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キリスト教においてはイエスの血脈が正統なものであることが重要であることは、門外漢である私にも容易に理解できます。そのことがキリスト教がユダヤの聖典であるところの旧約をその発生の源として認めている所以でもあります。つまり、キリスト教においてイエスの血脈はキリスト教を正当化するためその血統の正統性が重視される。イエスは大工の息子である。ブッダが王族の生れであったのに対してイエスは一般大衆。どちらかと言えば貧しい生れです。しかし、その血統をたどるとソロモンやダビデ、果てはイスラエルの創始者アブラハムまで遡ることができる。しかし、その教義を知るにあたってはたかだか大工の息子であるイエスはいったい何処で、基盤となる教育を受けてきたのでしょうか・・・?最近では洗礼者ヨハネもイエスもエッセネ派というユダヤ教の一派の共同体の中で育成されたとする説が大きく紹介されています。
エッセネ派は紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけて存在したユダヤ教の一派です。『エッセネ』という名前の由来は。古代シリア語で“医師”を 意味するといわれています。また、その教義により“敬虔”と訳されることもあるようです。エッセネ派はモーゼの律法を真摯に守り、禁欲的な修道生活と共同生活、婚姻によって結ばれない独身主義、菜食を守り祈りと瞑想に主眼を置いたとされています。婚姻によって子孫を残すのではなく教理にのっとって教団の仲間とする。厳粛な誓約と規律の遵守により宗教的清浄さを徹底しようとした敬虔な教団であるとされています。ヨセフスが『ユダヤ戦記』で彼らのことを『高潔な生活をすることで知られるエッセネ派』と紹介しています。
洗礼者ヨハネもエッセネ派に属し幼子イエスとは幼馴染(エッセネ派は幾つもの集団に分かれて共同生活を行っていたということですから、実際的には同じグループではなかったかもしれません。そのことはヨハネが獄中からイエスに宛てて使者を送った記述からもうかがえます。ヨハネは獄中からイエスに宛てて“貴方は予言が示すとおりに救世主なのか?”と問うています)であったことがレオナルド・ダ・ビンチによって描かれる“岩窟の聖母”によっても示されています。
洗礼者ヨハネの母親はエリザベトですが、エリザベトはモーゼの兄弟のアロンの末裔であるとされています。エリザベトは夫である祭司ザカリアとの間にヨハネをもうけるわけですが、その時にはエリザベトはすでに高齢で実際的なセックスによって懐妊し子をもうける年齢ではなかった。禁欲を推奨するエッセネ教団であったわけですから洗礼者ヨハネもまた、イエスを救世主として導くための預言者として、イエスと同じように天使の祝福によって生をなしたといえるでしょう。あるいは養子であった可能性もあります。“岩窟の聖母”でもヨハネの守護天使としてのウリエルが描かれています。
1940年代後半に死海のほとりの岩窟にて夥しい数の聖書の写本が発見され“死海文書”と言われていますが、これが記述された年代などの一致により、ここに居住しこの文書を残した人たちは発見されたその場にちなんで「クムラン教団」と呼ばれていましたが、その後の研究によってこのクムラン教団の人々はエッセネ派ではなっかったか、という見解が有力です。エッセネ派の規模は約4000人にものぼりローマ帝国に滅ぼされるまで続いたといわれています。
エッセネ派の共同体に入団するには厳しいおきてに従わなくてはなりません。入団の際には所有する財産は一切教団のものとされます。貧しいものも裕福なものも、共同体の中においては皆平等です。夫婦で入団することも許可されましたが、いったん入団すれば肉によるつながりはなくなります。人の子も自分の子も皆平等。血族のつながりによってではなく、その教義によってつながっています。予言によって顕れることが約束されている救世主が顕現した暁には、その膝元に終結し救済されるその時を待っている。エッセネ派の人々は肉体は滅びても魂は不滅であると信じていました。であるからこそ清浄に生き魂を清らかなものと保つために約束を結び、規則を破るものは食事を四分の三に減らされるなどして罪をあがなうことを求められました。
