Minami’s Diary

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こころの日記☆

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       ー心身脱落ー
 
                                   ーーー時には脱落することも良し
 
 世間ではよく「脱落してはいけない」と言われます。脱落することは、敗者になることを意味している場合が多いようです。
 しかし、仏教ではまったく逆の意味になります。脱落者は尊敬されるのです。また、「脱落せよ」と指導されるくらいです。
 仏教で言う脱落とは、解脱と同じ意味合いがあり、一切の苦しみや煩悩、束縛から解放されることを示しています。禅では「心身脱落」といいます。座禅を通し、身も心も何のとらわれもない自由自在の境地に至るのです。それが脱落です。
 仕事でも勉強でも必死になって先頭集団にいることも結構なことですが、たまには脱落してみてもいいのではないでしょうか。方の力を抜いて、張っていた気を緩め、休んでみるのもいいものです。先頭にいては見えないものが、脱落することで見えてくるでしょう。先頭では味わえない、ゆったりとした気持ちも味わえるでしょう。
 走りっぱなしでは、疲れてしまいますし、気持ちがギスギスしてしまいます。たまには仕事や勉強、生活から脱落して、心に余裕を持ってみてはいかがでしょうか?
 
 
 「このようにスッと心が軽くなる仏教の言葉」に書かれていますが、どう思われますか。
久しぶりにこの本の登場ですが、この本の記事には全く同感ですが、これは普段からしっかり頑張っている人にはたまには脱落もいいかもしれませんが、だれでも当てはまるとは言えませんね。
 誰もかもがみんな脱落しちゃうとどうなっちゃうのか心配があります(笑)
 
 
 
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今日の言葉 7/11

「あなたの喜びを喜んでくれる他人」が必ず一人います
 
 
 ♢二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり♢
 
 
 
 この言葉は、「一人居て喜ばは二人と思うべし」という言葉に続き、「一人で仏法を喜ぶ人は、二人でいると思ってほしい。二人で仏法を喜ぶ人は、三人でいると思ってほしい。そのもう一人とは、私、親鸞である」という意味になります。浄土真宗の開祖、親鸞の遺言書「御臨末御書」にある言葉です。
 親鸞は鎌倉時代ではめずらしく、90歳の長寿を全うした名僧です。
 仏の教えを信じて疑わなければ、必ず親鸞が浄土から見守ってくれる・・・・実に力強い、優しい言葉です。「一人ではない、わかってくれる人がいる」ということは、生きていくうえでとても大切なことです。
 このような言葉は、じつは他の開祖も言ってます。真言宗の開祖である空海は「同行二人」、曹洞宗の開祖である道元は「同証」と言いました。
 また、日本以外にも「二人で泣けば悲しみは半分になり、二人で喜べば喜びが倍になる」という素敵な言葉もあります。」
 
 
 
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 今日の言葉も本当にいい言葉ですね。
 昔の偉人と言われた方たちはやはりどこか違いますよね。
  つらいこと一つひとつが「心の栄養」になる  
 
 
 
 これは「性霊集(しょうりょうしゅう)」に書かれている一節で、「心暗きときは、すなわち遇うところ、ことごとく禍なり」という言葉に続くものです。
 「性霊集」は真言宗の開祖である空海の漢詩文や書簡などを集めたもので、空海の死後に弟子の真済が編纂しました。空海の文才は知られるところですが、同書に収められている漢文も第一級で、文学的価値も高いと言われています。
 冒頭の言葉は「欲望やエゴで心が暗くなっているときは、外界刺激がすべて悪いものに感じられる。心の眼が清らかであれば、見るもの聞くものすべてが宝(心の栄養)となる」と言う意味です。
 「心の眼が清らか」とは、小学校の通信簿のような相対評価ではなく、絶対評価でものごとを考えることです。つまり、「他よりおいしい」「他よりキレイ」ではなく、「これはおいしい」「これはキレイ」と、他と比較せずにものごとを考えるのです。
 ところで、私たちの周りには、ストレスを与えるものがたくさんあります。
 アメリカのワシントン医科大学のホームズ博士が、「ストレス指数」いうものを提唱しました。さまざまな出来事によるストレスの大きさを「配偶者の死」を100として数値化したものです。それによると、「離婚」73、「別居」65、「近親者の死」63、「本人の病気」53、「結婚」50、「解雇」47、「退職」45、「家族の病気」44、「妊娠」40と続きます。これを見ると、何かを失うことによるストレス指数が高いことがわかります。
 つまり、ストレスとは失うことに対する恐怖なのです。
 
