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			<title>宗教批判と全啓示の哲学</title>
			<description>〈意識に直接作用する人格的存在〉の問題について考えるブログです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>宗教批判と全啓示の哲学</title>
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			<title>霊的存在が死者ではなく全き他者の場合の試論（仮説）</title>
			<description>&lt;div&gt;『黒い破壊者』中村融・編訳（創元文庫2014）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　収録作品の半数の訳者でもある編者は、あとがきで「アンソロジーを編む最大の動機は、埋もれた佳作を世に出」す事、と云っている。確かに、六人の誰一人として今まで読んだ事はない作者ばかりだった。&lt;br&gt;
ＳＦ作家の想像力が存分に発揮された作品は、言葉の為の言葉と化している今日の文芸作品以上に付いて行けない処がある。McKennaのフィト（動物性植物）ザナシス、Schmitzのグランパ（私なら大父とでも訳したい）、Andersonのテレパス（心が読めるプラズマ）ルシファー、Youngのドライアド（樹の妖精）、Vanceの海棲知性体デカブラック、Vogtの悪猫種族、どれをとっても哲学書とは違った意味で一回読んだだけでは到底理解できるようなものではない。Vogtのもの以外は何らかの意味でハッピーエンドを迎えると云っておいてもいいかもしれないものの、宇宙生命との出遭いが実際ハッピーなものであり得るかどうか、また歴史まで遡ってその時点で考え直さねばならないとしたら単純には喜べないより複雑な問題を抱えている事が判る。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
表現として秀逸だった例を上げておくと、&lt;br&gt;
「テレパシーは波動現象ではない。・・・それを妨害できるような物質現象も存在しない」（キリエ）&lt;br&gt;
テレパシーがこれまでの物理学では説明できない事を適確に言い表している。&lt;br&gt;
「おのれの脳髄から発してくるのにちがいない・・・だがそれは、彼の心をその源とするには、あまりに甘く、あまりに痛切だったから、とても彼自身の脳髄から発してくるものとは思えなかった」（妖精の棲む樹）&lt;br&gt;
意識の事実、心の真実を重視する主観性の哲学に対してそれを単に脳内現象で説明して事足れりとする事は出来ず、作品としてのＳＦ以上にＳＦ的な思考、思想、新しい哲学が更に必要とされていると考えさせてくれる部分である。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/33287753.html</link>
			<pubDate>Sun, 08 Feb 2015 17:24:01 +0900</pubDate>
			<category>ソフトウェア</category>
		</item>
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			<title>池田晶子論４</title>
			<description>&lt;div&gt;「空は　むしろ&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　&lt;u&gt;虚ろ&lt;/u&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　として、ある、色である」&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　貴女の最期の言葉でした。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　人間は死を超えておらず、死ねば自己自身としては何も無くなると思います。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　ただ、生前に託されたものがあるだけで、それもいつ根絶されるか判りません。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　ただただ、よほどの事がない限り（後世に著作を遺してもらえる場合でない限り）目に見えない形で、託されたものが受け継がれていくと考える他ないのです。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/32210971.html</link>
			<pubDate>Fri, 01 Nov 2013 21:47:18 +0900</pubDate>
			<category>哲学</category>
		</item>
		<item>
			<title>池田晶子論３</title>
			<description>&lt;div&gt;「貴方（小林秀雄）の試みが同時代において孤高であったように、私の闘いも孤立無援であります。精神的状況は、貴方の頃より悪い。・・・いつか、貴方を唸らせるような、凄い作品をものしてみせます」&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　未来の人間に託されている、託された事です。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/32205651.html</link>
			<pubDate>Wed, 30 Oct 2013 17:21:28 +0900</pubDate>
			<category>哲学</category>
		</item>
		<item>
			<title>悪魔学の泰斗による明敏な通史</title>
