|
悪魔との闘争は、ツヴァイクに拠るまでもなく〈人間〉としての闘いである。これを明確にせずに、諸問題が〈人間〉を、あまつさえ〈人間〉概念を解体することで解消し解決できると考えるのは間違い、勘違い、筋違いである。
確かに、近代という時代がこれだけ〈人間〉の意識を自由にし独立させてしまった以上、神/悪魔そのものの問題は放っておいて、そっちのけで、ないものででもあるかのように、これらと対決する〈人間〉の枠組みが排除してきたものの救済を実践するだけのためにこれを壊せばいいとする事は、解らないというわけではない。しかし、神/悪魔の問題が解決がつかずによく説明がつかないから、考え直すことが相当の困難であるからということで問題を摩り替えて、これを〈人間〉の側の〈人間〉問題として解決しようとして〈人間〉解体を唱えるのだとしたら、やはりこれは本末転倒と云うべきだろう。
神/悪魔との闘いは当初から、〈人間〉としての闘いであった。これを〈人間〉解体によって終えるのは、ほとんど文字通り自己矛盾である。確かに今や、この神学問題/悪魔学問題は後退しているかに見える、まるで何もなくなった、何も問題はなかったかのようだ。よって、最後は〈人間〉を解体すれば全て解決するのだと論ずるのは、殆どミステリーでなければそれ自体ヒステリー、ミスリードである。読みの間違いだけでなく、指導の間違いである。
勿論、人間が次の生物(それが超人だろうが新人類だろうが)に進化しても、おそらくこの問題は残るのである。また、人間以外の生物もこの問題の範疇に含まれるのである。その意味で、確かに〈人間〉主義は間違いであると言ってよい。ただ、これを〈人間〉解体とするのは全く逆である。寧ろ、私たちが〈人間〉である以上〈人間〉として神/悪魔ともう一度真剣に闘い直し、真に〈人間〉を再考し再建すること、そのことによって究極の目標は、次や次の次の段階になるのであれ、〈人間〉として為されるとは限らない事になるのではあれ、そこに一貫する神/悪魔の問題を明解に解明することであるはずだからである。
|
全体表示
[ リスト ]







『精神疾患とパーソナリティ』と『知の考古学』の間にある落差を視よ。
2012/10/8(月) 午後 4:59 [ Hyperion oder derEremit inSirius ]