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再掲
いじめの防止法が国会で通過しました。
本当に 少しでも 学校現場 社会から いじめが減り 一人一人が輝ける様な社会の実現をめざしたいです
福島は 復興の真っ最中 その中でも いじめや不登校の増加は課題になっています。
今までの体験 経験から 書き残しておき 少しでも いじめの撲滅をはかる糸口になれば幸いであるからです。
いじめ・体罰の発生を減少させ 乗り越えるための方策 (私案)
1 はじめに 2 いじめについて
3 いじめの構造
4 集団について
5 防止策 ・改善策
6 児童生徒の皆さんへ
7 まとめ
8 発見のチェックリスト
1 はじめに
いじめや 体罰 セクハラ パワハラに ついては 本当に厳しい状況にあり 社会が ストレスを抱えることにより 発生はまぬがれないかもしれない・ なぜなら その根源には人間の心の闇が あるからである。
私は 自分では いじめの撲滅についてや体罰について気をつけて来たつもりではあるが その中には 多くの失敗や 気づかずに失敗を重ねてしまった事がおおい。またいじめの問題を解決できなかったこともある。多くの失敗を思うと 生徒達に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だからこそ個人の覚え書きではあるが少しでも 改善のヒントになり これからの被害が少なくなること いじめや体罰で心身の苦痛がないよう願ってやまない。言うのは簡単で行うのは難しいのはいうまでもない。しかし、生かされた命を考えると ・・とても大切なので 2 いじめについて いじめとは 集団の中で ある特定の人が 集団 あるいは 個人から 身体的およ び 精神的苦痛を継続的に受けるものであり、人権的な面から 教育現場ではきわめて 問題にされなければならないものである。
なぜなら 苦痛を受けた児童・生徒は 成長過程で大きなトラウマとなり、その後の 人間的な成長に著しく影響を受けるからである。 このいじめ の問題を考えることにより 組織の構造改革等に大きなヒントがある かもしれないからである。 3 いじめの構造
キーワード
(1) 同一性 我々意識 日本のいじめの特徴
日本社会の一つの特徴で 植林のように 学校・地域社会で他人とはち がわないよう目立たないようにする事が 身の安全をはかるように防御姿勢 ができていた。
バブル崩壊後 モラルハザードがおきて 子ども達は 何を基準に生きて いけばよいのか 集団の目標や 価値観が揺らいでいる中で 学校は 勉強 (進学指導) が 人生の目標の形をとるようになっていった。
学校では 平等の間違った認識のもと みんな同じ 我々意識を高め 違 っているものを間違っていると排除する傾向が 児童の中に 自我の発達と ともに出てくる。
学校では 他人といかに行動や考えで 違わないか 目立たないかが大 切になってしまい、めだたない生徒がおとなしいいい生徒となっていった。事 なかれ主義
集団の問題を自分たちの問題としてとらえることは なく だれかがやるだ ろうとか、責任を集団に分散させる生活の知恵?が子ども達のいじめの防御 法となっていく 社会では 職場や 部署で ある特定の自我に構成員が振り回させる原因 となっていった。また この様な風潮は しかたないものとして 見逃されて きた。
(2) 集団ストレスによるもの
社会や 集団が 人間環境的に不安定な状態になっていくと 「スケープゴード」 として そのストレスを負のエネルギーとしてはき出すようになって行く。
これは 歴史的にみても 世界的にも事例は多い。
閉ざされた集団 特に学校では 人間関係が流動的、不安定であるため いじめの対象が 変化する事はよくあり、居場所がかくりつしていない子ども 達はますます不安になることが多い。 この場合 いじめられている人間がい じめている人間をかばう心情になることがある。
以上の2点から いじめ等の事象は 仲良しだからいじめはないのでは なく、 集団に意図的に工夫 改善をして いかなければ どこにでも起きう る事象がある。そのために 集団の構成員や 管理者は 過去の 価値観 にとらわれず 集団の変化に常に関心をもち 個人を尊重し、ポジティブなエネルギーを高め、よりよい集団の育成に努めなければならない。 なお 集団を 一人の目から何をしているか見える人数は 5名程度なので、集団を管理するものは 常に いろいろな場面で 観察する目を養わなければならない。
4 集団について (学校の組織・学級を例に) 学級集団の管理者は 学級担任であるが 同年代の不安定な人間関係が 存在する児童 生徒集団の学級での担任の経営能力は 子どもの人生をも左 右する重要な役割を持つ
