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ここ2週間の体の具合の悪さに辟易。゚゚(PД`q゚*)゚
良くなる見込みがない、慢性の病はつらい… 心が折れそう… |
いろいろ
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たぶん、わたしが人と関わっていく中で、こんなにストレスを感じるのは、今までに捨ててきたピースが多過ぎるから、なんじゃないかな。 捨てたピースが多いほど、嫌悪感を抱く相手も多くなる…。 だから、捨てるんじゃなく、受け入れて、克服しなくちゃいけないんだ。 わたしの心理テストでの均整のとれた点数は、表向きのものに過ぎないのかもしれない。 嫌なものを捨てて、頭で自分を規制した性格で出した点数だから。 ある意味で、わたしは大きく欠けてしまっているのかも…。 もう一度、取り戻そう。 人間らしい嫌なピースも、否定しないで向き合ってみよう。 そうすれば、周りの人にストレスを感じなくなるかもしれない。 「嫌な人」ではなくて、自分と少し特徴が違うだけの、同じ人間、と感じられるだろうから…。 周りは変わらない。 変えられるのは自分のあり方。 どうせ同じ所で生きていくなら、楽しく生きたい☆ だから、もっともっと、楽しくハッピーに生きられるように、変わる!! おわり |
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生きていく上で、自分が嫌な思いをさせられた人間に似た部分だとか、自分に不利益をもたらすような自分の悪い部分だとかは選択せず、自分が良いと思った部分を選択して、自分を形作る。 まさにそうやって精神を矯正して懸命に自分を作って来たわたしは、人格的に目立った欠点はないとカウンセラーに言われてるし、心理テストをしても均整がとれている。客観性がいつも満点に近く、カウンセラーの先生に「母親から虐待されてまともな環境じゃない中で、よくこんなに自分を確立していったね。すごい努力家だと思う。」と言ってもらったことがある。 心理テストではいつも素晴らしい点数なんだよね…。わたし自身の人格上の欠点は、今まで血を吐くような努力をし続けて、ほとんど克服できた、と思う。 では、どうして生きて行きにくいのか? こんなにストレスを感じるのはなぜ? ずっと不思議だった。何も考えずに、性格も明るく素直で楽しく生きられる人もいるのに。やっぱり育った環境の中で与えてもらえなかったものは、努力で獲得するには限界があるのか? ちょっと諦めモードでそう思ってた。 まだ続くっ☆ |
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ここからはわたしの考察。 人間の人格をジグソーパズルのピースとして、その中から取捨択一していった場合、偏りが生まれる。それが各々のキャラクターなんだろう。 生まれたばかりの時の、最初に全部ピースがはまったフラットな状態は、誰でもあまり違いはないのかもしれない。 性格にも生まれ持った違いというのはあると思うけど、それは大した違いではないんじゃないかな。 自分の人格は、どれを選択してきたのか、…またはどれを選択せざるを得なかったのか、その違いで決まる。 生きてきた人生が違うのだから、それが大きく違うのは当たり前のこと。 さて、果たして相手を嫌悪したり軽蔑できるほど、尊厳のある選択をしてきたのかと自分に問うてみると、答えは、否、だな。 自分はたまたまその選択をせずにすんだだけ、嫌な人達は嫌な人間になることを自ら選んだ(選ばなければなかなかった)だけ。 「自分と違って嫌な奴」じゃなくて、「自分よりその部分が目立つだけ」の、お互いちっぽけな、大した違いはない人間なんだ。 まだ続く☆ |
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自分の人格をジグソーパズルに例えて、気に入らないピースを捨ててしまうとどうなるか? →そのピースは自分の周りにゴミとして溜まってくんだそうだ。それに対して嫌悪感を抱くのに、自分の中にまた戻ってきたらどうしよう、とどこか怖い気持ちもある。 自分が捨てたピース(性格)を全面に出してしまう人が周りに居れば、すごく心を乱されるのは同然のこと。 前置きが長くなったけど、 それに対処するには?→そのピースをもう一度きちんとはめ込んでしまえば良いんだそうです。 何も嫌な部分を出せというんじゃなく、その部分を否定するのをやめる、ということ。 切り捨ててしまうことはない、嫌な部分も自分の一部として認め、受け入れた上で、うまく付き合っていけばいい。 そうすれば他人の欠点を目にしても、おのずと「まぁそうゆう人も居るだろう」とストレスにならなくなるんだそうです。 ストレスにならなければ、自然に人間関係も良くなるらしい。これは分かるなー。嫌いな人にはどうしてもアンタ嫌いオーラ出てしまうもん。それがなくなれば、相手が何も変わってなくても、トラブル減りそう☆ |




