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ソウェト蜂起の日。
このサイトを見ると、1976年6月16日の朝、どこでどんなことがあったのかがわかる。
地図を眺めていると、4年前に訪れたヘクターピーターソン記念館や、そこで出会った小学生たちの明るさ、そしてソウェトの中学校の子どもたちの真剣なまなざし、YMCAで歌ってくれた青年たち(Zola Youth Choir)の躍動感と希望に満ちた歌声、小学生の笑顔とともに、あの、子どもたちが下りてきたという坂(Kumalo St.)を見上げた時の気持ちを思い出すのだ。
Nkosi Sikeleli 'iAfrika (現国歌の一部)を歌いながら、支配者の言語アフリカーンス(オランダ系白人言語)ではなく、我々の言葉、ズールーでの教育をと求めた子どもたちを、次から次へと撃ち殺した白人警察官たち。
その無念さ、悔しさ、憤りを思うと、言葉を失う。
今でも、一部の地域では、英語ではなく、アフリカーンス語ができたほうが就職や進学に有利な事情はあまり変わらない。
そして、さまざまな事情で学校にまともに通えなかったり、上級学校への進学の道が閉ざされたりする子どもたちも未だに多い。
もちろん、黒人については就職率は5割を切っているといわれるから、仕事があることがありがたいことだ。
黒人をはじめとする有色人種へのアファーマティブアクションに対して、白人への逆差別だという言葉も聞くけれど。
ワールドカップの試合が始まるのを見るたびに、選手とともにピッチに誇らしげに立っている子どもたちの未来が、明るいことを望むばかりだ。
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(Photo by ぬまらっち)
SOWETOのYMCAで聴いた歌は、本当に強く、心に残っている。
6月5日、東京のイベントで、4年ぶりにお会いした津山さんから頂いた、彼らのCDを聴きながら、あの時のことを思い出している。
BAMBELELANI。
Zola Youth Choirの端正で重厚な響き。
アパルトヘイト時代、白人警察は、歌いながら迫ってくる黒人デモ隊ほど恐ろしいものはなかったといったそうだ。
彼らは、丸腰なのに。
集まれば誰でもすぐに歌える歌が、200曲はあるのだという。
心を合わせることの強さ。
信頼しあうことの強さ。
それは、あの大変な時代だけでなく、いまにも通じることなのだ、きっと。
そして、虹の国を作るために、欠かせないことなのだ。
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気づいたらもう、5月も下旬。
さまざまあったことを、書こうと思うのだけれど、気づいたらその辺で寝てしまっているという日々。
そんな状況なので、調子もいいわけがなく。。。
でも休む間もなく。。。
朝起きれないのを無理やりごまかして何とか遅刻せずに出勤する日々が続いてます。。。
とはいえ、このままだとどうにかなりそうなので、忘れないように、簡単に書き記しておきます。
10日の週はなんだか全く記憶のないままばたばたと駆け抜けていった感じ。
あ、13・14日は体育祭であった。
1年次生だというのに、えらく頑張って、総合7位/21ホーム中。
ただ盛り上がる、それだけじゃなく、それぞれの居場所をちゃんと確保しようとお互いに気を使う人たちに、何と優しいんだろうと思う。
そうだ、並行して文化祭の模擬店のルールチェックと宿泊研修の要項作りに苦悩してたから、よくわかんなくなってたんだった。
そして、ねえさんから届いた15日の仙フィルのチケット。
当日の朝、いつまで経ってもなんだか起きられないなあ、と思いながらもぞもぞ起きてみたものの、頭がぼんやりガンガン鼻ずるずる。
測ってみたらびみょーに熱が。
でもなあ、もったいないよなあ、「わが祖国」全曲。
生協の薬剤師が「2日飲んでそれでもだめなら医者行って点滴受けてください」と自信満々にのたもうた薬を流し込んで、何とか聴きに行った。
水野さんがモルダウでやけに楽しそうだったのが印象に残ってる。
その次の週は、金曜の宿泊研修のボラ会議に向けての準備が待ってて。
並行して週末の盛岡での「教師の輪」の準備もしなきゃなんないんだった。
なのに、家のデスクトップパソコンが壊れて、電話しまくったり修理に運んだりしてバタバタバタと日がすぎ。
で、結局金曜の夜までは何もできず。
社会科の歓迎会から帰る途中でドンキによって買い出しをし。
家に帰って探したけど、うー、作ってあったはずの小道具が見つかんない。
今から作り直すか。。。
ラミネート機も出して、プリントアウトしたのを・・・あ、間違ってるし。直さなきゃ。
なんてやってたらとっくに土曜日。
ろくに眠れず、朝7時の新幹線で盛岡に向かうのでした。
続きはそのうち。。。
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今しかできない。
いつかではなく、今、やらなければ。
そう思ってしまうことが多くて。
でも、ひとりじゃとてもできなくて。
周りに甘えては、迷惑をかけてしまう。
自分がやりたいんだから
自分ががんばれる範囲でやる、べきなんだけど。
ついつい、こうしたら、よりいいとか
こうあるべきだとか
思ってしまうのがいけないのだろうか。
散りゆく桜を見ながら
生き急いでいる自分に気づく。
線路が突然途切れてしまったら、と
走り続けながらも、不安になる。
花の命は短くて。
だからこそ、よりよく、美しく咲きたいと願うのだろうけれど。
懸命にただひたすら、咲くだけでいいのかもしれない。
いや、それすらも、難しいことなのだ。
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