少なくとも私は、暴力の無い世界を理想としている
暴力の定義は、何かを傷つけることや壊すことに他ならない
早い話が、今すぐ自分が生命を棄てれば一気に理想が叶うかもしれない。だが、それもまた 暴力的といえよう
思考としての暴力とは、「結果を急ぐこと」ではないだろうか
一個の人類が持つ時間には限りがあるので、生きている間にあれこれと結果や決断を急いでしまう。そして間違える…もとい「間違えた」と後悔する
「人間に 欲があるから社会主義は失敗した」幼少の頃、そういう話を何度も聞かされた。
これを私なりに解釈すれば
社会主義は人類の理性だけで想像した世界であるゆえに、生物としての感情を消し去らない限り実現しない
もしも、感情が乏しい人々だけで集団が構成されれば、より暴力の少ない世界が出来るのではないだろうか
精神を病んで感情が乏しくなった自分が、無い知恵を絞って思いついたことである
感情が、暴力という形で現れるのだろうか
とあるブログ記事を読んで暴力が着実に減少しているという史実を確認して安心した。これも一つの感情であるが、暴力には至らないと信じている
一方で気になることもある。人口爆発の結果として貧困にあえぐ人々に関する「マスコミ報道」
私自身はこれらに対してかなり覚めていて、貧しければ餓死して構わないし、哀れな乳幼児に至っては生まれたこと(born)が過ちとさえ考えている。自分自身が飢える可能性も含めて…
はてさて「見殺しに出来ない」という感情はどのような形で現れるのだろうか
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イスラエルの兵士が、自分たちの罪を告発した「沈黙を破る」という書籍をぜひ、読んでみてください。
彼らは、戦場で生きるために、まず何を失ったかと言いますと「感情」なのです。「僕は感情を捨てなければならなかった。ロボットにならなければ、戦場にはいられなかった」
感情には喜怒哀楽があります。
暴力に関係しているのは、「怒」だと思いますが、兵士には「怒」すらも必要ありません。
2015/4/16(木) 午後 11:56
戦場には…ロボットも要らない
兵卒は……「理性」すら持ってはならない。自分が死ぬことさえ気にしない「完全な道具」でなければ、最初から居ないほうがまし
そうして、我々の先人たちは、終わりの見えないWW2を終わらせた
2015/4/17(金) 午後 8:40 [ IB ]
とりあえず、戦争が終わっても生き残った人物は、誰かを殺した記憶も、誰かが死んだ記録も、全て消し去って余生を過ごせ!
2019/2/18(月) 午前 4:49 [ IB ]