よろずよもやまオーラソーマ日記

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命のバトン・赤についての考察

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5・命の色

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 スペインのアルタミラやフランスのラスコーにみられるような原始絵画がなぜ描かれたか、という問いに対しては呪術的意味合いが濃厚とする説が有力です。人類がまだ弱者であり生命サイクルの頂点にはいなかった原始の時代、生きる糧を狩猟を中心にまかなっていました。集団で協力して大きな獲物を狙う狩りをしていたであろうことは壁画から創造されます。しかし、時代は旧石器時代ですから武器は石斧が中心です。狩猟の道具がシンプルなのを補うようにして集団で狩りをするわけですが、獲物が大きければ大きいほど狩りに出て死ぬ確率は高かった。また、しかし大きい獲物ほど見つけやすく、狩に成功すれば一時に一族の糧がまかなえるのです。

 生きること自体が死と隣り合わせであり、厳しいサバイバルを生き抜かなければならなかった弱者が、生き抜くための必然として集団で生活をし、女は子を生み育て男は狩りをし時には他の集団とぶつかりながら血族のつながりを強めて行ったのです。それゆえに強い勢力に対抗するためまた集団を束ねるリーダーとして、強いカリスマ性のある祭司やシャーマン、部族長の存在の発生には必然性があったのです。

 また、この頃旧石器時代といってもそれ以前と比べれば石器はかなり精巧化しています。石器が精巧になったことによりその他の道具(骨角器・槍、銛、釣り針など)を製作することが可能になり、総じて食物を採取する効率がよくなったことが予測されます。さらにはそのことにより集団での生活がより安定化していったと思われます。そして生活に余裕ができたことにより狩りの成功を祈願し集団の力を強化するための子孫繁栄の呪術的行為として絵画的表現が発生してきたのではないでしょうか。この頃の生活様式を知る手がかりとして、死体を赤土の中に埋めたり骨を赤く塗た遺物が発掘されています。

 原始美術に使用される色の多くは赤の色彩です。赤といえば血の色。血の色の赤を見るとき、イコールその先には死が苦しみとともに待っています。太古の昔から赤は死につながる危険信号であり、一族の結束を促す色であり、生きるために死と立ち向かうパワーをもたらす色でもあったのです。科学的目覚しい進歩を遂げた現代、赤を生理科学的に分析してみると、赤には男性ホルモンを活性化させ心拍数を上げ、身体機能を緊張状態にさせる効果、代謝促進効果があることがわかっています。

 近年になって、色彩は科学的に様々に分析され、日常生活に積極的に活用されるようになってきましたが、色彩と人類との関係性は遥か太古の昔から、原始壁画を残した旧石器時代はもとより、人類の祖先である猿人が群で行動し道具を使うようになった400万年前から、否さらに遡りまだ直立二足歩行を始める類人猿だった頃から、綿々と続く時間軸の中から、人類の遺伝子の中にすり込まれるように培われてきたといえるかもしれません。

 赤は生命の根源といえる色。「赤い血を流すことが死につながることから純粋に赤そのものに生命を与える力があると信じていた」と、塚田敢氏は著書『色彩の美学』の中で語っています。日本のみならず世界中の原初の遺跡の中から赤の顔料の使用が認められています。

 塚田氏が示すとおり、赤はわれわれの生命を維持する血液のヘモグロビンの色でもあり、また暗闇を照らす大いなる炎の色でもあります。そして、どんな危険が潜むやもしれぬ暗黒の暗闇から光と熱・そして躍動する未来への胎動さえも予兆させる色でもありました。オーラソーマでも赤はエネルギーの色。そしてまた、生きるか死ぬかの緊張状態、競争や分離を象徴します。

 生死を分ける色『赤』。命の根源・血族・力による統率。原始の人類たちは赤い血液が生命を維持していくことを知っていました。そしてそのことは赤という色彩に生命エネルギーという霊力が備わっていると考えることにつながっていったのです。そしてまた、赤で彩色し描くことにより、強い生命力を表現するとともにそのエネルギーが自分にも宿るようにという強い願いを込めたのではないでしょうか。そしてまた病や死に対抗する手立てとなどまったくなかった当時、闇に引きずり込む負のエネルギーに対して赤という力強い生命エネルギーをもって対抗しようとしたのではないでしょうか。生き残りを懸けたサバイバルの時代、その象徴ともいえる色が赤となったのはいたって自然発生的な現象であったと思われます。        

