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岩木川右岸の山麓や、屏風山南部には、縄文前期の遺跡も残る、岩木川下流域。 縄文のころには大きな内海であったと考えられている。 http://suido-ishizue.jp/nihon/08/01.html 11世紀の遺物が出てきた福島城址は、平泉より古い東北最大の居城とも言われ、安東水軍の山城としても使われたといわれる。 そして、屏風山から北に伸びる砂嘴の上に形成された十三湊。 日本海交易の拠点として中世に栄えたと言われるが、記録がほとんど残っていなかった。 岩木川の堆積物により十三湖や水戸口に続く明神沼や前潟が浅くなり、また海流と冬の日本海からの強い風で水戸口が埋まり、湊としては寂れた。 津軽藩初代・津軽為信がもともと「腰切田」とも言われた深田の岩木川下流域のうち、南側からの開発を進めた。 おそらくそのころに、少し離れた馬鹿川の自然堤防上の若宮集落が成立したと思われる。 ちなみに「馬鹿川」というのは、十三湖の水位によって川が逆流するので名づけられたといわれる。 日本海からの風砂害を防ぐための屏風山への植林もこのころから続けられた。 春未だ浅い岩木川の雪解け水、夏から秋にかけての台風などによる洪水や、用水不足による干害による飢饉に何度も見舞われながらもこのあたりの開田と土地改良は各村々によって進められ、水争いも絶えなかったという。 大正7年から、岩木川改修工事が行われ、現在の水戸口の整備が進み、十三湖の排水もよりスムーズとなった。 昭和19年からの食糧増産計画にかかわって行われた、国営西津軽農業水利事業を皮切りに、戦後、昭和23年から国営十三湖干拓建築事業が行われた。 米軍撮影の航空写真では、その直前の状況が伺える。 http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M1010&photono=108 また、昭和33年の大水害により、岩木川の12堰が破壊されたことから、岩木川統合頭首工が建設され、用排水路の管理の一本化が進んだ。 昭和50年代にはかんがいと排水を兼ねた若宮機場などが建設され、下流域の乾田化が進み、圃場整備も進んだ。 http://www.jomon.ne.jp/~jsk/srid.htm http://www.jomon.ne.jp/~jsk/tikuzu.htm |
フィールドワーク&maps♪
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いろんな歴史があるものですね。
そして今は菜の花でバイオ燃料か。
2009/8/19(水) 午後 10:43
↑
ていうか、せっかく旅行にいったんだから休みましょうよ(笑)
2009/8/19(水) 午後 10:44
↑
いや、同じ状況なら、私も休みませんね。
というかこういう好きなこと調べて成果がまとまった時って嬉しいですよね。
こういうときが、一番心が休まるのかも知れませんね。
2009/8/19(水) 午後 10:45
↑
いやいや、こういうのを仕事中毒というのか・・・
気をつけましょう、お互い(笑)
2009/8/19(水) 午後 10:45
あのう、連コメありがとうございますというか、なんというか。。。
気になって眠れなくなるんですよ、見れば見たなりにわからないことが増えて。
あ、こういうのを中毒って言うのか(笑)
2009/8/19(水) 午後 10:53
言うんでしょう(笑)
2009/8/19(水) 午後 11:48
ほ・ほう〜♪奥の細道のそのまた昔、万葉の香り漂ふ東北の地・・・いやいや、古事記にまで想ひを馳せたき、にゃーご様の綴り文。。。にゃーご様のおかげで、まだまだ知らない東北の歴史を、少しづつ学んでおりまする〜♪ ぐらっしゃすー☆
2009/8/21(金) 午後 2:54
このあたり、まだまだ気になることたくさんあるんですよ、ロシータさん。でもなかなか上手く調べられません。。。
2009/8/21(金) 午後 11:57