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「横浜日記」(230) 2014年5月3日 梅本浩志
<解釈改憲の根拠「59年最高裁判決」は憲法違反である>(その1)
オバマ米国大統領が国賓として来日し、安倍首相との会談で日米共同声明がなんとか発表でき、その中で仙閣列島が日米安保条約適用の対象範囲に含まれていることと安倍内閣が集団的自衛権の解釈を変更させることを米国が歓迎するとの合意が表明された。
さらに鹿児島2区での衆院選挙と沖縄市長選挙での自民党候補の勝利が重なり、これに安倍政権が自信を得て、というより絶好の改憲口実が出そろったと勢いを得たのであろう、自民党政権は、連休明けから、ナチス顔負けの解釈改憲による憲法改悪の大攻勢を開始することが確実な情勢となった。
解釈改憲の恥ずべき法的根拠
日本国憲法はここに憲法制定以来の「改正」の絶対的危機に直面し、日本は憲法を「改正」して戦争のできる国へ、武力を背景とする国際外交の積極的展開へと進路を変えることになる。安倍晋三の唱えてやまない「積極的平和主義」の法的条件をここに整備することとなったのである。
この解釈改憲には挙げきれないほどの問題があるし、その幾つかについてはこれまでにこのブログ「時代状況 横浜日記」で指摘しておいたとおりだが、いま新たにぜひ指摘しておかなければならないことをここに書き記しておかなければならない。
それは今回の集団的自衛権解釈変更論を積極的に容認するには、法的根拠が希薄であり、さらに現憲法とその解釈をそのままにしておいては正当な法的根拠が存在しないことである。そんな致命的欠陥が解釈改憲論には存在するのである。
たとえ集団的自衛権に関する従来の解釈を真逆なものに変えてしまって、そしてそれを裏付ける最高裁判決なるものが存在するから、法的条件というか法的根拠が存在すると主張し始めている安倍政権の言い分があったとしても、それは以下に指摘する破廉恥な、1959年当時の最高裁判決の出された経緯によって、有効性を持ちえないものだ、と言わざるをえないのである。
即ち、当時の田中耕太郎最高裁長官が裁判長を務めた砂川闘争の裁判において、日米間で密室のやみ取り引きを行って合意して判決文を書いた最高裁判決であってみれば、独立国家日本にとっては屈辱的で、日本国民を愚弄し去る、およそ正義に値する終審判決と呼べるものではないのである。
それはこの最高裁判決からわずか半年後の1960年6月に安保反対デモの際、国会構内で東大学生・樺美智子さんを殺害する凶器となってしまったばかりではない。
凶器と化した「最高裁確定判決」は樺さんを殺害したばかりか、日本国の憲法体制を根幹から掘り崩し、やがて「日米同盟」の超憲法的な枠組みを作りあげ、経済の高度成長と日本人の抵抗精神を掘り崩してしまったというアンビバレントな土壌を形成してしまったのである。
そして遂に反動・安倍自民党政権をして日本を戦争のできる国へと右舵を一杯にきり、日本という船体を転覆させて、沈没直前に追いやってしまうという許しがたい犯罪体質へと変えてしまったのである。そしていままたナチス顔負けの解釈改憲をなにがなんでもやり終えてしまおうとしている安倍自民党政権。
人類の歴史的遺産としての日本国憲法
まずここで指摘しておきたいのは、そのような最高裁判決、つまり1959年に日米安保条約を違憲として砂川米軍基地拡張工事に反対し、抵抗した被告たちに無罪判決を下した有名な「伊達判決」を、米国側の言いなりに応じて、原判決「伊達判決」を破棄して集団的自衛権を合憲としたいわゆる砂川闘争最高裁確定判決が法理に反し、自然法的にも違背し、それら法理や自然法に基づいて作られた日本国憲法に違反していて、独立国家の確定判決としては不合理どころか全く体をなしていない、ということである。
