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離婚

1ヶ月くらい前に、妹A子から電話があった。


「もう、あたしだめだわ。離婚する。」


は?
夏に家族で遊びに来たじゃない。


妹の言い分はこうだ。

・ダンナは家事を一切しない
・乳がん検診で再検査と言われたり(実際は心配なし)、
胃にポリープが多数できたなどの体調不良があっても家事を手伝わなかった。
・子供の面倒も行ったと通りにやらない


まあ・・・
別にあたしがどうこう言おうが、どうなることでもないけど・・・、


子どもと父親の関係だけは断絶させない努力をしてほしい
子どもの前で絶対に父親の悪口を言わないでほしい
とだけ伝えた。


これは、私の幼少期の経験によるもので、

・家に給料を入れない
・女のところに入り浸って帰ってこない

という父の暴挙により、我が家は破たんしたことがあり、
その後、親や親せきから父の悪口だけを聞いて何十年も生きてきたため、


どうも未だに「自分の半分はダメな血が入っている」という錯覚が襲ってくる。トラウマだ。


親同士の不仲によっての離婚はしかたないけど、
せめて、子どもには自分と同じ思いはさせたくないと、
心から思う伯母さんです。


時をおいてすぐ、母から手紙が届いた。
A子の離婚に関しての問題が大々的に綴られていた。


A子から「母さんが平気で子どもの前でダンナの悪口を言う」と聞いていた私は、
危険を感じて、母に電話したら、第一声


「あいつのせいであたしはガンになったんだ!」


母の言葉に驚愕した。
急に怒りがこみ上げて、母を怒鳴りつけた。


ガンになった理由はそれだけか?医学的に立証できるのか?
信じられないようなことを言うな!馬鹿か?
そんな偏った考えで公平性のない考えは恐ろしい!
なんでそんな中立性のない考えができるんだ?
さんざん強く言ったら、手のひらを返したような言い方で、


「だって、自分の子のほうに味方に付きたいじゃない。」と、母は茶目っ気交じりに言った。


馬鹿か・・・。本当にこの親は・・・。
あきれてものも言えない。


頼むからさ、A子のこと言ってるより、
自分のことちゃんとしなよ。


「だってさ、あたし、あのダンナに散々やってあげたのよ?
それでもお礼のひとつもないの。
あそこの婆さんだって、A子がダンナを呼び捨てにしたからってA子を目の敵にしてさ。
あっちの親戚も子どもを「女みたいな顔しておかまだ」って笑って。かわいそうじゃない。」


母は今までの恨みつらみを言い続けるが、

・恩着せがましい態度
・A子の常識のなさ
・相手の思いやりのない発言

すべてがかみ合わない状態で、この8年間過ごしてきたわけで、
どれもこれも、「お互いが悪い」という判断に結びついて、かばいようもない。


「何度同じこと言っても何も変わらないの!」
と声を荒げる母に、一言


あんたも一緒だよ!何言っても何も変わんないじゃないか。
そっくりそのまま言葉を返すよ!


と言って電話を切った。


もう関わりたくない・・・。
そう思っていたある夜、一本の電話が鳴った。


「すみません・・・。」


A子のダンナだった。


「こんなことになりまして・・・、一応電話で報告しようと思って。」


しばらく話をしているうちに、
とんでもないことが発覚した。


・A子の度重なる家出
・A子の不倫
・浪費癖や資金管理能力の悪さによる税金滞納
・A子がいない間に子どもの面倒は見ていた
・結婚してから自分の弁当は自分で作っていた


なんか・・・A子、裁判するとか言ってたけど、
裁判したら勝ち目ないじゃない。


「そうなんですよ。だから、本当に頭が悪くて、
話し合いにならないし、今回もいきなり引越ししましたからね。
どっからお金工面したか知らないけど、じきに困るんじゃないんですかね。」


は〜・・・。
なんでうちにはバカばっかりなのだ。


「お姉さん(さな)は、お母さんが病気になった時、
なんとかしたじゃない。あれはすごいよ、本当に。
でも、A子にはそれができなんだもの。
いろいろあったけど、おれ、あんまり悪口言いたくないから、
真実だけは言うけど、それ以上言いたくない・・・。」


そういえば、母さんも、
A子が胃にポリープできたりしたから、それが裁判で生きるんじゃないか?と
馬鹿なことを言っていたので、それは無理だと懇切丁寧に説明したんだよね。
DVみたいな加害があるならいざ知らず・・・。


どうも、離婚したら慰謝料もらえると思い込んでいるらしい。
お金が欲しくてしょうがないらしい。
馬鹿な一家で、本当にごめんなさい。


私は謝るしかなかった。


A子は、まともに家庭を運営できず、
税金も払わず借金まみれにしていた挙句に不貞まで働き、勝手に家まで飛び出した。
不貞に関しては、私もダシに使われたのではないかという心当たりがあったし、
何度も家を飛び出しているので、妹にとって裁判は意味がないのはわかった。


しばらくたって、何だか涙が出た。
ヒゲが「さなが泣くことないじゃない・・・。」と慰めてくれたが、
あたしは、悔しくて、恥ずかしくて涙が出ただけだから、気にしないで、とヒゲに言った。


なんで・・・なんで・・・自分がどんなにがんばっても実家はこうなんだ?


