JCP 〜ジェレミーのシネマ・パーティー〜

サブちゃんに 歌ってほしいぞ ♪じぇ〜れみ〜 さすらいのじぇれみー詠む

脚本のカラクリ

[ リスト | 詳細 ]

一般人・ジェレミーが映画やドラマのカラクリを紐解き、ウケるワケ・ウケないワケを探求。映画やドラマの創作に現在携わっている皆さん、いつか携わりたい皆さんとともに、今後のシナリオ創作について考えていけたらいいな。

ネタばれ含む!

記事検索
検索

全1ページ

[1]

さてさて、こちらでは一映画ファンとして振る舞うことを昨日宣言しました。が! 舌の根も乾かぬ内に、思いっきり「分析」しちゃいます(笑)。

というのも、先日『ミスティック・リバー』のレビューを掲載した際、ネタばれ全開で書いてほしい、という有り難いご要望を頂いたからです。

まぁ、続編的なものですので、未読の方には、まず↑のリンクから前回のレビューをお読みいただくことをおすすめします。

また、これはあくまでジェレミーの解釈であり、監督のクリント・イーストウッドが本当に以下のような意図で映画を製作したのかどうかは、当然のごとくジェレミーにはわかりません。念のため。

では、まずは本作の「分析」の上で欠かせない序盤の流れを見ていきましょう。

少年時代の3人を襲った運命的な事件

ショーン宅前から、ジミー・ショーンは"裏へ”と移動⇒(つまり、次のシーンは家の前ではない)
場面かわり、道路でジミー・ショーン・デーブが遊んでいる。
しかし、デーブがボールを排水溝に落としてしまい、やることがなくなった彼らはいたずら開始。
それを見つけた刑事風の男が、彼らを注意。「家はどこだ?」
ショーンはとっさに目の前の家を指し、自分の家と偽る。ジミーもそれに乗じる。
しかし、素直なデーブだけは、本当の家を教えてしまう。
結果、刑事風の男は車にデーブを乗せる。
運転手の男は、デーブに十字架のついたリングを意味ありげに見せる。
ジミー・ショーンは、去って行く車を眺めることしかできない。
そして、刑事風の2人組は、デーブを監禁し犯し・・・。
4日後、デーブは自力でなんとか逃げてきたが、以降ジミー・ショーンとの関係はなくなっていく。

ここには、後に展開されるドラマを読み解く上で大切なポイントが詰まっています。そこで、少々詳しく書いてしまいました。では、ポイントをまとめてみましょう。

1 彼らの家はみな離れていて、誰もが被害者となる可能性があった。
    ⇒ジミー・ショーンが、大人になっても罪悪感を感じている要因。
     「もし自分が連れ去られていたら・・・」と何度も回顧しています。
2 デーブは、嘘をつかなかったために、被害者となった。
    ⇒この後、危機を感じる度に、デーブはでたらめな嘘をつくようになります。
     決して嘘をつこうと計画している訳ではないので、いずれもその場しのぎの嘘です。
3 十字架のリングの意味は?
    ⇒イーストウッドは、このリングの意味については明言していないようです。
     DVDの音声解説では、ティム・ロビンスは「欺き」ではないかと語っています。
     これについては、後でジェレミー流解釈を書いてみます。

ジミーの娘が殺された!

ジミーと病死した先妻との間にできた愛娘ケイティはパーティーに行く。
その夜、バーではしゃぐケイティを、たまたまデーブは見かけた。
その数時間後、デーブは血まみれで帰宅。「暴漢に襲われた!」
一方、翌日になってもケイティは帰ってこなかった。
公園前で、ケイティの車が発見されたのだ。
その時、ジミーは後妻との間にできた娘の祝いで教会にいた。

さて、ここでもポイントがたくさんあります。
デーブが妻にトラブルについて語りますが、これは嘘です。それも、途中でつじつまがあわなくなります。これは、先ほどポイント2で述べたことを観客にわからせるためでしょう。このような嘘は、後のキーポイントである「手の傷」について問われた時にも見られます。