一概に言えないが 大別すると 3つの型に分けられる。
1 先生主体 学級王国型
以前よりは少ないようだが 担任が 絶対の権力をもち、王様であり、児童 生徒は家来となる。
先生だけが 目標や目的を持っており、児童生徒は その目標達成の係分担 仕事内 容しか伝えない。スパルタ式部活動指導者に多い学級経営
担任の価値観が全てであるため 児童生徒達は 常に 今行ってる行動が担任の価値観にあっているかを察知することに多くの神経をつかう。なお 担任は決まった 明確な価値判断を持っていず 気分的であるため 児童生徒は 空気を察知する事がうまくなる。
一つの価値判断が 学業成績や 部活動の成績の善し悪しとなっていく。集団の中での競争原理が最優先される。
児童生徒に序列がつきやすく いくつものグループに分かれ 表面的にはおだやかだがいじめは陰湿であり、なかなか表面化しにくい。 学級集団としては 担任の前ではきちんとしており、一部の保護者からは実力のある先生とみられ 支持をうけるが 学校側も遠慮があり 問題が表面化しにくい。
2 担任放任 学級崩壊型 (1) 生徒の学級生活に於いて 大変な学年とのレッテルを貼られていること が多く集団に対して 希望や夢を持てず 集団での達成感がない。
(2) 担任は 生徒の自主性を尊重するとして 課題への取り組みかたの指 導や一緒に 乗りこえようとする態度をしめさない。
(3) リーダーの児童生徒の意見にグループが流されやすく グループ間のト ラブルがあっても 、周りは無関心を装う。傍観者の人数が多い。
(4) 生徒間の生活エネルギーが低下し、ストレスが高く いじめが 場当た り的になる。学級の雰囲気が悪く、学習意欲も学級全体で下がる。
(5) 担任も自信をなくし、保護者や生徒からの報告にも対応できなくなってし まい、 児童生徒は信頼しなくなってしまう。
(6)学級全体が学習態度も悪くなってしまうので 他の先生からも注意を受 けることがおおくなり、 学校への不信感が高くなり 生徒指導面での問題 行動がふえる。
3 生徒が 主体 民主型 (1) 生徒が主体と 日常から 児童生徒の自己実現の場を工夫している
(2) 日常から 学級活動 道徳 授業を大切にして児童生徒が お互いに 認められており 集団に自己存在感がある。
(3) 児童生徒どうしの助け合いが日頃からみられる。
(4) 児童生徒のトラブルが見え その都度担任が解決の方向性を示唆し そのつど解決する
(5) 保護者からみると 目標が見えにくく 児童生徒が 学校行事等で熱 中するので 成績面や生活面への影響を不安に思うこともある。
(6) 学級間での経営への違いが生じ、教師間で「きちんとしてほしい」と いわれることがある。
(7) 管理型学級経営より 生徒にある程度 行動面での判断をゆだねてい るので生活面が 表面的にルーズに見え、他の教師から 指導される場合も多い。
(8) 理想的な形だが なかなか 一人の担任の力では 難しいのが現状 である。
以上 大部分の先生方は日夜 忙殺される仕事に取り組まれ、生徒指導も体当たりで行われているのも現実である。
学校という閉鎖された 集団の中で いくつかの要素をはらみ 人間関係の問題は 発生する。そのなかに いじめやパワハラ セクハラ 体罰などは 集団であるかぎり発生してしまう。 小さいうちにそれを大人がどのように問題としてとらえ いち早く 改善に取り組むか否かが 大きな課題である。
子どもの命は どの組織より どの体制よりも 重く 未来が かかっているからだ。 5 防止策 解決策
学校でいえば 担任 学年主任 管理職 教育委員会 会社でいえば 倫理委員会 メンタルヘルス関係者 管理職 経営者 キーワード 「開かれた組織」 「風」
戦後 日本は 経済至上主義で組織も生産性を大事に構成されて来たが、人間関係に於いては 相互扶助 思いやりの精神 地域社会に支えられてきた。
しかし 地域社会の崩壊 日本の精神社会の崩壊を迎えた今日。東日本大震災 原発事故を経験した 福島県の子ども達や 県民は 本当の人権を大切にしながら 所属の組織を作り替えなければ その組織そのものが 下部組織から 大きく揺らいでいくことに気づき、「組織に風を送る」工夫をしなければ その会社 組織 学校が進歩発展しないことを知ってほしいし 今が 変化の時期であること チャンスであることを伝えていくべきである。
「孫子」の中に 三略 という 書物から それ主将の法は 努めて 英雄の心をとり 有効を賞禄し 志しを衆に通ず
英雄の心 優れた人材を適材適所に登用すること
有効を賞禄 論功行賞を 明確に行う事 志しを衆に通ず 所信と方向性を所属員に明示すること が よく 述べられる。
