白夜からの手紙

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 「赤鬼青鬼」の藪を突っついたら
 トンでもない蛇、いや、愛の本質が浮かび上がってきました(汗)。

 私の思い込みじゃないぞ!

 ソースは宮城谷昌光と安岡正篤先生だ。

 なんだ二番煎じかよ。と、言わないで(涙)。

 愛とは仁のことです。

 孔子は「仁が右なり、道は左なり」と言いましたが、
 宮城谷はそれをこう置き換えた。

 「仁は母なり、道は父なり」

 しかし、これだけじゃ色気がないよね(汗)。
 これだと、またそれぞれの愛とかいって迷宮に彷徨うことになるかも。
 で、安岡先生の易経から

 「 人間の感情の中で「かなしむ」という感情は一番本体的であります。

   たとえば仏教では「菩薩道の究極は何か」といえば

   悲だといわれます。(以前、ひろさちやの仏教与太話でも紹介しました・馬)

   悲しむという感情に慈愛が加わりますと、慈悲であります。

   そこで菩薩とは何ぞやということをひと言で申しますと慈悲であります。

   さらにこれを縮めていうなら悲、そこでその至極のものが大非観音・悲母観音でありまして、

   母の母たる至極の感情は、子供を悲しむことであります。

   そこで愛という字を「かなし」と読むのであります。

   愛は悲しい。

   楽しい愛というのはまだ愛の究極ではなく、本当の愛は悲しい。

   ですから愛の化身である母は常に悲しむものであります。

   子供が病気をしたといって悲しむのはあたりまえですが、

   子供が出世をしたときでも、母は「あんなことになってどんな苦労をするだろうか」

   と悲しむ。

   人が喜んでいる時に母は悲しむ。

   これが本当の慈悲であります。

   だから慈愛よりも慈悲のほうが深刻な言葉、本質的な言葉であります。 」

   
 私の稚拙な表現だとまた誤解を生むので、安岡先生の言葉をそのまま抜粋しました。
 愛の本質を探って1年半。ようやくここまでたどり着きました(涙)。

 これを、伝えたかった。

 昨夜、待ちきれなくて、妻に語ります。

 「君、ここに座りなさい」

 「なに?」

 「いいからここに座りなさい」

 そして私は朗々と上記の文章に節をつけて声に出して読むのです。
 曲調は「大きな古時計」

 愛は悲しい。と。そしたら妻が間髪を入れず、

 「気苦労だね〜ぇ」

 ガッチョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

   
 
 愛は悲しい(涙)。





それ以前の青鬼さん(3)
馬太郎

「その後の青鬼」に続きます。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/iapislazuli01/25307303.html




 赤鬼と青鬼の話を想いだして、徒然に、、、。

 いったいこの話どこの翁がどういう了見で生みだしたのかと、馬想う。

 もしかすると、、、。


 司馬遷の『史記』、晋の文公。そして、介子推。じゃないだろうか?

 昔の日本人は教養が高かったですからね。
 四書五経のほかに、「史記」や「戦国策」、「十八史略」など楽しく読んでいたようです。

 晋の文公とは重耳のことです。
 宮城谷昌光は彼を主人公にした『重耳』によって作家としての位置を確立しました。

 晋の君子の第二子だった重耳はお家騒動に巻き込まれて、放浪の旅に出る。
 
 その歳月は19年。彼が帰国して文公となるのは60歳になってからでした。

 その彼に従った忠臣のなかに、介子推はいました。

 苦難の旅をおえて、その栄光の興奮さめやらぬなか、介子推は姿を消します。

 彼以外の忠臣たちが恩賞をいただくなかで、介子推は忘れられてしまった。

 それを知った重耳は狼狽して、介子推を探します。

 しかし見つからない。

 彼の故郷の山に行き、自分の非を叫ぶのですが、介子推は二度と現れることはなかった。

 こんな話です。

 宮城谷はその『重耳』のなかで、介子推を棒術の達人として、
 目に見えぬ場面で重耳の危機を助ける忠臣に描いていました。
 宮城谷は介子推が好きだったんですね。
 単に恩賞からもれて不平を抱いた者として介子推を誤解されたくなかった。
 そして、『重耳』の後に『介子推』という作品を書くほどでした。

 介子推の行方に心を痛めたのは宮城谷ばかりではありません。

 『史記』の司馬遷も『十八史略』の編纂者も『列仙伝』の劉向も
 それぞれに介子推の後ろ姿に心を痛めている。
 それを知る読者も同様に介子推を哀れんできたのでしょう。

 中国では彼の死を哀れみ、
 清明節の前日に「寒食節」という火を使わず冷たい食事をとる風習が生まれたそうです。

 
 そういう流れで、考えてみると、
 「赤鬼青鬼」の話にはどこか「介子推」の匂いがします。

 そうか、私は青鬼に憧れたのではなく、その想いに心を馳せて、
 愛してしまったのかもしれませんね。
 司馬遷や劉向や中国人や宮城谷昌光同様に。

 愛は情から生まれます。その情けは悲しみで作られている。

 慈愛よりも慈悲に愛の本質はある。

 愛は「かなしい」とも読むのだそうです。




それ以前の青鬼さん(2)
馬太郎

その以前の青鬼さん




 おとぎ話、昔話。

 初期の頃ならかぐや姫、桃太郎、浦島太郎、馬太郎などなど、

 どこかSFチェックな趣がありますが、お伽草紙から時代が経つと、

 笠地蔵、舌切り雀、わらしべ長者など、御利益ものに変容していきます。

 例外は「雉も鳴かずば」ぐらいかな?