			<description>&lt;div&gt;『悪魔の系譜』ラッセル&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　原題は『闇の王子　歴史における根源悪と神の力』。五巻本の最終巻であり、前四巻の集約版となっている。コンパクトにまとめられた『悪魔の文化史』ミノア（文庫クセジュ）よりさらに詳しく西欧悪魔史を知りたい人におすすめ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　意識に直接作用する超自然の人格的言語的存在を古代人が「神」と呼ばざるをえなかったのは、その作用が意識をもつ人間にとって不可避のものだという関係性の自覚であり、この世の不幸を神による試練ないし神としての善の欠如、人間自身の不信仰として理由付けたいからではなかった。しかし、それが完全にはできないとすれば、超自然の存在を「悪魔」と呼ばざるを得ない。神と悪魔の前後関係が逆転してもその内実に変わりはない。「悪魔」という当初有効だった解釈は中世異端審問、魔女狩りという大規模な組織的粛清に到り救いようのない泥濘に落ち込んだ。やがて革命によって、それを打ち破る近代社会が到来する。権力が世俗化し唯物論的幸福が、神＝悪魔の二元論を打破するかたちで追求されるようになる。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　これが西欧悪魔史の大筋の流れだが、しかし、悪魔とは、神とはいったい何だったのか？博学な著者にも目に見える、万人の目の前に出せる答えはあるわけではないだろう。ただ、本書で跡づけられた一貫した悪魔の表現史は、この存在を存在として忘れてはならない、この問題がはっきりとは表現されなくなった現代にもいまだ深刻な問題として解決していないことを訴えようとしているのではないか。 &lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/32198475.html</link>
			<pubDate>Sun, 27 Oct 2013 19:48:18 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>池田晶子論２</title>
			<description>&lt;div&gt;　私の不思議、私が在る事の不思議は、生物学から哲学までが曲がりなりにも説明してきたものです。個体の主体性をより有効に発揮する意識の発生から自問自答、社会のなかの個人やその変容、苦悩の表現まで。それでも、私という事が不思議だというのはその通りです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　しかしながら、神／悪魔、聖霊／悪霊の存在の方が、少なくともそれらを感じられる者にとってはよほど不思議であるはずなのに、それらの呼称、名称があるという、かってあったというだけで安心してしまうのはどういう事でしょう、どうした事でしょうか。私は私自身の存在や私ということの成立している歴史的事情よりも、そこに直接作用している存在の方が何者か根本的には解っていないと思います。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　勿論、自分自身、人間自身についても解っていない事はたくさんあり、解体、修正すべき事もあるでしょうけれども、それでも、やはり、絶対的な他者としての神／悪魔の方がよほど不思議です。哲学者ならそれを問うべきだった、それをこそ今からでも問うべきだ、と思います。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/32191130.html</link>
			<pubDate>Thu, 24 Oct 2013 15:11:45 +0900</pubDate>
			<category>哲学</category>
		</item>
		<item>
			<title>解明されるあの世とその意味</title>
			<description>&lt;div&gt;『ここまで来た「あの世」の科学』天外伺朗&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　近代科学の起源から話を起こして、ユング心理学とボーム量子論を援用した世界観、宇宙論を結論としている。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　大筋、同意できなくはないが、これを解明するには「おびただしい階層」、「詳細な説明」をやはり明確にせねばならないだろう、ということがある。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　一般の本書は、一刀両断、一切知の夢のような論述になっており、アフォリズムとして読んだ方がよいかもしれない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　特に、中盤の物理学を理論上のスケールで整理した図示、最終の集合的無意識仮説とホログラフィー宇宙モデルを対照させた図示は確かに興味深い。物理学で通常のスケールを記述する相対論とミクロの世界を記述する量子論は単に並列ではなく矛盾するのであり、現在までの処それがこの世界、この世であるということになっている。他方で、最終の意識と無意識、明在系と暗在系の直交変換として表されるこの世とあの世のこの「ギャップ」は、この物理学の理論的矛盾そのものの事のようにも考えられる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　量子世界は宇宙を一つのものとして、表現の仕方によっては「生命体」として理解させるものの、実際には相対論的に光速で限界付けられていてそうではないという事の意味は、それが宇宙や世界や有機的連関体以上に未知であり、解明されるべき無限の世界の構造だけではなく、宇宙人と呼んでいいような、また呼ばねばならないような別の住人との遭遇をも意味していることは、如何にオカルトの謗りを受けても確認しておかねばならない事であろう。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/32017940.html</link>
			<pubDate>Tue, 13 Aug 2013 20:27:49 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>知られざる中国の気功師、ブラジルの自動作家</title>
