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「そんなの関係ねぇ」

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今年もこの季節がやってきた。
冬だ。
わたしは冬はあまり好きじゃない。
何も朝、布団から抜け出すのがいやだからとか
そんなことでもない。
そういう生理的な観点で言うとわたしは冬はむしろ好きな部類に入る。
これは間違いない。

そう言って長い袖から細い手を出してマグカップを手に持つ。
白いマグカップからやさしく生まれる白い湯気は冬の朝の世界を彩る。



こんなわたしでも一度は惚れた異性がいる。
彼は向こう見ずで馬鹿で・・・でもとても笑顔が素敵でやさしい人だった。

私は幸せだった。幸せだった・・・。
そう。ただ幸せだったのだ。

毎日が幸せだった。
この頃は自分が自分じゃないみたいだった。
何かこう心の底から湧きあがるものが・・・こう・・・。


でも。
現実はこうだ。
時代は戦争真っ只中。
戦況は厳しくなるばかり。
ついには彼にも赤い紙が。

私はもちろん止めた。
しかし彼は国のためだといった。
わたしのほうが大事じゃないの?
もちろん君のことが大事さ。
この国よりも。

じゃあ、一緒にどこかに逃げましょうよ。

馬鹿言え。敵の戦闘機はどこにでもやってくる。
僕は南の海に行かなくてはならない。
でも。
さっき言った通り、これは国のためなんかじゃない。
・・・君と君のお腹の中の赤ん坊を守る。それだけ。


そして当日。

大きな声で生きて帰ってこい。そんなことは言えない。
言えることはただ、お国のために死んでこい。
そういうご時世だった。

近所中の人が見送りに来た。
彼のほかにもたくさんの人がトラックに乗り込んでいった。

皆が万歳をした。
彼が近づいてきた。

わたしは耳元で
生きて帰ってきて。と。

彼は何も言わなかった。

そして私は周りと同じように彼に万歳をし、国のために死んでこいと言った。


その時。
そう、その瞬間が脳裏に焼き付いて離れない。

大きな背中越しに彼は言った。


「そんなの関係ねぇ」

彼はトラックに乗り込み、そして・・・南の海に果てた。
彼は小さな箱になって戻ってきた。



あれから、もう長い月日がたったのかしら。
あれから、どれほどの冬が巡ってきたのかしら。


だけど一つ言えること。


皺の増えた細い手はマグカップをコースターに戻した。
もう湯気はすっかり果ててしまった。


彼がいたからこうして孫もでき、コーヒーも飲める。
だけど何か足りない幸せな日常


するとブラウン管に目をやり、

彼を見るとあの人を思い出すの。
向こう見ずで馬鹿で、でもとても笑顔が素敵で優しくて。
パンツ一つで皆を幸せにしてくれる。
そして、何より彼はいつもこういうの

「そんなの関係ねぇ」


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