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先日女流書道家展というのが文化会館でありました
友人の作品です
” 求めない すると 沈黙が生まれる
この静けさの中から
・・・・・なかの なにかが湧いてくる
愛かもね ”
数少ない読める作品でした (汗)
読むのに苦戦するのがいいのかも・・・・
加島祥造 タオイストです ”肝 (はら)”という本読みました
明日図書館いって 借りてこよう と思いました
この詩 たぶん ”求めない” っていう詩集ですね
求めない すると 沈黙が生まれる・・・・・
確かに そうだと 最近思います
この読めない ・・・・・なかの の部分
わたしは勝手に ” 言いようのない ” と読んでいました
いいようのない なにかが湧いてくる 愛かもね
違うよね だって ・・・なかの だしね
だいいち 愛って いいようのない何か かな?
わたしにとって いいようのない何か なんだろうね たぶん
好き とか 嫌い とか
いっしょに居たい とか
いっしょにいると たのしい とか
真夜中に声が聞きたい とか
いまどうしてる って考える瞬間とか
ちゃんとご飯食べてるかな って気にしてみたりとか
今幸せ・・・? って問いかけてみたくなったりとか
悩み中なの 聞いてあげるよ たぶん何もできないけど
って 声をかけてあげたくなったりとか
飲み過ぎちゃだめだよ 体に悪いから とか
強がらないで 泣きたいときは泣いて
そしたら 笑顔が まっているよ
なんて がらにもなく 説教してみたくなったりとか・・・・
そんな気持ち ぜーーーーんぶ ひっくるめて
愛かもね〜
なんて 真夜中に 一人 ぽつっと考えました
彼女 なんでこの詩を選んだんだろうなー
きっと彼女の中に 愛を考える瞬間があったんでしょうね
わたしは逆に 愛って何かな? って考えさせられました
ありがとう
今日ヘアメークリハーサルがあったんですけど
とっても楽しいお二人だったんですね
幼稚園からのお知り合いだそうで
でも、正式にお付き合いをし始めたのは一年半ぐらいなんですって
顔も名前も知ってるんだけど
深く付き合っていないから良くは知らない みたいな感じ
彼女がムードメーカーなのかな?
たぶんどこに行っても好かれる彼女で人気者さんですね
彼女がずーとしゃべってる
そこへ絶妙なタイミングで彼が間の手を入れる
へい らっしゃい !
OK っていう意味らしいです
なんか いいなぁ〜 って 思いました
彼言ってました
化粧なんかしなくていい
朝 飯つくって いってらっしゃい って元気に送り出してくれたら
それでいいんだよ
なんか シンプルだよねーーー
いいな いいな すごいステキ!
彼女が言ってました
いま 彼の両親を同居してるんです
みんな親と同居なんていやだ って言うじゃないですかあ〜
私も最初 そーいってたんですけど
この間 両親が 旅行でいなくって 二人になっちゃって
二人でいるときはいいんですけど
彼は仕事で昼間はいないわけじゃないですかぁ
その間わたしはずーーーーと 一人なわけでで
こんなのいやだなぁ と思ったんです
だから同居でよかったなあ って思って
だから毎日が幸せ
わたし幸せなんですよ―――
自分で自分のこと幸せって評価できるってすごいことだな
ほんとに幸せなんだな って思いました
愛を感じるお二人で 幸せオーラをいっぱい分けていただきました!
幸せいっぱいのおふたりにあったかいハートを感じつつ
ところで愛ってなんでしょう?
いいようのない なにか なんじゃなくて
いいつくせない なにか なんじゃないかなあ
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徒然なるままに
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ツリー・オブ・ライフ 見てきました
ブラッド・ピット が うだつの上がらないお父さん役やってる
彼には若いころ、音楽家になりたいという夢があったが
夢は現実にはならず工場監督をしている
そこそこ大きい会社に勤め
そこそこ大きな家に住み そこそこ良い暮らしをしてはいるが
彼にはいつも満たされない思いがある
自分のようになるなと、常に子供に言い聞かせる
音楽愛好家の抒情的な面と
現実を生き抜かねばならない強い男という戦闘服を身にまとわねばならない
そんな葛藤を抱えながら
これでいいんだと、自分で言い聞かせている
日曜日には家族して教会に通い
説教を聞き 懺悔もするし祈りもする
神の教えを請いながらも
善人すぎては利用されるだけの人間になってしまう
人生の成功者にはなれない、という哲学を持つ
母は常に主と共にいる
愛することを忘れたらだめ
愛がなければ生きていけないのよ
人には親切に 常に慈しみの心を持って
自分を愛するように人も愛しなさい
子供たちに 主の教えを 毎日の生活の中で
寝物語を聞かせるように 話してゆく
教会の場面がある
牧師は説教する
善人だからといって 良い導きだけがあるわけではない
主は天国も地獄も見せる
天国へいざなうのも主であり
地獄へいざなうのも主である
家族の前では支配者としてふるまう父親
子供にはそう見える
でも、彼は彼の人生哲学を子供に伝え教育しようとしている
そんな父親が大嫌いだった子供が大人になる
父親に電話をかける
あるいは向こうからかかってきたのか?
