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宝の山(別館)
12月18日頃より「黒いシッポの某おじさん」絡みでたんぽぽ別館の成り済ましが出没。シッポがリンクカウンターを外部から勝手操作か

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◆「表現の自由」を隠れ蓑にした、リベラル派的右翼愛国運動であることは明らか
 
◆ここでも『全問題の中心に愛国心』
 「言論表現」問題の中心にも愛国心が?
 
 
 
こういう自由って有り得ない自由です。
 ↓↓↓
 
とりぱん@元気がないので何もできない
 
 
 
    
 
ただでさえフランスのイスラム教徒たちは貧困と差別に苦しんでいる。
この国ではナショナリズムの高まりとともに、世俗主義や言論の自由といったリベラルな価値観を隠れみのにした外国人排斥がまかり通っている。
 
 

「表現の自由」の美名に隠れた憎悪も糾弾せよ

Charlie is Heroic and Racist
 
http://www.newsweekjapan.jp/stories/2015/01/15/reuters/magw15jan040115.jpg
自覚が必要 単なる攻撃でしかない風刺画もある(仏ストラスブールの欧州議会前で表現の自由を求めるデモ) Vincent Kessler-Reuters
 
 犠牲になった週刊紙シャルリ・エブドの編集者や風刺画家は、今や「表現の自由」という大義の殉職者と化した。殺害の脅迫にも屈せず風刺画を掲載してイスラム過激派を皮肉ってみせ、銃弾に倒れた。私たちが尊ぶ表現の自由という理想のために、勇敢なる死を遂げたとたたえられている。
 だが、そう単純な話でもない。預言者ムハンマドを題材にした彼らの風刺画は、無分別で人種差別的だったとも言えるだろう。
 
 すべての風刺画がそうだったとは思わない。スンニ派テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)戦闘員がムハンマドの首を切り落とそうとしている絵は、過激派がいかにイスラムの信仰から乖離しているかという矛盾を鋭く突いていた。
それでも大方の風刺画はムハンマドをかぎ鼻の悪党として描いていた。ムハンマドの絵を描くこと自体を冒涜と考えるイスラム教徒の怒りをあおることだけが目的のようにも見えた。
 
 ただでさえフランスのイスラム教徒たちは貧困と差別に苦しんでいる。この国ではナショナリズムの高まりとともに、世俗主義や言論の自由といったリベラルな価値観を隠れみのにした外国人排斥がまかり通っている。
 シャルリ・エブドは、誰をも平等に風刺の対象としていると主張するかもしれない。だが「白人至上主義」との批判があるのもうなずける。あるオンライン雑誌の投稿にあったように、「白人男性による攻撃は優れた風刺にはなりにくい」。
 
 シャルリ・エブドの作品は勇敢であると同時に下劣でもあったが、この現実は受け入れ難いようだ。テロ事件後に巻き起こった議論は大抵、欧米人がイスラム教徒の感情を害することは許されるか許されないか、という二者択一だった。ムハンマドを描くことは言論の自由の下に擁護されるべきなのか、一切慎むべきなのか。
 
 ニューヨーク誌のジョナサン・チェートに言わせると、答えは明白だ。「宗教を冒涜する権利は自由社会の最も基本的な権利の1つだ」と、彼は書いた。
 

『悪魔の詩』とは別問題

 だが、この問題を二者択一で論じるのは誤りだ。私たちは罰せられることなく、憎悪に満ちた発言やばかげた言葉を口にできる。だがその権利を行使するためには、自分がしていることが憎悪に満ちたりばかげていることを自覚しなければならないし、場合によっては擁護してもらえないこともあると認識しなければならない。
 
 リベラル派ブロガーのマシュー・イグレシアスが主張したように、シャルリ・エブドを擁護するのは必要ながらも「遺憾なこと」だ。彼らは反イスラム感情を巧妙に覆い隠し、「辺境に追いやられた少数派を苦しめる」。それに従い、怒れる過激派も増大することになる。
 
 明白な人種差別も権利の1つであると声高に主張するのであれば、私たちは同時に明白な人種差別を声高に非難するべきだ。「先鋭的」風刺画が単にくだらないイスラム攻撃である場合は、そう指摘しなければならない。
 
 サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』は欧米で高く評価され、イスラム世界では猛反発を呼んだ問題作だが、すべてのムハンマド風刺が同列であるかのように扱われるのは間違いだ。
 
 フランス全土が悲しみに沈む今、こうした問題を論じることは難しいが、必要なことでもある。現時点でグーグルはシャルリ・エブドに30万ドル近い寄付を申し出ており、英ガーディアン・メディアグループも15万ドルを寄付、フランス政府は100万ユーロ超の支援を約束している。
 表現の自由を支持する力強い動きだ。だが同紙の「表現」は、政府が支援すべきたぐいのものとは思えない。
 
© 2015, Slate
[2015年1月20日号掲載]
 
 
 

 
 
 
◆『全問題の中心に愛国心』
 「言論表現」問題の中心にも愛国心が?
 
 
 
「愛国心無き、○○△△△は有り得ない。」
 
愛国心無き言論の自由は有り得ない??
 
 
 
 
○○と△△△のところにはどんな名詞、言葉でも当てはまります。
 
例えば「愛国心無き、左翼の言論の自由は有り得ない。」とやったところで何ら違和感はないでしょう。
また差別主義のフランス国民戦線なども愛国心を掲げながら移民反対と今回のテロに反対してますから、「ニセ愛国者のテロ反対は有り得ない。」とやったって何ら違和感ない。
 
「愛国心が根底に据わっているか否か、それはホンモノの真の愛国心かニセの愛国心か」
某「短○○じさん」のようなファシスト愛国者にとってはここが一番大切なことなのです。「真の愛国」が全問題の中心に据わっているかどうかが、ファシストには大問題なのです。
 

 


 

 

たんぽぽの『「もちろん人々は戦争を欲しない。」ヒトラーの、政権奪取への道のり』から・・

 

 「愛国心がない」と批判すれば良い。
ヘルマン・ーリングの言葉。
全ドイツ軍最高位の国家元帥
 
「もちろん人々は戦争を欲しない。
しかし結局は国の指導者が政策を決定する。
そして人々をその政策に引きずりこむのは、実に簡単なことだ。
それは民主政治だろうが、ファシズム独裁政治だろうが、議会政治だろうが、 共産主義独裁政治だろうが、変わりはない。
 
反対の声があろうがなかろうが、人々が政治指導者の望むようになる簡単な方法とは・・・
国が攻撃された、と彼らに告げればいいだけだ。
 
それでも戦争回避を主張する者たちには、

「愛国心がない」と批判すれば良い。

そして国を更なる危険にさらすこと、これだけで充分だ。」
 
 
 
 
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