これはなぜなのか? ずばり、クライマックスでデーブがでたらめを話してしまうことに説得力をもたせるためでしょう。娘を殺した犯人がデーブだと勘違いしたジミーに殺されそうになり、デーブはやってもいないのに罪を認めてしまいます。観客としては、「なんでだよ〜」という気持ちにもなります。ジェレミーもそうでした。でも、それが、デーブの悲しき過去に起因するとわかれば・・・これはとっても切ない感情を生み出します。なにより、デーブに嘘の重要性(?)の見本を見せたのは、他ならぬジミーなのですから。

また、ケイティの捜索が始まった時に、ジミーが教会にいたのも、ポイント3とリンクしていきます。教会にいても、不幸は訪れるのです。では、なぜ人は教会に行くのか? 神を信仰するのか? ここに本作のテーマが隠されています。が、それを語るのは、もう少し後にしましょう。

事件の顛末

デーブが容疑者として調べられるのと平行して、事件に使われた拳銃から様々な事実が明らかになっていきます。
ジミーはかつて”ただのレイ”に裏切られ、刑務所に入っていた。しかし、出所後、ジミーは”ただのレイ”を殺し、未亡人にはお金を送っていた。
また、凶器の拳銃は”ただのレイ”のものであり、今は彼の次男が所有していた。そう、兄の恋人であるケイティを殺したのは、弟と友達だった。
そんなことも知らず、ジミーは嘘自白をするデーブを殺してしまう。
デーブが殺したのは、ケイティではなく、車で少年を犯そうとしていた変質者であったのに・・・。

なんと、後味の悪い話でしょう。デーブがかわいそうすぎます。小説では、デーブが「自分もまた少年を襲うような大人になってしまう」と感じたため殺したことになっているそうです。小説は未読のため、あくまで伝聞形式でしか書けませんが。しかし、本作においては、むしろ「自分の分身(少年)が犯されてしまう」という恐怖心からパニックをおこし、殺害したように見えます。

このあたり、イーストウッドの意図はどうだったかはわかりませんが、いずれにせよ「正義感」からデーブが殺した訳ではないように見えるんですね。ここから、イーストウッドが「正義」というものを本作にはもちこまないよう注意を払っているように感じました。

「正義」ってなんだろう?

さてさて、その後、自分が過ちをおかしたことを知ったジミーは、妻にデーブを殺害したことを告白します。しかし、彼女はきっぱりと言います。

「あなたがやることは全て正しいこと」と。そして、二人は相手を求め合います。

しかし、この台詞を間に受けて、イーストウッドは「強ければ全てが正当化される」といいたいんだ、と考えるのは、誤りではないかと思います。

このシーンで、ジミーは上半身裸になっています。そして、観客にはじめてジミーの背中に彫り込まれた十字架のタトゥーが見せられます。

そうです。ここでようやく、棚上げしていたポイント3の意味が明らかになります。ジミーは、少年時代のデーブの一件も、先妻を看取ってやれなかったことも、ケイティに寂しい想いをさせてしまったことも、全て悔いて生きてきました。ケイティに好意を寄せる青年(自分が殺した男の息子)をうとましく感じていたのも、実は、「罪悪感」からだったのです。

そして、妻のセリフは「十字架の前で懺悔するジミー」に捧げられた、キリストの教え「汝、罪を憎んで人を憎まず」の自己流拡大解釈だった訳です。彼女も、夫がいとこの旦那(デーブ)を殺したことに心を痛めています。でも、このままでは生きていけない。だからこそ、キリストの教えをねじ曲げて、正当化していったのです。

デーブを拉致した二人の内一人は、法で裁かれた後も「罪悪感」にさいなまれたのか、自殺しています。(これは、序盤にケビン・ベーコンとローレンス・フィッシュバーンの会話で明らかになります。また、この時に、黒人刑事がしきりに「肩に力が入っているジミーは前科者だとすぐわかる」といっていたのも、彼が「罪悪感」を抱え込んで生きていることを観客に暗示しているのです)

これを合わせて考えてみると、「宗教は、現代人にとっては、もはや『自己を正当化する手段』にすぎない。同様に、法律も、人間に罰を与えるだけで、決して『罪』を洗い流すものでも、『正義』を生み出すものでもない」というイーストウッドの主張が見えてきます。

