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太平洋戦争「くせもの」列伝(41)九四式自動拳銃
もうひとつの珊瑚海海戦での「不名誉な事件」
この珊瑚海海戦でのもうひとつの不名誉な事件。
瑞鶴の第一次攻撃隊「九七艦攻」十一機はその誤報からの出撃。
索敵中に、隊長機で異変が起きた。それとは拳銃の暴発。
隊長機は操縦・島崎和重少佐、偵察員・石見丈三大尉 電信員・吉永正夫一飛曹。
偵察員の石見大尉の拳銃が暴発して、大腿部に当り出血が止まらない。
石見大尉は我慢できずに「私を母艦に帰してください!」と隊長に懇願する。
日本の拳銃で暴発する事故は多かったという。
当時の搭乗員が拳銃をホルスタに入れないで直に携帯している写真を多く目にすることができる。
これで暴発した可能性は高いだろう。
問題の拳銃とは「九四式拳銃」。
当時、将校用拳銃は自費調達だったの統一されていなかった。
日本製だと杉浦式自動拳銃などがポピュラーだったいわれているが、
米軍から捕獲したコルトガバメントなども使用していたと聞くと不思議に感じてしまう。
そこで、国産に統一しようと開発されたのがこの「九四式拳銃」だった。
昭和九年に準制式採用されている。
この銃の欠点は銃側面のシアー部が露出しているせいで、
側面に強い衝撃を与えると暴発することがあった。
安全装置機能の不備も含めて小型自動拳銃の基本的な常識がまったく欠落している銃と指摘されている。
さて、この暴発事故のあった機内に話を戻そう。
この機は瑞鶴・翔鶴の二十四機をまとめる隊長機であることから一機だけが帰還するわけにはいかない。
偶然そこに、第五航空戦隊司令部から帰還命令が入るのだった。
ところで、攻撃目標を発見できずに帰還する場合、
使用しなかった爆弾や魚雷は投棄しなければならない。
翔鶴隊も投棄命令に従い投棄しなければならないのだが、
見守る艦上の魚雷員からは大きなため息が漏れてしまうのだった。
魚雷は大変高価であり、また一つずつ丹念に調整をしてから搭載するから尚さらだったことだろう。
そんな中で翔鶴隊隊長・市原大尉機から『我、魚雷ヲ抱イタママ、着艦ス』と信号が入り一同騒然となる。
艦橋から飛行長が飛び出し「魚雷を捨てろ」と叫び、
艦長もメガフォンをもち「危ない!余計なことをするな!」と大騒ぎになったが、
市原大尉は尾部から見事に着艦成功。
見守る全員が安堵してどよめきが起こったという。
因みに瑞鶴隊は全機十一機が魚雷を抱いたまま着艦した。
しかし、この暴発事件は当時の瑞鶴搭乗員の中では『不名誉な事件』として、
硬く口を閉ざす事件になってしまった。
この大尉は先任分隊長だったが、この暴発事件以後、出撃することはなかった。
調べてみると、この石見大尉は、真珠湾攻撃から見事に敗戦まで生き残っている。
一方の島崎隊長は昭和二〇年一月九日にフィリピンで戦死。
電信員の吉永一飛曹は昭和二〇年三月二十一日に九州からの沖縄特攻で戦死している。
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石見丈三少佐はマリアナ沖海戦で出撃されてます
2014/10/31(金) 午前 4:36 [ 311 ]