先日、獄中44年で、肝臓癌にかかり、手術の末肝不全で獄死した星野文昭さんの追悼と虐殺弾劾の法務省包囲デモに参加した。320人以上の参加者は、喪章を着け、星野さんの遺影を掲げ、星野さんが獄中で描いた絵を何枚も掲げ、法務省一周のデモをおこなった。

星野文昭さんは、1971年に渋谷で行われた沖縄返還協定反対のデモに立ち上がった。そのデモで警官1名が死亡したが、デモ隊のリーダーだった星野文昭さんが、実行犯としてでっち上げられた。1975年の逮捕から一審では死刑を求刑され、その重圧の中獄中精神病も発症するが非転向を貫く。

1987年には最高裁で無期懲役の刑が確定し、以来徳島刑務所に収監されてきた。その間、裁判を通じて知り合った支援の暁子さんと獄中結婚もした。

昨年夏、文昭さんは作業中に倒れたが、徳島刑務所は十分な検査もせず放置。急激な体重らを訴え、癌も疑った。

3月になり、ようやく腹部エコー検査を行うがその結果を本人にも知らせなかった。この間本人と家族は、仮釈放の申請を四国更生保護委員会に提出していたが4月になり、突然訴えを却下。4月18日になって「エコー検査の結果が悪いからと」だけいわれ、東京昭島の矯正医療センターに車で移動。10時間かけて、手錠、腰縄付きで、トイレも車中を強制!

医療センターで造影CTやMRIの精密検査をうけ、大きさ11cm✖️14cmの巨大な肝臓癌であることがわかった!

 がんを手術で除去することも可能であることにかけ、5月28日5時間の手術を行った。しかし、翌日早朝に容態が急変、術後急性肝不全に陥る。暁子さんも呼ばれ、初めて手を握りハグもするが、それもわずか10分だけ。次の日の夜文昭さんは息を引き取る。

  文昭さんは、不屈の44年の闘いの末、獄死を強制されたのだ。日本の刑務所システムが彼を殺した。徳島刑務所が検査を怠っている間に癌は大きくなって手の施しようがなくなった。四国更生保護委員会はわかっていながら仮釈放の訴えを棄却した。刑務所所長も更生保護委員会の委員長も人事異動で逃亡した!恥ずかしいと思わないのか!もっと早く検査をしていれば、危険な手術に挑まずに済んだのになんということだ!

  昭島の医療センターも家族への説明もそこそこにセカンドオピニオンも認めず、家族の立会いも認めなかった。手術開始からなくなるまでいまだにブラックボックスだ。こんなこと許されていいのか!

  星野文昭さんが亡くなった責任を問うため国家賠償請求を現在提訴し、証拠保全を申請している。そうでもしなければなくなった原因はおろかデータ一つ明らかにされない獄中医療の闇を許してはいけない。