法で裁かれた犯人は自殺を選び、被害者デーブはずっと心に傷を残していたのですから。
誤審で裁かれたジミーは、恨みしか感じず”ただのレイ”を殺害したのですから。
そして、信仰しようとも、ジミーの中の罪悪感はずっと消えることなく彼を苦しめていたのですから。

要するに、この物語のクライマックスは、まさにあのジミーと妻の会話であったのだと考えます。前回、ミステリー的切り口でこの物語をはじめたヘルゲランドを批判したのは、このためです。本作の主題は「ケイティ殺害事件」の物語ではなく、「罪を背負った人々」のドラマなのです。

ラストのパレードで、ジミーの妻はいとこであり、デーブの妻でもあるセレステを数秒間眺めます。強気の顔をしていますが、あの瞬間、彼女はジミーを守り抜くことをようやく決心できたのです。その後現れたジミーが、サングラスをしているのも、「罪悪感」を心に押し隠し、生きていくことを決めたからでしょう。刑事ショーンが冗談めかして、発砲するポーズをとるのも、人間としての「罪悪感」と刑事としての「正義感」に心揺れているからでしょう。同時に、逮捕がその「罪」を消し去れないことも悟っているからでしょう。

つまり、逮捕はされていませんが、みんな人として「罰」を受けたラストシーンなのです。

確かに、罪を犯した者たちが生き残る物語ですが、単純に逮捕では終われないところに、イーストウッドの確固たる信念を感じます。

罪は人が裁けるものではない。人は時に運命に翻弄されるだろうが、やはり自分の足で生きていくしかないんだ。だから、みんなもジミーたちのように自分を欺かず、本当の『正義』を追究していこう。

という訳で、ジェレミーは心を揺さぶられまくったのでした。たまには、こんなヘヴィな映画もいいものですよ。

☆上記レビューは、あくまでジェレミーの解釈であり、これが必ずしも正しい訳ではありませんので、
 誤解なきようお願いします。
 ちなみに、原作未読、映画鑑賞2回(内一回は映像特典のティム・ロビンス&ケビン・ベーコンの
 音声解説)の時点での「分析」です。
 よって、原作がどのようなテーマなのかはわかりません。あくまで、イーストウッドによる映画の
 レビューだとお考え下さい。

☆先日発表したジェレミーとハイド分裂計画ですが、
 ハイドサイドは、おそらくこんな感じの「分析」スタイルになるのではないかと思います。
 まぁ、やっていく中で色々試していこうとは思っていますが。
 という訳で、ハイドサイドのパイロット版(お試し版)と考えていただき、
 ご意見ご要望などもお聞かせ願えればと思います。
 よろしくお願いします。

☆公式サイト(日本) : http://www.warnerbros.jp/mysticriver/index.html
公式サイト(アメリカ) : http://mysticrivermovie.warnerbros.com/index.php

開く トラックバック(7)

イメージ 1

2004年6月28日___これは、ジェレミーにとって一生忘れられない日になるでしょう。
脚本家を志すようになってから、「心の師匠」として勝手に尊敬し、勝手に勉強させて頂いた野沢尚氏の命日なのだから。(註:野沢氏との面識は一切ありません)

まずは野沢尚氏のプロフィールから

1983年、第9回城戸賞(脚本界の登竜門的賞)を『V・マドンナ大戦争』で受賞し、脚本家としてのキャリアをスタートさせた野沢氏。その後、北野武の監督デビュー作として話題になった『その男、凶暴につき』や杉田成道監督(『北の国』からの演出家)のスクリーンデビュー作『ラストソング』など映画界で活躍する一方、よみうりテレビの名匠・鶴橋康夫との師弟コンビでテレビドラマ界でも秀作を世に送りだしていきます。
そして、『親愛なる者へ』『青い鳥』といった連続ドラマなどを執筆していく中で、徐々に脚本の限界を感じ、自分一人で世界を完成させられる小説の世界に足を踏み入れて行き、1997年には第43回江戸川乱歩賞(推理小説界の登竜門的賞)を受賞。

