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2015年6月〜7月、Nコン、
第62回NHK杯全国高校コンテストが 終わりました。 68期生、69期生、70期生の頑張りで、 2015年も、 忙しくとも充実した時間を過ごすことができました。 県大会にて、 朗読、アナウンス個人部門に挑戦し、 ラジオ番組、テレビ番組を沢山手掛け、 皆さんの切磋琢磨により、 創作テレビドラマが全国大会へ。 創作テレビドラマ部門 「一歩の勇気」は、 全国大会では準々決勝どまりでしたが、 放送部活動全体にとっての シンボル作品のひとつになったと 思います。 前任校で4年、現任校で5年、 合わせて9年連続全国大会に 部員たちに連れて来てもらいました。 感謝です。 島に戻ってから、 3年生部員が完全に引退し、新体制です。 部員たちも気持ちを切り替え、 次へと動き始めました。 |
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2014年12月9日、
私の大切な大先輩S先生が、突然逝ってしまわれました。 病のためです。 とても残念でなりません。 放送部顧問、兵庫県視聴覚部会での大先輩というだけでなく、
過去の勤務校でもご一緒させていただき、 どちらかといえば「人として、教員としての歩みの先輩」でした。 淡路島で暮らす2年目に、
当時の勤務校「淡路養護学校」に、 S先生がやって来られて私は出会いました。 私の教育実習での指導教官であり、その後の講師時代の恩師、
緑台高校F先生(放送部顧問)より、連絡が事前に入り、 その縁もあって、同じ職場、教室で働くようになりました。 放送部顧問としてのS先生の偉大さなど知らぬ私でしたが、
様々な場面で、先生の人としての大きさ、深さにふれました。 その結果、私はA高校に異動した際、
私はF先生やS先生の後を追うように、 全く素人ながら放送部活動へと足を踏み入れたのです。 次のA高校I分校で、
管理職となったS先生の退職という区切りにて、 その人柄を映像に残したく、 生徒に淡路島の偉大な先人としての S先生のテレビドキュメントを作ってもらいました。 私が知らなかった
淡路のM高校放送部を全国大会常連校とした姿、 全国での兵庫県のレベルを引き上げ、 兵庫県全体の放送部活動を活発化させた姿がありました。 全国で長年放送部顧問をされておられる方なら知っておられる姿です。 全国優勝を生徒と喜ぶ姿、
「結果はあとからついてくるから、今やれることをやれ」 というOBから伺った言葉。 「番組作りは結果ではなく、プロセス」とポツポツと語る姿。 そのテレビドキュメントは、あと1点という惜敗で
NHK杯全国大会に持っていくことができませんでした。 が、私の思い出の作品であり、 S先生自身にもそれなりに気に入ってもらっていました。 翌年、別のテレビドキュメントで、
私が初めてNHK杯全国大会に行けるようになった際には、 S先生、F先生のそれぞれにその作品を見ていただき、 感想をもらった覚えがあります。 その後、S先生は退職後に2つの高校で常勤され、
特に、T高校では久しぶりの放送部顧問となり、 生き生きと生徒と過ごされました。 テレビドキュメント、ラジオドキュメント、 S先生の指導によるイイ番組でした。 県Nコンで上位入賞、 当然のようにNHK杯全国大会に参加され、 私もご一緒でき、夜語り合いました。 さらにその後は、非常勤として、
今の私のS高校にも来ていただき、 同じ理科教員としての姿に私はふれました。 1年前より大きく体調を崩され、
以来、私は会う機会も減ったままでした。 改めて思えば、私が淡路島で暮らして、いま20年目です。
深くお話した時期もあれば、ほとんど年数回の時期もありましたが、 そのうちの19年間の心の支えであったS先生の存在でした。 放送部の先輩、理科の先輩としてだけでなく、 人としての先輩でした。 あまりにも突然のことで、私自身、冷静に思えば戸惑うばかりですが、
この淡路島で、これからも私は人生を歩んでゆきます。 S先生の姿を思い浮かべながら。 ※夏休みの放送部活動を終えた9月に、S先生から
「 色々とお忙しいでしょうが、生徒は育ちます。経験に勝るものはありません。
これからも、よろしくね!! 」と、連絡をもらっていたことを、
今改めて振り返りました。しっかりと私の心に刻みます。(1/10)
※自分自身の淡路在住の期間を間違えており修正しました。(1/10) 16年→20年 数を数えることができなかった自分のバカさに唖然。 |
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先日、
