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書庫感性的に疑問を感じること

秦郁彦『陰謀史観』

 何か大きな事件が起こると、それを何者かの「陰謀」とする話はよく出てくる。9.11はアメリカによる自作自演であるとか、阪神・淡路大震災や東日本大震災は地震兵器によるものだとか、日本史でいえば、日米開戦はルーズベルトの罠だったとか、盧溝橋事件は中国共産党の謀略であるとか、近衛文麿はコミンテルンに操られていたとか、その他色々。
 
 最近図書館から、秦郁彦『陰謀史観』(新潮社 2012年4月20日)という著書を借りて読んだ。
 
 この本は、そのような「陰謀」について、日本近代史の中でよく登場するものを解説したものである。
 
 本書の構成は以下のものである。
第一章 陰謀史観の誕生−戦前期日本の膨張主義−
第二章 日米対立の史的構図(上)
第三章 日米対立の史的構図(下)
第四章 コミンテルン陰謀説と田母神史観−張作霖爆殺からハル・ノートまで−
第五章 陰謀史観の決算
 
 特にこのブログでは「第四章」、「第五章」を中心としてみてみたい。
 
 秦は陰謀史観の「仕掛人」、つまり主役たる存在をⅠ型とⅡ型に分類している。
 
「Ⅰ型はコミンテルン、ナチ党、CIA、M16(英)、モサド(イスラエル)、など情報や謀略を担任する国家機関ないし準国家組織で、かつては日本の特務機関、中国国民党、北朝鮮、韓国、最近では中国共産党の類似組織もそれなりの存在感を見せている。
Ⅰ型の機構、目的、活動歴は公開部分が多いので、ある程度の検証は可能だが、功罪の責任を組織とスター的構成員のいずれに問えばよいのか、見分けにくい難点は残る。」
 
「Ⅱ型は、ユダヤ、フリーメーソン、国際金融資本、各種のカルト教団のような秘密結社と呼ばれる国境横断的な非国家組織である。しかし指令塔の所在や構成が不分明で、陰謀の目的や目標を示す綱領や方針を記した確実な文書証拠は見つかっておらず、陰謀と成果との因果関係も判然としない例が多い。」(注1)
 
 つまり、世界で起きている事件の黒幕は、Ⅰ型の「国家機関ないし準国家組織」かⅡ型の「国境横断的な非国家組織」によって引き起こされているというのが「陰謀史観」である。
 
 では、日本近代史の場合はどうであろうか。
 
 日本近代史の場合は、Ⅰ型の「国家機関ないし準国家組織」が主であり、それが次の二つに分けれられるというのである。
 
 つまり、「大別すると日本に対する謀略の仕掛人を米英などの先進帝国主義、あるいは国際共産主義(コミンテルンないしスターリン)と見なす二種になる。」とある。(注2)
 
 そしてその「陰謀」の代表的な例として、張作霖爆殺事件はソ連工作員の犯行、満州事変は正当防衛、盧溝橋事件は中国共産党の謀略、南京事件は東京裁判(連合国)によるでっち上げ、ハル・ノートの背後にいたのはコミンテルン、真珠湾攻撃はルーズベルトにはめられた、などなどがあるが、秦がこれら「陰謀史観」を見る際に、新たな役割を果たしたのが田母神俊雄による「日本は侵略国家であったのか」であったという。
 
 それはどういう意味であるのか。つまり、上記に上げたような日本近代史に関する「陰謀」は、従来それぞれ個別のものとして語られていたのが、田母神によってそのほとんどが「論文」に集められたというのである。つまり、日本近代史「陰謀論」の体系化・集大成を行ったのが田母神「論文」が果たした役割だったというのである(注3)。
 
 この田母神「論文」は、「陰謀論者」には大きく受け入れられ、中西輝政からは「戦後日本の歴史家たちは、この陰謀隠蔽史観に毒されすぎている」、渡部昇一は「田母神論文は、秦氏や日本の文科省検定の日本史の教科書よりははるかに正しい」、小堀桂一郎からは「(田母神氏の)勉強ぶりにはほとほと感嘆するより他のない労作…教科書として使うのにうってつけ」、西尾幹二からは「私は現代史に専門家が存在することを認めていません」という支持を得た。(注4)
 
