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日本人という貧困素材
4月27日、職場の休憩室でNHKスペシャルを垣間見ることができた。タイトルは「緊急ルポ 貧困連鎖社会 女性たちを襲う危機 一日一食…姉妹はなぜ 出稼ぎ少女の夢」というものだった。
衰退する経済大国日本のネガティブな隠された断面をとらえた深刻な内容の番組だった。
今流行の「女性の社会進出」という題材に、民放はどのようなアプローチを試みてきたのか?
環境・能力ともに恵まれ、一流大卒〜欧米留学(または欧米生活)を経て一流会社の要職に就くか、自ら事業を起こす、といったコースを歩む自信に溢れたごく一部の特別な女性しか民放は取材対象にはしなかった。
こうした民放の姿勢は・・・人物をきっちりと描き出せてさえいれば、ごく普通の人々の日常生活や平凡な家庭の営みの中にこそ本物の感動がある、という山田洋次監督のアングルとは対蹠的なものだ。
見かけ倒しの株価上昇や子供だましのような賃上げがもたらす心理的プラシーボ効果によって多くの国民をたぶらかし、我が国実体経済の深刻な劣化と破滅的財政事情を覆い隠そうと腐心している安倍〜黒田。彼らが放つダマシの手口=テクニカルCM路線に呼応するべく、芸人やセレブな人々のぜいたく三昧な暮らしぶりを、民放は肯定的に、大々的に放映し続ける。
けだし、大企業からのCM料を主たる収入源としている民放が、大企業の代理人である現政権の要請に逆らえない立場にあることは理の当然なのだから!
国民の目に、日本という素材をどのような切り口で映しだそうとしているのか?…政権の主要な一翼として対国民心理作戦を担う民放の姿は、こうしたリアルな金銭の流れをたどるだけで簡単に謎は解けてしまう。
99%の庶民が織りなす困窮や悲哀には目もくれず、1%の特殊な人々の生活をことさら拡大して見せつけるマスコミの意図は見え透いている。つまり「日本は繁栄している 日本国と日本人の未来は明るい」という虚妄を拡げる意図が。
一方、NHKも台所事情は複雑だ。視聴料という金の流れは確かに国民からのものだが、予算や人事さらには放送内容にまで政府が深く関与し、微に入り細を穿ってくちばしを挟んでいる実情が、報道の随所に国営放送の色を払拭しえない偏り(報道の随所に見え隠れしている偏り)を生み出ている。
今までは「クローズアップ現代」や上記の「NHKスペシャル」などで時として出色の掘り出し物に出会う機会はあったが、安倍〜籾井による報道管制が浸透するにつれ、NHKはますます世論製造機関として政権の道具と化してゆくだろう。
4/27のNHKスペシャルを引き合いに出すまでもなく、貧困は現代日本の普遍的で切実なテーマの一つであることは間違いない。
貧困の問題は、実は金の万能なるが故にもたらされる罪障に根をもっている。
つまり金という「万能なる魔法の杖」を持つ者と、それを持たざる者の幸と不幸の落差の激しさに!
私の知人の話によると・・・彼の遠い親戚に小さな会社を経営する人がいる。その会社の従業員送迎用のマイクロバスが、突然車道に飛び出してきた痴呆の老婆と接触事故を起こした。車体には傷一つ付かない低速での事故だったにもかかわらず、不幸にして老婆は病院で息をひきとった。しかしバスには十分な保険が掛けてあったのと、社長の家柄も代々の資産家であることで、過分ともいえる慰謝料も合わせて支払ったそうだ。後日、遺族の非難を覚悟の上で被害者宅の弔問に出向いた社長は、意外にも遺族の全員から手を合わせんばかりに「感謝」されたということだ。
こうした金にまつわる逸話はおそらく日本国中に溢れ返っていることだろう。
「人生ってたぶん、95%がお金の問題で終始するんです」と言う高殿円の言葉に、うなずく人は私も含めて多いはずだ。それだけにお金に見放された薄幸な人々が歩む人生の悲哀は、裕福な人々には決して「理解でない」経験なのかもしれない。
しかし少なくとも為政者だけは、貧しさ故の悲哀を「理解できない」という裕福な人々の例外でなければならないと私は思っている。
いかに裕福な家庭に育ち、貧しさを知らぬ政治家であっても、彼が生きるその同じ社会の一隅に、真面目に生きているにもかかわらず貧しさ故の苦しみと哀しみに日々打ちひしがれて暮らしている多くの人々の涙がある限り、そして彼がこれらの人々を貧困から救い出してその人生に希望の光を与えることができない限り、彼は政治家という職業人としては無能な器だと言わざるをえないし、またこの社会は病的で不道徳な社会であり、そして経済は再分配の仕組みに著しい構造的欠陥をかかえた不良品だと断定せざるをえないのだ。
もし私たちの国が本当に貧しいのなら私は何も不平を言わぬ。しかし、この日本国が自ら経済大国とうぬぼれるなら、日本の多数の民の貧しさを捨て置いて成り立つ虚妄の繁栄に、私は疎外国家としての日本の堕落を読み取り、常に一部の人々にだけ微笑みかける幸福の女神を心底から呪う。今や、日本国も日本民族もすでに一つの「まとまり」ではなく、それらは完全に分裂している。
満ち足りた人たちがつくる日本国と、貧しい人たちがつくる日本国は決して同じ国家ではないだろう。それらは別々の利害を持った別々の国家だ。つまり今の日本国は二つの国家の寄り合い所帯だ。別々の方向性を持った2つの「国家」が同じ領土の内側で闘争を開始する。
そして、満ち足りた人たちで構成された日本民族と、貧しい人たちで構成された日本民族は別々の共同体をつくるしかないだろう。なぜなら「一つの日本民族という外形」を構成しているこれら二つのグループの利害は完全に相反しているからだ。
つまり裕福な人々のグループが更に富を蓄積するためには、貧しい人々の収入を更に削らなければならないし、逆に、貧しい人々のグループが今より良い暮らしをするためには裕福な人々が属するグループの利益を削減させねばならないからだ。
やがてその日が来るまで・・・私たちは、同じ日本国民という偽りの外形を保って存在するしかないのだろう。
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