法理が法哲学であり、自然法に極めて近い概念であり、カントやルソーたちによって考究され、フランス革命時の人権宣言等で具体化され、あるいは日本の植木枝盛たちによって研究され主張された自由民権運動の核心的思想であってみれば、現在の日本国憲法がそれら人民が血を流して獲得した貴重な歴史的財産を敗戦直後に文章化したものであったことは鈴木安蔵たちの苦労を検証してみれば明らかである。その貴重な人類史的財産を、密室でのやみ取り引きで抹殺してしまった1959年の最高裁判決だった。
この破廉恥な最高裁判決が作られ、出された経緯については、アメリカ政府が既に公にしていて、かの地では秘密でもないようで、日本の学者やジャーナリスト、研究者たちが調べてきていて、知らぬは日本国民だけという情けなさだが、ここでは内田剛弘弁護士の著書『司法の独立と正義を求めて』、ジャーナリストの長沼節夫氏の「メディア・ウオッチ」2014年4月9日号掲載のレポート『最高裁が米側と密談ーー55年前の砂川判決』、成沢宗男氏が執筆した「週刊金曜日」2014年4月11日号のレポート『「砂川判決」で集団的自衛権行使を合憲化できない』で書いたレポートに依拠して、1959年に日米安保条約に伴う米軍基地の存在を違憲とした伊達判決を否定した最高裁判決の違法性というかインチキぶりについて、その経緯の概略を以下に描いておこう。
伊達判決の衝撃
1959年3月30日に東京地裁刑事13部の判決法廷で伊達秋雄裁判長が、いわゆる砂川事件の被告に対して、「日米安保条約は憲法9条2項で禁止された戦力の保持に該当する」として、憲法違反だと判定して、被告全員に無罪を言い渡した。有名な「伊達判決」である。
「砂川事件」とは、1957年に東京都砂川町(現在は立川市)の米軍基地を大幅拡張しようとして測量や工事を強行しようとしたのだが、これに地元農民が反対して抵抗し、労働者や当時の全学連に結集していた学生たちも支援、共闘し、非暴力抵抗したのだが、東京警視庁配下の機動隊が坐り込む農民や学生たちに暴力的に襲いかかり、23名を逮捕し、うち7名を起訴し、東京地裁で伊達秋雄裁判長の下で裁判が進められ、判決が下された刑事事件だった。
起訴された罪名が「日米安保条約に基づく刑事特別法違反」だったから、否応なく日米安保条約そのものの合憲性が争いの中心となった。
伊達裁判長には最高裁や日本政府から有罪判決にして、日米安保条約を合憲とする判決を下すように強い圧力がかかっていたことが推定されることは、伊達裁判長が判決直前に辞表を胸ポケットに忍ばせていたことでもよく分かるが、判決はまさに日米安保条約は憲法第9条に違反するものだと判定した。日米安保条約は明白に違憲だとする無罪判決だった。
この判決に驚いた駐日大使マッカーサー二世は直ちに岸自民党政権の外相・藤山愛一郎に会って伊達判決を急いで覆(くつがえ)せと迫った。1959年3月31日午後2時17分受信の米国務省極秘電報でマッカーサー二世は次のとおり本国に打電した、「今朝8時に藤山(注・藤山愛一郎外相)と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った。私は、日本政府が迅速な行動をとり、東京地裁判決を正すことの重要性を強調した」。
米国が「伊達判決」即座ぶっ潰しに動く
席上マッカーサー二世大使は、「迅速な行動をとり」との命令口調の言葉をさらに具体的に提示して「政府が直接、最高裁に上告することが非常に重要」だと、異例というべき「跳躍上告」を行って、伊達判決を潰すように指示したという。「指示」というよりも占領軍然とした「命令」といってよい申し渡しだったといってよいだろう。既に日本は、その9年前に独立国家となっていたはずにもかかわらずにだ。
藤山外相はこのマッカーサー二世の申し入れというか「命令」に「全面的に同意」したという。岸政府の外相・藤山愛一郎が首相・岸信介の全面的了承を得て、時の駐日大使・マッカーサー二世の申し入れと、その申し入れに藤山が日本政府として同意したことを最高裁長官・田中耕太郎に伝えたことは当然である。 (つづく)
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憲法改悪が目標の草の根ファシスト





