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遠藤実という作曲家は
僕は生前全く関心がなかったが
亡くなってその追悼番組を見るにつけ
凄い方だったのだなと思った。
先ず島倉千代子の「からたち日記」や
舟木一夫の「高校3年生」という歌謡曲は
僕が子供から少年時に大ヒットした歌で
この時代に生きた人で知らない人は居ない曲である。
僕は美空ひばりより島倉千代子の方が好きだった。
幼少の頃<からたち、からたち、からたーちのハァーなぁー>
と歌ったものである。
何度も聴いて自然に覚えてしまった。
その島倉千代子が70歳になって
追悼番組でライブで歌ったのである。
その歌声はとても信じられない程枯れていた。
彼女の魅力的な高音が全く出なかったのである。
それは失礼ながら全く味も素っ気もないものだった。
超一流の歌手としてとても聴いていられるものではなかった。
しかしこう言う島倉千代子は2度と聞けないと言う
一期一会の千載一遇の場に出会ったと言う
不思議な感動すら覚えた。
舟木一夫の「高校3年生」は
当時鮮烈なデビューだった。
この紅顔美青年に熱狂した女性が
僕の周囲にも沢山いた。
彼はこの一曲でアッと言う間に
大スターに上り詰めた。
坂本九や橋幸夫に次ぐ人気歌手だったと思う。
この当時の流行歌とは文字通り
僕みたいな大して歌に関心がない者まで
歌詞を自然に覚えさせてしまう力があったし
そういう時代であり一世風靡した時代であった。
山本リンダと言うちょっと舌っ足らずな歌手が歌った
「こまっちゃうナ」という歌もそうだった。
由美かおるや山本リンダは僕と同じ年であるが
その可愛らしさは今も失われていない。
千昌夫の「星影のワルツ」や「北国の春」は
僕が中学を卒業して社会に出た頃に
流行した歌である。
「星影のワルツ」は僕も良く歌ったし
「北国の春」は中国や東南アジアでも
大ヒットした<アジア国歌>と言ってもいい曲である。
この追悼番組に遅刻した五月みどりの話は
普段の彼女からは想像も出来ない話で面白かった。
五月みどりの「おひまなら来てね」も大ヒットして
僕等は彼女の名前を知った。
遠藤実が墨田区向島の生まれと言うことを知って
大変親近感を持った。
僕は隣町に生まれたから郷土の誇りである。
疎開先が新潟県の西蒲原と言うが
僕の田舎が北蒲原で
昔越後生まれの良寛を読んでいた時
<蒲原平野>を<かんばる>と読むのだと教えられた。
「雪椿」の小林幸子も越後生まれだし
五月みどりは僕の隣町江戸川区平井の生まれで
本名房子と言うが
まあそんなことはどうでもいいか(笑)。
森昌子の「せんせい」や
北原謙二の「若い二人」。
この「若い二人」の北原謙二は
ちょっと鼻の詰まった高音で
良く真似して歌いました。
小林旭の「ついてくるかい」
渡哲也の「くちなしの花」。
「すきま風」の杉良太郎が追悼番組で
5000曲を作ったという遠藤実に
<国民栄誉賞を上げてもいいんではないか>と言う話をしたら
それが実現してしまった。
水をかぶって火の中へ飛び込み
80歳の老夫婦を救出した
あっぱれな高校生の青年の話共々
遠藤実氏の国民栄誉賞は
最近では数少ないいい話である。
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