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放送部顧問の覚え書き…島の伝統校S高校顧問 〔 旧:島の分校I校顧問(2011閉校)、 旧:A高校顧問 〕 最新記事はFBにて

2008年までのNHK杯

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この書庫には「放送部」 2008年までのNHK杯コンテストでの思い出を収納しています。


★ ブログ開設した2009年以降の記事は、「年月」書庫にあります。

2007年 第54回NHK杯全国高等学校放送コンテスト兵庫県大会 テレビドキュメント部門 準優勝(全国大会へ)

2007年 第54回NHK杯全国高等学校放送コンテスト全国大会(東京) テレビドキュメント部門 優良賞
(賞順位では4位・・・点数未発表ゆえ優良賞の各校同列とすると5位)



2008年 第55回NHK杯全国高等学校放送コンテスト兵庫県大会 テレビドキュメント部門 6位入賞(全国大会へ)

2008年 第55回NHK杯全国高等学校放送コンテスト兵庫県大会 ラジオドキュメント部門 3位入賞(全国大会へ)

2008年 第55回NHK杯全国高等学校放送コンテスト全国大会(東京) テレビドキュメント部門 出場のみ

2008年 第55回NHK杯全国高等学校放送コンテスト全国大会(東京) ラジオドキュメント部門 出場のみ



2009年 第56回NHK杯全国高等学校放送コンテスト兵庫県大会 ラジオドキュメント部門 準優勝(全国大会へ)

2009年 第56回NHK杯全国高等学校放送コンテスト兵庫県大会 テレビドキュメント部門 4位入賞(全国大会へ)

2009年 第56回NHK杯全国高等学校放送コンテスト兵庫県大会 創作ラジオドラマ部門 3位入賞(全国大会へ)

2009年 第56回NHK杯全国高等学校放送コンテスト全国大会(東京) ラジオドキュメント部門 優秀賞
(全国で3位)

2009年 第56回NHK杯全国高等学校放送コンテスト全国大会(東京) テレビドキュメント部門 出場のみ

2009年 第56回NHK杯全国高等学校放送コンテスト全国大会(東京) 創作ラジオドラマ部門 出場のみ




なお、詳しい大会記録は次のホームページにあります。
http://www.geocities.jp/iahs_h16/
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過去のNHK杯全国高校放送コンテストを振り返るシリーズの第7回目。

いちぶん時代 2008年6月県大会

前年2007年に初の全国大会出場で入賞を果たした部員たちは、
2008年も全国大会に進もうとがんばりました。

前年度に多くの経験を積んだ部員がまだ3年生として残っていたということが、
大きなメリットでした。
「あと何年この分校でこの状態を保てるのか、今しかない!」という思いで、
部員たちを少人数に振り分け、番組制作をさせるという無謀な手段に出た私です。

ラジオ3作品、テレビ3作品の制作を掲げました。
しかも、ラジオドキュメント部門へはNHK杯初参加、また創作テレビドラマ部門へは全くの初挑戦でした。
私自身が顧問としてのキャパシティーを超えた暴挙(?)の年でした。

どの制作班がどんな進度で進んでいるのか、把握が段々疎かになり目が回る状態・・・
しかも同時期に「わが校の生徒募集停止と閉校」に関するニュースが飛び込む。
校内に様々な動きが起きているのを尻目に、放送部は番組制作に集中!と言い聞かせていました。

募集停止報道に関しては放送部は最低限の動きしかできぬまま、
県予選直前に「募集停止」が決定され、部員たちは悔しさ一杯でした。

「分校の意地をみせる!」を合言葉に、番組制作に励んだ2008年でした。

なお、県内4ブロックに分かれた地区予選会場の一つが、2008年は島内M高校でした。
私が個人的にもお世話になっているS先生は、県放送文化の前部長であり、
M高校放送部顧問時代に一時代を築き、M高校生徒と全国優勝を果たした方です。
そのS先生がM高校会場に顔を出してくださり、講評や表彰をしてくださったことがとても嬉しい私でした。
(S先生のドキュメントを過去制作した記事は2006年NHKページに記載)