4・原初の色

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 人類が初めて色を使用したのは15万年から20万年前。地質年代としては氷河期、考古学年代としては旧石器時代後期にあたります。当時の原始絵画に用いられた顔料の色は赤褐色・褐色・黒・白・黄色系統の色調で、まだ青や緑といった系統の色は見られません。色顔料の原料としては、赤鉄鉱・黄鉄鉱・マンガン鉱・などから(主に鉱物含有の土や岩を砕いたもの)赤や黄色・褐色を 創り、骨を焼いたものから黒を得ていたことが解かっています。色はそれら鉱物を粉砕してできた粉を水や獣脂・樹脂などと練り合わせて作られています。そのほか植物色素なども使用されていただろうと予測されますがそれらの痕跡は残っていません。火の使用は50万年前、ジャワ原人や北京原人が居住していた頃にまで遡ることができます。火の使用により黒という色彩は骨や木を焼いた灰から簡単に採取されたと予測されますが、その他の色に関しては色を表現するための研究がされたことがうかがえます。

 今を生きること、そして明日を生きることさえ暗黒の死と隣り合わせであった原始の人類。しかしそんな中でさえ苦心して色を表現しようとしました。そのことから彼らは自然の中に宿るエネルギーが色という容(うつわ)に形を変えてわれわれを生かし続けることを知っていたのではないか、と私は考えるのです。

 私たちを生かし続ける命のバイブレーション。現在、私たちは「色彩は波動でありエネルギーである」ことを知っています。しかしその事が科学的に証明される遥か太古の昔から、すでに私たち人類の祖先はそのことを魂のレベルで、生きるという本能のレベルで、DNAに組み込まれたシステムのように自然に、感じ取っていたのではないでしょうか。彼らにとって色彩は命と命をつなげる架け橋、切実に命をつなぐバトンの役割を担っていたのだと私は考えます。そして今に続く色彩文化の原型ともいえる色は、壁画に一番多くつかわれている『赤』に他ならないと言えましょう。

3・原始美術

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 さて、先に4大文明の曙の話をしましたが、これらの秩序をもって発達した文明を築く前にも、もちろんその礎となる機能的な生活体系が存在していました。文字の存在によって体系化され、人々の生活様式や儀式などが記録され、その時間の積み重ねが文化や文明を築き歴史となってゆきますが、それ以前の時代を先史時代と呼んでいます。遺跡から出土する用具を分類の基準とした考古学的年代区分として、先史時代をさらに旧石器時代・中石器時代・新石器時代・青銅器時代・鉄器時代と分類することができます。文明の曙とともにすばらしい美術・建築・学問が発展したことは言わずもがなのことでありますが、その先駆的時代である先史のそれぞれの時代にも突出した芸術的な萌芽がありました。

 4大文明の発祥は紀元前4,000年頃。そこからさかのぼること約25,000年前、旧石器時代後期。スペインのアルタミアやフランスのラスコーといった洞窟絵画やレリーフ・人体像といった遺物が発見されました。洞窟絵画などから集団で狩を行う狩猟集団組織を築いていた事が窺えます。壁画の材料としては初期には地域的な小規模集団であったものが、集団同士の対立あるいは弱者が強者に吸収されながら次第に大規模化し部落を形成。それらが都市国家形成の基盤になって行ったのではないでしょうか。

 さて、25,000年前のラスコーやアルタミラの洞窟絵画に匹敵するような遺跡は残念ながら日本では見つかっていません。しかし、1948年長野県黒姫山山麓の野尻子の湖底から同時代のナイフ形石器や尖頭器、骨角器がナウマン象やオオツノシカなどの骨や牙などと一緒に多数発見がされています。前述した絵画のようなものはなく彼らがどのような狩猟をしていたかは明らかではありませんが、集団で湿地に追い込むなどして体の自由がきかなくなったところを石斧や槍などでしとめたのでないかと考えられています。その方法はフランスの洞窟絵画に表されている様子と共通しています。