また 六稲(りくとう)という書物から
組織を崩壊させる三点
善を見て 而も怠り、時至って而も疑い、非を知って而も処る。この三者は道の止む所なり
善を見て怠る 良いことを実行しない
時至って疑い チャンスを疑って見逃す 非を知って処(あ)る まちがいを知ってもあらためない この三点は 組織を維持しようとする 守るための口実になり 改革を阻害するものである。
安岡正篤(まさひろ)氏より 学校現場では 良い学校の観るべきポイントがある。
1 下駄箱 教室の整理整頓ができている。
(当たり前の事が当たり前にできる心構えができている。)
2 生徒のあいさつができている
(お互いが尊重しあい 学級での居場所がある)
3 学校の規則が守られ 約束が守られている
(規範意識が高く、モラルが守られている。)
これは どの業界 会社組織にも当てはまる部分であろう。
いじめは 人の心の闇 (本来持っている人の優越感や利己的な考え)から生まれる集団の中での現象であるが 非民主的な社会で ごく当たり前に行われている社会のストレス発散行為の面もある。原因を いじめている人や 責任を 教師 教育委員会等学校関係者のみに 押しつけるものではなく 常に 児童生徒 学校 保護者 関係機関が 連携をとり、児童生徒は 国家の宝であること みんなの生きる希望であることを忘れてはならない。
そのため その集団の中は 常に 人間関係が流動的・発展的でなければ 必ずといっていいほど 対象を変え 発症するものである。 「水は流れているほど清く、とどまっているほど腐る」ように 学級 学校の様な閉ざされた集団では 常に 担任。学年・学校が 学級集団を活性化するよう努めなければならない。
¡ 学級担任は
1 学級活動の活性化を図り、 集団の中の個人が 民主的な考えをもてる ように指導助言をする。 2 道徳の授業の充実を図り、人権の大切さを系統的 発展的に指導する
3 児童 生徒間の人間関係の変化を常に把握できるよう意識を高め 学 年・学校 の情報を公開し 交換する
4 保護者の申し出等に対し 誠意を持って対応する姿勢を大切にして 保 護者学校が協力体制をとれるよう 連携方法を改善する
○ 学校では 1 各学級間 各学年間の状況の変化を 生徒指導委員会の活性化を図る
2 保健室・カウンセリングルーム 図書室の情報を 委員会に生かせる組 織の工夫 3 保護者への広報を通じ、学校関係者 だれでも 情報を受け付ける体制 をとっていることを伝える。
4 校長は 開かれた学校経営こそが いじめ 体罰を撲滅する教育改革に つながる事を自らが研修を深め 職員会議とうで 諸君への啓蒙 意識 改革を図る。学校の常識は 社会からは かなりずれていることに気づく 5 チームで対応し 児童生徒の側にたった 指導を迅速に行うこと 保護者 への説明を誠意を持って行う事 6 学校を守ることは 組織を守ることではなく 児童生徒の命を守ることが 一番であることを常に徹底させる。 7 授業は 原則 公開とするが 「学校へ行こう週間」の充実をはかる 8 いじめがが確認できたら 警察 関係機関への連絡を義務化する 9 情報教育で ネットでの誹謗中傷は 匿名性があるように感じるが、
警察関係機関では 簡単にアドレスがわかること。ネットは責任が伴うこ との教育の徹底を図る。
○ 地域 関係機関では
1 地域からの児童 生徒の情報や 学校運営について 学校運営委員会 の活発化を図る
2 教育委員会 児童相談所 警察 関係機関との日常からの連携を図り 講演会や学習会などで いじめや体罰は 暴力や傷害になることを理解 させ 意識の変革を図る。
まとめ
学校は 組織の中でもどうしても閉鎖的な社会であるため 人間関係の ストレスを受けやすい環境にあることを改めて認識し、いじめや 体罰は起 こりうることとらえなおし、対外的にも関係機関との連携をはかり、地域 保 護者 学校で地域の宝である児童生徒の教育を行うことにより、いじめや 体罰の発生を未然に防ぐとともに早期の解決に努めていくべきである。
何より 「命の問題」であることの重要性を第一に・・
キーワードは 「開かれた社会」「子どもの輝きを大切に」をめざし、教育 委員会を客観的に観られる組織を 県庁内・文科省内に「教育問題審査 会議」を組織し、情報が学校から一方通行ではなく、保護者・地域からの 情報をダイレクトに受け 独自に調査し、外部の組織が調査・審査・改善指 導ができるように 教育界も意識の変革 組織の変革を断行してほしい。
組織の感覚と社会の感覚のずれを経営者・リーダーが自覚していない組 織は 内部から崩壊しかねない現象を 最近の社会の情勢から 感じ取ること ができる。それほど 東北の大震災・原発事故は 大きく日本の価値観を変 えようとしている歴史の潮流を 感じ取ってほしいです。