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(1) 創作ラジオドラマ部門「心の警告装置〜未来予想図〜」

これまで番組制作未経験の2年生たちに頑張ってつくってもらいました。
脚本作りで何度も何度も修正を求め、台詞合わせと初めての経験である収録、
投げ出しそうになるのを励まして耐えさせながら完成させました。

相手の気持ちを察する装置を身につけていないと、
人間関係が作れない高校生という未来の設定をつくり、
主人公がその不自然さに気づき、何とか脱却しようと気持ちを持つまでがストーリーでした。

自分たちのグループから主人公をあてて、勢いよく作業を進めており、
私が出した計画案に、一番うまくのっかって作業を進めていました。

番組編集の中心担当者は、2年生部員R.Nさん、Y.Kさん。
特に、R.Nさんは様々な指示に対して、物分りが良く、感心しました。
もっともっと作品を作ってみたら、腕が上がると感じた私です。

残念ながら県準決勝は突破できませんでしたが、
その前の県予選を見事突破したことが、何より嬉しく、
分校生徒としての意地、わが校の生徒たちの勢いだと思いました。



(2) 創作ラジオドラマ部門「変えられない未来と命の重さ」

昨年、ラジオドラマの脚本制作でがんばった部員A.Nさんが、
3年生となった最後の年にはぜひ番組責任者としても編集がしたいと申し出ていました。

いろいろと考え、紆余曲折あったのですが、最後には彼女の意志に任せ、
その代わり、脚本作りから厳しく厳しく指導しました。

何度もストーリーを組み立てなおし、有り得る範囲のストーリー性をもたせました。
出生前診断を受けた姉がいて、その妹が主人公なのですが、
主人公の人物設定に関して、何度か話し合った末、A.Nさんは脚本上の冒険を選びました。

1年生を主人公に立てて、荷が重たかったと思いますが、
こちらも県予選を見事突破したことが良かったと思っています。


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(3) 創作テレビドラマ部門「僕が守る・・・君を」


これまで番組制作未経験の別の2年生たちに頑張ってつくってもらいました。
「いちぶん」でのテレビドラマ初挑戦作品です。
普通のテレビドラマではなく、主人公をクツに見立てたドラマという挑戦的なストーリーにしています。

クツが主人公ゆえ、その視点を生かした映像をいろいろ撮影させました。
デジカメを手に構成を煮詰めさせるということもしてみました。

撮影に関して、私が一緒に付き合ったのは1シーンだけでした。
それは女子生徒が非常階段から落ちそうになり、クツが落下するシーンです!

ビデオカメラをロープで結び、3階の高さから地面スレスレまで、ゆっくり目に落として撮影したのです。
予想以上にカメラが左右に揺れるので、壁にぶつからないようにするのが大変でした。
生徒たちは上と下で何度も動きを確認し、リハーサルを繰り返してから撮影しました。

県内放送部のテレビドラマのレベルは高く、他校の力作の中、
とにかく作品として大会までに仕上げた努力を私は褒めます。
生徒たちはこの時の苦労があってこそ、その後の番組制作に苦労が実ったのだと私は感じています。
その努力に奨励賞です。



(4) テレビドキュメント部門「ふれ愛〜心ふれ合うために〜」

2007年冬に総合的な学習の時間の講演に来ていただいた「淡路ふくろうの郷の皆さん」、
その皆さんとの交流を3年生部員たちが番組にしました。

3年生部員A.Iさん自身がこのテーマを望み、私がそれを後押しした番組です。
番組を通して何を伝えたいのか、ということを、制作前に何度もA.Iさんには確認し、
自分自身の言葉で説明することを私は厳しく求めました。

高校生としての自分という視点を生かす番組にしたいということで始まりましたから、
私も顧問として妥協はしませんでした。
彼女の言葉や視点が出てくるまで、連日何時間でも待ちましたし、
彼女自身がその苦痛を乗り越えて、自分の中でテーマを煮詰めてもらうしかありませんでした。
それなりに自分の言葉と視点が出てきて、煮詰まって、初めて取材許可を出した次第です。