また、エッセネ派は“神殿によらずして神に仕えることができる”と考えました。偶像崇拝を否定していたのです。また、生贄を捧げることも禁止しています。悪をもたらす肉体を離れた魂と精神を重要視し、魂を肉体から分離するためにの手段として祈りと瞑想を推奨しユダヤ教の聖典(旧約)に約束された救世主の到来を待ち望んでいたのです。救世主が現れた暁には真に救済されるのは自分たちであると信じていました。その祈りが天なる父に届いたのか、彼らの中から救世主が誕生したというわけです。
洗礼者ヨハネはイエスに先駆けて布教活動を始めます。“悔い改めよ、審判の日が近づいている”“私は主の途を整えているに過ぎない。私の後にその人は現れる。私はそのお方の履物の紐をとく値打ちもない”
洗礼者ヨハネは水によって洗礼を与えていますが、ユダヤの洗礼は油によってなされるのが古いしきたりです。しかし、エッセネ派においては油は汚れを付着させるものとして使用されていませんでした。そのことからも、ヨハネがエッセネ派の教育を受けていたことがうかがわれます。
“油を注ぐ”という行為にはユダヤの古い教えの中から“選ばれ者”という意味があります。エノクも神によって選ばれし者として油を注がれています。新約においてもイエスが自らを“油を注がれたもの”といっています。しかし、イエスは洗礼者ヨハネによってヨルダン川の水によって洗礼を受けています。このことは一見相反することのように思われますがそうではない。
油は精錬された香油のことです。今で言えばハーバルオイルといったところでしょうか。つまり薬効がある。しかし、それは人間の手によって人為的にに作られたものです。使い方によっては毒にも薬にもなる。それに対して流れのある川の水は自然の恵みによる。当時のヨルダン川の水が清いものであったかどうかは判りませんが、自然の恵み、つまり神の恩恵によるものとする考え方です。また、香油は高価なものであり一般の民衆には手に入りにくい貴重品です。ヨハネは水を使うことにより貴賤を問わずその精神において洗礼を施したといえるでしょう。また、イエスもヨハネによって祝福を受けます。ヨハネによって祝福を受けるということはヨハネをつかわした天使の祝福を受けることでもあります。
死海のほとりクムランは荒涼とした荒野です。エッセネ派の人々はモーゼが40年間も荒野をさまよって試練を受けたように、自分たちも荒野に身をおき苦境の中で精神修養を極めようとした人々です。しかしそれは決して苦行を推奨するものではありません。肉欲から離れ精神世界を追求するため、余分なものをそぎ落としてゆくための結果であったのでしょう。降水量の少ない地域で慈雨の恵である水は香油に匹敵するかけがえのない貴重なものです。キリストが“油を注がれたもの”といったのは、その伝統を持った人たちに受入れられやすい方便であったに違いありません。
オーラ・ソーマの創始者であるビィッキー・ウォールは“水を分けなさいという天の啓示”によりイクイリブリアムを創りました。ヴィッキー自身“どうしてそれができたのかわからない”と言っています。その結果、イクイリブリアム・ボトルのなかでは水と油が分けられ共存しています。ヴィッキーはユダヤ教のハシディック教徒の牧師を父にもち、敬虔なユダヤ教の教えの元に育てられました。“油を注ぐ”ことで知られるユダヤでは香油を精錬するする技術と薬草の知識は牧師によって受け継がれてゆくものでした、女の子供であるヴィッキーにはその秘儀相続の権利がなく、したがって相続者としての知識はありませんでした。しかし、ヴィッキーは小さいときから見えないものが見えるという特殊な能力がありました。それを知った父親はヴィッキーに日常の中でそれとなく知識を伝授していったということです。
ユダヤの教えを基盤にして創られたイクイリブリアムの中には、その秘儀が隠されているのかもしれません。伝統(油)の中から新しい流れ(水)を分け、何時しかそれが大きなうねりとなって人々を魅了する時がやってくる。精神世界の新たな夜明けが・・・。今私は、初めて水と油で構成されたイクイリブリアムの中に潜む深遠な意味が理解できたような気がします。
上記はルーブル版の”岩窟の聖母”です。依頼主の不興を買いナショナルギャラリー版が描き直されています。意味深なルーブル版、どちらがヨハネかイエスか明確でなく、また聖者としての輪もないあたり、人間としての苦悩を予見しているようで私は好きです。「何で”岩窟”なのかな~?」と最近まで不思議でした。その道の険しさを暗示するものと思っていました。それは一つの比喩なのだとおもいますが彼らがクムラン教団の出身だとすれば、これも”納得”です。遠くに見えるのは死海の塩の柱か・・・?
