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先週の木曜日、国際教育研究会で実践報告をした。南アの。 いつまでやってんだ。 最近そういう声が頭の後ろで鳴り響くことが増えた。現実の声として聴こえたことも無きにしも非ず。 いや、わたし、南アをライフワークにするつもりは毛頭ないんだけれど。 でも、今回の報告準備をしながら、かなりいろんなことを考えた。 去年、南アを素材に、授業と課外活動で実践したことから、何が得られたのか。何ができたのか。 自分では、その手ごたえをちゃんと得られずにいたし、振り返るのが怖かった。 この機会がなかったら、うやむやにしていたのかも知れない。報告書も出したしって。 この機会のおかげで、考えざるを得ないこと、見直さなければならないことがたくさん増えた。 この研究会で、わたしのつたない報告の後に、東北大で異文化理解を実践している先生の講義とワークショップを受けることができた。 彼がもともと社会科の教員であったことから、異文化理解を社会科教育(主に中学校)の視点で解説してくれたので、ものすごく腑に落ちてわかりやすかった。 自分の実践報告と重ね合わせながら聞くこともできた。 共感的理解で終わる、あるいはそれを目指すのではなく、社会の現実を知り、問題を解決できるよう、行動できるように考える、判断する力を養うのが本当の異文化理解教育だと。中学校の社会の学習指導要領にも書かれていることを用いることができる、と。 http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122602/003.htm わたしの実践でいえば、授業はもちろんその視点から組み立てられている(うまくいったかどうかは話が別・笑)けれど、放課後講座は前者(つまり共感的理解)で終わってしまう部分がずいぶんあった。 もちろん前者で終わらせたくはなかったから、パス法のロールプレイを作ったわけだけれど。 そういう意味では、社会科教育と異文化理解教育は、背中合わせみたいなところがあって、近いのにどうも近づかない、うまく近づけられない感じもある。 そんなことを考えていたお昼休み。県内の国際教育では有名なある英語科の先生が話しかけてきて。 今日の講義のような視点で国際理解教育について話してくださる方がいなかったので、凄く新鮮だった、と。 わたしにしてみれば、社会科の教員なら誰もが頭においていること、という感覚で講義を聞いていたから、その方のその反応が逆に新鮮だった。 実はこの研究会、英語科の教員が異常に多い。社会科の教員がいなかったわけではなく、減ってしまったのだと言う。 社会科も人手不足ですからね、と話してお茶を濁したけれど、きっと話が合わなくて去ってしまった人も多いんじゃないか、と正直感じたりして。 考える力、判断力を養うというのは、本当に難しい。それだけ養うってわけにはいかない。それなりの知識や背景を理解する力も必要だから。 でもここしばらくは、振り子が考える力養成のほうにばかり振れていて、知識や理解力をおざなりにしてきているから、考えろっていわれても、何をどう考えていいかわからない、という状態になってしまう。 表現力も一見重視されているようで、理解力と文章や図表を書く力がないから、結局はついてないし。 共感するのは意外に簡単なのかも知れない。 でも2つの異なる立場があったときに、両方に共感するわけにはいかないのだ。そのときに、どう判断するのか。 中立的に、客観的になんていうけれど、どこに立てば中立になるのか、どの視点が客観的なのかなんて、実は誰にもわからなかったりする。 そういえば平和な状態だって人によって捉え方が違う。大体、平和の定義が人によって様々なのだから。 国連とユネスコが提唱する「持続可能な開発のための教育(ESD)」の中に異文化理解が含まれていたりするけれど、大体、持続可能な開発って、どんなものなの? ほんとに可能なの? みんながマイ箸を持ったら森林破壊の問題が解決するなんて簡単なこと、世の中にはひとつもないのだ。 http://www.mext.go.jp/unesco/004/004.htm http://www.unesco.or.jp/contents/10/education.html http://www.env.go.jp/policy/edu/desd.htm だから、大切なんだろうけど。違うものについて知り、考え、理解しようとすることが。 そして、自分の価値観と、他の価値観をそれぞれ認め合おうとすることが。 できることはなんだ、大切なことってなんだって問われたら、今のわたしには、それしか、言えない。 でも、わたしがここまで考えることができたのは、やっぱり、南アに行ったおかげなのだ。あのかけがえのない仲間たちとともに。
そして、わたしと一緒に考えてくれた、生徒たちのおかげなのだ。 |
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野菜が花瓶の中では育たないのと同じですかね。^^
人それぞれ与えられた畑の中で雨風に打たれてこそ実るのでしょうね。
『南アよ続け、どこまでも』ですよ^^
いつまでもやっていてこそ上等かも知れませんよ。
2007/11/29(木) 午前 1:27
南アでの体験、いろんなことに役立っているんですね。私も若い頃はタイで26カ国の国から来た研修生と研修した経験があります。学ぶべきことが多いですね。
2007/12/1(土) 午前 8:42
姉さんの実践はすばらしいです。そして、帰国後に広げた輪が、一番成果を物語っていると思います。お疲れ様でした。私は姉さんには及びませんが、地元の同業者に2回話す機会を頂いて、ちょっとだけ広がりを感じています。10年研の研究授業を昨日終え、レポート書いたら解放されまーす!!忘年会ですねl
2007/12/1(土) 午前 10:33 [ miz ]
そのたとえ、すばらしい!さすがKENさん。そうですね、自分でもこの環境を求めたところも無きにしも非ずですが、ここに置かれたことでできたこともたくさんありますね。
MIYAMIYAさん、違う環境で育った人たちと触れ合うことはほんとに大きな経験になりますよね。他国の人に限らず。ずっと大事にするってことは難しいんですけど、どこかでつながっているのですよね。
mizちゃん、凄くがんばってるよね!原稿も執筆終わったのかな。どんな話になったのか、是非聞かせてね。忘年会、いつすべ?
2007/12/1(土) 午後 2:44