実際に、取材に訪れ、そのうち取材を超えた交流になってみて、この番組は意味があると思っていた私です。
放送部員という第三者として、ろうあ者の方を取材するのではなく、
一人の身近な高校生として交流することが、番組制作よりももっと深い意味があるのです。

一度、訪問すると、5〜8時間近くは滞在しましたので、
生徒たちは段々手話を覚え、自然と人と人とのふれあいを始めるようになりました。

番組としては、県奨励賞になってしまいましたが、
それ以上に地域とのつながりという面で、多くを学ばされ、また担当者にとっても意味があった番組となりました。


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(5) テレビドキュメント部門「分校の私たちにできること」

2007年秋の県総合文化祭銀賞の番組で、分校と本校との関係を描いていました。
そのときに我が校の歴史を振り返っていましたので、
今度は我が校独自の視点に立って、分校の存在意義を描く番組を3年生部員S.Nさんを中心につくってもらいました。
3年間部活動をしてきたのだから、自分の手で一つは作品を残したらどうか、
という私の誘いにのってくれた部員です。

我が校の時代の波に翻弄された歴史においては、
前身の私立実践女学校の話から、県立学校になってすぐに廃校になったこと、
残った定時制高校による復興、そして昭和50年代の分校統合に耐えた時代など、
様々なことを調べ上げ、また当時の先生や、筝曲部の活躍などの貴重なインタビューも得ました。

分校生徒としてこの歴史を知って、3年間部活動原則加入の意義を確認する番組であり、
校内生徒への啓発の意味を込めた番組でした。

番組になればイイという程度の当初企画で4月にスタート。
ところが、5月に入って突如舞い込んだ「我が校の募集停止のニュース」。
これにより番組制作をしていた3年生部員たちは燃え上がることになりました。

とはいえ、構成などを変更する時間的余裕は無く、
しかし、せめてこのニュースを受けたコメントだけは発信すべき、との見解を部員と確認。
そして、急遽、ワンカットの3年生部員S.Nさんの顔出しレポートが加わったのです。

軽い気持ちで作り始めた番組が大きな役割「分校生徒の意地」を示す番組へと変貌してしまい、
3年生部員S.Nさんには荷が重たかったようです。
それでも最後までやり抜くこと、何より番組を通して「自分の意志」を主張することを果たしてくれました。

結局、この「伝えたいことを伝える」という思いだけで、この番組は勝ち上がり、
県6位、ギリギリで入賞し、全国大会へと繋がったのです。

前年2007年に続く、テレビドキュメントの全国大会参加。
全国では残念ながら、初戦で消えましたが、我が校の雄姿とも言える番組でした。


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(6) ラジオドキュメント部門「伝えたいこと/言えない気持ち」

2007年秋の県総合文化祭金賞の番組をリメイクしました。
とはいえ、形の上ではほとんど変わっていません。

あまりにも完成度を高めた前回の県総合文化祭作品でしたので、
今回は音と、細部の時間にこだわりました。

3年生部員Y.Cさんの思いが一杯詰まった作品ですので、
そのY.Cさんに「1/30秒」単位までこだわってもらい、
さっと聞いただけでは、変更点がわからないくらいの変更を加えています。

県総合文化祭で好評を得たラストの音の出し方、しまい方についても、
もう一度白紙に戻し、一からやり直しています。

弁論大会での発表を少し使う時間を変更し、
その分、ラストBGMやナレーションのタイミングを修正し、
しかしほぼ同等の形になったというのが実際です。

地区予選ではギリギリともいえる通過だったのですが、
決勝ではしっかりと評価していただき、県3位入賞し、全国大会へと結びつきました。

県総合文化祭金賞作品のリメイクとはいえ、
初めてNHK杯で参加したラジオドキュメント部門が、全国大会参加になったことは嬉しく、
2部門同時の全国大会行きに、部活動全体の勢いを感じましたし、
部員たち全員がそれぞれの番組で努力した結果であると喜びました。

全国では準決勝ブロックのエントリー1番を引いてしまい、残念ながら初戦で消えました。
が、我が校の最も素敵なシーンを描いた自慢の番組です。


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第55回NHK杯全国高校放送コンテスト 2部門での全国大会 テレビ&ラジオドキュメント部門

募集停止と閉校に定められた分校生徒の意地をみせると意気込んだNコン全国大会、
結果は出せませんでしたが、振り返れば幸せな時間でした。

全国大会決勝の夜のラストミーティングで、3年生部員たちの本音や思い出を聞けて、
顧問として嬉しく感じました。
こうして全国に送り出してくださった皆さまに感謝しております!

