フィールドワーク&maps♪

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ツワモノどもが。

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・・・で、巡検記録をようやく作りました(12/17)。地図と一緒にごらんください。

日曜日、凍え死にそうになりながら歩いた、奥松島周辺のフィールドワークの地図です。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=38.357104,141.159296&spn=0.03197,0.10952&t=h&z=14

地図作成に疲れきったので詳しくは後ほど(笑)
宮戸島と野蒜をつなぐあたりを中心とする地形図のアドレスはこちら。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=57414100

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9:00 出発
9:10 野蒜海岸(鷺ノ巣岩・不老山)
*氷河期後の海面上昇がほぼ止まった、今から5000年前ころから、中新世―鮮新世の凝灰岩砂岩(野蒜  石)である丘陵部が波に削られてできた島や海食崖が「鷺ノ巣岩」や「不老山」である。
*1902(明治34)年から1938(昭和13)年の間に、急速にトンボロが西から東に向かって発達し、現在の 姿になった。東名の集落はその前から存在している。
*トンボロの急速な発達の要因は、江戸時代から昭和初期にかけて行われた河道付け替え工事により石巻 湾に流入した北上川の土砂によるものではないかと推定されている。
*沿海は急速に深くなるため、野蒜築港計画時(1878(明治11)年〜)には外港と予定されていた。冬は サーフィン、夏は海水浴でにぎわう。
*最も東の浜堤は防砂林として松が植えられているが、近年松喰虫の被害が大きい。

9:35 松ヶ島橋
*近年、松島湾との往来のために開かれた松ヶ島水道の土砂の堆積が著しく、漁船などの往来に不便をき たし、また湾に堆積する土砂が多くなっているため、浚渫工事が予定されている。
*ここから、宮戸島東南端の嶬峨渓への遊覧船が運行されている。
*周辺にはかきの養殖に使われているホタテの貝殻がたくさん置かれている。

9:50 大高森登山口
10:05 大高森展望台
*大高森の頂上からは、ほぼ360度の眺望が得られる。北西側にはリアス式海岸の湾内にカキの養殖筏が 見られる。北側には野蒜海岸が一望できる。
*登山道には「野蒜石」(凝灰岩砂岩)の露出が見られ、旧道の掘削跡も見られる。また赤松が多く見ら れるが、松喰虫の防除が行われている。

10:35 大高森登山口
10:45 海食崖(鷺ノ巣岩の裏)
*「野蒜石」の海食崖がみられる。周辺は微高地(浜堤)が防砂林と畑と道路、低地(堤間湿地)が住宅 地になっているのが特徴的である。

10:50 野蒜築港記念館、東名運河東端
*東名運河の東端の閘門脇に、野蒜築港記念館が立てられており、各種資料が展示されている。記念館の 敷地は堤防の上に当たり、周りよりも数m高くなっている。
*ここから旧鳴瀬川と吉田川の背割堤の突端を見ることができる。この背割堤は、旧鳴瀬川流域の氾濫に より吉田川に逆流が起きて、旧品井沼干拓地に冠水の被害が及ばないようにするためのものである。
*館内では小中学生用の「野蒜築港」に関するビデオを見ることができる。

11:45 白鬚神社
*野蒜の島々の頂上に立てられていた社を統合して現在の地に建てられたものと記される。
*「野蒜石」の海食崖を背に建立されている。
*周辺の集落の倉には「野蒜石」が使われている。後に鉄筋で補強されたものも見られ、風化に弱いこと が窺える。

11:50 西突堤
*野蒜新港の内港出入口に当たり、現在の突堤は新しいものである。築港時の突堤は、1884(明治17)年 の台風により決壊し、そのことがきっかけで野蒜築港は中止に追い込まれている。
*この突堤で釣りをする人が多いが、大潮の時には沈没する。
*おそらく、北東側からの潮の流れの影響を少なくするためか、突堤の先は西を向いている。

12:20 新鳴瀬川「下の橋」跡
*鳴瀬川左岸の河口付近を掘削した新鳴瀬川の役割は、内港となる旧鳴瀬川河口に上流からの土砂を堆積 させないためと、内港付属の新市街地の下水排水に用いるためであった。また、旧鳴瀬川の分流地点に は閉切り堤が造られ、水だけが内港に流れ込むようにされていた。現在は、新鳴瀬川と旧鳴瀬川の分流 地点は堤防によって閉鎖され、下の橋も赤レンガの橋脚のみが残っている。

12:35 野蒜新港新市街地跡(紀功之碑、測候所跡)
*中央の公園跡に、築港工事完成後、病に倒れた工事監督黒沢敬徳氏の「紀功之碑」が建立されている。 また、整地に使われた野蒜石のローラーや、測候所の赤レンガの門柱が残っている。
*新市街地と内港の完成は1882(明治15)年、前後して北上運河(1881(明治14)年)、東名運河(1884 (明治17)年)が完成し、石巻港と塩竈港を結ぶ河川および運河交通の拠点と貿易港としての役目を担 うことになり、潜ヶ浦(かつぎがうら)の外港も貿易港として機能し始めたが、1884年9月の台風によっ て内港が破壊されたことで、復旧を断念し、幻の「野蒜港」となった。
*現在は防衛省の管理下に置かれており、荒地の間にぽつぽつと農地が見られるだけで、建造物は建設不 可となっているようだ。

12:45 北上運河
*漁船のみが停泊を許可されている旨の看板が立てられており、多くの小型漁船が係留されていた。ノリ の網を引き上げる姿も見られた。

13:20 昼食(矢本)
14:30 出発地到着、解散

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横浜よりも10年も早く計画され着工された、野蒜新港と新市街地。
横浜関内と同年に、都市計画および下水道が整備された、近代都市の姿を見せていたにもかかわらず、ファン=ドールンが海底地形と潮の流れを読み間違えたおかげで、この地域は今も昔とほぼ変わらぬ姿を残していて。
さて、失敗して悪かったのか、良かったのか。

でも、ここがもし横浜並みの大都市になっていたら、旭山堯曲が震源の宮城県中部地震の直撃を受けていたかもしれないし、スプロール現象で松島の景観も牡蠣の養殖もなくなっていたかも。。。

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奥松島、数年前のお正月に歩きました。
記憶が曖昧ですが多分、大浜海水浴場〜嵯峨渓までの山道でした。
すごく寒かったけど景観が気持ち良かったです♪

2008/12/16(火) 午前 5:56 ken

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え? 大浜から嵯峨渓って、道。。。?
あ、藪漕ぎですか♪

2008/12/16(火) 午前 6:29 nya=^--^=geo

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道はしっかりとありましたよ。可也細い道でしたが、、
プライベート海岸みたいな小さな砂浜にたどり着きました。
海の色がすごく綺麗だったのを覚えています♪
地形図で確認したのですがたどり着いた砂浜は浜口浦というところ
だと思います。

2008/12/17(水) 午前 1:23 ken

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その道、わたしでも歩けそうですか? 行ってみたくなりました♪

2008/12/18(木) 午前 0:26 nya=^--^=geo


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