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オーラソーマは献灯と祈り、そして瞑想を大切にしています。エッセネ派を知るに付けその意味の重要さを再確認してしまいました。オーラソーマ哲学と言われるほど、オーラソーマを知れば知るほど奥が深くて、いったい”どんだけ〜”と言いたくなっちゃいますが、ここまで来るともう”オーラソーマ教団”と呼びたくなっちゃいます、ほんとに。読み直してみると、自分もしっかりその一員か!?ってなもんで。でも、水と油について記述はあくまでも、私個人の発想ですのでこの文責は私一個人のものでオーラソーマ本部にはありませんので、そこのところよろしくご理解ください。
2007/9/15(土) 午前 3:49 [ hyakuoku ]
キリスト教に関してはまったく知識がないのですが、以前ダヴィンチコードを読んだとき、宗教の裏に隠された闇の深さに驚きました。
偉大な宗教で歴史が長いほど、さまざまな人間たちの思惑が入り乱れ始めの純粋な本来の教団の目的が見失われてしまう危険が大きいのだと、そこで派が生まれてゆくのでしょうね。仏教しかりですね。
2007/9/15(土) 午前 7:46
そーですね。新しいものは反駁によって生み出される。
2007/9/15(土) 午後 10:14 [ hyakuoku ]
ヘロデ王はメシアとなるであろう聖なる子供が生れたという知らせを聞き、同じ時期その地域で生れた子供たちをすべて抹殺せよと命令を下します。”岩窟の聖母”はヘロデの魔の手を逃れてエジプトに逃れた。そのときに人目を避け洞窟にこもり、難を逃れます。そのときの様子を描いたのが”岩窟の聖母”なんだって。ヨハネの母親エリザベトはマリアの伯母に当たるそうです。
2007/9/16(日) 午後 10:12 [ hyakuoku ]
それにしても、父親であるヨセフが描かれていない。ヨセフこそがモーゼの流れをくんでいると言うのに・・・。これも、マリア信仰のなせる業なのか?
2007/9/16(日) 午後 10:16 [ hyakuoku ]
素朴な疑問というか、無知でごめんなさい。
マリアの血脈というか子孫ているんですか?
今でも?
イエスは殺されちゃったでしょう。
2007/9/17(月) 午前 9:44
ヨセフとマリアの間にできた子供はいるみたいです。え〜と、なんていう名前だったかな・・・・。最近健忘症ですみません(汗)ですから、モーゼの流れを汲んだ血統はある時期まではあったんでしょうね。それが今に続いているのかどうかは神のみぞ知る・・・。マリアが語った言葉やその周辺の事柄について記述された文書が約100年ほど前に発見されていたんですって。”マリアの福音書”と呼ばれています。ここのところいろんなところで様々に出版ラッシュがあるようです。昔はまだ研究段階で(今でも、ある意味そうなんでしょうが)出版される書物は研究発表といった感じでとても一般には読みにくいものだったようです。最近になって日本語訳も進み、私などでも平易に読めるものになってきています。
マリアはイエスの子種を宿していてひそかに祖国を逃れ、ガリア(フランス)の地に身を隠し子供を生み、その血脈は今に受け継がれているという説を小説の中に取り込んだのがダン・ブラウンの”ダ・ビンチコード”です。
アリアとイエスの血脈が今に受け継がれているかどうかも、神のみぞ知る。もちろんバチカンは否定するでしょう。
2007/9/17(月) 午後 3:45 [ hyakuoku ]
訪問ありがとうございます。いろいろ良く調べられましたね。勉強になりました。イエスいヨハネがクムラン教団と深く関わりあっているという説もありますね。私は間接的に影響があったと思っています。
イエスから原始キリスト教団に至る経緯は興味深いですね。最近、ダビンチ・コードでダビンチやマグダラのマリヤに注目が浴びていますね。
2007/9/17(月) 午後 9:19 [ kabanotakara ]
こちらこそ、よろしくお願いいたします。ファン登録させていただいちゃいました!