「さなは実家で暮らした時間が短い。
あの実家(母さんの元)に長くいると、金銭感覚や生きるパワーがそがれるのではないか?」
とヒゲが言った。そうなのかもしれないと思った。


私も、かつては離婚をした経験がある。


私にも悪いところはあった。
遊び歩くことはやめなかったし、お金をたくさん使った。
家事もさほどしなかったと思う。
遊びに行く前には食事は用意して遊びに出掛けたけど、
ダンナはとても家事がよく出来る人だったので、私はとても甘えていたと思う。


でも、それは、ダンナが良いと言ったからだった。


社内結婚したことで、強制的に会社をやめることがわかったとき、
私は、会社を辞めなきゃならないなら結婚しない、と拒んだが、
過去に社内結婚して離婚した経験があるダンナから、
体面上悪いから、と数カ月にわたって説得されたので、
うちに婿養子に入る、という条件で結婚した経緯があったし、
婿養子に入ると言ったのに、結局直前に拒まれ、
調べたら結婚した後でも姓は変えられるとわかったので、
百歩譲って入籍した経緯によるものだった。


入籍後、いつまでたっても姓を変更しないことを盾に、
私は好き勝手していたというのが真実だった。


だからといって、遊んでいる周りには常に当時のダンナ信望者である女友達が多くいて、
私が浮気をする隙間は全くなく、
そんな自由な状態でも、奇跡的?に不貞を犯すことは一度もなかった。


家庭的な旦那さまがいるうえに自由、という付加価値により、
私が離婚した時、明らかに私が悪いという風潮があった。
しかし、真実は、


お互いに悪い


というのが真実だった。
一見、法を犯していそうな私は、実は法すれすれで楽しんでいて、
一見、つつましく見えたダンナは、思い切り法の一線(不貞)を越えただけだった。
(しかも、あたしがバイトしている店にその女は来たという不条理)


どっちも悪い。


でも、法の一線(不貞)を越えたら痛い目に合うのはしかたがない。
いくら一見つつましく生きても、慰謝料を請求されていまう。


なおかつ、離婚したダンナに前回の離婚理由を聞いたら、
「お互いに浮気した」というのが一番の理由だったようだ。
奥さんは、浮気相手とどこかにいってしまい、
自分は自分で、家にたくさんの浮気相手の服や荷物が一部屋分あった。
私は実際にその荷物を見て、取りに来てもらえと電話をさせたら、
浮気相手は、新しい彼氏を引き連れて荷物を取りに来た。
私との結婚前の話だ。私もそんな奴と結婚するのがおかしかった。


離婚するのはどっちもどっち。


妹から、さらに電話があった。


「あっちは金があるから、いくらでも出して親権を取ろうとしているみたい。」


当然だと思った。
経済観念もない、中立意識もない環境でこれから育つことは、子どもによくないし、
私も望んでいないので、A子のダンナにがんばってほしいと思う。


なおかつ、私が幼少のころ盗み聞きした
「子ども3人もいるし、さなは父親が好きなんだから、あいつにあげてやれ。」
という心ない親戚の発言で心を痛めた私としては、


子どもは親を選べる権利のない、弱い存在だということを、
常に子どもは被害者になってしまうということを、強く言いたい。


勝手にセックスして作ったくせに、適当に、めんどくさそうに、駒みたいに扱うんじゃねょ、と思う。


さらに10月に入った別の日に、A子から、
「熱海に行っていい?」と電話があった。


A子の小2になる長男の様子がおかしいから、
夏に行った熱海の海、喜んでいたから連れていきたいんだ、と言った。


長男は、おとうさんと、おかあさんと、兄弟と、
みんなで行ったから楽しかったんじゃないかと思ったので、
実際に仕事が忙しかったし、天気も悪いし、海には入れないよ、
といって、断った。


あたしは、自分が子どもの時、家族が離婚してバラバラになった、
あの遠い夏のことを思い出して、とても切ない気持ちになった。


あの夏、父さんが珍しく、東京・三鷹の自宅に戻り、
薄暗く広いリビングで、父さん・母さん・あたし・A子・まだ3歳だったA未で、
集まって、最後の話をした。


最後まであたしは離婚に反対していたが、
母さんがあたしを呼んで
「お姉ちゃん、うちにはもうこれしかお金がいないの。」
といって出した手のひらの100円玉2つを見て、
もう、自分には何も出来ないと思ったのだ。


父さんは「さなはそれでいいのか?」と聞いた。


聞かれた瞬間に涙が止まらなかった。
「なんで子供に聞くの!!」という母さんの怒号が聞こえた。
その状況にビックリして、まだ小さかった妹A子が泣き出した。


まだ、私は12歳だった。静かに泣いた。


自分は成績はよかったし、父さんに「早稲田に行け」と言われていたから、
近くの私立中学に入るつもりでいたが、
直前ですべて吹っ飛び、自分の人生は終わったと思った。


夏休みだったから、友達にもまともに挨拶せずに三鷹を後にすることにせつなさを感じた。
そこに、担任の先生が謝りにきた。
「事情も知らず、給食費未払いの請求書をさなちゃんにいつも持たせてすみませんでした。」


担任の先生は、たくさんの友達を教室に集めてくれて、
写真を撮ってくれた。
みんな、あたしが急にいなくなることを悲しんでくれた。


三鷹を離れたくなかった。
でも、


あたしには、選択権はなかった。



あとは、下るだけのヤンキー一直線だった。
落ち続けて、警察に何回も捕まった。嫌いな親がいつも迎えに来た。
親に謝ったことはなかった。


しかし、自分のプライドが許さなかったことと、
本当にたくさんの人たちに支えてもらった強運で、
今、ここまでこれた。


同じ運命の可能性がある甥っ子たちが、不憫でならない。


A子の離婚は、このあいだ成立した。
あとは裁判をするらしい。


お願いだから、
お願いだから、


同じ歴史は繰り返さないでほしい。





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