深海からの手紙

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海底2万マイルより届く 宛先の無い手紙


   差出人 神野 恵
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さようなら私の友だち

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深海からの手紙
第二章
友へ- 2



「珍しいなぁ、友達連れて来たんか?」

彼女は 頭を下げて挨拶している私の手を引っ張って

女の人には返事もせず、店内を足早に通り抜けて

店の一番奥にある階段を上って2階の部屋に駆け込んだ。

今のひとは きっとお母さんだろう。

ボックス席で寝転んでいた男の人は 父親なんだろうか?

真昼間から テーブルの上にはビール瓶が並んでいた。

なんとなく、家族のことには触れてはいけないような気がして

いつも通り、漫画のことばかり話して帰った。


彼女は それからも ずっと私に親しく話しかけてくれて

私も 少しづつ 彼女を信頼し始めていた。

彼女は 私を羨ましいと言う。

自営業なので いつも家にいる両親。

必ず家族揃って食べる食事の時間。

成績が良く親に何も文句を言われたことがないこと。

私にしてみれば、親が ずっと家にいるのはウザかったし

家族揃って食べていても 両親はケンカばかりしているので

いつも食卓の空気は ピリピリしていたし

文句を言われないのは 親が私に関心が無いからで

100点を取っても褒められたことなど一度も無かったのだが。

それを聞いた彼女は 目を丸くして驚いていた。

「恵は 幸せそうに見えたのになぁ・・・。」

恵は・・・?

自分は 不幸だと思っているのだろうか?

彼女は言った。

「いっぺんでいいから 恵と入れ替わりたいわ。」


2年生になりクラスが別れると、彼女は私の家に遊びに来なくなった。

私も 自分が壊れないように生きているだけで いっぱい いっぱいで

彼女が 余り学校に来なくなっていることを知っていたけれど、

何も しなかったし、何も出来なかった。

やがて 3年生になった頃。

彼女が家出をして行方不明になっていることを知った。

彼女には どんな暗闇が あったのだろう?

私が もう少し優しい人間なら 彼女を救ってあげられたのかな?

私は 彼女のために、何をすべきだったのか?

大口を開けて明るく笑う、彼女の姿を思い出す。

本当は どんな思いで笑っていたの?

今 どこで何してる?

今は 幸せですか?

私は 今も相変わらず 暗い海の底にいます。

中学の時 友の想い出

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深海からの手紙
第二章
友へ- 1



小学6年生のとき、バタバタと何人ものクラスメイトが引越しをした。

その当時、全国的に吹き荒れていた中学生の校内暴力。

私たちが通うことになる中学校は 特に荒れていて

週に一度は新聞に校名が載ってしまうほどだった。

そんな酷い状態の学校が嫌で 中学入学を目前にして

学区外に引越していくのだ。

少し裕福な人たちは 私立の中学を受験して避難した。

そのどちらもできない中流階級以下の子供たちだけが

どんな恐ろしい場所なのかと、不安に恐れおののきながら

地元の中学に進学した。

そこは 想像していた以上に異常な世界で 

自分が壊れないようにするだけでも とても大変だった。

暴力に支配された世界。

大人なんて何の役にも立たない。

私は必死で流れに抵抗して、自分を保ち続けようと努力した。

もう二度と 親を悲しませないと心に決めていたから。

濁流の中で 足を踏ん張って立っていた。

しかし 流れに逆らう異分子は 徹底的に排除される。

要領良く誤魔化せない、口下手で頑なな性格の所為で

私は 完全に孤立した。


そんな中で ただ一人 話しかけてくれた女の子がいた。

クラスの中でも目立っているヤンキーの女の子だった。

「神野は めっちゃ頭いいなぁ。漫画なんか読んだことないんやろ?」

私が 家に山ほど漫画を所有していることを告げても

彼女は 驚くばかりで、なかなか信じてくれない。

「嘘やろー?! ホンマやったら家に遊びに行くから読ませてよ。」

私は その場で承諾したけど、どうせ本当に来ることはないと思っていた。

だけど彼女は その日の学校帰りに、私の家まで ついてきて

漫画と小説に埋もれてしまいそうな私の部屋を見ると

本気で驚き、大喜びして 漫画を読み始めた。

我が家の夕食の時間になっても 一向に帰ってくれないので

漫画を貸してあげると言うと、大量の漫画を抱えて帰っていった。

それから 彼女は何度も私の家に遊びに来ては 漫画を読んで借りていき

私たちは 友達だと言っても おかしくないぐらい仲良く付き合っていた。


1学期の期末試験のとき。

「全然 わからへん。」と不貞腐れている彼女に勉強を教えてあげると

彼女は「センセーに教えてもらうより解かりやすいわ!!」と言って喜んでくれて

実際にテストの結果が前回より かなり良かったので

「親が泣いて喜んでくれたわ、ありがとう。」と礼を言われた。


夏休みの或る日。

図書館で本を借りて、家に帰る途中で 彼女にバッタリ会った。

「ウチ この近くやねんけど・・・来る?」

いつも明るい笑顔の彼女にしては、躊躇いがちな言い方が気に掛かったけど

私も借りたい漫画があったので 彼女の家に お邪魔することにした。

歩いて2〜3分で着いた彼女の家は、商店街の端っこにあるお店で

開け放したドアから覗く店内は 昼間だというのに薄暗く

細長いカウンターの中で 女の人がタバコを吸っていた。

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無償の愛(2)



