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宝の山(別館)
12月18日頃より「黒いシッポの某おじさん」絡みでたんぽぽ別館の成り済ましが出没。シッポがリンクカウンターを外部から勝手操作か

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奴隷根性について

 
 
どうにもこうにも奴隷根性を打ち消さないと日本に未来はない!と思いが強い。
 
「おカミ(政府)の言う事に従っていれば間違いない。」とまでは行かないだろけど
「何を言っても変わらない。」とか「にらまれない生き方が賢い。」とかなんとか。。
そのくせ弱い者イジメや自分に直接関係ないと思われるところへの攻撃には熱心だったりする。
生保切り下げは当然だ!とか韓国・朝鮮人は出て行け!とか
原発には原料の採掘から最終処理まで被ばく労働がついて回るのに、自分は電気を使うだけだから原発賛成!とか。。
こんな言葉を聞くと情けないやら悔しいやら。
 
だけど奴隷根性ってモノは根が深くってチョットやソッとじゃ抜け出せないって
 不自由であろうが、不満があろうが、ご主人さまの言いつけに従っていれば取りあえず生きていける。
 
奴隷根性論の中で大杉栄も言っている。
>けれども彼等奴隷は、この残酷な主人の行いをもあえて無理とは思わず、ただ自分はそう取扱わるべき運命のものとばかりあきらめている。そして社会がもっと違ったふうに組織されるものであるなどとは、主人も奴隷もさらに考えない。
 
 
奴隷根性論、読んでみて↓

奴隷根性論

大杉 栄                                       大杉栄wiki    伊藤野枝wiki

 
 斬り殺されるか、焼き殺されるか、あるいはまた食い殺されるか、いずれにしても必ずその身を失うべき筈の捕虜が、生命だけは助けられて苦役につかせられる。一言にして言えば、これが原始時代における奴隷の起源のもっとも重要なるものである。
 かつては敵を捕えればすぐさまその肉を食らった赤色人種も、後にはしばらくこれを生かして置いて、部落中寄ってたかって、てんでに小さな炬火をもって 火炙 ( ひあぶり ) にしたり、あるいは手足の指を一本一本切り放ったり、あるいは灼熱した鉄の棒をもって焼き焦したり、あるいは小刀をもって切り刻んだりして、その残忍な復讐の快楽を貪った。
 けれどもやがて農業の発達は、まだ多少食人の風の残っていた、蛮人のこの快楽を奪ってしまった。そして捕虜は駄獣として農業の苦役に使われた。
 また等しくこの農業の発達とともに、土地私有の制度が起った。そしてこのこともまた、奴隷の起源の一大理由として数えられる。現にカフィールの部落においては、貧乏という言葉と奴隷という言葉とが、同意味に用いられている。借金を返すことのできない貧乏人は、金持の奴隷となって、毎年の土地の分配にも 与 ( あず ) からない。そして犬と一緒になって主人の意のままに働いている。
 かくして従来無政府共産の原始自由部落の中に、主人と奴隷とができた。上下の階級ができた。そして各個人の属する社会的地位によって、その道徳を異にするのことが始まった。
 
 二

 勝利者が敗北者の上に有する権利は絶対無限である。主人は奴隷に対して生殺与奪の権を持っている。しかし奴隷には、あらゆる義務こそあれ、何等の権利のあろう筈がない。
 奴隷は常に駄獣や家畜と同じように取扱われる。仕事のできる間は食わしても置くが、病気か不具にでもなれば、容赦もなく捨てて顧みない。少しでも主人の気に触れれば、すぐさま殺されてしまう。金の代りに交易される。祭壇の前の犠牲となる。時としてはまた、酋長が客膳を飾る、皿の中の肉となる。
 けれども彼等奴隷は、この残酷な主人の行いをもあえて無理とは思わず、ただ自分はそう取扱わるべき運命のものとばかりあきらめている。そして社会がもっと違ったふうに組織されるものであるなどとは、主人も奴隷もさらに考えない。
 
・・中略・・
 
 四

 野蛮人のこの四這い的奴隷根性を生んだのは、もとより主人に対する奴隷の恐怖であった。けれどもやがてこの恐怖心に、さらに他の道徳的要素が加わって来た。すなわち馴れるに従ってだんだんこの四這い的行為が苦痛でなくなって、かえってそこにある愉快を見出すようになり、ついに宗教的崇拝ともいうべき尊敬の念に変ってしまった。本来人間の脳髄は、生物学的にそうなる性質のあるものである。
 そして酋長は他の人間以上のあるものになってしまった。
 
・・中略・・
 
 六

 僕はあまりに馬鹿馬鹿しい事実を列挙して来た。今時こんなことを言って、何のためになるのかと思われるような、ベラポーな事実を列挙して来た。けれどもなお僕に一言の結論を許して戴きたい。
 主人に喜ばれる、主人に盲従する、主人を崇拝する。これが全社会組織の暴力と恐怖との上に築かれた、原始時代からホンの近代に至るまでの、ほとんど唯一の大道徳律であったのである。
 そしてこの道徳律が人類の脳髄の中に、容易に消え去ることのできない、深い溝を穿ってしまった。服従を基礎とする今日のいっさいの道徳は、要するにこの奴隷根性のお名残りである。
 政府の形式を変えたり、憲法の条文を改めたりするのは、何でもない仕事である。けれども過去数万年あるいは数十万年の間、われわれ人類の脳髄に刻み込まれたこの奴隷根性を消え去らしめることは、なかなかに容易な事業じゃない。けれども真にわれわれが自由人たらんがためには、どうしてもこの事実は完成しなければならぬ。

青空文庫より引用させていただきました。
 
どうも主人と奴隷の関係が当たり前で受け入れるべきものと宗教や道徳教育に利用されてるらしい。
インドの例を挙げれば宗教や道徳が主人に都合よく解釈されるって事がよくわかる。
他所の事は分かるのになんで??
 
そっか!!!!
そもそも、今の日本人は自分が奴隷だと気づいていないんだ!
鞭で直接打たれる事も、いきなり売り飛ばされる事もないからわからないんだ。
気付こう!もう奴隷はイヤ!
 
 
例えば原発。例えばTPP。例えば憲法改悪。
 
再稼働なんてイヤ!原発輸出なんてとんでもない!
何で被災者を見捨てるの?原発はダメ!
 
食べ物をもうこれ以上外国に頼ったらダメ、金持ちしか医療にかかれなくなったらどうなるの?TPP参加はだめ!
 
憲法を改正のハードル下げちゃダメ!ましてやあの自民党草案何か実行に移させちゃダメ!今まではもやもや奴隷だったものがしっかり国家の奴隷にされてしまう!
 
 
すでに嫌だ!ダメだ!って言ってる人は変人や奇人じゃなくてただ少し先に気づいただけ。
 
 
 
 われわれ人類の脳髄に刻み込まれたこの奴隷根性を消え去らしめることは、なかなかに容易な事業じゃない。
 けれども真にわれわれが自由人たらんがためには、
どうしてもこの事実は完成しなければならぬ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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