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 紀元前6000年頃、中国・インドでは新石器時代に入り、紀元前4000年頃エジプトではナイル川流域に小部族国家が分立し太陽暦の創始があったとされています。紀元前3500年頃、メソポタミヤではシュメール人が都市国家を建設し始め楔形文字(シュメール文字)を発明しています。紀元前3000年頃になりますとギリシアではクレタ島を中心にしてエーゲ文明が起こり、小アジアではトロヤ文明、インドではインダス文明、中国では黄河流域に都市国家が発達し,初期の王朝文化を築いています。

 紀元前3000年から1000年頃の間の2000年間になりますとユーラシア大陸の様々な場所で歴史に残る文明が起こっています。ギリシアではクレタ・ミケーネ文明、エジプトではピラミッドの建設、(余談ではありますがかの有名なクフ王やアメンホテップ4世・ツタンカーメン・ラムセス2世などもこの頃に人たちです。)シリア・パレスチナでは紀元前1500年頃ヘブライ人がカナンの地に定着。エジプトで王族の子として育ったモーゼスの出エジプトは紀元前1250年頃といった具合です。

 世界各地で知的文明が興隆するこの頃、日本では縄文文化のまっただなか。日本では縄文人といわれる土着の原住民が紀元前7000年頃から狩猟を中心としながらも集落を形成して居住するようになっています。紀元前300年頃に大陸からの渡来人が原住民である縄文人を制圧、あるいは融合しながら稲作文化を広め弥生時代を形成するまでの時代を縄文時代とし,狩猟を中心とした部落形成期としています。

 華々しく咲き誇る文明のあけぼのを鼓舞するような大陸文化と比べれば、まだまだ生れていない胎児のような日本です。この頃、言葉や宗教的な儀式もありましたが文字文明が発達しておらずその詳細は出土する遺跡や中国の文献に頼るほかありません。近年の研究により縄文時代は未開の野蛮な土着文化ではなく洗練された高度な文明であり、火炎土器などに見られる縄目模様とインカ文明などに見られる螺旋文様や渦巻き文様などとのつながりを指摘するものもありますが、まだまだこれからの研究が期待される分野です。

 ハンムラビ法典が紀元前1790頃公布されたのに比較しますと、日本で聖徳太子が憲法17条を制定したのは紀元後604年。初期の律令が体系化されるのにも何と約2300年も待たなければなりません。かの有名なモーゼの十戒は紀元前1300頃とされていますから、これと比較しましても約1900年も遅れをとっています。

 ちなみに、渡来人によって日本全国に稲作文化が広まり、急速に大陸文化が輸入され始める弥生時代とほぼ同時代、大陸ではアレクサンドロス大王の東方遠征の開始、中国ではすでに孔子没後200年ほど経過しており春秋戦国時代末期になっています。韓国時代劇で今注目の高句麗建国もこの頃です。

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 太陽系第三惑星である地球は、23.5度傾いている地軸を中心にしてほぼ24時間かけて自転しながら太陽の周りをほぼ365日間かけて公転しています。地球が23.5度傾きながら太陽の周りを自転しながら公転することによって地球上の様々な地域に天候の変化が訪れます。これを季節と呼んでいます。日本は北に行けば流氷を見ることができ、南に下ればサンゴ礁の広がる青い海を見ることができます。そしてまた、日本は地球上の温暖気候帯と呼ばれ穏やかに季節が移り変わる位置にあります。(北陸・北海道は冷帯に属する)そのことにより自然の営みのすばらしさを日々の営みの中に、一日一日の積み重ねの中に刻々と感じ取ることが出来るのです。そのことが日本人独特の感性を育んできたといえるでしょう。特に緻密な色彩の変化を捉える感性はすばらしく、それらは文字文化の発展とともに歌や文学・絵画そして服飾などにも見事に反映されています。しかし、日本における文明のあけぼのは、4大文明の発祥に比べればそれよりも遥か4000年もの時間を待たなければなりませんでした。

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