失った家も数えきれないほど多い。

筆者は北朝鮮産のイカは食べない。北朝鮮産のイカを見ると、悲しい事情が思い出されるし、どれほど不衛生な環境で加工されたかを知っているからである。海岸一帯がハエの天国だった。天気が良ければ2日程度で乾燥させることができるが、梅雨の時などは、家にボイラーをたいて、扇風機をつけて乾かす。約5日間位ひどい悪臭を放ったイカを綺麗に広げるために、べたべたに汚れて真っ黒な足で何回も踏む。

皆、「自分が食べるのでもないのだから」と考えて、問題視することはない。このように加工されたイカは、大抵、中国の商人たちに売られる。韓国にも北朝鮮産のイカが入って来る。見た目が悪い韓国産のイカとは違い、北朝鮮産のイカは綺麗に広げられているので、見た目は綺麗である。綺麗に見せるために、多くの女性の足の裏が、その上を踏んだのである。

「ドンジュ」と呼ばれる北朝鮮の金持ちが直接投資して、企業所名称の外貨稼ぎ基地を作るのは、最近、あまりにもありふれた事である。企業所は名称さえ貸してあげたら大金を手にすることができるし、「ドンジュ」は投資をして事業を広げることができる。外貨稼ぎ基地、または外貨稼ぎ事業所の支配人という肩書きを持つ「ドンジュ」は、どこに投資をするか決めるだけでなく、従業員を選んだり解雇する権限も持っている。事実上、個人会社と言っても過言ではない。大型の外貨稼ぎ事業所には、名目上は党の秘書もいるが、北朝鮮で党幹部が全く力を発揮出来ない所が、正にここである。お金の前では、党も無力になる。

10数年前、全く同じように行動して、銃殺された金持ち第1世代の教訓を、「ドンジュ」が忘れたわけではない。しかし、最近の「ドンジュ」は銃殺される心配が殆どない。社会が変わったからである。1990年代初めは、お金を見せびらかしながら振りまく人が珍しかったが、1990年代半ばの「苦難の行軍」時代を経て、社会全体がお金の味を知ったのである。

幹部たちから賄賂を貰って、堂々と安楽に暮らす。大都市の高級アパートは、全て幹部たちが占領している。彼の月給は良く知られているので、賄賂を受け取って裕福に暮らしていることは、小さな子供でも知っている。しかし、このような現象を取り締まらなければならない法機関の幹部たちが、むしろ先頭に立って高級アパートに住んでいるのが実情である。誰でもこのように暮らし、賄賂を受け取らない人が馬鹿のように見える世の中になった。誰にも統制できない社会になったのである。

住民たちの意識も変わった。金持ちを憎悪する雰囲気も、今はかなり和らいだ。幹部になったら、当然、裕福になれると思っている。賄賂を受け取る幹部たちがこのように考えているので、自分のお金を運用して暮す「ドンジュ」は、それよりもずっと安全である。幹部たちも自分たちの金づるの「ドンジュ」を保護してあげようと考える。わずか10年余りの間に、北朝鮮は権力とお金がくもの巣のように張り巡らされた、共生関係が形成された国家に変容した。幹部たちと「ドンジュ」だけが豊かに暮らす世の中になり、5年前からは外貨稼ぎ基地が国土管理監督局、水産管理総局など海を総括する部処に、意見書を提出する事も起っている。

「今、住民たちが無分別に海産物を採取して、海の生態系が破壊されています。これを制止しようとしたら、一般住民の立ち入りを厳格に統制するしかないです。海辺の決まった区間を当基地に委任して下さったら、私たちがこの区間でウニや昆布を養殖しながら、生態系を修復します。」

生態系破壊の主犯は彼らなのに、このように主張する。生態系の復元など、真っ赤な嘘である。お金しか見えない人々が、生態系が復元されるまで待つ愛国者になるはずがない。もっと広い区間を占有するために、幹部たちに賄賂を捧げるのは、当然の事である。賄賂の金額によって、どの基地にどの位の区間を配当してあげるかが決まった。

このような海の占有競争は、最初は大都市周辺の海辺から始まったが、今はほとんどの海辺に主人が生まれた。海辺の村に長い間暮して来た人々は、何も知らないうちに、新しい主人に仕えるようになった。昔のようにワカメやウニを探しに海に入ろうとしたら、どこからか呼び子を吹きながら警備員が駆けて来て、罰金が課せられる。罰金を払いたくなかったら、許可を貰ってから海に入り、出る時に採取した海産物の半分を捧げなければならない。