”親父 元気か?
あのとき俺はあんなことを言ったけど ごめんよ
こっちは、元気だよ。 ああ、それじゃあまた”
子供たちに惜しみなく愛を与える母親
しかし父親の前ではただ小さくなっている
子供には
”母さんの言うことなんか聞かない!
父さんに馬鹿にされてるくせに!”
と、罵られる
悲しみにくれながらも 子供には変わらぬ愛情を注ぐ
父親の会社が倒産する
今までまじめに頑張ってきたのに・・・
と、夫人の前で泣き崩れる父親
あんなに大きく見えた父親が小さくなって泣いている・・・
母は大きく彼を包み込む
大丈夫 また一緒に頑張りましょう・・・
子供たちは草はらに駆け出す
草むらにしゃがみ込んで抱き合って泣く
大きな家も出ていかねばならない
愛してやまない兄弟が死んだ 19歳の夏
さまざまな思い出とともに
こうすればよかった
あのときなんであんな仕打ちを彼にしたのか・・・
悔やまれる思いばかりが胸に帰来する
母親は自分も一緒に死にたいという
父親はなぜあの時あんな仕打ちをしてしまったのか
と、後悔する
愛する者を失った空虚感を抱えながら 人は生きざる負えない
それとどう向き合って 悲しみを克服するのか・・・
兄弟が死んだ時 おばあちゃんが母親を慰める
”お前、もうそんなに泣くのはおよしなさい。
まだ、生きて残されたものがいるじゃないか。
この悲しみも、いつかは忘れることができる、
悲しいけれど、忘れちまうものなのさ”
母親は言う
”忘れたくない、あの子のことを忘れたくない。”
出会いがあれば、別れがある
出会いによって導かれ 別れによって深められる
死という究極の別れ
だれしもがどこかで体験する
わたしも心のどこかで いつも準備している
愛する人たちとの死という別れ
愛する人がいなくなって初めて
人は一人では生きていけないんだなぁ、 と実感する
自分は たくさんの人に支えられて生きている
たとえば
自分を支えてくれている人たちがいなくなった時
何を拠り所にして生きていけばいいのだろうか・・・
自分ひとりで生きてゆくことができるのだろうか?
かつて母親が姉を亡くした時の慟哭を知っている
片腕をもぎ取られたような悲しみの中
彼女はこう言って立ち上がった
” わたしにはまだ、やらねばならないことがある・・・ ”
ツリー・オブ・ライフ
人生において
大地に根を張る木のようにゆるぎないもの
それは何なんでしょうか?
お前のルーツはどこにあるのか?
お前という人格を構成した源
良しにつけ悪しきにつけ根源的なもの 否定できない源
父親 母親 兄弟 環境 教育 体験
否定せずすべてを受け入れた時
新たなる地平が見えるだろう
大地にしっかり根を張り
すっくと伸びる あの木のように
そして根を張れる大地があるからこそ
太く 高く 成長してゆける
大地が家族にたとえられているんでしょうかね?
子供が生まれた記念に庭に植樹する場面があります
なくなってしまう子供の誕生記念樹なんですけど
子供が死んでもその木は残るんですね
記念樹は子供たちの成長を見守っています
毎年大きく成長する木
人間はそうはいきませんね
泣いたり 笑ったり それこそ 天国を味わったかと思うと
どん底に突き落とされたり…(笑)
そんな不安定な情動を抱えるわたしたちですが
あのすっくと伸びる木のようにゆるぎないもの
もう一度しっかり足元を見なさい
自分のルーツ
あなたにとってゆるぎないものとはなんでしょう?
って、問いかける映画でした
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親愛なる友へ
おはよう
朝の光の中でこれを書いています
この間は突然の訪問でびっくりしました
でも、予感があったことも事実です
あるいは、それを私は望んでいたのではないかとさえ思えます
いつもたわいのないメールのやり取りで遊んでいるのに
いつのまにか
互いの存在がなくてはならないものに発展していっているのですね
一般にはメール依存症っていうんですってよ(笑)
一緒にご飯食べて、閉店までおしゃべりして
それでも足らなくてファミレスのフリードリンクで粘って
そんなに長くおしゃべりをしても
まだ話し足りなくて
駐車場でもしばらく一緒にいましたね
まるで
長い間の空白を急いで埋めるみたいにして
きりがないからもう帰ろうといって別れた後の車の中で
もう少し一緒にいたかったな
と、悔やみながらもラジオの深夜放送を聞きながら
静まり返った夜の国道を突っ走るのも楽しかったです
もう何年か、何十年か分の空白は埋まったと思いますよ
もう出会わなかった以前の自分には戻れないだろうと思います
でも
互いの存在に依存しあう関係ではあってはいけないと思っています
メールのやり取りをしていると
これにははたして実体があるのだろうかと
思うことがありませんか?
