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しかし、信じよう。
今はデモの興奮と熱狂のなかで無自覚に行動している若者から、必ず反レイシズムの先頭に立つ人間が出てくることを
 
自身の中にもある差別意識を決して忘れず、それを克服するためにこそ、ヘイトスピーチと闘わねばならない。
 
 
 


 
 
 
http://www.labornetjp.org/image/2013/makiko-logo
    第12回 2014年9月1日

「われ怒りて視る、何の惨虐ぞ」

  朝鮮人あまた殺されたり
  その血百里の間に連らなれり
  われ怒りて視る、何の惨虐ぞ
 
 
 

 これは「近日所感」と題された萩原朔太郎(写真)の三行詩で、関東大震災のあった翌年1924年の1月に雑誌「現代」に発表された。
 
 朔太郎は郷里前橋から震災の被害に遭った親戚を見舞うために汽車と荷車を乗り継いで東京にむかったが、大宮からは歩いたという。おそらくはそのときに目撃した惨状を詠んだのであろう。
 
文芸評論家の卞宰洙(ピョン・ジェス)さんによると、「朔太郎の怒りは、無抵抗の朝鮮人をふつうの民間人と軍警が一緒になって虐殺したことに、日本人の自分が許せなかったことに起因している」という。
 
また「惨虐」という語にも注目し、これは「残虐」の当て字でもなく誤字でもなく、その惨状をあらわすにふさわしい造語であったと説明されている。   関東大震災の朝鮮人虐殺にいち早く反応し、その怒りを噴出させて詩に読んだ詩人は、朔太郎のみであり、「月に吠える」で口語自由詩を完成させた近代詩の巨匠の一面は長く記憶にとどめておいてよい、という卞(ピョン)さんの指摘は重い。


  君たちを殺したのは野次馬だというのか?

  野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、日本刀をふるわせたのは誰であったか?

  僕はそれを知っている

  「ザブトン」という日本語を「サフトン」としか発音できなかったがために

  勅語を読まされて

  それを読めなかったがために

  ただそれだけのために

  無惨に殺された朝鮮の仲間たちよ



この詩は戦後に書かれたプロレタリア詩人壺井繁治の「十五円五十銭」の終章の一節である。震災時に日本兵が道行く人々誰彼なしに言わせて、「チュウコエンコチッセンと発音したならば 彼はその場からすぐ引きたてられた」という恐るべき光景を目撃して書いた詩である。
 

大震災から90年を経た日本の大都市では、竹槍のように鋭い狂音を発するハンドマイクを持ち、鳶口のように危険なプラカードを握りしめ、日本刀のように血なまぐさい言葉の暴力をふりまわしている。「殺せ!殺せ!」と。

 

21世紀の今日、世界中のどんな国でも許されていない人種差別と殺人教唆が渦まく文明国(!?)で、各国の友情と協栄の祭典オリンピックが開かれるとは。何というブラック大国ジャパンだろうか。

 

しかし、信じよう。今はデモの興奮と熱狂のなかで無自覚に行動している若者から、必ず反レイシズムの先頭に立つ人間が出てくることを。いや実際、そういう青年はもう出て来ているのだ。彼ら自身も貧困や格差・差別に囲まれていることを忘れず、彼らに届く言葉を詩人のように磨かねばならない。

 

青年たちに凶暴な言葉の暴力を吐かせ、憎しみを募らせるように唆し、操り、使嗾(しそう)するものの正体こそ暴きだし、糾弾していくことが大事だ。

 

朝鮮問題は日本人のアキレス腱であり、リトマス紙である。神功皇后伝説以来の朝鮮蔑視と侵略思想は深く日本人の血として脈々としてうけつがれ、いまや排外主義者のヘイトスピーチとしてどす黒く吐き出されている。
 
自身の中にもある差別意識を決して忘れず、それを克服するためにこそ、ヘイトスピーチと闘わねばならない。冒頭の朔太郎の三行詩を改めて心に刻みつけたい。
 
なお、卞宰洙(ピョン・ジェス)さんの朝鮮と日本の詩人について書かれた評論集が年内に発刊予定とのこと、私たちはそこから多くのものを学ぶだろう。
 
 
 


 
 
おまけ
 
「差別と排外」の頂点に立つのが天皇と天皇制なのだが、「天皇崇拝右翼は本物の右翼だ」として播磨屋に心酔する擬装左翼のファシストおじさんがいる。
 
「自身の中にもある差別意識」を考えもせず、上っ面だけ装って差別反対を言っているからこうなる。
某「短○○じさん」の本性がよく分かる記事です。
 
 
イメージ 1
 
 
朝鮮人を強制連行したのも、慰安婦狩りしたのも天皇の軍隊であったことはスルーか!!
 