リーさんの村は、20年前とは完全に変わってしまった。外地から来た金持ちが海を占有して、事実上、船主として君臨する。水産組合は相変らず存在する。しかし、昔の国営組合ではない。国家が配給していたディーゼル油や装備も、供給されない。水産組合も、ディーゼル油を市場で買って運営して、利潤を労働者どうしで分け合う事実上の「会社」に変わった。漁夫たちは、そのまま水産組合で働く人と、水産組合を辞めて、ある会社の名義を借りて、自分の船を運営する人の2つの部類に分けられた。

北朝鮮で労働者は工場を移ることができるが、農民は絶対に労働者がなれない「身分の鎖」がある。農民は漁夫の顔色を伺わなければならない。そうしないと、イカ漁の季節に船で働く機会を得ることができない。何よりも、漁夫は裕福である。学校でも次第に資金力がある漁夫の子たちが、クラス委員などの学生幹部職を引き受け、占有し始めた。既に、リーさんの村人たちは、徹底的に雇用者と被雇用者、金持ちと貧乏人に分けられた。これが、皆が平等だという地上の楽園の社会主義国家、北朝鮮の現実である。

(前回から続く)

この記事は韓国の雑誌「新東亜(シンドンア)」に連載された脱北者の話を翻訳したものです。
80年代の北朝鮮の漁村の様子が良く分かります。
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リーさんは適当な時期に「ポクチャン」をやめた。そして業種を切り替えた。今回は初めから工場の名称を掲げて、外貨稼ぎをしたいと提案した。毎月差し出す賄賂も3,000ウォンに引き上げた。そして、今回も問題なく許可が下りた。リーさんがそれまで公的に職場に差し出した資金以外に、支配人と党秘書に定期的に賄賂を納めたことが、効果を発揮した。

リーさんは木造船を一隻購入した。当時、木造船の価格は2万ウォンで、コメ400Kgを買うことができる高価なものだった。購入した木造船は、長さが5〜6mで幅が1.4m程度だった。このような木造船を専門的に作って売る人々も登場した。

木造船は、一年間の儲けの80%以上を7〜10月のイカ漁で稼ぐ。イカ漁の最盛期になると、リーさんは日雇い労働者を雇って船に乗せる。こういう時は一人前の船主になったような気分になる。大型船は普通、50〜100人の労働者を乗せて、島や近くの砂場に行き、貝を採取した後、彼らに小麦粉やお金をあげる形態が多い。このような大型船に乗る労働者(漁夫)たちは、普通、イカ漁の時だけに登場する。船で働きたがる人が多く、船主たちを競争して探して回るので、彼らを雇うのは難しくない。また、彼らは普段、農場や工場で働く人々なので、幹部たちに賄賂をあげて時間の配定を受け、船に乗る。彼らは捕ったイカの50%以上を船主に差し出す。

大型船に乗る場合、漁夫たちは普通、その日捕ったイカの70%をガソリン代の名目で船主に差し出す。大型船は照明が明るいので、概してイカが沢山捕獲できた。その上、楽で安全なので、人気が高い。大型船に乗る漁夫の中には、80%も船主に差し出して、20%だけ貰う人もいる。即ち、10匹捕れたら、2匹だけが自分のものになる。それでも大型船は乗りたがる人が多くて、競争になるほど非常に人気が高い。木造船に乗る場合、心の優しい船主に出会ったら5対5程度で分配する。多少けちな船主なら7対3である。即ち、30%を自分が貰うのである。

イカ漁の最盛期の浜辺は非常に忙しい。漁夫たちは午後3時頃家を出て、海岸警備隊の承認を貰わなければならない。午後3時から5時までは、イカ漁に出る船で浜辺が真黒に覆われるほどである。4〜5馬力の機関を搭載して出航する木造船もあるが、大型船に綱で引かれていく船もある。

200馬力ほどの大型船は、普通40〜50隻の木造船を長く引きながら出航する。4時間位海を進んだら、外が暗くなって、陸地が見えなくなる。漁場に到着したら、大型船は木造船を周囲に放す。

大型船の周りは照明が明るいので、イカが沢山集まる。朝になると、再び木造船を引きながら、大型船は帰港する。大型船は自分たちもイカ漁をするが、それ以外に木造船を引いてあげるので、木造船の一日の生産量の30%以上をガソリン代の名目で受け取る。