教育は 日本の根幹である。経済至上主義 競争理論が 崩壊し、新たな 共生・自助・適応能力が 「生きる力」となっていく中で 古い価値観にとらわ れず、最も大切な子ども達の命を守るために 一刻もはやく組織改革に取り組 み、子ども達の笑顔が戻って来ることを心から願います。 リーダーにはもう一度 福沢諭吉の「学問のすすめ」を 読んでほしいです・
これは 理想的な解決方法であると思うが 最初からできない理由をなら べるより、今できることを行う事により、少なくても 子ども達が何も行わない で 嵐の過ぎるのを待つような形で解決を望むような形をとらせたくない。せ めて大人達が 子ども達を大事に大事に育てていきたい。そんな思いでいっぱいであります。 現場の先生方のご努力に心から敬意を表します。
5 児童 生徒の皆さんへ
いじめをしている人 いらいらを他人にぶつけている人へ
あなたは これぐらいの事と あなたの物差しで計って 行為を程度の問題ととらえているが 人によって感じる心や身体の痛み 心の物差しは 違うことを気づくことだ。本当にさびしいのは あなた 世の中は 自分の思い通りになることはなく 人は自分とは違うということに気づき、社会性を身につけること、 自分の思い通りにならないからといって 他の人にいやな思いをかけてはいけない
なぜなら そんなあなたには昔や今 必ずどこかでいやな思いを受けた経験を持っている。その心の痛みや心の渇きを止めるのは だれかをいじめる事で解消はできない。あなたの行為で 心から苦しんでいる人 命を削っている人がいる。本当に苦しめているのだ。 必ず縁はつながって 未来のあなたにつながって 寂しい人生を送ってしまうからだ。 優しさの種をまけば やさしさの花をさかせるし 悲しみの種をまけば 苦労や悲しみの 花がさく。 今 いる人間関係は 必ずや変化し 因果応報は形を変えてもあなたに降りかかる。
だからこそ この程度のストレス解消と思わずに 自分の良心に引っかかったらやめたほうがいい。今すぐ・・ 自分では 当事者ではない 傍観者の立場をとる君へ
いじめをこの程度ならという 集団のムードを作り出しているのは 他ならぬ君自身 人生に傍観者はいらず 必ずや 主人公となる。だれだって 自分がいじめられていた ら つらい思いをするはず。それがわかるからこそ 傍観者の立場をとり、関わりあい を持ちたくない。見て見ぬ振りをしてしまう。それは 自分の良心と向き合わず ごまかして生きていくことにもつながってしまう。
しあわせを感じる 充実した人生は いろいろな人に関わることで身近な人と笑顔を分かち合う事。感謝の気持ちをもてること。心が温かくなること。 反対に 愛とはかけ離れたところに 自分を追いやり、暗く 悲しい学校生活の思い出を作り出してしまうことも 傍観者の君の選んでしまった道なのだ。 宮沢賢治のいった「みんながしあわせで 自分も初めてしあわせになる」ことを大切に みんなで 少しの勇気を持ち寄って お互いがお互いを思いやり 仲良く生活する事が 素敵な学校生活の思い出を作り、その思いが 将来 自分がつらいことがあっても立ち上がれる 素敵な思い出となり、生きる力になっていくからだ。 「人生は オセロゲーム」 どうせ 自分一人の力なんかと思わずに だれかのためにできることをやり 今の時を粘り強くいきていけば 必ず 集団のすみ前をとり、ある日一気に黒が白に変わる日が来る。リスクを計算し 自分だけしあわせを得ようとする価値観を変え、いろんな人が 共にこの世を作り、それぞれが精一杯生きていることを学校生活で経験してほしい。共に分け合い 共に生きる力を身につけ未来を切り開くために。 いじめられている君へ 今 いじめられている君は 本当につらいだろう。どんな言葉をかけてもらっても そのつらさをだれもわかってもらえないのではと考えてしまう事もあるだろう。
今の状況が ずうっと続きそうに思った時に 今までがんばって来た 心の糸がぷつんと切れそうになってしまいそうで いたたまれない。 でも 君を取り巻く人間関係は 永久に続くものではなく 事態は必ず変化する。人間関係は必ず時がたつことによって変わる。だから 一人で抱えないで おうちの人や学校の先生 カウンセラーの先生 隣のおばちゃん。もし いれば 友だちと 悲しい思いを分担して持ってもらおう。伝えよう。そして 大人の人の力を一時だけ借りよう。それは 今までがんばって来た君への これから輝くであろう君の未来への当然の権利だ。 自分で 自分の思いを攻めることはなく 自分が悪い訳ではないことを 強く念じよう。一人じゃない。 この世にはいろんな花が咲いていていいから。 この世に 人の命より大切なものはない。