			<description>&lt;div&gt;『テレパシー入門』中岡俊哉&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　一昔前、五島勉が流行った頃の作品。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　この人も人気があったらしいが、寡聞にも私は知らなかった。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　遠感知現象（透視、テレパシー）、未来感知現象（予知・予言、逆向認知）、念力現象（気功、念写、テレポーテーション）、心霊現象（心霊治療、自動筆記、交霊）、ＥＳＰ研究に分類し順次紹介する。肯定的ならば素質があるとする素質テストを各分野に付している。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　私が特に貴重だと思ったのは、中国の気功師、陳竹氏、毛福州氏、董妙成氏、周継超氏を写真入りで紹介していることであろう。こんな情報は和書でも洋書でも得られない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　また、自動筆記の文盲小説家フランシスコ・カンディド・シャビエル（Francisco C&amp;acirc;ndido Xavier）氏、同画家ルイス・アントニオ・ガスパレット（Luiz Antonio Gasparetto）氏も写真入りで明確に評価した上で紹介している。自動筆記の分野はテキストが明確にあるだけに非常に興味深い。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　これらの人々はもっと日本にも紹介され、業績を再評価する事があっていいだろう。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/32014780.html</link>
			<pubDate>Mon, 12 Aug 2013 16:24:00 +0900</pubDate>
			<category>超能力</category>
		</item>
		<item>
			<title>プラトニズムが宇宙人論を超えているとはどういう事か</title>
			<description>&lt;div&gt;　この宇宙の宇宙人について考える前に、人間が自身の身体をこの宇宙空間を飛び回れるように進化させる事とか、飛び回れるようにする乗り物を開発する事とかを想像するとする。そんな事ができたとしても、たかだか天文学者の好奇心を満たし、産業技術者に無尽蔵の資源を提供するにすぎないだろうことは容易に想像できる。地球が宇宙の中の点であるにしても、この宇宙はどう考えても地球の拡大でしかない。この事は、超古代の謎が仮に解き明かされても、それは尚その水準に留まる事を示唆している。それこそ、それが宇宙人によるものにしたところで、だから何だって云うんだいということである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　それに対して、この宇宙を超えた知性を想定する、想定できるという事は、根本的に生死を超え、真に超越論であるであるという事であり、言うまでもない事であるが宇宙人論を超えているのである。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/31462910.html</link>
			<pubDate>Sun, 27 Jan 2013 15:03:23 +0900</pubDate>
			<category>哲学</category>
		</item>
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			<title>悪魔とニヒリズムの中から見出されるもの　～反ニヒリズムの立場とは</title>
			<description>&lt;div&gt;　クリスティーの『そして誰もいなくなった』は、悪魔のような話であり、かつ勧善懲悪でもあるかのようである。が、ニヒリズムとも言えるものである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　そこには救済というもの全くがない。しかし、所詮人間というもの、生物というものはそういうものである、という事を強く感じさせてくれるものでもあろう。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　ところで、人間以前の進化史であった事に人間の歴史、人類史を付け加えてみてもそんなものはなかった、なかったも同然である事は相対的にははっきりとそう言えることである。恐竜や三葉虫の時代の方がよほど偉容を誇っていて、客観的に見ても人間の歴史がそれに取って代わられる、取って代わる事が出来るようになるには到底時間的なものとして考えられない。今後数百年で人間は自身の身体を自ら進化させて別の種に変身すると考える方がよほど正確そうである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　そんなことで言えば、死への絶対的負の意味は、遺伝子がそう考えなさいとしているだけであり、倫理の根拠などというものが生命にとってアプリオリにあったなどという事は多分言えないであろうものの、自己完結的にはその倫理的な論理ループの中で、それが仮構であるという事を理解しつつそれを認め、かつそれ超えた処で実現し得るような何か、それをプラトニズム風に知性と言ってもいいような、この宇宙を超えたものにまで至らねばならないという事が展望されよう。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/31462866.html</link>
			<pubDate>Sun, 27 Jan 2013 14:42:08 +0900</pubDate>
			<category>倫理学</category>
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		<item>
			<title>ない事の証明</title>
			<description>&lt;div&gt;　仮にＳＦやオカルトが描くように、五億年前に宇宙人が地球を生命の実験場にしていたとしたら、証拠は残るだろうか。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　生命そのものは化石を探していけば少しずつでも判る。しかし、宇宙人は化石には残らないだろう。一体二体あっても、見つけられはしない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　よって、四十億年前と五億年前の二回だけ、ちょっと立ち寄って実験してみました、という事が絶対にない、なかったという事は到底証明できるような事ではない。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hyperionoderdereremitinsirius/31462529.html</link>
			<pubDate>Sun, 27 Jan 2013 11:48:38 +0900</pubDate>
			<category>生物学</category>
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