小さな機関を搭載して単独行動をする木造船は、毎回5時間以上も航行する場合が多い。イカを誘引するために、主にカーバイド・ランプを灯すが、最近は自家発電機を搭載する木造船も増えている。

イカが捕まらないからといって、木造船の乗組員が全員寝てしまうことは絶対禁物である。真っ暗な夜に居眠りしていて、照明が消えたら、通り過ぎる大型船にぶつけられて、死ぬこともある。

明け方4時頃、外が明るくなり始める頃を、漁夫たちは「夜明けモノ」という。「夜明けモノ」とは特別な方法でイカを釣ることを意味するが、この時期は収獲量が多いので、必ず「夜明けモノ」を釣ってから、5時頃帰港の途につく。

埠頭に到着したら午前10時頃になる。帰る途中で操舵を握っていた人以外は、全員熟睡する。しかし、埠頭に到着したら、すぐ家に帰れるのではない。 埠頭で最初に船に乗船する人は、警備隊の軍人たちである。彼らに幾らかのイカ(賄賂)をあげて始めて、次に出航する時に簡単に出漁許可印を貰うことができる。

普通、一つの村に警備隊一個中隊が駐屯しているが、中隊長は簡単に金持ちになれる。中隊長も一生懸命に搾取して、自分をその地位に任命してくれた大隊の幹部たちに賄賂を差し出さないと、長くその地位に留まることが出来ない。

午前11時頃、家に帰った漁夫たちは、ご飯を食べてから、午後3時頃まで3〜4時間眠ってから、また起きなければならない。イカ釣りを北朝鮮では「たこ足」と呼ぶが、余りにも大変なので血が乾くという意味と、沢山の人が死ぬという意味が複合されており、「たこ足」を「血の足」とも呼ぶ。

夜、急に暴風雨になることもある。海に出た漁夫が落ち葉のような船の上で死と格闘をしている時、家に残された妻たちも眠れないのは同じである。そして朝早くから終日埠頭に出て、胸を痛めながら、海を眺め続ける。中には暴風雨で機関が故障して漂流したり、または他の遠い埠頭に臨時に待避してから、数日後に帰港する場合も多い。

数日が過ぎても消息がなければ、その人は死んだと見なされる。しかし、咸鏡北道の方では、死んだと思っていた人たちが、半年後に現われた場合もあると言う。もっと沢山捕ろうとしてロシアの領海に入ってしまい、逮捕されて刑務所に入れられたのである。このように抑留される北朝鮮漁夫たちが、ウラジオストックだけで、毎年50人以上いると言う。

イカ漁に出て死んでも、死体を見付けられない場合が大部分である。

リーさんが住む村には未亡人が多い。それでも死ぬ人より、毎年、リーさんの村に新たに定着する人が多い。山の下には、新居がますます増えて行った。海へ行けば飢え死にしないと言う噂が流れたからである。実際、リーさんの村では、今まで北朝鮮から脱出した人が一人しかいない。一方、そこから30里くらい離れた農場の村では、10人以上も北朝鮮を脱出した。

船主になったリーさんは、これから全ての経営を自分がしなければならない。ディーゼル油を購入したり、船を修理したり、機関の手入れしたり、人を雇うのも全て彼の仕事である。このような個人の木造船が、リーさんの村には数百隻もある。浜辺はこのような船で、真黒に覆われる。

(次回に続く)

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(前回から続く)

この記事は韓国の雑誌「新東亜(シンドンア)」に連載された脱北者の話を翻訳したものです。
80年代の北朝鮮の漁村の様子が良く分かります。
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基地に所属する潜水船は、岩場周辺でウニとナマコを引き上げ始めた。普通の潜水船は長さが10m度の鉄製で、酸素供給装置を搭載しながら潜水作業をした。それまでのナマコやウニ、アワビ漁は、小さな船に乗って海の上から鉤で引き上げる程度だった。磯近くの海中を掻き回すダイバーは、毎日、大量の海産物を引き上げて行った。

ある日、イスズや日産といった日本ブランドのマークを付けた軽自動車が、リーさんの村に現われた。 北朝鮮では珍しい高級車だった。この車は潜水船が引き上げた水産物を積んで帰って行った。各地で捕獲された海産物は1カ所に集められて、箱に包装されてから、また船に積まれて、素敵な商船に移された。後日、人々はひそひそと話し合った。「あの商船は、日本の貿易商船だそうだ。」