閉ざされた集団に風穴を開け 勇気を振り絞って周りを見渡せば 君をみてくれているひとがいる。本当に大切な人やものは身近かすぎて みえないもの。夜明け前が一番くらい。朝が来るまで 今を切り抜け 命をつなぎ 次のチャンスを待とう。言葉がいかに空虚なものであるかも知っている。でも 本当に生きる力を与えてくれるのも経験をしたものの言葉であることも事実だから。 学校での発見ポイント 【登下校時】 ★理由もなく、一人で朝早く登校する。 ★一緒に登下校する友人が違ってくる。 ★教職員と視線を合わさないようになる。 ★元気がなく浮かぬ顔をする。挨拶をしなくなる。 ★登校手段が変化する。(自転車通学から徒歩に変わる。) ★特に用事もない(と思われる)のに、教職員に近づいてくる。 【朝の学級活動,ショートホームルーム】
★体調不良(頭痛,腹痛,吐き気等)を訴える。 ★欠席・遅刻・早退の理由を明確に言わない。 ★提出物を忘れたり、期限に遅れたりする。 ★担任等教職員が教室に入室後、遅れて入室する。 ★表情が暗く、どことなく元気がない。 【授業中】
★発言すると、嘲笑されたり、はやし立てられたりする。 ★授業道具等の忘れ物が目立つ。 ★決められた座席と違う場所に座っている。 ★周囲の状況に関らず、一人でじっとしている。 ★教科書、ノート等に落書きが目立つ。 ★他の児童生徒から発言を強要されたり、突然個人名が出されたりする。 ★球技の際にパスされなかったり、パスが集中したりする。 ★課題等を代わりにやらされる。 ★特定の児童生徒の机との距離を離す。 【休憩時間・昼食時】
★ジュース・パン・菓子類を買いに行かされる。 ★一人でいることが多く、集団での行動を避けるようになる。 ★給食・弁当等を一人で食べることが多い。 ★お金や物品の受け渡しを行っていることがある。 ★遊びと称して、友達とふざけあっているが表情が暗い。 【帰りの学級活動,ショートホームルーム,放課後】
★持ち物がなくなったり、掲示した作品などにいたずらがある。 ★班ノートや学級(ホームルーム)日誌に何も書かなくなる。 ★みんなが帰宅する前に一人急いで帰宅したり、みんなが帰るまで帰宅 したがらない。 ★靴や傘等が隠される。 ★教職員の近くから離れようとしない。 家庭での発見ポイント
【態度やしぐさ】
★家族との対話を避けるようになる。 ★受信した電子メールをこそこそ見たり,電話が鳴るとおびえたりする様子が見られる。 ★部屋に閉じこもり,考え事をしたり、家族とも食事をしたがらなかったりする。 ★感情の起伏が激しくなり、動物や物等に八つ当たりする。 ★帰りが遅くなったり、理由を言わず外出をしたりする。 ★用事もないのに、朝早く家を出る。 ★朝、なかなか起きてこない。 【服装,身体・体調】
★衣服に汚れや破れが見られたり、手足や顔等にすり傷や打撲のあとがあったりする。 ★自分のものではない衣服(制服)を着ている。 ★学校に行きたくないと言い出したり、通学時間になると腹痛等身体の具合が悪くなったりする。 ★食欲不振、不眠を訴える。 【学習】
★学習時間が減ったり、宿題や課題をしなくなったりする。 ★成績が低下する。 【持ち物,金品】
★家庭から品物、お金がなくなる。あるいは、使途のはっきりしないお金を欲しがる。 ★持ち物がなくなったり、壊されたり、落書きがある。 【交友関係】
★口数が少なくなり、学校や友達のことを話さなくなる。 ★無言等の不審な電話、発信者の特定できない電子メールがあったりする。 ★急に友達が変わる いじめ防止ネットワークより 抜粋
どうか 今 苦しんでいるみんなに 少しでも なにかの力・ヒントになれば ・・
共に励まし合い 今を乗り越えて 生きる力に |
覚え書き
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「人間、至る所青山あり」
「父さん。頑張れば何とかなるね。住めば都。まさに人間、至る所青山ありだね。」 「息子よ、なんか使い方違うんじゃないか?」 私の教員採用一年がたち、実家での親子の会話。私はその時、青山は素晴らしい所。人はどこでもがんばれると青山の意味を間違って覚えていた。 「先生、人間、至る所青山ありだよなあ。」 「本当にそうですね。」 二人は窓際のベッドにならんで座って、夕焼けに染まる秋の山を眺めていた。平成二十一年の秋だった。 ここは、宮城県の名取の病院。二人とも悪性リンパ腫。長期の治療。移植の苦しみからはい上がり無菌室からやっと出てこられたおじさんと私が初めて交わした言葉だった。
