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こんばんは。 知覧を見学した私と裏辺所長は、バスに乗って鹿児島中央駅まで戻りました。 私が前回鹿児島に来た時はまだ西鹿児島駅でした。そういえば、新幹線も開通していませんで下ね。 時の流れを感じました。 時間に余裕を見たつもりでしたが、結構時間ぎりぎりという感じでした。 鹿児島中央からは・・・・ 九州新幹線初乗車です! ていうか・・・・いまだにこのとき以来、九州新幹線には乗っていませんが。。。(爆) 車内の写真を撮影していませんが、独特の車内デザインが印象的でした。 この2年ほど前は特急で2時間かかっていた八代(新八代)まで1時間もかからずに到着・・・。すごい時間短縮振りです。 新八代では、同一ホームで新幹線と在来線が乗り継げます。 続いて「リレーつばめ」に乗ります。が・・・・車両は787系とは言っても、「有明」仕様の車両だし。。。(笑) この列車で1時間半弱で博多駅まで到着します。 熊本駅では新幹線の建設に伴ってレンガの車庫が解体されてしまっていたことを確認。残念でした。 所長と話していたということもあるのですが、今回も車内の写真はなし(笑)。 博多駅からは市営地下鉄に乗って、福岡空港に行きます。新幹線で帰ると言う手もあったのですが、新幹線を使うと自称18歳の方がいらっしゃるところを通ることになるので・・・・というのは冗談ですが、新幹線で帰ると帰宅が非常に遅くなってしまうので飛行機で帰ることにしていました。 しかし、この日はGWの最終日。この年に設定が始まっていた旅割は当然設定そのものがなく(涙)、普通運賃で乗ることになりました。でも当時で32400円くらいだったと記憶していますが、今よりも4000円以上安いんですよね。。。 帰りはANAでございます。記録によると777−300となっているのですが、なんか−200のような気もしなくもないんですよね。。。 当時の記録をさらに引っ張り出してみると、エンジンがでかいとかかれていました(笑) 搭乗時間までちょっと時間があったので制限区域内の食堂で早めの夕食を頂いていたら搭乗開始となり、あっという間にファイナルコール(汗)。慌てて搭乗口に行く羽目に・・・・(爆) 予約したのは1ヶ月近く前のことだったのですが、窓側は確保できず、私は真ん中の席だった気がします。 羽田上空まで順調に飛行を続け、いよいよ着陸・・・・羽田の第二ターミナルが見えた〜というところでなんとゴーアラウンド!! どよめく機内。私も何が起きたのか良く分からず、結構あせりました。 どうも、直前に着陸した飛行機との間隔が短すぎて、着陸のやり直しを指示されたのだとか・・・・。 結局これで到着が15分遅れました。 私が搭乗した便では、一昨年広島空港で滑走路が視認できないため着陸やり直しというのがありましたが、天気も問題ないのに着陸やり直しというのは後にも先にもこのときだけでした。 到着後、京急線のりばへ行き、 この列車に乗っていきます。 途中の京急蒲田で所長と別れました。 都合3日間ありがとうございました。 私はそのまま乗って品川で下車。 京浜東北線に乗りまして、東京へ。 最終ランナーは京葉線です。201系ですか〜。 結局、最寄の検見川浜駅に到着したのは午後11時を回っていました。 お疲れ様でした!! こうして、7泊8日に及ぶ日本列島縦断旅行は終わったのです。 最北端から最南端まで鉄道で行く・・・・という構想を練ってから1年。まさか実現させるとは思っていませんでしたが、本当に楽しい旅行で今までで最も思い出深い旅行です。 そして、この旅行の行きと帰り・・・飛行機での移動となりましたが、飛行機のスピードを実感したのもこの後の私の旅行に大きな影響を与えました。そして、この年の12月に結局プラチナになるわけです。。。。 その意味では鉄道趣味一辺倒から、飛行機に大きく傾く転換点となった旅行であったとも言えますね。 去年の7月に連載を開始してほぼ半年に渡って連載するという長期シリーズとなってしまいましたが、辛抱強く(笑)、お付き合いいただいた皆さんに御礼を申し上げます。 ありがとうございました!! 〜日本列島縦断紀行・完〜
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日本列島縦断紀行
