|
時刻はまもなく21時、そろそろシンから電話が来る頃だ。 チェギョンは寝支度を整え、ベッドで豆腐人形を抱きしめながら携帯電話を見つめていた。 あの日、港で二人を見送ってからまだ2週間も経っていない。 それなのに、まるで大昔の事のように懐かしく感じる。 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ チェギョンは本当なら空港までついて行きたかったのだが、国際空港へ行くにはフェリーに乗らなければならない為、大事を取って港での別れとなった。 人目につくからと、送迎の車内から遠ざかるシンの姿を見つめるチェギョンの目に、シンの前では見せなかった涙が溢れていた。 色つきのガラスに隠されて外から車内は見えない筈だが、太皇太后とシンが何度も振り返りながら随員に案内されてゆくのを、溢れる涙をぬぐいもせずにチェギョンは見つめていた。 乗船が終わりフェリーは出航した。 車を出そうとする大使館の職員を制して、チェ尚宮は車窓の向こうに食い入るような眼差しを向けるチェギョンに声をかけようとしたが・・・かける言葉が見つからなかった。 飛行機のほうが船よりマシなのに・・・。 チェギョンはゆるゆると遠ざかるフェリーを見つめながら思った。 こんなにゆっくりジワジワ遠ざかられると、いつまで見送ったらいいか分からないし、思い切りがつかないじゃない! あと少し、あの防波堤を越えたら車を出して貰おう・・・そう思いながら、結局フェリーの巨体が靄に消えるまでチェギョンは見つめ続けた。 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ 物思いにふけっていると携帯のディスプレーが点灯した。 着信音がなる前に、チェギョンは受話ボタンを押し耳に当てた。 「シン君?」 息せき切って問いかけると、電話の向こうのシンは小さく笑ったようだった。 『何慌ててる、走ったり跳んだりしてないだろうな?』 結婚当初の、チェギョンをからかうような声音と同じだが、今はそこから愛情が伝わってくるのをチェギョンは不思議に感じた。 シン君はアレね、小学生と同じで好きな子には素直になれなくて、ついからかったり意地悪しちゃうのよね、きっと・・・。 耳元にシンの声を感じた途端、安堵感が胸に広がり、ジメジメだったチェギョンは一瞬で元気なチェギョンに戻っていた。 とはいえ後半は真剣に心配している様子なので、まじめに答えることにした。 「ご心配なく、私はもう母親なのよ?」 そう答えながらも、いつの間にか自分の左手が、無意識のうに下腹部に添えられていたのに少し驚く。 まだ膨らみも無く、胎児の存在を感じられる兆候は無いに等しいのだが、それでもいつの間にやら母というものに、なっているらしい。 『・・・それでお母さん、仕事のほうは片付いたのか?』 チェギョンは言葉に詰まった、シンに「お母さん」と呼びかけられたからではなく、今、彼から仕事の事を聞かれる程気まずい事はないからだ。 実はチェギョンは、まだ仕事先に辞職する事を話していなかった。 妊娠は病気ではない。 事実妊婦でも働いている人は大勢いるし、チェギョンの母の友人は仕事を続けながら3人も子供を産み育てていた。 仕事先に妊娠したことを話せば、力仕事などは免除されるし、書類整理などの体力的には楽な(チェギョンには苦手な)仕事に回してもらえるだろうから、しばらくはそうして仕事を続けたいと、チェギョンは思っていたのだが、シンは早急に辞める様にと言い張るのだ。 職場での彼女の立場は「韓国の元皇太子妃」ではない。 その事実は、館長や、その他にも主だった人々は知っているかもしれないが、口には出さないし、現場で共に働く仲間たちは、万が一にもチェギョンが現在も「皇族」であるなどとは、夢にも思わないだろう。 だからチェギョンは、信用できる彼らに事情と共に妊娠したことを話して、秘密を守って貰えば問題はないと思っていたのだが、この件に関してシンは頑なだった。 チェギョンの懐妊は極秘扱いで、大使館にも限られた人物を除いてその事実は伝えられていない。 もし数人でも漏らせば、何処から情報が漏れるか分からないというのだ。 「・・・今日はまだ、話してない。」 言い辛い気持ちが現れて段々小さくなる声に、電話の向こうでため息が聞こえた。 それを聞いて、チェギョンは無性に反抗的な気分になった。 「何で駄目なの?今日だって椅子に座って出来るツボを磨く仕事だったし!」 『そういう問題じゃない。』 分かっていた。 シンが問題にしているのは、チェギョンに帰国する意思があるのかどうかということだ。 ここマカオにいては伝わってこないが、皇室の全員が、いや今となっては皇族ではないユルやファヨンまでが一丸となって、彼女を穏便に帰国させようと努力していることは、チェギョンにもよく分かっていた。 中でもシンは全知全能を傾けて、チェギョンのために尽くしてくれているだろう事も。 しかしチェギョンは危ぶんでいた。 シンを疑うのではなく、距離を置いたからこそ見えてきたものがあるからだ。 おそらく以前のチェギョンならば、どんな問題も皇帝の意思一つで片がつくと考えていただろう。 特に国の法律を犯したわけでもないチェギョンに対し、処遇を定めるのも許すのも、皇帝の自由になると思っていたに違いない。 だが、皇室というのは皇族のみを指すわけではなく、いわゆる集合体なのだ。 皇族と王族、そしてそれらを支えようとする宮廷に関わる人々と、存続させようとする国民の意思の集合体といえる。 この現代に皇室が存在する矛盾・・・つまり特権的な一族の存在を認める矛盾を抱えながら、それでも伝統を保持する為には絶え間ない努力が必要なのだ。 そして象徴となる皇家の一人一人が、皇族として求められる品格を備える為に努力し、役割を果たす必要があるのだということ。 自分が犯したのは、その人々の長年の努力を踏みにじるという大きな罪なのだと、今のチェギョンには分かっていた。 簡単に許されて良いことではない。 だからこそ、帰国が叶わなかった時のために、此処に自分の居場所を残しておきたかった。 懐妊したことを告げられれば、いよいよ動けなくなっても仕事をやめるのではなく、休職扱いにすることも可能だから。 そんなチェギョンの思いも、シンは見通していたに違いない。 『キム氏の尽力で、王族会でも帰国を認める勢力が増している。準備しておかないと困ることになるぞ?』 優しい声に、チェギョンはそれ以上反抗できなくなってしまった。 「無理しないでね、じゃ、また明日!」 『ああ、お休み。』 目を閉じてシンの「お休み」の言葉を聞く・・・これが毎夜の習慣だった。 困るのはどうしても閉じた目蓋から涙がこぼれてしまうことで、シンに気付かれないように、お休みの挨拶をするのに苦労する。 「・・オヤスミ、シン君。」
|
全体表示
[ リスト ]







ウヮーン(;_;)、チェギョンは無事にシン君の元に帰れますよねぇ


最後は、お約束のハッピーエンドですよね
2012/9/23(日) 午前 0:17 [ わいわい ]