父は 初めて 私の夫になる男と対面した時から ずっと

愛想良く、夫の事を立てて 気を使ってくれた。

そして、結婚した後は 私にも 一線を引いて接するようになった。

「もう 自分の娘ではなく、よそさまの嫁さんだから。」と 言われた。

実家に置いたままにしてあった私の家具類は あっという間に捨てられ

私の部屋は カラオケルームに変身してしまい、

私が家に戻る隙間は 少しも残さず排除された。

それが 父の心の中での娘との決別の儀式だったのか

戻ってくる場所は もう残ってないから しっかり頑張れ、という父なりのエールだったのかは 

いまだに 判らない。


ガンだと診断された父は 入院して手術を受け、すっかり痩せこけて戻ってきた。

人が変わったように性格が丸くなり、怒鳴ることも 人を殴ることも無くなった父は

その翌年に生まれた私の娘を 目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれた。

毎日 毎日 孫に会いに来ては、幸せそうに目を細めて孫の姿を眺めている父は

私の知っている暴君の父ではなく、どこにでもいる優しいお爺ちゃんだった。


そんな父の ささやかな幸せも 私は奪ってしまった。

夫が故郷に帰る決心をしたので 住み慣れた生まれ故郷を離れることになったのだ。

他県なので 引越してしまえば もう おいそれとは会えない。

最初から分かっていたことだった。

いつかは 夫の故郷に帰る、それは 結婚前からの約束だった。

父は たった一人の可愛い孫と会えなくなる事を ひどく悲しんだ。

私たち一家が引越してから めっきり老け込み、足腰も弱くなって              

旅をすることと、美味しい物を食べることが 趣味だった父は 

その両方が出来なくなって すっかり元気を失くした。

私たちが引越してから すぐ ガンが再発した父は

家族にも それを内緒にして、こっそりと 痛み止めだけの治療を続けた。

もう二度と手術は受けたくない、と 医師に言ったらしい。

そして、動けるうちに 長年愛用していた大事な物を 次々と知人に譲り

身辺を身奇麗にしていった。


父は 最期の半年間、入退院を繰り返して どんどん小さくなっていき

痛み止めのモルヒネによる幻覚に悩まされ続け、体中にガンが転移して

苦しみぬいて 死んでいった。




私は 葬式で泣いた。

自分で 予想していた以上に泣いた。

何一つ恩返しも出来ないまま 父は逝ってしまった。

遺影は 生前に父が自分で用意していた明るい笑顔の写真だった。


離れた場所に住んでいるのを理由に、私は 一度も墓参りをしていないし

一度も法事に出席していない。

夫が仕事を休ませてくれないからだ。

だが、そのお蔭で 私は いまだに父の死を現実に思えないときがある。

実家に帰れば、いつもと変わらず 茶の間に父が寝そべっていそうな

そんな気がするのだ。

相変わらずのステテコ姿で TVを見ている。

そんな気がしている。
 




アルフォンス・ミュシャ
プラハ市民会館市長ホールの天井画下絵

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無償の愛(1)