「人間、至る所青山あり」この一文は本来は志をたてて故郷をあとにするが、志がかなえられなかったら故郷には帰らない覚悟。骨をどこに埋めようともがんばる。」という江戸時代の僧、月性の詩の一部である。 おじさんは、自動車の営業マンであったことや二年前に有機農業に魅せられ、脱サラして農業を始めた矢先に病気がわかったことや病状が悪化して年齢が高いにもかかわらず、移植を行い、前向きに生きようとしていたことを笑いと涙で顔をくしゃくしゃにしながら、私に話してくれた。 「よろしくな。看護師さんたち、あんたと話をするといいよって言ってたよ。」とごっつい右手を差し出した。 その時の私も同じ病気で六年目、移植と呼ばれるものは骨髄バンクを含め三回行っていたが、より効果的な治療法が見あたらなくなり余命を宣告された事もあった。 だから、おじさんの悔しさや決意が痛いほどわかった。私は自分の病気の事をまとめた「陽だまり」という小冊子をさしあげた。 おじさんは本をむさぼり読んだ。次の日、 「俺、死ぬのが怖くて夜眠れなかったけど、先を考え不安で今日を過ごすより死ぬまで精一杯生きようと思ったさ。有難う先生。」 それから私たちは病室でできることを精一杯やった。朝晩のあいさつなど患者さんに声をかける。看護師さんや掃除のおばさんに感謝の気持ちを伝える。毎日、苦しいながらも笑顔を忘れないようにした。部屋はいつも笑い声が絶えず明るかった。 一ヶ月後、おじさんは移植の拒絶反応を乗り越え、笑顔で退院していった。それから三ヶ月後、私は抗ガン剤コース六回目で免疫力も落ち肺炎を併発。おじさんも肝機能が思わしくなく再度入院。肺炎の高熱にうなされる私をみて、「至る所に青山ありだ。力ぬけよ。大丈夫。」おじさんは毎日点滴台をからからとペットのようにして私を励ましにきてくれた。突然の別れの日まで。 私は病院での多くの出会いから生きたくても生きることができなかった仲間の分や私の病気をいつも心配し突然亡くなった父の分まで、一日を大切に過ごす生きる覚悟があることを知った。 双葉に住んでいた私たち家族は平成二十三年三月十一日以来、突然故郷を追われた。原発事故の当事者となり、故郷の土には返れないだろう。 しかし避難先の会津や郡山の風景は私に新たな今日を与えてくれた。私は病院で「至る所青山あり。」という部分に死に場所という覚悟を持って生きてきた。その覚悟でがんばれば、どこでも精一杯生き抜く事ができた。 警戒区域で故郷の墓参りも簡単にはいけずとっさに握って一緒に避難した父の位牌に向かい、 「人間至る所青山あり。使い方は違うけど、青山は死に場所ではなく俺にとっては住めば都、花を咲かせる場所の意味かもしれないよ。今日もありがとうおやじ」と手を合わせた。 |
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この文章は 今から 三年前に 書いた文章である そこには ささやかながらも 精一杯生きている家族の歴史がある。現在 私は郡山の病院に入院し、時折自宅外泊ができるようになった。 家族の生活の基盤も郡山に移った。次女も大学生となった。
人生は さりげない毎日の積み重ねの日々の中に 一生忘れない 輝く時がちりばめられているものだ。そして 有限であり、無常である。私は この週末 外泊をいただいた。そして 夕飯は母の懐かしいカレーだった。
まさに 家族が一丸となって乗り越えて来た歴史がある。
だからこそ 私は あたりまえにみえる一日の積み重ねの中にある瞬間を大切にし、子ども達に命のリレーをしていきたいのだ。
カレーライス
「ばあちゃんのカレーは やっぱりうまい。また食べにくるね。」 就職が埼玉に決まった長女は、引っ越し前に私達の避難先の会津若松に来た。それもわざわざ「カレーライス」を食べに。 私は今から九年前に「悪性リンパ種」という血液のがんを発症した。それから家族は病気の私を中心にした生活になった。長女が中学二年、次女が小学二年生の時だった。血液の病気の治療は長い。何度も入退院を繰り返す。私はさらに再発を繰り返し骨髄移植も三度経験した。余命宣告までも受け教師の仕事を辞めた。だから入院前の家族の夕飯はまるで最後の晩餐。退院の時には祝いのディナーとなった。そのたびに私の母と妻は心づくしの料理を作った。それも娘達と一緒にできるものを。それがカレーだったのだ。
「味はどうだっぺ?」次女に聞く母。 「ばあちゃん。少し味がうすいよ。こくまろも入れた方がいいよ。」 「じゃ。バーモント中辛とこくまろブレンドすっぺ。」 こうして、「我が家のカレー」の味は次女とばあちゃんで作りあげた味となった。入院の時は心配や不安で少しだけしょっぱく、みんなでまた食べようという誓いの神聖な食事。そして退院の時は、少しだけパンチが効いての祭りの食事。娘達はふだんは小食なのにおかわりをした。みんな笑顔がはじけた。そんな「人生の夜と朝」を我が家ではカレーライスの味に託した。 父は今から四年前に私の看病で疲れてしまい亡くなってしまったが、まだ元気なとき、退院を祝っての夕食の際に私の中学時代のカレーの思い出を話した。