 しかし、田母神「論文」は「陰謀論者」による支持を受けても、歴史学という学問の世界ではまったく通用しないものであった。実証性もなく、受け売りばかりで自己の主張を正当化しているものに過ぎなかった。
 
 では、これら「陰謀史観」を主張し、それにはまる人たちの特徴はどのようであろうか。秦の主張をまとめてみたい。
 
 第一、自説の肯定のために起点を溯る。これについては、「ある結果をもたらした原因は多岐にわたり軽重の順位をつけにくい。しかも対象期間を長くとるほど間接的な因果関係が混入して、「風が吹けば桶屋がもうかる」式の説明法が可能になってしまう。実際に陰謀史観の多くは、好みの事象を見つけようと起点を百年ぐらい前までさかのぼらせるのは珍しくない。」(注5)と、指摘している。
 
 代表的な例としては、林房雄『大東亜戦争肯定論』や藤原正彦『日本人の誇り』などが挙げられる。藤原の主張は、「石原莞爾が「ペリーを呼んでこい」と叫んだのは好例だが、藤原も「満州事変頃から敗戦までを一くくりにした十五年戦争や昭和の戦争がありますが、このように切るのは不適切」として、ペリー来航の一八五三年から講話発効の一九五二年までの約百年を「百年戦争」と呼んだ。そして石原と同様に、ペリーに無理強いで開国させられた日本は、「弱いものいじめ」の帝国主義世界へ投げこまれ、その潮流に乗らざるをえなくなったと説く。「しかたがなかった」「お互いさまでしょう」という論理である。」(注6)として、「大東亜戦争」あるいは近代の日本が行ってきた事柄を肯定していくのである。
 
 第二,「陰謀史観」の心理状態として、「では彼らの深層心理に根ざす動機は何だろうか。『陰謀説の嘘』の著者であるアーロノビッチは、陰謀説が「政治的敗者によって考案され、社会的弱者によって支持され」ときたと観察する。敗者や弱者の挫折は自身の失敗のせいではなく、邪悪な陰謀者の悪だくみにうっかり乗せられてしまったせいにすれば、気が晴れるというもの。」(注7)と指摘している。
 
 自分や自分が所属しているものが不遇であるのは「何者」かの「陰謀」のせいであるとして自己を納得させるのである。これからみると、「陰謀史観」は政治的に不安定なときや経済の低成長期・低迷期におこりやすい傾向があるのではないかと指摘できる。
 
 第三、具体的な証拠・根拠がなくても自己の連想をつなげることで説明しようとする。ここでは仮定の話から続けてそれをドンドン展開させていったり、根拠がないのに自分の思いだけで「きっとこうするだろう」、「こうであったに違いない」などの連想をつなげていき、自分なりの結論へ至るのである。
 
 秦は、「陰謀」や「謀略」といったものが歴史の分野に何故多いのかを次のように説明している。「仕掛人が歴史の分野に集中するのも、黒白がつきやすい自然科学分野の争点とちがい、解釈の余地が広く、極端な場合には通説を裏返した陰謀史観の叙述さえ可能だからであろう」(注8)。自然科学の分野に「陰謀史観」が少ないとは私は思わないが(疑似科学や最近の原発問題や放射能については多くあると思うし、いわゆる「トンデモ本」には自然科学が多い)、歴史には、学問・学術としての歴史や趣味としての歴史、あるいは歴史小説など自分の空想や思い、あるいはフィクションを入れやすいのだからであろう。
 
 第四、結果から逆行して原因を引き出す。これは結果として「最も利益を得たのは誰か」ということからその出来事に迫るものである。代表的な例としては、盧溝橋事件の仕掛け人を中国共産党(劉少奇)とするものである。しかしこういったものは、単なる推測や希望にしか過ぎず、それを裏付けるための根拠が何もない。さらに「最も利益得たもの」も、どの側面からアプローチするかで変わってくるということを見落としている。盧溝橋事件で最も利益を得たのは中国共産党ではなくソ連である、という主張もあるのだ(注9)。
 
 第五、挙証責任の転換。つまり、自分では「陰謀だ」・「謀略だ」と色々主張するのであるが、それについての実証的な証明は行わないのである。その実証的証明については、受け手・相手・他者・読み手へ転換させてしまう。
 