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※ 前半は「さし絵」的に「花の写真」を入れていますが、後半は実際の「大会写真」が入っています。


過去のNHK杯全国高校放送コンテストの思い出を振り返るシリーズの第6回目。

いちぶん時代 2007年6月県大会

前年2006年に多くの番組を制作しクタクタになりながらも、
秋にテレビ番組が県総合文化祭銀賞を得た翌年2007年になります。

部員数が増えたことを考えて、いつものテレビドキュメントだけでなく、
ラジオドラマ2本も参加させることにしました。
それなりに充実した2007年です。


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(1) 創作ラジオドラマ部門「rose fragrance」

2006年秋の県総合文化祭に出したドタバタ劇の創作ラジオドラマでしたが、
出力音量が小さくて、審査ではまともな内容評価をしてもらえませんでした。

そのままでは編集と出演で苦労した2年生部員R.Sさんが寂し過ぎるので、
出力音量修正ほか、少しだけ手直しして出させました。

もちろん結果については多くを望んではいませんでしたが、
普通に評価してもらえることが望みでしたので、その役割は果たせたと思います。


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(2) 創作ラジオドラマ部門「父さんと海〜変わりゆく島の中で」

2006年冬から構成や台本を何度も書き直した2年生部員A.Nさんの力作です。
主人公に抜擢された同じく2年生部員S.Nさんが初めて芝居に挑戦しました。

淡路島でしか出せないもの、他の学校では出せないもの、ということで、
実は、2年生部員A.Nさんの経験をモチーフにしました。

島に明石海峡大橋が架かって、フェリーが駄目になる。
その結果、高速道路を管理する本四道路公団に勤務することになった父と、
フェリーの船長であった父を幼心に尊敬していた娘との心の擦れ違いがテーマでした。

効果音を撮るために、一人でフェリーに乗る2年生部員A.Nさんの積極さに驚きましたし、
初めて番組編集に取り組み放送部活動にのめり込んだ2年生部員Y.Cさんが、
ヘッドフォンで何度も音の調整に励んでいたことを思い出します。

台詞の細部について、2年生部員Y.Cさんと私は何度も激論を闘わせました。
その結果、仕上がりは随分良くなったと思います。

よって結果は、県決勝で4位。
3位までが全国大会に行けますので、非常に悔しい思いをした部員たちでしたが、
冷静に考えれば、NHK杯創作ラジオドラマに初出場で4位というのは快挙だと思っています。


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(3) テレビドキュメント部門「古(イニシエ)の記憶〜島の復興への願い重ね」


2006年夏の全国総合文化祭に出した作品の一部映像を引き継ぎながら、
新しい取材と、テーマ性をさらに広げた作品としました。

よって番組内容としては、ほぼ1年間のスパンで制作した力作になりました。
地元の震災メモリアルで見かけた町のシンボル的存在の蛸壺、
その蛸壺について追跡し、地元や島の歴史にふれます。

3年生部員M.Nさんが、何度も投げ出しそうになりながら、努力しました。
昨秋制作したもう一つのテレビドキュメント作品の方は後輩に預け、
淡路島のテーマ性溢れたこの作品に挑戦してもらいました。

さらに蛸壺についての取材を広げたところ、地元考古学の研究者さんから、
実は北淡富島にある断層は、太古の昔にも動いており、それが当時の集落の在り方とも関係している、
という話を伺いました。

そして、翌年の震災メモリアルへとラストシーンは繋がります。
震災→蛸壺→地元の歴史→再び震災、となるのですが、
8分番組としてはまとまり的に厳しかったようです。

2ブロックに分かれた県準決勝では、何とブロックでトップでしたから、
当然、県決勝に期待した私たちでした。
結果は点数的には本来は県決勝5位、これが初入賞で全国大会行きになるはずでした。
(6位までが全国大会)