 
 
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【今日の言葉 6/10】

「人の幸せ」を喜べるようになる方法
 
 
 「嫉妬しない」と言うのは難しいものです。親しい友人の結婚が決まり、幸せを心から祝福したいのに、「いいなぁ。私なんて彼もいないのに・・・・・」とうらやんで、なんだかモヤモヤしていらだったり、落ち込んだりしたというような経験がある人も多いのではないでしょうか。
 よい状態や幸せそうなものを見ると、それと比較して「ダメな自分」を意識されるので、人はイヤな気持ちになりがちです。反対に、よかったものが悪い状態になったり、幸せの絶頂を極めてような人がなんらかの理由で不幸せになったのを知ると、「もしかして自分のほうがマシかも。大丈夫、自分には価値がある」と認識して安心した気分になれるので、すごく喜んでしまうのです。それを繰り返すことで、自分にとって本当にかけがえのない存在だと思っている人の人の幸せでさえ、素直に喜ぶと言うことができなくなります。
 そこで、「親友の幸せなのだから、相手のために喜ばなければ」と無理に笑顔を作って相手と接することもあるでしょう。でも、「人の不幸は蜜の味」という心を、自分が持っている事実に変わりはありませんから、その蜜を味わえない状態が苦しくて、友人と疎遠になったり、会うたびに悪いエネルギーをため込んで、思わぬところで爆発させてしまいます。
 それよりは、親友の幸せを喜べない自分の心に、意識を集中してみましょう。苛立ったり、落ち込んでいるというのはしんどいですよね。その苦しさをイヤと言うほど味わい尽くせば、「相手の幸せを喜んだ方がラク」だと心が気づきます。その次は、相手の幸せを喜んだときの「淡くて穏やかな気持ち」に、また意識を集中します。そうすれば、「人の不幸は蜜の味」ではなく、「人の幸せこそが蜜の味」だと心が覚えて、自然と人の幸せを喜べるようになるはずです。
 
 
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【今日の言葉 6/6】

    退 屈 を 退 け る   
                                           ー修行の道ー
 
 
 退屈だと言って暇を持て余すのは、意外につらいものがあります。何もやることがないというのは、苦痛なのです。できれば退屈な人生は送りたくないものです。
 仏教の修行者にとっても退屈は大きな敵です。修行者は決して退屈してはいけません。なぜなら、退屈とは「覚りを求める心が退き、屈してしまうこと」だからです。つまり、修行がいやになってしまい、逃げ出したくなることを意味しているのです。
 一般的に僧侶の修行は厳しいものです。多くの場合、何ケ月かの缶詰生活を送ることになります。世間とは完全に隔離されます。その厳しさに途中でついていけなくなってしまう修行者も出てきます。当初の志はぽっきり屈してしまい、退いてしまうのです。修行は、いわば退屈との戦いでもあります。退屈しないように、退屈を退けるように努力するのです。
 修行だけではありません。世の中、退屈との戦いであるとも言えます。仕事にしても勉強にしても、結婚生活も・・・・・・すべてにおいて、途中で気持ちが萎えたり、目標を見失ったり、いやになったり、逃げ出したくなったり、夢や希望を簡単にあきらめたりしないようにしたいものです。人生に退屈しないようにしてください。
 
 このように「仏教の言葉」と言う本に著されています。
私もまったく同じ意見です。退屈しては人の成長を止めてしまいます。
私はこれからも退屈しないように、いつも何かを求めていきたいと思っています。
皆さんも退屈しないように前を向いて進んで行きましょう。
 
 
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          また、私の大好きなリーガスベゴニアの花です!

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