|
皆さんは落語の『道灌』という
前座話を聴いたことがあるだろうか?
多分ないであろう。
40年以上落語に親しんで来た僕でさえ
3〜4回位しか記憶にない。
それもハッキリ意識して聴いたと言えるのは
今回が始めてであろう。
それ位地味で殆ど寄席でしか聞けない話である。
それも前座がやる話だから
中中真打ちの『道灌』は
聴く機会が滅多にない。
僕の記憶の中にある『道灌』は
3代目の金馬(今の金馬の師匠)と
5代目小さん(今の先代で父親)の
『道灌』を何となく聴いた覚えがある程度。
何故記憶に薄いかというと
余り面白い話ではないからだ。
そして『道灌』という難しい題名で
何を言おうとしているか分からないからだ。
今度僕が何十年ぶりかで聴いた『道灌』は
元日の早朝BSで放送した
<落語研究会40周年記念・志ん朝追悼落語会>で
志ん朝最後の弟子と言われる古今亭朝太と言う
落語家が高座にかけたものである。
落語家否志ん朝ファンなら分かると思うが
古今亭朝太という名前は志ん朝の前座名である。
僕は特に志ん朝ファンでないから知らないが
多分自分の弟子に自分の前座名をつけるの初めてではないかと思うし
当代きっての人気落語家であり実力者であった
古今亭志ん朝が自分の前座名を付けるというのは
余程有望な弟子であるに違いないと思う。
そう思いながら今の朝太の『道灌』を聴き始めた。
大して旨くもないが<スジ>がいいと思った。
そして聴いてる内に『道灌』という意味が分かってきた。
それは太田道灌という
江戸城を築城した武将であり歌人の名前であることが了解できた。
狩りに出た道灌公がにわか雨に遭い
ある貧しい農家へ蓑(カッパ)を借りようと立ち寄る。
そこへ娘が出て来て<山吹の花(枝)>を差し出し
<七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき>
と言う古歌で
家が貧しく蓑一つ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えた。
すると道灌公は古歌を知らなかったことを恥じて
以後歌道に励んだという<山吹伝説>を下地にした噺である。
前座の落語としては非常に良く出来た話だと思う。
確か立川談志が名著『現代落語論』の中で
<道灌考>と題した一文があったと思う。
談志が<小よし>と言う前座名での初高座が
確かこの『道灌』であったと思う。
この<山吹伝説>と言うのはあちこちに候補地があり
江戸出城の跡と言われる<日暮里の道灌山>の近くには
<山吹の里>の伝説地があるし
都電荒川線の走る面影橋の近くにも<山吹の里>の碑があり
ここから神田川に沿う江戸川橋一帯は昔<山吹の里>と呼ばれ
今も<山吹町>と言う町名が残っている。
僕は昔この山吹町の隣の矢来町に住んでいたことがあり
志ん朝は晩年<矢来の師匠>と呼ばれていたようだ。
又埼玉県の越生町にやはりこの<山吹の里>という公園があり
<七重八重〜>の歌碑があったと思う。
僕はここで昔彼女とデーとしたことがある。
夕暮れ時で非常にロマンティックな想い出である。
それはともかくこの朝太の話によると
この『道灌』という噺の稽古を師匠の志ん朝に付けて貰う際
カセットテープに録っておいたと言う。
志ん朝の『道灌』が聞けるというのは凄い噺だが
後で消してしまったと言うドジなオチが付いていた。
と言う訳で今日は<道灌考>という
何かこじつけたようなしかし本当のお話
一席でありました。
|