「パパのカレーは明るい緑だった。すごい色だったなあ。」 「そんな鮮やかだったの?」 次女はカレーを食べながら目をくりくりさせた。私は、中学の時の自分で作ったわかめ入りのカレーを思い出していた。 あれから四年が過ぎ小学校の次女も大きくなり中学三年生。卒業式の夜もカレーのはずだったがあの津波と原発事故で家族はさらに運命の渦に巻き込まれた。 私達の家は、原発から四キロの双葉にあったが、私が病を発症してからも家族は肩を寄せ合って生きてきた。小さいときは私と散歩に行くことが好きだった次女も思春期。メールを出しても返事は「みゃー。」「ほい。」の一言のみ。
原発事故以来、家族はばらばらになった。四月になり次女は一人で浜通りの高校に進学し、長女は仙台の大学から埼玉に。ばあちゃんと私と妻は会津若松に避難した。避難所でばあちゃんは料理をすることがなくなった。ある時、昼食にカレーが出た。それを食べていたばあちゃんは、急に涙を流した。「またみんなに食べさせたいなあ。どうしてっかなあ。」 無性にしょっぱいカレーだった。娘達もカレーを食べると思い出すのか。
その後、夏休みに避難先の会津の小さなアパートに娘達がやってきた。二人とも忙しいとかで、たった一日の訪問だった。ばあちゃんは腕をふるってカレーを作った。娘達は笑顔でおかわりをした。家族の会話がはじけた。ばあちゃんの笑顔も最高だった。避難先からもってきたじいちゃんの遺影も笑っていた。 あれから一年。長女は「カレーライス」でまた元気をもらい、我が家?を巣立った。 「カレーライス」。それは喜びと悲しみがつまった金色の家族の素敵な思い出であり、我が家の歴史そのものである。
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この文章は 今から三年前に 会津に避難したときに 書いた文章です。
現在は 郡山に移動するも、体調の関係で入院生活をしていおり、時々、外泊をいただき、家にきています。長年の治療で 骨頭壊死になり、車いすの生活になりましたが、生きる希望を棄てず 一日を大切に生かされています。最期まであきらめず 命の今を 大切にしたいのです
「空を見上げて」
今日も東の空の向こうに手を合わせる。この東に故郷の空がある。いや、それだけでなく全国のみんなの空につながっている。 この一節はマイソング「空を見上げて」の一節。マイナーだけど自分の歌をもっている私のプチ自慢。合唱曲にもなってる。
私は血液のガン「悪性リンパ腫」を煩い九年になる。途中に移植を三度。余命宣告を受けたこともある。好きだった教師も辞めざるを得なかった。今から五年前、そんな私を励まそうと親友が浪江の「いこいの村」でコンサートを主催してくれた。その際に声楽家の長谷川先生が私の詞に曲をつけてくれたのが「空を見上げて」だった。
長い長い無菌室での生活。つらく切ない抗がん剤との日日。夜が明ける時の感謝の気持ち。今までの当たり前の朝は、本当はキセキの朝であったことを私は身体で知った。名取の病院からの空は双葉とつながっていた。 故郷、双葉の散歩道での事。今はなき父と交わした言葉。
「俺は、息子と五十年一緒にいろんな時を過ごすことができた。もし、終戦がもう少し遅く特攻隊に行ったらこんな時はなかったなあ。」
「息子を先には死なせない。俺が病気をあの世に持っていく。そんな気持ちだ。」夕焼けがやけに美しく父の言葉に胸がいっぱいになった。 今はない常磐線を何年も片道二時間かけて看病に来てくれた父。五年前に急に私を残しこの世を去り、私は今も生かされている。
「空を見上げて」は合唱曲になり小中学生や地元のコーラスクラブで歌われた。昨年も小学校の合唱コンクール地区大会でも歌われた。双葉の合唱祭で全体合唱にもなった。双葉コーラスクラブのみなさんが、「この歌は先生の歌だけじゃなく、私たちの歌でもあるのよ。」と言ってくれたことがうれしかった。まさに双葉のみんなの歌となった時、地震・津波・原発事故に見舞われた。
双葉の仲間は、全国に離ればなれになったけど、あの合唱の時のように心はひとつにして、声を合わせ、いつの日かまた「空を見上げて」をみんなで歌いたい。いつかきっと・・・
「空を見上げて」
うれしい時は 空を見上げて ほら 朝焼けにかかる白い雲 さわやかな風が ささやきかける 今日もいいこと いっぱいあるって 楽しいときに 空を見上げて
ほら 黄色い太陽青い空 浜辺の風が ささやきかける 笑顔は みんな素敵だって おこったときにも 空を見上げて
ほら 夕焼け空の赤とんぼ 穏やかな風が ささやきかける 夕焼けに免じて 許すって 悲しい時こそ 空を見上げて
ほら 夜空きらめく星達も やさしい風も ささやきかける 涙を拭いて 一人じゃないって ※どんな ときでも 空を見上げて