2007/9/17(月) 午後 9:32 [ hyakuoku ]
>アベルさん
何かの本で読んだんですけど、なんだったか忘れちゃいましたが・・・(すみません)イエスはゲッセマネの園でユダによる裏切りを知りました。逃げることもできましたが、その教えを永遠のものとするためにあえて処刑される道を選びました。自分が罪人として磔刑にされることは知っていましたからそれを受入れたのです。最後の晩餐の夜、今までプラトニックな関係であったマリアと人間としての婚姻を結び、かくてマリアは身ごもりその血脈は受け継がれた・・・。イエスもマリアも聖者としてではなく人間として生きることをのぞんでいたのかもしれません。でも、このお話も史実であるかどうかは定かではありませんが、マリアが追っ手を逃れガリア(フランス)に逃避したのは史実のようです。そしてまた、マリアがイエスにとって特別な存在であったことは他の福音書によっても明らかです。
2007/9/17(月) 午後 10:24 [ hyakuoku ]
エッセネ派は仏教と似てると思ったのですが、
もしユダヤ教が元々霊と肉を別々の物と見ないのであれば、やっぱり仏教とは違いますよね...
エッセネ派出身のマリアとは、マグダラのマリアですよね。売春婦というのは、後にパウロさん側の聖書編集者がそう呼んだだけなのでは。聖杯の娘の名はサラではなかったでしょうか、黒人の。
2007/9/18(火) 午後 11:32
ユダヤ教では、肉体と魂の解釈は少し異なっています。魂はもともと善なるもの。しかし、アダムとイブを始祖とする人間は楽園を追放されて悪魔の支配する地上の住人となる。追放された当初は悔い改め、神に従順を誓ってまじめに暮らしていますが、その子供らの時代になるとその精神はしだいに悪に染まってゆきます。妬みや嫉み、不平不満。悪魔の支配する地上に生れた肉体は悪霊に取り付かれやすく、その精神さえも蝕んでゆきます。しかし、神はそこに救いの手を差し伸べます。『おまえたちの生みの親である神の力を恐れ、そして敬いなさい。敬虔な神の子としての本来の姿に立ち戻れ。悪しき肉の体の欲望に打ち勝て。肉体を持つことは神の身元に帰るための試練である。肉体はしだいに歳をとりやがては朽ち果ててゆくものである。そのような肉体に宿った魂もまた堕落しやすい。であるから常に姿勢を正し私を忘れず、常に問いかけよ。自分の行いが天の意思に沿っているかどうかを。』
2007/9/19(水) 午前 1:31 [ hyakuoku ]
旧約を読むにあたって、私は以上のように感じました。かバラについては勉強していないので、正確には違うんでしょうが、カバリストたちは古い教えをよく守っていると聞きます。私の”なんちゃって解釈”によれば共通点はあるんじゃないかな〜。もちろん厳密には違うんでしょうけど・・・。
ここで言うエッセネは出身のマリアはマグダラのマリアです。売春婦と呼ばれたのはもちろん汚名をそそがれていますよね。“マリアの福音書”を読む限りマリアは敬虔で聡明、また霊視もできる指導者としての風格十分です。
2007/9/19(水) 午前 1:32 [ hyakuoku ]
え〜と、黒いマリアについてはいろんな説があるようですが、黒いマリア像はピレネー山脈東部、オーウェルニュー州、プロバンス地方の山岳部に集中しているそうです。今でこそフランスといえば花の都ですが当時は辺境も辺境、ド田舎です。石の神殿が幾つも建っちゃうようなアテネやギリシア、ローマなんかと比べたら野蛮なケルト人が住むとんでもないところ。ケルト人の信仰していたのはドルドイ教でドルドイの神々の中でも最も人気があったのが大地母神ダヌ。キリスト教世界では黒は闇の色、罪の色とされ不吉で忌み嫌われていますが他の宗教では黒は必ず悪をイメージしないんです。エジプトなどでは、もともと肌の色は褐色ですけど、ナイルの氾濫の後に現れる豊饒の土地のイメージなんですね。つまり、生命を生み出す根源的な色。そして命は子宮という闇から生れまた死という闇に帰りまた女の子宮という闇によって生み出される。つまり女性性と深く結びつくわけです。