ところが・・・その結果を上回る校内作品が出るとは・・・
意外な展開から、規定により、入賞枠外の7位になった作品です。

(東京での年末にある顧問研修会の番組研修用に、この番組を提供し、
 多くの人々に見ていただいたことが、幸いといえば幸いです。)


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(4) テレビドキュメント部門「為せば成る!絶対負けへんで〜」

2006年秋の県総合文化祭銀賞の番組をリメイクしました。
とはいえ、ラストは大きく再構成が必要でした。

わが分校は放送室が無く、理科室で活動してきた放送部が、
「昼の校内放送」をしたいということで、学校側と交渉するといった番組内容でした。

まさにうちの学校でしかつくれない番組というわけです。
そこに2年生部員R.Sさん、A.Iさんの女子高生らしい姿が生き生きした作品です。

2006年秋の県総合文化祭の段階では、学校側と交渉し、
「昼の校内放送」をしたいとDJ練習を開始し、流行の曲をかけて、
それがエンディングBGMとなり、
「絶対負けへんで〜」と海に向かって二人が叫びます。

しかし翌年2007年春では、やはり結果を出さなくてはなりません。
時系列に並べる進行、ラストの展開等は同様の形を踏襲しますが、
M.Nさんから番組編集を引き継いだA.Iさんには、
厳しく作業を進めてもらいました。

もちろん放送室を一からつくってもらえるはずはなく、
代案として活動している理科室に行事用特設音響を設置して、
そこから校内放送がしてもらえるようにするといった方法が想定されました。

3月には一旦はこの代案が進みかけたのですが、4月には再度ストップしてしまい、
そこから番組として交渉を進めました。

ようやく工事が始まり、テスト放送、そして初の第一回校内放送までが番組となりました。
第一回校内放送は、そのまま番組収録となりますから、
キーワード等の軽い文章表現だけは決め、またBGMも著作権処理できる「それが大事」にしました。

初めての校内放送、その瞬間の一発撮りになりますから、
慣れない状態、限られた時間枠の中での緊張した初回放送になったのです。
部員たちの気持ちの一致が成し得た技だと思います。

初回の「昼の校内放送」DJから曲「それが大事」をかけて、
それがエンディングBGMとなり、
「絶対負けへんで〜」と海に向かって、今度は大勢の部員で叫びます。

2ブロックに分かれた県準決勝では、何とブロックでギリギリの決勝進出でした。
当然、県決勝では消えると想像した私でした。
結果は何と県決勝2位(準優勝)、全国大会行き初作品になりました。

2位で学校名が呼ばれたとき、まさかこちらの作品名が言われるとは思っていなかった部員たち、
学校名が呼ばれて歓声を上げたのですが、続いて作品名を呼ばれて声にならない声が漏れました。


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第54回NHK杯全国高校放送コンテスト 初めての全国大会 テレビドキュメント部門

さて、こうして初の全国大会進出となったこの作品、Nコン全国大会では準々決勝を突破しました。

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準決勝突破の4作品には残れませんでしたが、何と優良賞に選ばれました。
賞の順位で言えば、全国4番目、
点数発表は無いので優良を同列とすれば全国5位になるかと思います。

(参考:優勝1校、準優勝1校、優秀2校、優良6校)


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全国大会初出場で、この結果は上出来だと、部員たちを大いに褒めますし、
ここまでこれたのは周囲の方々の支えと協力のおかげですから、皆さまに感謝しております!