 秦は「陰謀史家たちが愛用する語り口には、攻めと守りの二種がある。前者は通説を紹介する途中でさりげなく疑問をはさんだあと、「実は…」と語りだす手法である。もし証拠能力が弱いと思えば、守りに切りかえればよい。とりあえずの仮説を示したあと、それを立証する公文書はまだ非公開だが、いずれ公開されれば「歴史は書き換えられるはずだ」と言い添える。」と指摘している(注10)。
 
 第六、結果として、これら陰謀論の行き着く先は、「無節操と無責任」である。
 
 以上のものに私はさらに二点付け加えたい。
 
 第七、怪しい情報でも自分にとって都合のいいものは検証もせずに食いつく。その情報の根拠がどれくらい信用できるものであるのか、どこから出たものなのか、誰によるものなのか、などということは全く検証せず、自分にとって都合のいいものであるから取りいれてしまうのである。これの典型としては、ユン・チアン、ジョン・ハリディによる『マオ−誰も知らなかった毛沢東』にくいついた田母神俊雄・黄文雄・桜井よしこらをあげることができる。ここには張作霖の爆殺犯をソ連工作員としているのだが、その根拠・出典となっている著書の作者・プロホロフ自身があくまで伝聞と類推にしか過ぎないことを白状している。
 
 第八、先ほどのものと関連するが、孫引きとコピペの山である。自分では検証をせず、自分にとって都合のいい情報や連想を積み重ねておこなっていくので、その主張の根拠は殆どなく、他人の受け売りのみである。これについては、最近のネット上での情報を見ればこのような傾向が強いことがよく分かる。
 
 以上であるが、最後に私からの疑問点を一つ挙げておく。それは、秦が実態よりもむしろイデオロギーによって物事を単純に分類していることである。
 
 その典型的な事例が、「実証主義を掲げるプロの歴史家も例外ではない。その結果、大東亜戦争を日本の「侵略戦争」と規定するプロの左派歴史家と、それを「自衛」ないし「聖戦」と見なすアマの右派歴史家が同じ土俵で対峙するのを、不毛なイデオロギー論争に割りこむのをためらい沈黙するか見守るだけの中間派という構図ができあがる。」と述べているところである(注11)。
 
 「実証主義」といいながら、「侵略戦争」=「プロ」=「左派歴史家」、あるいは、「自衛・聖戦」=「アマ」=「右派歴史家」、そして「沈黙」の三種に単純化してしまっているのである。実証の結果、「侵略戦争」と結論づけた場合でもその全てが「左派」であることはない。「自衛」と結論づけたからとしてその者が「右派」というものでもない。あくまで実証的研究の結果であって、イデオロギーで単純化できるものではないのである。「沈黙」派も自分なりの結論を当然もっている。
 
 それならば、秦自身は何処に位置づけられるのであろうか。秦は「沈黙」をせず、南京事件や慰安婦問題などにも積極的に発言している。ならば「プロの左派歴史家」か「アマの右派歴史家」のどちらかになるはずであるが、秦自身、自分のことをどのように位置づけているのか聞いてみたいものである。
 
 秦は、自分では実証主義であるといいながら、なぜか慰安婦問題になると実証主義を投げ出してしまう。特定の事柄についてこのような傾向を見せている秦自身が「陰謀史観」に足を踏み入れかけているのではないかと私は思う。
 
 
(注1)秦郁彦『陰謀史観』(新潮社 2012年4月20日)203-204頁
(注2)秦前掲 48頁
(注3)秦前掲 150頁
(注4)秦前掲 151-152頁
(注5)秦前掲 242頁
(注6)秦前掲 198頁
(注7)秦前掲 242-243頁
(注8)秦前掲 241頁
(注9)秦前掲 245頁
(注10)秦前掲 246頁
(注11)秦前掲 242頁

転載元転載元: STAY GREEN〜GREENのブログ〜

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    「慰安婦と戦場の性」には呆れたけれど「陰謀史観」は、田母神の歴史論説を完全否定していて、中々いい本でした。

    世の中には田母神信者なるものがいて、教祖様と同じで、史料を使って反論しても、かみ合わずプロパガンダを繰り返すだけ・・・という処置不能の病みたいなものになってしまう。
    伝染病なので、とりあえずワクチンを用意しておくべきです。

    [ 河野談話を守る会 ]

    2013/3/19(火) 午後 11:45

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