2007/9/19(水) 午前 2:10 [ hyakuoku ]
ガリアの地に最初に布教活動を行ったのはもちろん迫害を逃れて来たマグダラのマリアたちの一行でしょう。カマルグ地方の地中海沿岸の町、サント・マリー・ド・ラ・メール教会に伝わる伝説では、イエスの処刑後紀元後40年頃、マリアとその一行はマリアの兄ラザロや姉マルタと共にガリアの地に逃れしばらくタラスコの洞窟で隠遁生活を送っていたということです。そしてその後、マリアは兄ラザロと共に布教活動を行ったとされています。
2007/9/19(水) 午前 2:45 [ hyakuoku ]
帝国の拡大のため周辺諸国を支配下に侵略してゆくローマ帝国。ローマの崇める神々は神話で良く知られたあの方たち。宗教というのとはちょっと違いますね。キリスト教の発展に伴い、ローマも泣く泣くそれを認め国教とするまでになっちゃいました。民衆が体制を動かした画期的な出来事ですよね。政治に宗教を利用したんですけどね。ローマ人たちは異教の土地を侵略していきながら、土着の信仰からキリスト教に回心するように強制してゆきます。その際には土着の偶像はすべて焼き払われたり破壊されたりしました。でも、強制されると必ず抵抗運動が起こるのが世の常です。ドルドイの黒い大地母神像はひそかに隠されました。そして大地母神信仰の厚いガリアの地域ではキリスト像よりもマリア像が受入れられたというわけです。ちょっと話が長くなりましたが、黒いマリアの存在は、黒い大地母神ダヌに替わって黒いマリアがケルト人に受入れられやすく、ローマ帝国もまたそれを容認したということでしょうね。だから黒人とは違うんですね。ここでは象徴として黒が使われダヌがマリアに取って代わったというわけです。
2007/9/19(水) 午前 3:18 [ hyakuoku ]
ガリアの地に最初に布教したのがマリアの一行だとすれば、黒い聖母子像は、もしかしたらマグダラのマリアとサラなのかもね。イエスの母も同じマリアという名前だから、イエスの母マリアとキリストの聖母子像なのかそれとも・・・。
2007/9/19(水) 午前 3:19 [ hyakuoku ]
また、旧約の『ソロモンの雅歌』には、次のようにあります。
イスラエルの娘たちよ
私はケダルの天幕のように
サルマハの幕屋のように
黒いけれども美しい
私の焦げた色にめをとめるな
私は日に焼けた
ガリアの山岳地方の人々からすればイスラエルの人々の肌は黒いと感じる色だったのかもしれませんね。黒いマリア、日焼けした褐色の色と取ることもできますよね。私たちが映画などで見ると白人が演じていますから錯覚しやすいですけど、イスラエルの人たちの肌の色は白人のそれとは明らかに違います。かといってもちろん黒ではなく、黄でも赤でもない。中東の人の肌は食べるものや気候の影響もあるんでしょうけど独特ですよね。日に焼けた褐色の色とでもいうのでしょうか・・・。
2007/9/19(水) 午前 7:45 [ hyakuoku ]
そういえば、シュタイナーが『色彩の秘密』というタイトルの本の中で(シュタイナーの本は講演記録を編纂してあるものが多くて、編纂者によって本のタイトルが違います)人の肌の色とその精神性とを関連づけていました。面白いなーと思ったんですけど、私にはちょっと難しかったです。神智学の分野って、天使とのつながりとかまで話がいっちゃって、私などには素直に受け止める以外に理解のし様がありません。啓示を受けたものにしか理解できない世界なのかな〜。
2007/9/19(水) 午前 7:47 [ hyakuoku ]
宗教は、一端権力側につきますと、侵略のための道具となり、人々を洗脳し、体制側につかせる。キリスト教はこの格好の手段でしたね。その侵略の過程で土着の宗教や民話と結びついて様々な形の伝説や教えに変質していく。その権力の象徴となったバチカンはまさしくイエスと正反対の側ですね。
2007/9/19(水) 午前 9:48 [ kabanotakara ]