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白蓮の息子・香織(かおり) 「白蓮」 (河出書房新社)より
NHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」を毎朝観ています。
今週は、学徒出陣で出征した息子の帰りを待つ白蓮のもとに悲しい知らせが・・・。 終戦の4日前、8/11に鹿児島で爆撃を受けて長男が戦死したとの電文でした。
7年ぶりに訪問した「腹心の友」花子に、白蓮が怒りの言葉を放つ。
「あなたが、純平を戦地に送ったのよ。ラジオで、子ども達にお国のために命を捧げなさいと言ってたでしょ。純平を返してちょうだい・・・・・」
視聴者の中には「花子だって心から戦争に協力したわけじゃない・・・蓮さま、許してあげて!」と思ったファンも多いのではないでしょうか?
私も、クリスチャンの花子が「心から戦争を賛美するはずがない!」と思っていたのですが、事実は残念ながらアンビリバボー・・・でした。
8/22〜9/1、福島市の中合福島店で「赤毛のアン展」が開催されました。
「赤毛のアン」の原作者、L・M・モンゴメリと、翻訳者、村岡花子の生涯と作品を紹介する企画展で、二人の直筆原稿や初版本などの貴重な資料、約110点が展示されていました。 ☆多くの人で賑わった「赤毛のアン展」会場前
「全国のお小さい方々、ごきげんよう」
会場に設置されたラジオの前では、村岡花子の生の声を聞くことができました。 声というのは不思議なもので、発する人物の「隠されたノイズ」も聞き手に伝わることがあります。
貴重な資料には、とても感動したのですが・・・
何か、言葉にできない違和感を抱いて、会場を後にした私でした。 9/10発売の「中央公論」10月号に、北海道大学の中島岳志先生が、ドラマ「花子とアン」の時代背景について興味深い文章を書いておられます。
その中島先生によれば、花子は、かなり前のめりに戦争に加担していたとのこと。
『女たちの戦争責任』(東京堂出版)には、花子の随筆(以下)が紹介されています。
「私は、戦争の文化性を偉大なものとして見る。平時には忘れがちになっている最高の道徳が戦争に依って想起され、日常の行動の中に実現される」
「母は、国を作りつつある。大東亜戦争も突きつめて考えれば、母の戦である。家庭こそは、私どもの職場。この職場をとおしての翼賛こそ光栄ある使命である」
内閣情報局と大政翼賛会の指導のもとに結成された文学者組織「日本文学報国会」の大会で、花子は「子ども達の裡にこそ、大東亜精神を築き上げるべき」と演説したそうです。
当時、クリスチャンの花子は、日本基督教婦人矯風会に所属し、大会の書記や雑誌の編集などの活動に関わっていました。
この団体は、キリスト教福音主義に根ざした禁酒禁煙運動をルーツに持ち、公娼制度の廃止や婦人参政権運動などを行っていました。 教会が、翼賛団体と化す経緯は、また別の機会に書きたいと思いますが、
これこそ「神への冒涜」・・・だったのではないでしょうか? ナチスの思想を拡大させた国も、原爆を投下した国も、仏教国ではなく、
キリスト教の国であるということを、もう一度、痛みと共に思い起こす必要があります。
根深い「優生思想」が、脱原発や人権派の人々の内にも存在する現実を、
私たちは福島という場所で、リアルに実感してきました。
言論の自由を盾にした「暴力」・・・
例えば、被ばくによって障がい児がたくさん生まれている事実を隠すな、とか・・・被ばくした娘とは結婚させない・・・などと公言する政治団体や学者に対して、女性の人権を守るための活動を行ってきた人々が、曖昧な対応しかできないのはなぜなのか・・・ずっと考えてきました。
無意識の井戸を深く掘り下げていかなければ、「花子とアン」の時代の「本質」を見抜くことはできないのかもしれません。
その深い反省に立って、福島からどのようなメッセージを発信できるのか・・・・・
考えていきたいと思っています。
ドラマの中では、壇蜜さんが演じた「白い割烹着集団」の、「非国民」叩きの優越感と選民意識が、「お国」を下から支えていたのでした・・・・・そして、
海の向こうには、アジアの「(いわゆる)従軍」慰安婦の慟哭・・・・・。
これらは、切り離すことのできない問題です。
日本の女性が、その主体的責任を回避することは決してできないと思います。 (※「現地人に対する性犯罪を防ぐため」として慰安婦募集が行なわれましたが、
キリスト教国においては、兵士個人が犯した強姦、殺人は、国とは直接関係がないというスタンスのようです。それ故日本の慰安婦問題では、叩く側に回っています。
終戦直後にアメリカは日本女性に何をしたのか?という問題もあります。
ベトナム戦争下での殺人、強姦・・・・・未だ誰一人として責任を取っていません) ☆作家の森まゆみさんが寄稿の中で、花子の戦争協力について触れています。
ドラマの中では、売れっ子作家の宇田川満代が「ペン部隊」として従軍していきましたが、当時は、「放浪記」で有名な林芙美子も従軍記者として戦地に赴きました。
また、日露戦争時には「君、死にたまふことなかれ」と歌った与謝野晶子や、平塚らいてう、市川房枝といった女性たちまでもが、戦争を賛美し協力していきました。
婦選運動の中心的人物であった市川房枝は、日中戦争勃発直後に次のように言いました。 「然し、ここまで来てしまつた以上、最早行くところまで行くより外あるまい。(中略)悲しみ、苦しみを噛みしめて、婦人の護るべき部署に就かう」 当時の体制にそった中央協力会議などに加わる婦人の運動家・作家・評論家・教育者たちにもそれは共通で、
「国策の線上に婦人が招かれたことはこの国の女性文化の一つの飛躍である」
(村岡花子)
「家族的国家は世界の家庭の模範」(羽仁もと子)などの主張を展開していたそうです。 そして、
「社会人として生存するに不適当な、悪質劣等な、非能率的な流れを、その水源においてせきとめる」 と「著作集7」に書いた平塚らいてうは、断種法を要求した強烈な優生思想家でした。 あまり知られていませんが・・・真実です。 「女性解放」や「脱被ばく」をスローガンに掲げる反戦反核運動が、このような負の歴史を温存していないだろうか?
敗戦から70年めの節目に、福島の地から問題提起していきたいと思っています。 ☆福島市庭坂の蓮畑にて
(追記)
宇部短期大学の杉山博昭先生の「キリスト教社会事業家と優生思想」という論文を読みました。
大正・昭和期のキリスト教社会運動家で、世界的にも有名な賀川豊彦氏らに関する考察です。賀川牧師は、「貧民街の聖者」といわれた方です。
戦前から戦後にかけて、日本の労働運動、農民運動、生活協同組合運動の黎明期にリーダーシップを発揮した方ですが・・・思想の根底に、優生思想がありました。
詳しくは、次回、紹介します。
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