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過去のNHK杯全国高校放送コンテストの思い出を振り返るシリーズの第5回目。

いちぶん時代 2006年6月県大会

前年2005年秋に、テレビ番組が近畿総合文化祭最優秀賞、県総合文化祭銅賞を得、
勢いづいたまま突入した2006年です。

放送部でがんばる男子部員4人が3年生になった2006年です。
男子しかいない3年生部員でしたが、女子生徒9割の分校では新鮮で活気がありました。

Nコン番組の取材&制作と並行して、全国総合文化祭用番組の取材&制作を行った多忙な年でしたが、
これを乗り越えたことで、その後、どんなことでも乗り越えられると思えるようになりました。


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(1) テレビドキュメント部門「島の分校〜家政科初の男子卒業」

平成15年度、40年ぶりにわが校に入学してきた男子生徒たちの卒業と、
わが校OBでその後40年以上勤務してきた家庭科実習助手のS先生の退職を、
番組として取り上げました。

制作担当者O君は、どんどん自分でやっていくタイプであり、
しかも根気強さをもっていましたから、番組として形になったのは早かったと思います。

ただ卒業に視点を置きながらも、
W.O君が描こうとした先輩男子の3年間の思いや、S先生の歴史、さまざまなことを詰め込み過ぎて、
8分番組としては、中身の精選が仕切れず消化しきれなかったという印象があります。

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今になって思えば、もう少し卒業式一つに絞っても良かったと言えます。

おまけに、
民放テレビ局「某 行列ができる・・・」制作スタッフさんがわが校を訪れ、
同様のバラエティードキュメントを制作しました。

卒業式を中心に取材し、スペシャル番組を先にテレビ放送されてしまったのです。
私も、テレビ局に協力できるところは協力しようと、
これまで3年間のテープや昔の写真などを提供したのですが、この某番組の知名度が大きすぎました。
審査をなさる先生方に先にその卒業式やご退職の印象を植えつけられてしまっていました。

それをうまく利用できる構成でもなく、詰め込みすぎた番組では「マイッタ」という感じでした。



(2) テレビドキュメント部門「淡路の春〜退職・その思い」

私がこの島に赴任したときのA養護学校でお世話になり、
以来、ずっと頼りにしていたもとM高校放送部顧問S先生は、
私がこの放送部活動にのめり込むきっかけをつくった先生です。

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S先生の放送部顧問としてのM高校現役時代を、残念ながら私は知らないのですが、
何しろお世話になりっぱなしのS先生が定年退職を迎えるというので、
ぜひともドキュメントを制作し、先生の歴史や、先生の放送部員への思いなど、
それらをかたちに残しておきたい、と願って、部員たちに提案しました。

幸い3年生男子部員Y.M君、R.K君、T.T君が提案にのっかり、
2005年12月から2006年3月まで熱心に取材をしてくれました。
この年、S先生は私と昔勤務したA養護学校の教頭でした。
私はS先生のことを知りすぎていますので、部員たちの目線を大切にしました。

2月、3月というのは、ちょうど推薦入試や学力検査があり、私は動けない日がありますので、
そのときは、部員たちが私を頼らずに取材に走っていました。

私がこの番組をプロデュースしたことには、他にも目的がありました。
この番組取材を通して、放送部員たちが何かしら刺激を受けて欲しいということ、
そして、ぜひとも兵庫県の放送代表理事をつとめた経験のあるS先生の姿を、
東京のNコン会場へもっていきたい、といったことでした。

1つ目の思いは達成でしたと思います。
部員たちはどんどん心も技術も成長しました。
複数台カメラでの撮影など、安心して見ていることができました。

しかし2つ目の思いは、ぎりぎりで達成できませんでした。
6位までが全国大会に行けるのですが、あと一歩の県7位!
大変悔しい思いを部員と噛み締めました。



その後、この作品「淡路の春〜退職・その思い」については、
この年開催された「淡路島映画祭」(8月)へと繋ぐことにしました。

8分番組だったものを、カットしていた様々な映像、特にお嬢さんからの言葉などを加え、
新たな長編バージョンとしました。

S先生の地元での映画祭であり、そこで出すことをどうかとも思ったのですが、
快諾していただき、S先生の姿を地元で表すイイ機会となりました。

夏に入ってからの長編編集はパソコンが暑さによる不具合に苦労し、
最後、作品出力でエラーが続出し、DVDとして取り出すのにまる1日かかりました。

この映画祭については「国生み神話(心・和)賞」をいただくことができて感謝しております。

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過去のNHK杯全国高校放送コンテストの思い出を振り返るシリーズの第4回目。