 
 
天皇を奉りあげておいて、いったいどの面さげて「私は差別反対です」なんて言えるのだ!!
 
 
「海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていた。」 
           (中曽根元首相が自ら“手記”で明記)
 
 
 
 
中曽根元首相の“手記”が収録されている『終りなき海軍』(文化放送開発センター)
 
 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
  
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。
 
 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。
 
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」
 
 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。
 
 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。
 
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」
 
 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。
 
 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。
 
 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。
 
 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。
 
 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 
 
 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。
 
 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。
 
 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。
 
「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」
 
 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。
 
 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日〜同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。
 
 そして2つの地図を見比べてみると、“ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。
 
 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。
 
 もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。
 
 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。
 
 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
 つまり、中曽根首相がこうした“強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。
 
 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。
 
 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。
(エンジョウトオル)
 
 
 
提訴者・李信恵(リ・シネ)さんの勇気ある決起断固支持!!
嵐のような排外主義、差別主義に委縮せず、正面から立ち向かおう
 
 
いま必要なのはこれです
怒りの決起です
 
秘密保護法や日本版NSC法が成立した今、某「短○○じさん」が言うような「親切な脅し」が社会に蔓延るのはまさにこれからなのです。
正しいこともタダでは言えなくなってきた。まさに勇気が要る時代に入ってきたのです。
 
それは当たり前ですね、これから戦争の出来る国にして行こうと言うのですから、タダで正しいことを言わせてくれるわけはありません。
 
「闘わない方がいいですよ、闘うと公安警察に睨まれますよ。公安は怖いですよ。活動家と見なされて仕事も出来なくなるし、家族が路頭に迷います。そうなると困るでしょ??
あなたのためを思って親切心で忠告しているのですよ」
 
(某「短○○じさん」の迷言より)
 
 
何度も言いますが、これは有形無形の国家権力の暴力に恐怖させ、委縮させ、沈黙させるための「親切を装った敵の脅し」なのです。
 
ですが過激派と言われようが活動家と見なされようが、「ならぬことはならぬ」のです。私達が静かに沈黙していれば敵の攻撃は収まりますか。
そうじゃない、収まらない。
ますます嵩にかかって増長するだけなのです。
何故かと言えば、戦争と差別排外は一体のことだからです。戦争と差別排外は一体不可分であり二人三脚でやって来るのです。
だから戦争に反対する人は9条改悪や集団的自衛権に反対するだけではダメで、被差別在日アジア人民と連帯して差別主義・排外主義と闘う必要があるのです。
 
 
李信恵(リ・シネ)さんの勇気ある決起に学び、支持し、共に闘い、日本人としての恥ずべき腐敗を乗り越えましをう。
在特会のような連中にこんな差別暴言を許しているのは他ならぬ私達日本人自身なのです。 私たちの責任なのですから。
 
(以上、当ブログ管理者)
 
 


 
 
 

ヘイトスピーチ:ネット発言で在特会提訴へ 在日女性

2014年8月15日  琉球新報 
 
 インターネット上の人種差別的な発言で名誉を傷つけられたとして、在日朝鮮人のフリーライター、李信恵(リ・シネ)さん(42)=東大阪市=が、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠会長や在特会に約550万円、また発言を掲載したインターネットサイト「保守速報」の運営者に約2200万円の損害賠償を求める訴えを、18日にも大阪地裁に起こす。
専門家によると、在日への「ヘイトスピーチ」を巡り、個人が賠償請求する訴訟は初めてとみられる。