当時は、もう野沢氏はとっくに売れっ子脚本家でした。そして、恋愛小説なども発表していました。だから、出そうと思えば簡単に推理小説だって出版できる環境を手にしていました。しかし、彼は世間に推理作家として認めてもらうために、素人にまじって江戸川乱歩賞に作品を送り続けたのです。口でいうのは簡単ですが、これはなかなか難しいことです。なにせ「プロの脚本家が落選」なんていう陰口を叩かれる材料を世間に提供することになるですから。

ここに野沢氏の完璧主義者としてのストイックさを感じずにはいられません。そして、それこそが彼の生きて行く上での信条だったようです。

完璧主義者とミステリー

この記事のタイトルに引用した『眠れる森』は、江戸川乱歩賞を受賞して、晴れて推理作家として認知された1998年にフジテレビにて製作されたテレビドラマです。主演は中山美穂。共演に木村拓哉(実質W主演)、仲村トオル、陣内孝則といったそうそう足る豪華キャストで送る連続ミステリードラマ。放映当時は、「誰が真犯人なのか?」と話題騒然でした。

それまであまりテレビドラマ界に根付いていなかった連続ミステリードラマ。しかし、その伏線の張り方の精緻さ、演出コンビの中江功・澤田謙作(ともにフジテレビ)の描く映像の濃密さで、高水準の作品に仕上がり、以後連続ミステリードラマが乱発されるようになっていきます。

そして、この成功の裏には、最終話までの流れを細かく記したプロット(とりあえずあらすじのようなものだと思っておいて下さい)が大きな力を発揮したことを無視する訳にはいきません。
つまり、最後までの流れがしっかりと出演者にも、スタッフにも伝わっていたのです。

ここまで読んで、「えっ?!」と首をひねる方もいるでしょう。最後までの流れが決まっていないドラマなんてあるのかと。それはもっともな疑問ですが、実は、ほとんどのドラマが決まっていません。原作のあるドラマにしても、キャラクターなどがどう動いていくかわからないため、脚本を書いていく中で徐々にラストが見えてくることが多いようです。

しかし、完璧主義者の野沢氏は、テレビドラマ界での慣例上はやらなくてもいいのに、これまでもずっと最終回までの流れを製作開始時にスタッフ・キャストに提示していたのです。そして、キャストにも全体をふまえた上での計算された演技を要求したのです。演出家には、全体をふまえた上での計算された演出を要求したのです。

このあたりは、駆け出しの頃の師匠・鶴橋氏の教えによる影響のようですが、よくよく考えてみると、この工程を行わず、連続ドラマを書き出すことはおかしいんですよね。
もちろん、例えば、『ずっとあなたが好きだった』『踊る大捜査線』の君塚良一氏のように、あらかじめ大枠を決めすぎずに、視聴者の反応を見ながら、フレキシブルに書いて行く方法を否定するつもりはありません。今のテレビドラマ界にはこの手法の方が向いているのでしょうから。

キムタク=キートン?!

でも! ジェレミーはやっぱり野沢氏のスタンスを支持します・・・って、偉そうだなぁ^^;。野沢氏がその創作法を明かした著書『野沢尚のミステリードラマは眠らないーあなたにこの物語は書けない!』(日本放送出版協会)を読むと、彼の創作への真摯な姿勢が伝わってきます。ジェレミーのような脚本家志望の者に道を示そうという主旨の割に、妙に挑発的なタイトル(笑)なのも、自らの手法への自信ゆえなのでしょう。

この中に、『眠れる森』を発想している段階でのメモが掲載されていて、実は日本版『ユージュアル・サスペクツ』を目指して書かれた物語であることが明らかにされています。
でも、これは「パクリ」でしょうか? おそらく観た人すべてが「パクリ」ではなく、「オリジナル」と認定するでしょう。
そうなんです。先人の模倣、そして、オリジナリティの創出・・・これらは相反することではないんですよ。最近2つの「パクリ」に関する記事を書きましたが、その答えは野沢氏の創作姿勢の中からも導きだせるのです。

野沢先生、ありがとう!

さて、その完璧主義ぶりが仇になったのか、ジェレミーにはわかるはずもありませんが、2004年6月28日に、野沢氏は自ら命を絶たれました。享年44歳でした。
これには、様々な憶測が飛びましたが、ジェレミーはその動機を追究したり、その是非を問うつもりは一切ありません。

ただこれだけは、ここに宣言したいと思います。

脚本家になれるかどうかはわかりませんし、面識があった訳でもありませんが、野沢氏の作品・著作物から学んだことは、一生忘れないことを! そして、あらゆる場面で(脚本に限らず、他の仕事においても)常に真摯な姿勢で努力をしていくことを!