いちぶん時代 2005年6月県大会

2003年にいちぶんに赴任して創部した放送部、
前年2004年春から番組制作を本格的にスタートさせ、
秋の県総合文化祭にてそれなりに楽しんだ番組制作、その翌年になります。

創部以来3年目ということで、創部時に入部した1年生が3年生となり、
それなりに動けるようになった放送部でした。

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(1) テレビドキュメント部門「見ての極楽、住んでの地獄」

前年度の県総合文化祭奨励賞番組のリメイク版です。
わかりやすく修正し、冬から春までの出来事を追加したのですが、
もともと総合文化祭用の画面の派手さ、ハチャメチャな面白さ路線でしたので、
Nコン用としては難しいと感じた私です。

2003年度より40年ぶりに入学した男子生徒たちは、女子の1/10ほどの人数。
その苦労を番組にしたものです。
まぁ、番組としてできたという事実が大切であり、いちぶんでも2番組出すという姿勢が大切でした。



(2) テレビドキュメント部門「途切れない思い、四半世紀」

こちらが勝負に出た新作でした。
前年度、神戸新聞で取り上げられ、NHKニュース関西版の特集にもなった手紙交流がテーマです。

25年以上続いてきた、町の一人暮らしのお年寄りの方々へ毎月手紙を送るボランティア活動。
二人一組で、同じ生徒が同じ方に3年間送り続けるというのが基本になっています。
生徒達は毎月の学校の様子や自分のことを便箋にしたためます。

その歴史や意味、実際に喜んで下さっている声、
そして、なかなか書くことができないとおっしゃる中でのお礼の手紙、
中にはそれを知った離れた場所で暮らすご家族からの手紙なども取り上げました。

番組制作はK.Aさん、K.Fさんが中心でがんばりました。
ナレーションは、Y.Sさん、昨年の番組からの組み合わせです。
(お詫び:寝ぼけて書いた記事だったのか、投稿時にこの段落に間違いがありました。すみません)

校内でつくる番組だからこそつくれる視点で制作、
結果は県大会11位で残念でしたが、
この作品により秋の近畿総合文化祭出場が得られ、大きな飛躍を遂げることになりました。
何がどう作用するか、わからないと実感しました。
過去のNHK杯全国高校放送コンテストの思い出を振り返るシリーズの第3回目。

いちぶん時代 2004年6月県大会

前年2003年にいまの『いちぶん』に異動し、放送部を創部しますが、
小さな分校ゆえ部活動の数が限られている中での創部、しかも機材はほとんど無く活動も限られており、
入部生徒はどちらかと言えば楽に過ごせる部活動を求めていたと思います。
が、2003年秋にラジオドラマ制作を教え、試作。
2004年の2年目からいよいよテレビドキュメントに本格的に参加しました。


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テレビドキュメント部門「豊かな日々〜野の花のように」

いちぶん初めてのテレビドキュメントとして退職された旧職員のS先生(数学科)を取り上げました。
マラソンなど走ることを趣味とし、茶道にも通じておられる多趣味な先生です。
退職後の生活にて、工房を建て、美術科としても昔からなさっていた陶芸などをする姿を、
ゆったりと描きました。

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焼き上がったばかりの釜出しした陶器が冷える音が、小さな高い、何とも言えない音色を出します。
この音を記録できたことが、嬉しいことの一つでした。

養蜂のミツバチを撮影できたり、奥様のやわらかな先生への夫婦愛を感じたり、楽しい時間でした。
S先生の自作オカリナでの演奏『ふるさと』が素敵で、懐かしい旧知のご家族との再会もありました。

いちぶんでの初めてのナレーションは収録部屋の反響音質に多少難があったり、
インタビュー中にマイクケーブルが駄目になったりしたトラブルもありましたが、
西浦の海に沈む夕陽などとあいまって、作品の映像は美しいものになりました。

ドキュメント番組制作とはこうやって時間をかけてやるものだということを、
取材と制作に励んだ2年生部員K.AさんとK.Fさんは実感できたことでしょう。
また、ナレーションに初挑戦した2年生部員Y.Sさんにも大きな経験となりました。

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