日本の商船の登場は、漁夫たちの生活も変えた。漁夫たちが海でウニやナマコを捕って来たら、水産組合に捧げるのではなく、8軍団基地に売った。こちらの方が、ずっと高い価格で買ってくれた。今や漁夫たちは、運が良ければ、1日に1カ月分の給料を儲けることができた。リーさんの村の漁夫たちも、次第にお金に目覚めて行った。

1、2年過ぎると、リーさんの村には8軍団外貨稼ぎ基地だけではなく、5軍団、護衛司令部など軍所属の外貨稼ぎ基地ができて、その後、石炭工業省のような国家機関所属の外貨稼ぎ基地まで進出した。このような基地毎に潜水船を数隻ずつ保有して、村の前の海で次から次へと水産物を捕獲して行った。

漁夫たちも、次第に何を捕ったらお金になるか分かるようになった。一番高いのはアワビ、その次がナマコだった。しかし、これらは沢山は捕れなかった。代わりに、たくさん捕って売ることができるものが、ウニとイカだった。

当時、村の人々は、どうして急にこのような基地が次々に進出して来るのか、よく分からなかった。数年して、その内幕が分かった。金儲けに目覚めた何人かの人々が、北朝鮮では安い海産物が海外では高く売れるという状況を利用したのである。

日本でカニ1匹が北朝鮮労働者の10年分の月給に相当する価格で売れるということを知った漁村の人々は、ただ舌打ちをしながら頭を振っただけだったが、高い地位にいた何人かの人々は、「それでは私たちが捕まえて売ったら良いのではないか」と考えたのである。彼らは先覚者だった。

先覚者たちは海外に派遣された北朝鮮の官僚を通じて日本のバイヤーを見つけ出し、面倒を見てくれる後ろ盾を探した。最高の後ろ盾は、軍部だった。民間は労働党の指導を仰がなければならないし、行政機関の干渉を受けなければならないし、保衛部、検察、保安省などあらゆる所からの干渉にも苦しまなければならなかった。一方、軍部は上部に賄賂をあげるだけで、干渉する人がいなかった。バイヤーを確保した先覚者たちは、該当地域の軍司令官を訪問した。
「私どもに人員を少し割り当てて、名称さえ承諾して下さったら、毎月、数十万ウォンずつ差し上げます。」

軍部にとって、これは想像すらしていなかった資金が転がり込んで来る出来事だった。名称を貸すことは、それほど難しいことではないし、動員する軍人たちは無限にいた。これを承諾したら、部隊の副業をするという名目で、莫大な賄賂を受け取ることができた。8軍団外貨稼ぎ基地は、このようにして誕生した。外貨稼ぎは莫大な利潤を生んだ。先覚者たちは急に金持ちになった。

表向きは外貨稼ぎ基地だったが、事実上は自家用車に運転手を雇い、豪華な生活をした。あふれ返る財産を管理できなくて、美しい女性を従えて放埓な生活をした。

しかし、こういった貿易の流れは読むことができたが、時代の流れは予測することができなくて、致命的な判断ミスを犯してしまった。当時(80年代)の北朝鮮は、金持ちが自由に暮らせるような社会ではなかった。全ての高位幹部を買収することはできなかった。住民たちは動揺し、嫉妬の視線が彼らを見張った。水産物を売って急に増えた金持たちは、この点を見逃していた。

1993〜1994年頃に彼らに対する取り締まりが始まった。罪状は北朝鮮政権が勝手に決めた。賄賂を受け取った高位幹部たちが、金正日の怒りまで阻止することは出来なかった。時代の流れに乗って北朝鮮で水産業に進出した金持ち1世代が誕生したが、急に迫害を受けた。多くの者たちが銃殺され、生き残った者たちも10年以上の刑を受けた。

しかし、このようにして生まれた資本主義の火種は、完全に消えてしまったわけではなかった。むしろこの火種は1990年代半ば、北朝鮮で数百万人が飢え死にした「苦難の行軍」という最悪の経済難を契機に、あっという間に巨大な炎として燃え上がった。

北朝鮮で飢え死にする人々が本格的に登場したのは、1994年7月に金日成が死亡してから3カ月程度経過した10月頃からだった。わずか数カ月の間に、飢え死にする人々が全国各地に続出した。国家の配給が次第に減ってはいたが、この時期から完全に中断してしまった。