このメールは自分が自分に送ったものなんじゃないかって
メールの送り主の存在を確かめたくなりますよね
実体を確かめたくてたぶん逢いたくなるんです
逢って話をして
楽しくてもっと一緒にいたくて
また逢いたくなる
今度いつ会えるのかなって
わくわくしながら、あるいはじりじりしながら
逢えばうれしくて
でも別れるのは惜しくて
いつまでも話をしていたい
そして、向かい合って話をしていたのが
今度は隣に座りたくなる
相手の体温を感じていたくなる
そして手をつなぎたくなる
そして
その手を引きよせ
実体を確かめたくてハグしたくなるのです
魂が近いと感じれば感じるほど
胸の空洞が大きければ大きいほど
互いの存在で互いを埋めたくなるものです
充足した実感がほしいと思うからです
でも、それも虚像だったとじきに気づくでしょう
胸にあいた空洞は
そんなに簡単に埋められるものではないからです
人間は誰しも多かれ少なかれ
たがいに依存しあって生きています
頼りあって生きています
子供は親に、親は子供に
彼は彼女に、彼女は彼に
その片方がいなくなった時
自分の存在意味や、存在価値がなくなったように思われ
ぽっかりと胸に穴があいてしまうのです
ですから、どちらかというと
自分で自分を傷つけているのです
家族関係や恋人関係も含め
独立した個人と個人がともに生きる
共存してゆく人間関係に発展してゆけることが理想ですよね
わたしたちは確かに
双子の様に呼応するところがありますよね
闇の部分も光の部分も
大切なものを失ったことで
ぽっかりと空いてしまった胸の空洞を
どうする事も出来ずに泣いていたあなたを見て
自分を目の前に見ているようでした
この人には
やさしく包み込む大きな愛が必要なんだな
と、思いました
わたしがあなたの胸の空洞を埋めることができればいいけれど・・・
傷ついたハートはすぐには癒えないものです
ゆっくりと時間をかけて
労ってあげましょう
傷跡は残っても
その時感じた胸の痛みは薄れてゆくものです
胸の痛みを知っている者同士
互いを近くに感じているのは
メールのやり取りのせいだけではないかもしれませんね
でも、最近思うんです
頼りすぎてはいないだろうか
甘えすぎてはいないだろうか
近寄りすぎてはいないだろうか、って
なぜって
わたしたちは一つではない
一つになることはあり得ないのです
どんなに魂の隣人であっても
わたしたちは異なった人生体験を持ち
異なった道を歩んでいます
でも何かの巡り合わせで
その道が交錯し
こうして出会って、また離れてゆくんです
多分もう
ファミレスで閉店までおしゃべりをすることはないかと思います
人間関係の一つのステップをクリアした気がします
社会的な距離1.5メートルは超えましたよね(笑)
そしてまた同時に
というか瞬時に
恋人関係もたぶん超越したでしょう
わたしたちには
性別も肉体も
もしかしたら言葉さえも必要ないかもしれませんね
でも、お互いに
人間としての営みの中で生きています
互いの生活があります
わたしもそろそろ人間としての営みの中に
降りてゆかねばならない気がしています
人間の肉の中に魂を下してゆかなければ・・・
しっかりと錨を降ろし
今のこの生を生き抜いていかねばなりません
長い間わたしは肉体と魂の一体感を感じていませんでした
今もそうです
でも、これではいけないな
無理やりにでも地上に引き戻さなければ・・・!
そんな作業をこれからしてゆくつもりです
なんだかできそうな気がしています
積極的に生きるという作業をしなければいけない時期がやってきました
あなたのことを思うと
胸が苦しくてつらくなる時がありました
これって恋なのかな?
って、思うこともありましたが
今は、そうではなかったといえます
あなたのつらい気持ちが
わたしの心に反映されていた現象だったんですね
今、私もあなたも
自立の時を迎えています
なんだかそのように感じられます
互いの自立のために
何か大きな力が働いて
二人を引き合わせたのかもしれませんね
わたしはあなたの自立の岐路の通過点にいて
何らかの役割を果たせましたでしょうか?
役立っていれば
わたしの存在もあながち無駄ではなかったですね(笑)
もう逢わないということではありませんし
メールをしないということでもありません
あまりにも頻繁にメールのやり取りをしているので
毎日逢っているような気がしていましたが
思い返せば数えるほどしかお会いしていませんでしたね
こんな短い間に
こんなに深く親しくなれる出会いがあったなんて不思議です
しばらくメール控えようと思います
メール依存症から脱却せねば(笑)
たぶんあなたも
同じように感じているのではありませんか?
メールはしませんが
いつでも私はハグを送っています
たとえ逢わなくとも
たとえ遠く離れていても
あなたはわたしの大切な心の友であり隣人です
たまにはご飯一緒に食べましょうね
親愛なる友へ
朝の光とともに
永遠の信頼と愛を送ります
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オーラソーマの10日間の講習の間、中日が一日あったんですね。それを利用して六本木にあるサントリー美術館と、新国立美術館に行ってきました。学生のころ東京にいましたので知らないわけじゃないんですけど、六本木なんてあまり行かないじゃないですか。ほんとに、“おのぼりさん”丸出しで“すごいね〜。すごいね〜”の連発でした。 |
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行ってきました〜(^0^) |