 李さんによると、桜井会長らは昨年初めから今年7月までインターネット上で、在日朝鮮人という李さんの出自を取り上げて、「不逞(ふてい)鮮人」などと蔑視、差別するような言葉を繰り返し投稿。「保守速報」も昨夏から今年7月まで同様の匿名による差別的な発言を掲載した、としている。

 ヘイトスピーチを巡っては、京都地裁が昨年10月の判決で、在特会などによる京都朝鮮第一初級学校(当時)への街頭宣伝を「人種差別」と認定。大阪高裁も今年7月の2審判決で、1審の判断を支持した。在特会側は上告したが、李さんはこうした経緯をふまえ、桜井会長らの発言が「人種差別撤廃条約が禁じる差別に当たる」などと主張する。

 ヘイトスピーチの法規制を研究する師岡康子弁護士(東京弁護士会)は「学校を攻撃対象とした朝鮮学校訴訟から発展して、今回の訴訟には、特定の個人に対するヘイトスピーチも違法だと確認する意義がある」と話す。【松井豊、後藤由耶】
 ◇「家族も友人も傷つき悲しい」

 「朝鮮ばばあ」。インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」や動画サイトでは、李信恵さんに対する発言がしつこく繰り返されてきたという。これに同調し、ネット上には「サッサと朝鮮へ帰れ」など匿名による「ヘイトスピーチ」があふれ返り、昨年には李さんへの殺害予告もあった。「私だけでなく家族も友人も傷つき、悲しい気持ちでいっぱいだ」と言葉を詰まらせる。

 李さんは在日朝鮮人1世の父と、2世の母を持つ。ネット上のニュースサイトでライターをし、東京・新大久保や大阪・鶴橋で広がるヘイトスピーチについて批判的な記事を複数書いてきた。これが、在特会の支持者らの格好の攻撃の的になり、李さん側がネット上で反論。差別的な攻撃がさらに強まっていった。

 今年初めには、ネット上で母親への批判的な書き込みを見つけた長男(15)が「あんなことを言われ、僕も傷ついている。もう反論せずに関わらんといて」と泣いたという。【後藤由耶】
(毎日新聞)
 
 
 
黒マグロさんの下記ご質問に回答致します。


 
昔は確かに川向こうの公園外にありました。しかし、 韓国人原爆犠牲者慰霊碑については、公園内に移設されたと記憶しているのですが?
【広島平和記念資料館】
11
 韓国人原爆犠牲者慰霊碑
平和記念公園内への移設
碑は、朝鮮王家の一族李殿下が原爆被災後にその姿を発見された場所に近いという“ゆかり”から本川橋西詰めに建立されました。その後平和記念公園内への移設について各方面から強い要望が出され、広島市と関係者との協議により、1999(平成11)年7月公園内に移設されました。(略)


 
確かに形的には公園内になるのでしょうね。しかし私の目には公園内にあるようには見えません。
黒マグロさんから頂いた上記の内容だと韓国側が朝鮮王家の一族李殿下の“ゆかり”の地に好んで建てたような印象ですが(日本側のWebサイトでは詳しく載っていませんから仕方がありませんが)実際はそうではありません。(広島県なのか広島市なのか、日本政府も関与しているのかわかりませんので日本側と記します。)
 
日本側の反対により平和公園内に建てられなかったため“ゆかり”の地に建てるしかなかったわけです。
(※平和公園内に建てさせようとしなかったその理由を今からでも聞いてみたい。ジャパニーズ オンリーですかね、やっぱり)
 
広島韓国人原爆慰霊碑移設1周年に際しての民団新聞より
一部抜粋します。
 
念願の移設をはたした昨年に続いて2回目の公園内での慰霊祭」
「慰霊碑は、1970年に民団の有志らによって建立されたが、広島市は67年以降公園内への碑の新設を認めていなかったため、川を隔てた公園西側の本川橋西詰に設置せざるを得なかった。
「しかし、在日韓国人はもとより、多くの日本人や海外からも「公園の外にあるのはおかしい」など差別の象徴だという声が相次いでいた。このため広島市は昨年初に公園内への移設を認め、昨年7月に建立から29年ぶりに公園内への移設を果たした。」
 