一方、海辺は多少状況が良かった。海外に海産物を売る方法を既に知っていたからである。せめて、ワカメでも拾って食べることができた。一方、リーさんも工場からの配給が中断された。リーさんは速やかに状況を把握した。工場でこれ以上働いたところで、希望がないということを悟った。彼は支配人の元を訪れた。

「工場には仕事がなくて、人々は配給を貰う事が出来ないでいます。このような状況で私に自由を下さったら、毎月1,000ウォンずつ差し上げます。」

北朝鮮で当時1,000ウォンは、労働者10カ月分の月給だった。これだけあったら、市場では個人が作った酒が約40本、中国産のフィルター煙草が約20箱買うことができた。リーさんは結局、許可を貰った。

リーさんは新式の海産物採取方法である「ポクチャン(服装)」を始めた。ポクチャンは海女たちが着るゴム製の服を意味する。ただし、ポクチャンは潜水はしないで、水の上に浮かぶ。ポクチャンを着た人は鉤と網が端に付着された長さ5mの木竿を持って、海の上に漂いながら、水中にいるウニやナマコを発見したら、木竿で引き上げる。3月頃にはタコが沢山捕れるので、この時期にはタコも捕った。

外貨稼ぎの先覚者たちは全て除去されたが、彼らが道を切り開いた日本との水産物交易通路は一層広がり、活発に活動した。1990年代初めには特定の人が独占して貿易をしていたが、苦難の行軍が始まってからは、外貨稼ぎ会社が大幅に増加したからである。外貨稼ぎ基地を作らない工場、機関がほとんどないほどだった。統制しなければならない保衛部、検察、保安署は勿論の事、労働党の地方機関も海辺に外貨稼ぎ基地を競争して作った。

外貨稼ぎ基地がお互いに競争したおかげで、リーさんは採取した海産物を高い価格で売ることができた。彼は4人家族を飢えさせないで扶養し、4年後には大きな家を新たに購入することができた。他人が全て飢えていた時期にこの程度なら、大変なものだった。

今、北朝鮮で国際価格に最も近接した生産物は、正に海産物である。海産物は生産者が海外市場で流通する価格の20〜30%は受け取ることができる。一方、キノコやワラビのように山で採取されるものは、海外市場の価格の10%以下の安い価格で売られる。北朝鮮ではマツタケ1Kgをコメ10Kg、または油50ml10本と交換する。

リーさんの「ポクチャン」事業はその後数年しか続かなかった。競争者たちが沢山出現したからである。リーさんはウニの最盛期には移動作業を行った。人がいない浜辺を探して、天幕を張って宿泊しながらウニを捕った。すると、そのような遠く離れた所まで自転車に乗って来て、ウニを受けて取る人も出現した。これは主に女性の仕事だった。遠くに行くほどウニの価格は下がったが、その代わり沢山捕れるので、全体的な収入は良かった。しかし、間もなくここにも潜水船で武装した企業型外貨稼ぎが付いて来て、ウニを枯渇させた。

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この記事は韓国の雑誌「新東亜(シンドンア)」に連載された脱北者の話を翻訳したものです。

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北朝鮮で資本主義的要素が最も顕著に現れる所はどこだろう。北朝鮮を少しでも知っている人なら、すぐに市場を挙げるだろう。しかし筆者はこの質問に対して、迷わず水産業だと答える。水産業の分野では、十数年前から個人が会社を設立して雇用権を行使したり、賃金を受け取って働く「賃金労働者」が多く見られる。

北朝鮮漁業の過去と未来を、もう少し生き生きと描くために、北朝鮮の漁夫であるリーさんを例に挙げて話を進める事にする。リーさんの生活ぶりは、現在、北朝鮮の東海岸で暮している平凡な90%以上の漁夫たちと一致する。筆者は北朝鮮にいた時から、リーさんのことをよく知っていたし、ソウルへ来てからも、毎年、リーさんの近況を聞いた。彼の身元が暴露されないように、事実の一部を、全体の脈絡に大きな影響を与えない限度で変更したことを、了解して頂きたい。

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リーさんが軍隊を除隊して父親の故郷である東海岸の一漁村に帰ったのは、1980年代の初めだった。

咸鏡(ハムギョン)道近海でホタテガイとムラサキガイを養殖している金策(キムチェク)大興水産事業所の漁夫たち。

彼は村の近くにある工場の労働者として配置された。この村には水産協同組合と協同農場があった。水産組合には200馬力の漁船2隻(船の長さが約20m)と75馬力の漁船、そして小さな船がある。水産組合で働くと労働者、協同農場で働くと農場員と呼ばれた。1980年代は労働者と農場員の生活水準は同程度だった。