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こんばんは。 知覧の武家屋敷を見学したあとは、私が是非行きたいと推していた場所へ行きます。 こちらです。 はい、知覧とは切っても切り離せない特攻平和会館です。 灯篭が続いています。 外には航空自衛隊の飛行機のほかに特攻隊員の像がありました。堂々とした勇姿でした。 さて、この特攻平和会館、中は残念ながら撮影禁止(まあ、撮影されていた方もいましたが。。。)。 なので、写真はないのですが、海中から引き上げられた零戦の残骸がまず展示してあり、これですっかり引き込まれてしまいました。 一方所長はたいして興味がなかったのかあっという間に出てしまったようですが・・・(汗) 私は零戦に始まり、特攻に散っていったパイロットたちの手紙や新聞記事、寄せ書き等々・・・一つ一つしっかりと読ませていただきました。これではいくら時間があっても足りませんが、日本の国のために散っていった人たちの国に対する思いを私は心に刻みました。 特攻は悲劇でしょうか。 いや、国を守りたい。そんな思いを持ったものであれば自分を犠牲にしても守りたいと思うのではないか。 自分がこのときにいたら、きっと同じ気持ちになったと思います。 死ぬのは怖いです。でも自分の犠牲の上に日本の明日があるのだと思ったら・・・・特攻することも厭いません。 この思いがなくなってしまったら、日本に明日もないと思います。 特攻自体は愚策ではないと思います。ただ、それを「作戦」にせざるを得なかった日本軍の苦しさが残念に思います。 平和は良いことです。しかし、それを当たり前だと思っている人々がなんと多いことか。 私よりも若い年齢で散っていった人々に対してつばをかける様な堕落した人たちを見ていると怒りと言うか、むなしさを覚えます。 脱線しましたね。 何はともあれ、中の展示物には、本当に感銘を受けました。 陸軍の名機「隼」の10分の8のレプリカに驚き、昭和48年に復活飛行した「疾風」に感動し・・・と、時間を忘れて見学した結果、帰りのバスの時間が迫ってしまったため、半ば消化不良で一部の展示品は見ないまま撤収となり、非常に残念でした。 また絶対に行きたいと思います。今度は一日かけて、もっと多くの人の遺品に目を通し、彼らの思いを刻みたいです。 会館を出た後、特攻隊員たちが出撃までいた兵舎を見学しました。 兵舎にはたくさんの千羽鶴が献納されていました。 特攻隊員たちはどんな思いで過ごしたのでしょうか。 というわけで、知覧滞在も終わり、帰途につきます。 次回はいよいよフィナーレです。 〜つづく〜 P.S. なお、今回は私としては珍しく、少々自分の思いを語らせていただきました。賛否両論あるかと思いますが、なんといわれようと私の気持ちは変わりません。 大変申し訳ありませんが、今回のエントリーはコメント不可とさせていただきます。 感想等ある方は、お手数ですが、ゲスブにでもお願いします。 本当に申し訳ございません。
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こんばんは。 日本列島縦断紀行は前回を持ちまして、本編は完結しましたが、あと3回・・・エピローグとして帰還までのエピソードをご紹介したいと思います。 西大山駅からはタクシーで、指宿まで帰還しました。 帰還後、指宿市内で焼肉を食べました。が・・・・写真を撮るのをすっかり忘れておりました。。。 食事後ホテルまで戻ります。 この日のお宿は指宿コーラルビーチホテル・・・。一昔前のホテルという感じです(笑) さすが指宿というだけあって、温泉もありまして、この旅で初めてのんびり温泉につかれました。約1週間に及ぶ旅の疲れを癒せたと思いました。 夜、とりあえず旅行記を書いておこうかな・・・とパソコンに向かおうとしたのですが、眠くなり5分だけ仮眠を・・・と思って、ベッドに横になったが最後(笑)、次に気がついたときにはすっかり明るくなっていたのでした。 しかも、朝起きてみると、眼鏡がなくなっていまして。。。。しばらく捜索したら、私が踏み潰していることが判明・・・・(涙) レンズが割れることはなかったものの、レンズはフレームから外れてしまい、フレームもゆがむという大損害(爆) 帰宅後もしばらくはだましだまし使っていたのですが、この年の夏季休暇に沖縄に行った際についにレンズが割れてしまい、買いなおすことになるのですが、それはまた別の機会にでも。 さて、ホテルで朝ごはんを頂きますが、旅館で提供されるような食事で嬉しかったです。 朝ごはんも頂き、さっそく出発することにします。 指宿駅からは・・・・ キハ200系の快速列車に乗ります。 この日も朝から鹿児島方面に向かう方で混雑していました。 私たちは鹿児島中央までは行かず、途中の喜入駅で下車します。 ここからバスに乗るのですが、バス停がどこか分かりません。所長が駅員の方に聞いてきてくださったのですが、所長いわく・・・・ 「何を言っているのかぜんぜん分からなかった・・・・」 相当なまりが強かったみたいで・・・・ とりあえず聞き取れた「駅から出て左へ」と「つきあたり」というフレーズを頼りに行ったところ、喜入駅前のバス停を無事発見。ここからバスで知覧へ向かいます。 知覧に到着したのは11時前くらいだったと思います。 知覧に着いて、まず向かったのが武家屋敷です。 金沢でも武家屋敷を見学しましたが、まったく雰囲気の違う街並みだったので、とても興味深かったです。 なんといっても知覧の武家屋敷は庭園が有名。 写真は最も私が好印象を持った庭園でした(^^ わらぶきの屋敷なのですね。 別のところでは池もありました。池があると風情がありますね。 さて・・・次に向かいましょうか。 〜つづく〜
