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1421(145、146、147、148、149、150)
世宗実録3冊、世宗1年4月29日癸卯1419年
柳廷顕等さらに留まって入浴するように求めたが上王が次を既に定める。
○柳廷顯、趙末生等問起居, 仍請更留六七日湯浴, 上王曰: "予右臂酸痛, 手指屈伸不如常, 今以沐浴之功, 疾已瘳矣。且與主上偕來, 從者甚多, 豈無其弊? 況今久旱, 予甚憂之, 速還爲計。" 廷顯等復啓曰: "凡湯浴後, 必累日安歇乃可。聖躬若安, 何論從者之弊?" 再三固請, 上王曰: "予此浴, 初浴也。初浴, 不可久也。後當率衛士一二百, 更來久留。吾計已定, 勿復更請。"
●柳廷顕、趙末生等が見舞って、そこで更に6,7日間留まって入浴するように求めると、上王が言われた、「私の右腕が非常に痛くて、指を曲げるのも正常ではなかったが、今入浴した効果で病気がすでに癒えた。また、主上と共に来て、従者が非常に多いから、どうしてその弊害がないだろうか。まして今、日照りが長く続いて予は甚だ心配している。速く戻って計らねばならない。」柳廷顕等が再び奏上した。「だいたい入浴した後は必ず数日を楽に休むのがよいということです。玉体がもし安らかならば、従者の弊害はどうして論じることがありましょうか。」二三度強く求めたが、上王は言われた、「予は今回の入浴が初めてなので、初めての入浴を永くすべきではない。後日に衛士1、2百人を率いてきて長く留まるだろう。私の計画はすでに定まった。これ以上求めるな。」

世宗実録3冊、世宗1年4月30日甲辰1419年
御駕が温泉に留まる。
○甲辰/駕留溫泉。
●〔省略〕。

世宗実録3冊、世宗1年4月30日甲辰1419年
女王が入浴して平安に休む。
○上王浴訖就歇。
●〔省略〕。

世宗実録3冊、世宗1年4月30日甲辰1419年
御駕に随行した人に酒を下賜し、農夫酒食を下賜する。
○賜隨駕大小員人酒, 又賜農人酒食。
●御駕に随行した大小人員に酒を下賜して、また、農夫に酒食を下賜した。

世宗実録3冊、世宗1年4月30日甲辰1419年
趙末生に留まって入浴するよう命じる。
○命趙末生留浴, 仍賜糧米酒飡。
●〔省略〕。

世宗実録3冊、世宗1年5月1日乙巳1419年
御駕が温泉に留まる。
○駕留溫泉。
●〔省略〕。

1271、
少しだけ後戻り。
『ビジュアル博物館旗』同朋舎出版、初版1991.3.20(2版1994.7.20)の表紙裏に画かれた旗の模式図が、二上、葛城、金剛の山並みにそっくりだ。実際の写真では、下の方が波打ったりするのが多いが、ポールを左斜めに傾けたり、風が下から吹き上げたりすると、上の方も波打つ。それが印象的なのか、模式図では、上下同じように波打つのが多い。上述の本では、52頁の旭日旗の絵がみごとに波打っている。
次は、4-518の
 石川郎女歌一首 即佐保大伴大家也
春日野の山辺の道をよそりなく通ひし君が見えぬころかも
春日や春日野そのものは今までにも出たし問題にすることはないが、そこの山辺とはどこなのか。ちょっと興味がある。理願挽歌で少し触れたように、佐保から、高円山の麓へ彎曲しながら行く道だろうという予測はつくが、通説はひょっとして、御蓋山の麓などを想定しているのでは、と思うからだ。
登大路などはだらだら登りではっきりしないが(それでも近鉄奈良駅東の春日ホテルの前あたりはかなりの坂だ)、船橋通りのすぐ西、奈良ホテルの前面などは誰が見ても大きな崖だと分かる。その崖下をたどるのが、春日野の山辺だろうと思う。

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