これが現実でした。
しかし、ここでも簡単な説明しかしていません。
 
公園内に移設されるまで、すったもんだ揉めに揉めて「人種差別だ」「死んでもなお差別するのか」の声とともに反発、批判され、国際的体裁を気にして、しゃーなしで移設を許可したわけです。しかも条件付きでした。あろうことか日本の「加害」の文面にイチャモンをつけたのです。「強制連行・強制徴用」の削除です。なぜこのようなことが起きたかという説明文の削除が条件だったのです。
 
当時の新聞の見出しを見るだけで公園内移設へのすったもんだがわかります。是非見て欲しいです。
碑文から消される加害
 
1990.5.19の中国新聞

1990. 5.19
中国
「心の痛み」に鈍感だった  広島市 対日非難で腰上げる

「「心の痛み」に鈍感だった」この言い訳もスゴイ。20年間も気付かなかったそうです。被爆を経験しても被爆の痛みがわからないことってあるんですね。
そしてこの時から移設までさらに9年もかかるんですよ。「心の痛み」はどこへやら。
 
1990.5.27中国新聞

1990. 5.27
中国
韓国人原爆犠牲者慰霊碑「移転決定に感謝」

感謝?当たり前の事でしょう。人が良すぎるとしか言えません。
 
長崎には今だに韓国朝鮮人慰霊碑はないそうです。碑文の内容に長崎がイチャモンをつけ建てさせていません。「強制連行・強制徴用」で被爆したのにその文言が気に入らないのだそうですよ。広島も長崎も同じですね。被爆を経験した者が被爆を経験した者を差別して排除する。。なんともおぞましいことだと思います。だから平和の誓いが虚しく聞こえるのでしょうね。
 
話を広島に戻します。
「平和公園に慰霊碑はある」は、日本が日本の加害責任を反省し建てたかのような印象を持たすサイトがあることにゲンナリしますが、慰霊碑は日本の加害の責任において日本側がその責任を果たすため建てたものではないばかりか30年も公園内への移設を拒否していたのです。碑は被害にあった韓国人有志が立てたものということにも怒りと驚きを感じます。そしてまた過去には碑にペンキをかけるなどの行為もあったようですが呆れるばかりです。
(※朝鮮人慰霊碑は今もありませんね。このままで良いはずがないのですが日本側はいったい何をしているのでしょうか?朝鮮人の「心の痛み」は想像できないのでしょうか?)
 
確かに形的には公園内ですが、私の感覚では「従軍慰安婦にあてた歴代首相のお詫びの手紙」と同じなんですよ。事務方が用意した手紙に名前とハンコひとつポンっと押しただけの形だけの、形ばかりのあの手紙です。謝罪とは被害者本人の前で頭を垂れ「ごめんなさい」と言うことです。しかしあの「紙」で「謝ったやろうが!」という人間も多いわけで(呆)
 
日本側が被害者の気持ちを尊重し、そして日本の加害責任を反省し、日本の被爆者と何一つ違わない対応をしてはじめて「公園内にある」と胸を張れるのではないでしょうか。「過ぎたことは仕方がない」と言いたい人も多いでしょうが、安倍は加害責任についての文言を削除しました。過ぎたことではなく今も日本側は日本によって被害を受けた人々を外に置いているといえます。
 
そしてもう一つ、なぜ韓国人慰霊祭は85日に行っているのか。。。日本側から「どうぞ、86日に行ってください。」と言ったことがあるのだろうか?
そして在外被爆者への厳しい対応。。。というか差別そのものの対応。。
まだまだ私には「公園内にある」とは言えません。私には「公園内」に見えません。
 
ツィッターは文字数の制限もあり(もちろん私の文章力の無さもあり)誤解も多いのですがそういうことです。次々に「撤去」などの問題もあり、日本の「慰霊碑」について書こうと思っていました。黒マグロさんの質問を機会に言いたいことの半分位は書けて良かったと思っています。
 
ついでと言ってはなんですが、saraブログをご覧のみなさまへ
これから一週間留守にしますのでコメントに対するお返事は一週間後からとなります。スマホをいじれる時間があればお返事できますが。。ご了承くださいますようよろしくお願いします。
 
             sara
 
 

転載元転載元: 自浄能力のない国に、もの申してやるよ。有り難く頂戴しなさい。

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