水産労働者と呼ばれる漁夫たちは、6月半ば頃から忙しくなり始める。1980年代にはイワシが本当に沢山捕れた。しかし、冷凍施設がなかったので、幾ら沢山捕まえても無駄だった。それでもイワシ漁の船は、連日のように船一杯魚を捕ってきた。船が帰って来ると、村の入り口にある拡声器から放送が流れた。

「ただ今、イワシ漁船が到着しました。イワシ1Kgに4銭です。」

3〜4時間ほど経過すると、再び放送が流れる。

「イワシ1Kgに2銭です。早く持って行ってください。」

また、数時間経つと、「イワシを無料で持って行ってください」という放送が流れる。

しかし、実際、人々はイワシを買って食べなかった。食べたければ、波止場に行って、知り合いに欲しいと言ったら、良いのである。冷蔵庫がなくて保管することができないので、残ったイワシは近くの畑に捨てられた。夏になると、何時もイワシの山が腐敗して、悪臭が村に広がった。

漁夫たちは翌日、再び海に出る。漁業は「革命課業」であるだけでなく、配給と月給を受け取って家族を食べさせる家長の任務でもあった。当時、配給の割当量は1人当り約600gで、月給は60ウォン内外だった。計画量を達成することができなくても配給は減らないが、月給は減らされる。沢山捕獲して来たら、インセンティブも貰える。従って、一生懸命に漁をするしかない。腐るとか腐らないとかは、彼らが関与する問題ではない。勿論、イワシを運送するために、上級機関から時たま自動車が送られてきた。しかし、当時、イワシは安物の魚という認識が強かったので、持って行ったところでガソリン代にもならず、放置される場合が多かった。イワシが漁村で肥料になっているのに、両江(ヤンガン)道や慈江(チャガン)道などの内陸地域の住民たちは、魚を見物することすら出来ないという奇妙な現象が起った。社会主義の病幤である。

7月半ばから捕獲されるイカは乾燥させることができるので、事情は多少違った。イカ漁の季節は10月末まで続く。そしてまた、1カ月くらい船の修理期間を経ると、12月からスケトウダラの季節になる。スケトウダラの季節は2月まで続くが、この時期は水産組合が最も忙しい。

200馬力の漁船が出港して、魚を船一杯捕まえたら、約10t積むことができる。200馬力の漁船の船長は、数十年間海で暮らして来た人々で、水産組合の核心メンバーである。誇張すれば、海でスケトウダラの匂いを嗅ぎ付けることが出来る人々である。リーさんの村ではスケトウダラを沢山捕獲して、「努力英雄称号」を貰った、いわゆる「英雄船長」も登場した。北朝鮮の俳優たちが人民俳優、功勲俳優という名誉称号を貰うように、優秀な漁夫も「功勲漁夫」という称号を受ける。全国的に数人しかいない「功勲漁夫」が、リーさんの村にいた。

スケトウダラの卵と乾燥させたスケトウダラは、海外に輸出されたとのことである。 1980年代始めまでは、海産物の中で海外に輸出されるものはアワビとナマコ、乾燥させたスケトウダラとスケトウダラの卵だけだった。1980年代半ばに、リーさんの隣家に日本朝鮮人総連合会(朝総連)系列で活動する親戚が訪問して来た。隣家は普段、「在胞(チェポ)」の家と呼ばれていた。在胞(チェポ)というのは、「在日同胞」の略語で、1960年代に北送船に乗って来た人々を示す隠語だった。

この家庭は日本に親戚がいたので、村で最も裕福だった。
その時までお金を送ってくれていたこの日本の親戚は、北朝鮮に行った親戚がどのように暮らしているのか知りたくて、直接、万景峰号(マンギョンボンホ)に乗って、北朝鮮を訪問したのだ。彼が持って来た品物の中には、「パンチァクジ(光る布という意味)」と呼ばれる背広の布地が、何と20着分もあった。「パンチァクジ」は、背広の布地が日差しを浴びると輝くからと付けられた名前で、1980年代半ば、北朝鮮で爆発的な人気を集めていた。労働者の月給が60〜70ウォンだったのに、「パンチァクジ」一着分の値段が500ウォンだったから、背広20着で1万ウォン、労働者10年分の月給以上に相当する金額だった。