野沢先生・・・本当にお疲れさまでした。そして・・・おやすみなさい。


☆この記事はシナリオ分析ではありませんが、現時点では「脚本のカラクリ」に入れておきます。

開く トラックバック(6)

イメージ 1

本記事内には、『踊る大捜査線 THE MOVIE』シリーズ2作、『天国と地獄』及び『遊びの時間は終わらない』の内容に少しだけですが触れています。事件の真相やストーリー展開の肝となる点ではありませんが、一切情報をシャットアウトしたいという方はご注意下さい。

先日、多くの方から反響を頂いた「パクリ」問題。予告しました通り、今回は実際の映画での実例をあげて、その境界線を探ってみようと思っています。また、これから記す内容は、前回の記事での定義を前提に進めていきますので、未読の方は、お手数ですが、まずは前回の記事「『パクリ』ってなぁ〜に?__オレンジレンジ盗作騒動に思う」をお読み下さい。

前回、「パクリ」かどうかの境界線として、「抽象的な概念」と前置きしながらも、「自分のフィルターを通しているかどうか?」という条件をあげました。
これだけではピンと来ない方も多いでしょうから、より具体的にご説明していきます。

創作をしていく際、必ずといっていいほど、過去の先人の作品が頭をよぎります。それは、必ずしも「『○○』みたいな作品を作ろう」ということではなく、書いている内に「これ、『○○』にプロットが似ているなぁ」と気付くことも含めてです。
しかし、それは仕方がないと思っています。なぜなら、創作を行うような人は、そのジャンルの先人の作品に多く触れており、意識するしないに関わらず、その影響を受けるものだからです。
ただし、それをそのまま安直に使ってしまうのか、それとも、自分なりに消化して創作していくかでは全く違います。
そこで、君塚良一が脚本を手掛けた、ドラマ発の大ヒット映画シリーズ『踊る大捜査線 THE MOVIE』シリーズを例にとって、その境界線を見つけていきましょう。

サンプル1 『踊る大捜査線 THE MOVIE』1作目より

クライマックスが迫ってきたところで、犯人に捕われた和久(故・いかりや長介)がSOS信号として、カラーボールを使って、煙突から赤い煙を出す。
そして、それを湾岸署で見た青島は、その煙の意味に気付き、こう呟く。
___『天国と地獄』だ!

サンプル2 『踊る大捜査線 THE MOVIE』2作目より

映画の冒頭、青島(織田裕二)をはじめとするおなじみ湾岸署の面々が、豪華客船をのっとり立てこもっている。そこに来た特殊部隊を次々と倒すと、「人質」と書かれた紙を彼らの首から下げる。そう、これは本当の事件ではなく、特殊部隊の実力をアピールするための訓練イベントで、青島達は犯人役を演じていたのだ。でも、青島達は見事にたちまわり、特殊部隊をやっつけてしまう。

さぁ、検証を始めます。
サンプル1は、セリフにもあるように、黒沢明監督の名作『天国と地獄』を元ネタとしています。そして、オリジナルがそうであったように、ご丁寧にパートカラー(白黒画面に一部分だけ色をつけること)まで用いています。
これは、「パクリ」ではないと考えます。セリフで元ネタを明かしているというのもその根拠の一つですが、もちろんそれだけはありません。だって、題名を言えば許されるなら「パクリ」放題です(笑)。
事件解決に向けて使われるポイントは同じですが、オリジナルと本作では、役割が若干変わっています。『踊る〜』では、『天国と地獄』を知っている方が「やりやがったなぁ」とニヤリとすることを狙っているようにジェレミーには思えるのです。つまりオリジナルをみんなが知っている前提で書かれたシークエンスなんですね。明らかにここは「パロディ」であり、「オマージュ」でもあると考えます。