いつも あなたを見守って この空のもと みんな 一緒に生きている |
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やさしさの種
平和とは、何気ない さりげない毎日の生活の中にある小さなしあわせ。そしてその元は「命」である。自分の命を大切にし、他の命を思いやり共に生きることが一番大事なのだ。 「先生。こちらの方があたたかいですよ。さあ、こちらへ。」小学六年生の女の子のやさしい声。自分も大変なのに他人を気遣う言葉に私の心は温かくなった。 平成二十三年三月十一日。双葉町立双葉中学校の教室は、多くの避難者でごった返しており、余震も続いていた。それがその子と会った最後だった。なぜなら、次の日の朝、あの原発事故により、双葉の民は全国に散らばることになったからである。 三月十日。私は、町内の小学校で六年生に中学校生活のすばらしさと「命と感謝の大切さ」を話していた。 「人生の坂は、いつも上り坂ではなく、上ったら下り坂。予期せぬまさか。思いもよらぬこともある。でもどんなことでも希望をなくさないようにして生きてほしいんだ。」 子ども達の瞳は 希望で輝いていた。 ふと窓の外に目をやるとタンポポの花がやさしく六年生を見守っていた。
私は今から十一年前に中学校の教員をしていた時に「悪性リンパ種」という血液のがんを発症した。それから長い長い闘病生活。ドナー移植も含め三回の骨髄移植。でも体調は快復せず命の期限の宣告も受け、自宅療養となった。教員もやめざるを得なかった。でもまだ私は生かされていた。教師の経験と闘病の経験を生かし「命を大切にする」こと「命のつながり」を子供達や多くの人々に伝えよう。少しでもいじめや自殺について考えるきっかけとしてほしいと考え、それを「優しさの種」と名付け講演や発信活動を始めた。
常磐線で二時間の道のりを毎日、毎日、毎日看病に来てくれた父の急死や患者さんから、生かされている「命の大切さ」を教わった。 少しでも孫の面倒をみようと、高いリスクで行った脚のバイパス手術。思わしくなく再手術となった。そしてまもなく退院という時に急性肺炎になりあっけなく亡くなってしまった。亡くなる前夜、電話で酸素マスクの奥から絞り出すように「俺は大丈夫だ」と話したのに。 死と隣り合わせの私にとって、突然の父の死は受け入れられず。でも病院で父に対面したときに自然と出た言葉は、「ありがとうございます。」だった。福島から双葉に帰ってくる霊柩車の窓から散った桜の花びらが、そっと父の棺に降った。父とみた浪江津島の山桜は本当に本当にきれいだった。 あれほど 一緒に花見山の桜を見る約束をしていたのに。 余命宣告を受け、途方にくれ、なげやりな私に父は「もう少し終戦が遅かったら兵隊に志願していたよ。そしたらおまえとは会えなかったかも知れない。平和ってありがたい。俺は五十年近くも息子のおまえと一緒で楽しかった。ありがとな。でも、まだ終わった訳じゃない。」と言われた時に、そっぽを向いた私は涙が止めどなく流れたことを思い出していた。 また父は私の恩人に病院で「息子の病気をあの世に持っていってやりたい。」といつも言っていた事を聞き、父の深い愛情を改めて知った。また病院で何十人もの人を送り出して、死とは何か?生かされている者は何をすべきか?を深く考え、死への恐怖よりむしろ生きる覚悟をした。父は最後は自分の死をもって「死とは何か。命の大切さとは何か。」を教えてくれたのである。 その命の意味は、自分が教師の時に道徳で行っていた「命の大切さ」や「命のつながり」とは比べものにならないほど重かった。
命は自分だけのものではなく、つながっている。そして 限りがある。必ず来る死を旅立ちという形でとらえ、その時まで一生懸命自分のため、だれかのために生きることが「生きる覚悟」があることを知った。
「命のつながり」は人間界だけでなく、すべての生物・自然界と関連づけられていることを考えると、今回の原発事故は私達大人の世代は大変な失敗をしてしまった。しかし、いつの時代も厳しく大変な時があり、先人も幾多の困難を助け合い乗り越えて失敗を振り返り、二度とおこらないよう少しずつ生活を変えてきた。いただいた限りある命の時間を精一杯生き抜き次の世代に「命のリレー」をしてきたのである。
あの避難所の女の子は 今、高校生になった。どうか 故郷の誇りを胸に秘め、がんばってほしい。 彼女の「やさしさの種」はタンポポの花のように日本全国に飛び、さりげなくでもたくましく花を咲かせていくことを願いながら、私も、今も入院中ではあるが、残された時間の中で「やさしさの種」をそっとまき続けたい。
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