遠くから来てくれた親戚を接待するために、在胞は波止場に出て、大型カニを50Kg入りの麻袋いっぱい貰って来た。リーさんの村で捕れるカニは、大きくて肉も厚い。カニを大きい釜2つ一杯に入れて蒸し始めると、日本の親戚が口をあんぐり開けた。

「このカニを全部買って来たのかい?」

「買ったとしても、後でお酒を何本か持って行けば良いのですよ。」

日本の親戚は言葉を失った。

「来て見たところ、本当の金持ちは君たちのようだ。私が住む東京でパンチァクジ一着分の布地は僅か1,000円だが、あんなカニは一匹に2万円はする。だから、このカニ一匹の値段と、私が持って来たパンチァクジ20着分の値段は同じだ。」

その言葉を聞いて、パンチァクジ在胞だけではなく、町中が大騒ぎになった。

「何と、日本ではこんなカニ一匹が、パンチァクジ20着分の値段だとは。本当に変な国だ。あああ…」

その時、リーさん村はこのように暮らしていた。

ところで1986年から、海からスケトウダラとイワシが消え去り、捕まらなくなった。英雄船長も肩透かしをくらう事が頻繁になった。なぜだか誰も分からなかった。海流の方向が変わってそうなったという噂が流れた。他の魚も段々、枯渇していった。そんな中で、1980年代末、リーさん村の浜辺から3〜4Km離れた沖合に、素敵な商船が現われた。北朝鮮の商船は塗装が全部剥がれていて、マストに共和国旗(北朝鮮国旗)が描かれているが、この商船は白と青のペイントが綺麗に塗られていて、遠くから見てもキラキラと輝いていた。共和国旗もなかった。人々はその商船の正体が何だか知りたがった。同時にリーさんの村に「8軍団外貨稼ぎ基地」という名称の建物が建てられ始めた。


(次回に続く)

北朝鮮が今年7月半ば、中国のある放送社が放送した北朝鮮関連のドキュメンタリーが北朝鮮の暗い側面だけを浮上させていたとして、中国側に強力な抗議をしていたことが分かり、該当番組の内容が改めて注目されている。

北朝鮮側は、上海メディアグループ(SMG)の北朝鮮関連ドキュメンタリーと関連して、外交チャンネルを通じて中国に強力に抗議し、該当放送社の経営陣などが解任される危機に瀕していると、香港のサウスチャイナ・モーニングポストが中国消息通の発言を引用して、30日に報道した。

問題の番組は、SMGのドキュメンタリーチャンネルである「イェジェ(眼界)」で、先月20日から5日間に渡って連続放映されたものである。上海地域だけで放映されたが、インターネットなどを通じて流布され、幅広く関心を集めた。北朝鮮側の強い反発を意識して中国政府が遮断したのか、現在、中国のインターネットでは接続が全て切られた状態である。

同プログラムは『直撃朝鮮』というタイトルで、5部作で構成されており、「3・8線紀行」「激情アリラン」「指導者の抱負」「躍進千里馬」「金太陽(金日成)の謎」などの副題が付けられている。北朝鮮は第2次核実験を実施した5日後の今年5月30日に、異例にも中国製作陣の北朝鮮訪問を許可した。製作陣は12日間滞在しながら、経済、軍事、文化などの各方面の北朝鮮の近況を詳細にカメラに収録した。特に、北朝鮮放送当局の協力を得て、板門店と開城、労農赤緯隊、平壌郊外の326戦線工場、金正日国防委員長の母校である平壌第一中学校、青山(チョンサン)農場、一般家庭などを幅広く撮影することができた。労農赤緯隊の女性砲兵連帯が外国のマスコミに公開されたのは、今回が初めてのことである。

全ての家庭と工場に掲げられている金日成と金正日父子の写真をクローズアップした画面で始まる同番組は、各種スローガンがあふれ返る北朝鮮社会を「スローガン国家」と規定することで終了する。特に北朝鮮が今年4月20日から核心的に推進している「150日戦闘」と関連して、青山農場と326戦線工場の意欲的な運用実態を取材する一方で、「それはスローガンに過ぎない」という返事を通訳がもらったと、製作陣は製作後記の中で明らかにしている。

製作陣と放送社の経営陣は番組放映後に北京に呼び出されて、製作の経緯などに関する厳しい調査を受けたと伝えられた。


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