父は 仕事が上手くいってないだけでも ヤツ当たりで私を殴るような、

メチャクチャな人だったけれど、それでも 私は父の愛を感じていた。

子供嫌いの母は いつも家に残って留守番で

私を遊びに連れて行ってくれるのは いつも必ず父だった。

いくら殴られても、怒鳴られても 父が私を愛してくれているのは疑いようが無かった。

感情に任せて私を殴った後、父は必ず 私の機嫌を取った。

父は 愛情表現が下手な人だったのだと、思う。

そんな父の事を その当時の多感な年頃の私が 

好きだったか どうかは ともかく。

私は 父に愛されていた。


父は 私の結婚が決まって すぐ、ガンが見つかり入院した。

近所の奥さんや 親戚の叔母さんたちは

「恵ちゃんがお嫁に行っちゃうのが淋しくて病気になっちゃったのよ、きっと。」と 笑っていたが

あながち それも 冗談だとは言い切れないな、と 思った。

父は きっと 私の行く末を 胃に穴が空くほど心配してくれたのだ。

口には出さなくても いつも 父は私の事を考えてくれていた。

私が二十歳を過ぎて すぐに、父は私に縁談を探してきた。

奈良の大きな豆腐屋さんの跡取り息子だけど

従業員も お手伝いさんもいて、嫁は家業も家事も しなくていい、という話だった。

父は「そこに嫁に入れば、何の苦労もせずに済むぞ。」と しつこく私に勧めた。

私のことが心配で、どんな小さな苦労もさせたくないという父の鬱陶しいほどの愛を感じたが

私は そんな人生を歩むような、計算高いタイプではない。

私は たとえ相手が無職の博打打ちでも 自分が働いて養ってやる!というタイプである。

そこに 愛があれば。

私を愛していると、言ってくれさえすれば。

当然、そんな縁談など受ける気は さらさら無かった。


今の夫と付き合い始め、門限を破って 毎晩 遅く帰るようになった私を

夜中まで眠らずに 起きて待っていたのは 母ではなく、いつも父だった。

父は 帰ってきた私には何も言わず、ムスッとしたまま 自分の部屋へ引き上げて行く。

子供の頃から 細かいことまで ガミガミと怒鳴られ続けてきたのだが

二十歳を過ぎると ピタリと何も言われなくなった。

それは「二十歳を越えれば、もう立派な大人なんだから

自分のことは 自分で考えて行動すべきだ。」という父の方針だった。

それでも 心配なことに変わりは ないので

私が無事に帰ってくるまでは 安心して眠れないのだ。

今の夫との交際期間は 父に心配ばかり掛けてしまっていた。

ガンの発病が ストレスの所為なのだとしたら

その原因は ほとんど 私だろう。

とんでもない親不孝者である。


父は 私が結婚したい相手がいると言ったときにも 何一つ反対しなかった。

「お前が そう決めたんなら それでいい。」と 言われた。

余りにも あっけなく話が終わり、腰を浮かしかけた私に 父は ポツリと呟いた。

「そんな貧乏なヤツ相手で 本当に幸せになれるのか?」

「うん。 お金持ちなのが幸せだとは思えないから。」

「そうか・・・・まぁ、幸せか どうかなんて そのときには分からんものやけどな。

 もっと ずっと後になってからしか 分からんやろう。」

父が そんな事を考えているなんて 初めて知った。

父とも母とも 殆ど会話の無い家庭だったから

そんな事について話したのは 生まれて初めてだった。

まるで考え方に接点の見当たらない人間だと思っていた父が

少しだけ 身近な人に思えた。




アルフォンス・ミュシャ
プラハ市民会館市長ホールの天井画下絵

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月の子(2)



結婚前に、「子供は絶対に産みたくない」と 

何度も口を酸っぱくして説明し、夫も それでいいと了承してくれていたにも関わらず

突然 夫が「子供が欲しい」と言い出したときには 我が耳を疑った。

何日も 何日も 話し合ったが、

「どうしても一人だけでいいから子供が欲しい」と言い張る夫の願いを

その頃 まだ 夫を大切に想っていた私は 完全に拒否することが出来ずに

神に願いを託して、運を天に任せて 

子供を産む決心をした。


それから すぐに妊娠。

10ヶ月という長い妊娠期間に 私は どれほど悩んだだろう。

毎日 毎晩 祈り続けた。 奇跡を願った。

こんな思いをするのは 私だけで沢山だ。

どうか 私の子供に私の体質が遺伝しませんように。

神でも仏でも 悪魔でもいいから 叶えて欲しかった。


自分の子供に会うのが恐ろしくて堪らない私の気持ちを見透かすように

私の赤ちゃんは なかなか出て来ては くれなかった。

そして 予定日を2週間過ぎても一向に産まれる気配が無いため

入院して陣痛促進剤を投与されることになった。

点滴の管の中を 液体が流れていくのを眺めながら

胸が 苦しくなるほど ドキドキしていた。

1日中 点滴を受けて 夕方になって漸く陣痛が始まった。

その後のことは 余り記憶に無い。

痛みに気が遠くなる中、バタバタと看護士さんが駆けつけ

急遽 帝王切開で取り出すことになった。

赤ちゃんも 私と同じぐらい、私に会うのが嫌なのか。

対面の時間は とことん引き伸ばされていく。


部分麻酔での手術は 開腹される感覚や

赤ちゃんを押し出す感覚が 何となく分かり 

気持ちの良いものでは無かったが そんなことより 

とうとう我が子の姿を この目で見る瞬間が近付いてきていることが

私を緊張させ、吐き気を起こさせた。


やがて 泣き声も上げずに産まれ出た私の娘を 

看護士さんが 抱っこして私に見せてくれた。

麻酔と大量の出血で朦朧とした私は 

その姿を 一瞬だけ目の端で捉えた。


何とも ない・・・ように見えた。


手術後 2日目。 歩けるようになった私は急いで新生児室に向かった。

ガラス窓の向こうにいる我が子が 白く柔らかそうな、

すべすべの肌をしているのを見た私は その場で涙を零した。

奇跡が起きたのだと思った。

私の願いを聞き届けてくれた何者かに、感謝した。


娘が中学生になった今も 

私は たまに、娘の白く滑らかな肌を擦る。

愛しくて堪らない、奇跡の産物。

娘には ウザがられるが、娘の白く肌理の細かい肌は

夜空に輝く月のように 眩しいほどに私の憧れの対象なのだ。






アルフォンス・ミュシャ
つた:飾り皿

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