一方、サンプル2はどうでしょうか?
これは、ジェレミーが以前「映画のカラクリ」で取り上げた『遊びの時間は終わらない』(「映画のカラクリ」記事)を元ネタにしていると思われます。
『遊び〜』は、優秀であることをアピールするために警察が企画した銀行強盗シミュレーションにおいて、犯人役に指名された巡査(本木雅弘)が本気で刑事たちを翻弄して、銀行強盗を続けていくコメディです。とはいえ、訓練ですから、決して本当の銃をぶっぱなすことはなく、口で「バーン!」と言って、相手を倒していきます。そして、やられた刑事や銀行員たちには「死体」「人質」などと書かれた紙が首からぶら下げられていきます。

どうですか?そっくりじゃないですか?
ジェレミーは、この『踊る〜2』でのこの引用は、限りなく「パクリ」に近いと考えています。もちろん、元ネタを作品内で示していないというのが、一つの理由。しかし、ただの「パロディ」の可能性もあります。では、これは「パロディ」といえるのか?
残念ながら、「パロディ」とはジェレミーは考えられないのです。それは、そのシーンが持つ狙いが、『遊び〜』と『踊る〜2』では全く同じだからです。どちらも、警察側の人間が犯人役を演じて、勝ってはいけないのに勝ってしまうことで笑いを狙っています。また、大の大人が、紙に書かれた「人質」なんて紙をさげて、犯罪ごっこをしているおかしさ。

もちろん、これがシミュレーションであることを観客に明かすタイミングが違うため(『遊び〜』でははじめに提示、『踊る〜2』では青島たちが勝った後で提示)、完全に同じ狙いと断じるのは厳密ではありません。しかし、やはり、狙いとしては何ら変わりないんですよね。
そもそも「パロディ」なら、それが『遊び〜』を元にしていることがわかった上で、何か新しい笑いが付加されているはずです。残念ながら、笑いの要素はどちらも同じなのです。あえていえば、キャラクターが観客におなじみの面々であるために生じるおかしさぐらいでしょうか。

まとめると以下のようになります。

元ネタとは違う狙いで、新しい役目をシーンに注ぎ込んでいるかどうか?

ジェレミーは、一つの基準として、現時点では、上記のように「パクリ」の定義を捉えています。
ご理解いただけたでしょうか?

さて、ここまで長い文章を読んでいただいた皆様がずっこけるようなことを、ここで述べなければいけません。それは
_____ジェレミーは、『踊る〜2』のオープニングを「パクリ」とは断定しない!

いや、「断定できない」といった方が正しいかもしれません。ここにもう一つ、重要な定義が存在するのです。

結果がどんなにそっくりだったとしても、元ネタを知らなければ「パク」れない!


そうなんですよ。君塚氏をはじめとする『踊る〜2』の製作陣が、『遊び〜』を観ていたかどうか、ジェレミーには判断がつかないのです。『遊び〜』は業界内では、意外と話題になった作品だそうで、脚本家や監督が全く誰も観ていないとは思えないのですが、やはり観ていたとも断定できない訳です。
だから、先ほど「限りなく『パクリ』に近いと考えています」などともってまわった表現を用いたのです。


前回も書いたように、「パクリ」は犯罪です。よって、「パクリ」という言葉を使うことは、相手を犯罪者として告発することになります。
「パクリ」について考えるのが、ここでの主題でしたので、「パクリ」「パクリ」と乱発してますが、書いていて正直気持ちのいいものではありません。
少なくとも、簡単に「パクリ」と断言するのだけは、みなさんやめませんか?
(よく知識が足りないのに、「パクリ」を連発される方もいらっしゃいます。自分の観る順番が逆になっているのに、元ネタの方を「パクリ」と言ってみたりね^^;)
これもまた、ジェレミーの言いたかったことであります。

それでは、前回同様、忌憚のない意見をお聞かせ願えればと思います。
どうぞ気軽にどんどん感想を書いてくださいね!