私の高校ラグビー部時代の友人 と会いました。 30年ほど前のKM高校時代の友人です。 彼はキャプテンで昔から紳士、 私は下手なプレーを 力と根性でカバーしよう とするダメなチームメイトでした。 私は高校2年の秋には 背骨の手術をして ラグビーをリタイア。 そのあとも、 高校3年で彼とは同じクラスで よく一緒にいました。 互いに少し老けました。 コーヒー片手に、 互いの近況、 仕事や家族の話を 1時間余りしました。 楽しかったです。 声をかけてくれた彼に感謝! ありがとう。 ありがとう! 高校卒業後、 ラグビー部の仲間に不幸があり、 しばらくはよく会いましたが、 大学を出てからは、 東京の彼とは会う機会もなく、 時間が過ぎたものです。 久し振りに、 彼に会ったのは、 前任校「I分校」での5年目でした。 初めてNHK杯で全国大会に 行った東京でのことです。 確か、お祝いに、 うなぎを夕食で ご馳走していただきました。 振り返ると、 この最初のNHK杯全国大会までは、 全国総合文化祭(文化部の総体)には がんばって2度行かせてもらったのですが、 放送部の最も権威あるNHK杯全国には なかなか行けませんでした。 NHK杯県大会での壁は分厚く、 A高校4年、I分校4年の両校あわせた 8年間は行けずじまいでした。 しかし、最初にNHK杯全国大会に行き、 生徒が優良賞までもらえ、 彼と久し振りに会ったこの夕食以来、 それ以後、前任校「I分校」の 5年目〜8年目(閉校)までの4年間、 いまのS高校に赴任してからの4年間、 あわせて8年間続けて 全国大会に行かせてもらえる ようになりました。 もちろん生徒のがんばりに よるものですが、、、 少しは、彼からいただいた 東京との縁ではないかと この恵みに感謝しているしだいです。 ぜひ、また今度、彼とは、 東京でも会いたいものです。 高校卒業してもう30年ですかね、、、 ぼちぼちですが、 私もまだまだがんばる、 と気分一新した盆休みでした。 |
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私は昔から視力だけは良かった。
テレビを近くで見ても、 暗い部屋で本を読んでも、 視力だけは 未だに1.5〜2.0を保っている。 いま47歳。 しかし、5年ほど前から、 顔の前に「見て」と 何かを持ってこられると、 何故かいらっとし始めた。 ピントが合いにくい、、、 4年前、 念のため老眼鏡を作ってみた。 3年前、 パソコンでの数値処理にて 老眼鏡で見やすいと感じた。 当初は老眼鏡でくらくらしていたのが慣れ、 家で夜中、暗い室内で教材をつくるには、 老眼鏡が手放せなくなった。 薄い文字の人に、 「それはないよ」と感じ始めた。 昨年からは、 授業中に老眼鏡が手放せなくなった。 数値の指数は、裸眼ではまず読めない。 ぼやけて、くっきりしないのだ。 老眼鏡を忘れると 仕方なく教科書を明るい窓際に持っていく、、、 すると、 何とか見えることに気づいた。 カメラと同じだ。 明るいと、絞り大になり、 被写界深度が大きくなるようだ。 食事だって、老眼鏡をかけないと、 くっきり見えず、 食べにくいし、おいしくない。 裸眼で、醤油がついたサーモンのお造りを、 奈良漬けと間違えた。 本を読むことが苦痛になり、 マンガすら読まなくなった。 ギターを楽しむのに、 老眼鏡がないと譜面が読めない。 青春期を歌うのに、 老眼鏡が必要なんて、変? 自分より年寄りのミュージシャンのCDの添付冊子、 文面について、 文字は小さく、色も薄いと、 「それは違うでしょ」と言いたくなる。 ファンの年齢層を考えて。 今年度は、 一日中、老眼鏡を首からぶら下げ、 近くを見るときにかける。 もしくは、一日中、 老眼鏡を鼻にずり下げ、 鼻眼鏡状態である。 2mほどから先ははっきり、 くっきり見える視力 1.5〜2.0を保っているのだから仕方ない。 家庭内や校内だけではない、 この夏は、 東京でも、茨城県でも、 常に、首からぶら下げているか、 鼻眼鏡状態。 「年寄りくさい」と言われても、 視力が良く、遠くが良く見える47歳の私には、 近くが見えず老眼鏡は必須である。 最近、またひとつ発見が! 風呂場ではさすがに老眼鏡をかけずにいるが、 シャンプーとリンスとのボトルに 書かれた文字が読めないことに不便を覚えた。 家族は、親切にも 「ボトル表面や頭に突起付きがシャンプー」 と教えてくれた! 日本ってスゲぇ。 今も、当然、老眼鏡をかけて投稿をしている。 |
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NHK杯のテレビ放送、
ティーンズビデオについてです。 明日ドキュメント、 明後日ドラマが放送されます。 NHKのFacebook内容物を、 私のFacebookにてシェアしました 磐城高校の体験型ラグビードキュメント、 伊丹北だけでなくドラマは 三作品がともハイレベル、 テレビでの放送が楽しみです。 NHKFacebookには優勝校写真も 何枚か貼られています。 ホームページにも きっと時刻や内容紹介あるので、 お確かめください。 |