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こんばんは。 結局、年をまたいでしまいましたが、今回で、本編は最終回となります。 ホテルに大きい荷物は置きまして、再び指宿駅に戻ってまいりました。 駅前には足湯があるみたいですね。もうちょっと時間があれば、つかってから出発したいところでしたが、次の列車まで時間もないので、駅の構内へ向かいます。 最終ランナーとなるのはキハ40系の普通列車でした。 私の旅を締めくくるには、ある意味最も適役といえるでしょう。 海岸線の近くを進んでいきます。 指宿枕崎線は指宿とその先の山川駅で大きく運行形態が変わりまして、山川駅までは鹿児島の広域圏という感じですが、山川から先は別の路線のごとく列車の本数が少なくなります。 ↑すみません、当初大山駅と書いていましたが、山川駅が正解です。。。ご指摘ありがとうございました(^^; 大山駅を出発するとこんな形の山が見えてきました。 それから程なくして・・・・ 西大山駅に到着しました。 乗ってきた列車を見送って・・・・・・・・・・。 ついに・・・・・・・ 北海道の稚内駅から南下すること3700km超。足掛け6日間に及ぶ旅はここに完結したわけです。 あまりの嬉しさに、 所長に私の著者近影を撮らせるという暴挙に(爆) いやぁ・・・・本当に北から南までやってきたんだなぁ・・・という充実感に満たされておりました。北から南まで来て、気温差もつらいものもありましたが、それさえもこの時は心地よかったです。 ちなみに。。。 稚内からまっすぐ西大山に来れば、3100kmほど・・・・600kmも遠回りしたわけですね(爆) なお。。。最東端駅は・・・根室駅ではなく、東根室駅なのですが・・・(爆) さて・・・ この西大山駅。 この通り駅舎もない無人駅です(笑)。 でも、地元の子供や観光客やらで寂しい・・・という雰囲気ではなかったです。 西大山駅の記念入場券が販売されているのですが、指宿駅で販売されていました。 何はともあれ、50回近くに及んだ本編はこれにて完結です。長い間読んでくださいましてありがとうございました。 まあ。。。もう少しだけエピローグが続きますが(爆) ちなみにあの事件を楽しみにされている方が数名いらっしゃるようですが、今回は割愛しますので(爆) 稚内を出発してこんなところまでやってきました(今回は拡大版です)。 ↑クリックすると大きくなります。 |
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こんばんは。 鹿児島市内をちょっとブラブラしましたが、再び鹿児島中央駅に戻り、旅を続けることにします。 鹿児島中央から次に乗る列車はこちらでした。 キハ200系の快速「なのはなDX」です。 本当は指定席でも取ろうかとも思ったのですがやめまして、自由席に乗車することにしました。 キハ200に乗車するのは実はこのときが初めてだったりします。。。その後、シーサイドライナーでも乗車しましたが。。。 気動車としては破格の車内設備に感動しました。 列車は指定席車両1両に、自由席車両2両の3両編成。 鹿児島中央を出発すると指宿枕崎線を軽快に走っていきます。 しばらくすると・・・・ 錦江湾の向こうに櫻島が見えました。。。 が・・・・・ 光線状態があまり良くないのか、空に溶け込んでしまっていました。。。 空気が澄んでいたりしたら、素晴らしい光景が見れたのになぁと思いつつ、列車は進んでいきます。 こんな感じで、(手前のテトラポッドは微妙ではありますが)指宿枕崎線もなかなか趣のある路線ですね。さすがにわざわざ指定席車両を快速列車につけるだけのことはあります。 しばらくして、この列車の終点の指宿に到着しました。 方向幕はすでに折り返し先である鹿児島中央になっていました。 指宿で途中下車します。 なんか雰囲気が南国・・・という感じですね。 いったん、荷物を置くために、本日のお宿に向かいましたが・・・・ 写真でも分かるとおり、南国です。。。。気温は25度を越えていたかも・・・・。 雪の残る北海道から延々と1週間かけたとはいえ、南下してきた私にはかなり厳しい気候でした。 しかし、あと少しなので、がんばっていくことにしましょう♪ 稚内を出発してこんなところまでやってきました。 ↑クリックすると大きくなります。 〜つづく〜
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