この記事や『遊び〜』のレビュー記事を書くに当たって、『踊る〜2』の製作陣のインタビューやキネマ旬報社から出版されているシナリオ集などにも目を通した上で、『遊び〜』について言及されていないことを確認しました。しかし、『踊る〜2』ほどの大ヒット作となると、インタビュー記事も無数にあり、読み落としたものもたくさんあると思います。その中に『遊び〜』について言及しているものなどがございましたら、どうぞご指摘下さい。できれば、ソースも添えていただけるとありがたいです。
『遊び〜』のレビュー記事であわせて挙げた『ショムニ』SPに関しても同様です。

【追記】
この記事を読んでいただいた皆様へ
絶対に「『踊る〜2』は『パクリ』らしいよ」などと安易に口走らないで下さい。全文お読みいただいた方は、ご理解いただけると思いますが、この記事の主題は『踊る〜2』の告発ではありません。「そういう見方もあるのかぁ」とお考えいただければ幸いです。もし上記のようなコメントを発する場合には、必ず『踊る〜2』や『遊び〜』といった対象作品を、ご自身でご覧になって下さい。
このような問題に関しても、みなさんご自身のフィルターを通すことが必要だとジェレミーは思っています。

開く トラックバック(4)

今、若者に人気のグループ、オレンジレンジに盗作疑惑がかけられているらしい。ジェレミーは、オレンジレンジなるグループには詳しくないので、彼らの作品が盗作なのかどうか判断することはできないですが。
あっ、よくメロディーラインも知らずに、ふざけて「ロコローション」をカラオケでテキトーに歌ったことならありますけどね。

脚本家を目指して勉強しているジェレミーは、しばしば悩むことがあります。それは、「パクリ」ってなんだろうということ。昨今、この「パクリ」という、相手を犯罪者扱いする言葉が、随分簡単に使われてすぎているなぁ、と思ってしまうのです。「パクリ」とは「盗み」です。つまり、相手を犯罪者として告発する言葉です。こんな重い言葉を軽々しく用いる習慣に違和感をおぼえてしまっています。
極論を言えば、「パクリ」という言葉を使う以上は、「名誉毀損で裁判にかけられてもいい、という覚悟をもってるんだろうなぁ、お前ら!」と言いたいぐらいです。まぁ、一種の流行りみたいなものですから、ここまで追いつめたりはしませんけどね^^;。

さて、テレビドラマの企画会議などでは、よく「『○○』(←ヒット作のタイトル)みたいなテイストで」とか「『○○』に『××』をミックスさせてみようか」なんて会話がなされているようです。でも、これは、スタッフ間での共通認識を持つ上では、非常に有効なものなんですよね。最初からストーリーがすらすらと出てくる訳ではないし、なによりも複数の人間で0からのスタートを切ろうとしてる訳ですからね。

シナリオの世界では、よく「創作は模倣から始まる」と言われます。先人たちが作り上げてきたものをふまえて、それを如何に自分で消化して、自分のものとするのか?それもまた一つの創作手法だと思う訳です。大体、先人の作品を完全に無視して、自分の頭だけで物語を組み立てようとしても、大抵とっくに使い古されたパターンに陥るか、先人が「使えねぇ」と捨てたアイデアかのどちらかでしょう。まぁ、世の中には、ごくごく少数だけ、とてつもない天才もいるんでしょうけどね。残念ながら、ジェレミーはそんな天才ではないし、そういう天才とも出会ったことすらないんですよね。

事実自分の仕事においても、先人が残してくれたマニュアルや、他社が行っている手法を自分で咀嚼して、そこに自分の経験則を加え取捨選択をすることで、ジェレミー流の手法を確立させていっております。もっとも、こちらには著作権なんて概念がないので、問題にならないというのもあるでしょう。でも、根本は同じことだと思うんですよね。

「パクリ」(=盗作)か否かについては、ケース・バイ・ケースで、一言で明確な境界線を示すことはできませんが、抽象的な概念でいえば・・・

自分のフィルターを通しているかどうか?

これに尽きるのではないかと考えています。

まぁ、この問題については、色々な考え方もあると思います。だから、今後も時々ジェレミーなりに考察していきたいと考えています。皆さんも、忌憚ないご意見を下されば、幸いです。


☆創作に関わる問題なので、シナリオ分析ではありませんが、「脚本のカラクリ」にこの記事をおさめることにします。

開く トラックバック(5)

全1ページ

[1]


.
ジェレミー
ジェレミー
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

検索 検索

ジェレミーの裏の顔

登録されていません

about movie

登録されていません

色々楽しんじゃえ

登録されていません

勝手にブログ師匠

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事