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1994(平成6)年 6月12日 (日) くもり
今日から自分の眼で見たもの
新しい発見とその驚きと喜びを
書き留めてみたいと思う。
自分の心に映じたものを
写真に撮るように書いてみたいと思う。
カメラがあればそれを写して見ればいいのだが・・・
朝起きて珍しく外に出て体を動かしていると
とてもいい気持ちでふと足元を見ると
ピンク色の<ねじ花>が
今にも花開こうとしている。
紫のアザミが春からずっと咲いているけれど
中には老人の髪の様に白くなったものもあり
人が生まれて死んで行くのは
ごく自然なことなのだと思わされた。
●僕のコメント
殊勝なことを書いているが
長続きした試しがない。
だが何度も新しい目標を見付け
チャレンジして来た。
6月13日(火)曇り後晴れ
1年半ぶりにMで
汚泥運搬の仕事に従事する。
半年ぶりに力仕事をしたので
大分腰に来て疲労した。
今日は思いがけず晴れて30℃を超す。
U君にかき氷を買って来てと言って300円渡す。
勿論かき氷が食べたいのが一番で
U君とコミュニケーションを取りたいのが2番で
せっかくの機会に二人が何も触れ合わないのも
芸がないと思う軽い気持ちからだった。
彼は一言ポツンと言ったきりだが
その後僕が疲れたことを話すと
彼は手伝ってくれ
村のことや村の人のことを話し掛けてきた。
彼が冗舌になって来たことで
やはり彼も自分と話したかったことが分かって
ホッとした気持ちになった。
仕事をすることも大事だが
それは一人でも出来る。
仕事を通して語り合い
お互いの気持ちを通い合わせることは
もっと大事なことに思う。
それは相手を知ることであり
自分を知ることである。
自分一人の世界が
もう一人の人を通して
その世界が広がって行く。
それは喜びであり感謝である。
労働の喜びがそこにある。
●僕のコメント
1994年僕は新しい土地を探して
旅をしていた時期であった。
そこで自給自足の生活をすることが
この頃の僕の一つの生き甲斐であった。
U君は残念ながら3年程前に自殺してしまった。
そんなに深いつき合いではなかったが
僕等の仲間であり友人であった。
僕は追悼号に何か書かないといけないと思ったが
何も思い浮かばなかった。
しかしこの日記を打っていて
こんなこともあったと思い出し
これをU君への追悼にしたいと思った。
彼は漫画家を目指していたかと思う。
7月12日(火)
朝2ヶ月ぶりに王(ワン)さんにTELする。
午後村の美術館へ行く。
お与(よう)さん感激し喜んでくれる。
菓子折を持って行くワン。
日本人の習慣を見習ったものだと言う。
O・T兄もよくそうしたことを思い出す。
<人間万歳>に先生の離村の理由があると指摘するワン。
醍さんは<面白い見方ですね>と言った。
Tさん来て岸田麗子さんの
美しい写真の絵はがきを見せてくれる。
Wさんの所へ寄ってYさんと3人で飲む。
二人とも元気にディスカッションする。
良かったと思った。
仙川の記念館でHさんと話す。
イワンさんの奥さんと日向の村で会うと言う。
仙川の<つぼ八>でビールを飲み大いに語る。
ワンさん2万円近く5〜6冊の本を買った。
先生を選んだのは
単純なのと
理想を実現するために生きた
その生き方に惹かれたと言う。
●僕のコメント
ワンさんは韓国の留学生で
日本文学主に武者小路実篤を研究していた。
『人間万歳』は先生の戯曲の傑作である。
岸田麗子さんは岸田劉生の娘で
有名な<麗子像>のモデル。
劉生と先生は深い親交で結ばれていた。
新しき村には<新しき村美術館>があり
仙川は先生の住んでいた自宅跡に
<実篤記念館>が出来た。
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