 そんな例外のなかで、私が一番好きな昔話は、

 赤鬼青鬼

 知ってる?

 むかしむかし、里の奥山に赤鬼と青鬼が仲よく棲んでいたそうな。

 けれども、赤鬼はいつも寂びしそうじゃった。

 不信に思った青鬼は、赤鬼の視線の先を追ってみたそうな。

 そこには山の下で楽しく遊ぶ子供の姿があったんじゃ。

 そう、赤鬼は人間と仲良くしたかったんじゃな。

 けれども人間は鬼を恐がる。決して仲良くはなれないもの。

 赤鬼はそれを知っている。

 だからいつも溜め息をついておったのじゃ。

 そんな赤鬼を、青鬼は哀れに思った。そして、

 ある日、村で青鬼が乱暴狼藉をはたらいた。

 鬼だあ! 鬼だぞお!

 その叫び声が赤鬼の耳にもとどいた。

 赤鬼は大急ぎで山を下りると、暴れ回る青鬼の前に立ちふさがった。

 やめろ!青鬼どん。 ふん、人間なんぞがそんなにいいか。

 青鬼はなおも暴れ続けるのじゃ。手が着けられない。

 赤鬼はたまらず、青鬼と戦うことになるんじゃな。

 二人の戦いは壮絶じゃったが、やがて赤鬼が青鬼をやっつけてしまう。

 青鬼は這々の体で山に逃げて行きおった。ケガをしてボロボロじゃ。

 それを見ていた村人は赤鬼に感謝して、彼をやさしい良い鬼だと認めのじゃ。

 赤鬼はそれから村人と仲良く暮らしたそうな。


 こんな話だったと思います。たしか


 そんな赤鬼の楽しそうな姿を、陰からこっそりと見ている青鬼。

 青鬼は、それを確認すると、ケガをした足を引きずって
 遠くに旅立っていった。


 宮沢賢治の「雨にも負けず」は色々な思いを語って、
 「そんな者になりたい」と締めくくっていた。

 私は青鬼のようになりたいと思った。

 なれるだろうか。




それ以前の青鬼さん(1)
馬太郎

その後の青鬼

イメージ 1




『泣いた赤鬼』もしくは『赤鬼青鬼』のその後の話です。


傷ついてひとり旅に出た青鬼は、彼方の岸辺までたどり着いてしまいました。

その川の岸辺で女の子が河原の小石を積み上げている。

それが完成すると望みが叶うといわれています。

鬼たちの邪魔が入らないように、はやくやらないと壊されてしまう。

でもなかなか上手くいきません。

あと少しのところで、石の塔は崩れてしまう。また最初から

それでも女の子は健気に作業を続ける。

決して手を貸してはいけない。

青鬼は少女の前で頑張れ頑張れと応援をはじめました。

毎日、そこに来て応援するのが青鬼の日課になりました。

女の子は何も話さない。

頑張れ、あともう少し、へこたれるな、大丈夫、諦めるなよ!

そう言って、少女の周りを踊ったり歌ったりする青鬼。

ほんとはひとりぼっちで彼方まで来てさびしかったのかも。青鬼さんが。


ある日、青鬼さんがその河原に近づくと、
遠目に少女が石を積み重ねている姿が見えました。やってるやってる

岩陰に隠れてそっと彼女を眺めていた。邪魔にならないように。

今日は調子がよさそうだぞ。おっ、あとひとつで完成じゃないか。

女の子は最後の一個を両手にもってたたずんでいます。

青鬼は固唾をのんで見守っていた。

彼女は両手を額の位置まで上げる。慎重に慎重にと祈る青鬼。

その時、女の子は最後の石を完成間近の石の塔に投げつけてしまった。

石の塔は崩れてしまいます。

あっ!

思わず青鬼は声を上げてしまった。

その声に少女が気づきます。

青鬼と女の子の目が合った。

ワーッと女の子は泣き出して、青鬼に背を向けて駆けだしていきました。

青鬼は、また取り残されて、そしてこうつぶやきました。

「彼方の向こうは何処なのだろう」





ホワイトナイト
イラスト : 山本峰規子

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白夜さんに勧められて
小此木啓吾の『こころの痛み どう耐えますか』を
読んでいます。

小此木啓吾の集大成だというこの本。
立ち止まりながら考え考え読んでいるので、なかなか先に進まない。

でも、よい本であることは確かです。


その裏表紙の紹介文には

「 激変する現代社会において、人はこころの痛みを避け、忘れて、

  楽しく暮らしたいと考えてがちだが、

  これは決して本質的な解決とはいえない。

  むしろ、その痛みとストレスに耐えきれず、

  こころの破綻を生じる場合もある。

  このような状況に陥らないための解決の道を探っていくとともに、

  こころの痛みを乗り越えるためのメッセージを伝えていく 」


こころの痛みとは「傷つく」ということです。

傷つかない生き方など有り得ない。

けれども傷つくことを回避させようと必死になっているのが現代の私達の姿です。

それが故に、本質を見誤り逃避行動奔るのですが、結果として閉塞してしまう。

その苦しみを取り除くには、自分自身の勇気が必要です。

その暗闇から踏み出す、勇気が必要です。

結局は、これしかない。






菊池寛太郎
イラスト : 山本峰規子

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