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https://www.jiji.com/jc/article?k=2018040100261 より 不敬な表現を修正して転載昭和62年から平成7年まで7つの内閣で官房副長官を務めた石原信雄地方自治研究機構会長(91)はこのほど、時事通信のインタビューに応じた。(略)皇位継承に伴う各式典や元号改正の準備について、天皇崩御を前提に極秘裏に進めた時代を振り返りつつ「今度は譲位なので極めてオープンにできる」と述べ、透明性を確保すべきだとの考えを示した。 石原氏は、政府が昭和天皇のがんの診断を契機に、昭和63年頃から「大喪」「即位」など儀式の準備や新元号を決める懇談会メンバーの選定といった作業をひそかに進めていたことを紹介。「陛下が病と闘っておられるのに、葬式の準備をしているとは言えない。今回は、そうした気の遣い方は要らない」と指摘した。
元号選定に当たっては「書きやすい漢字二字」「平和な時代を意味する」などを条件に、古典学者らから複数案を募った。当時の竹下登首相や小渕恵三官房長官とも相談し、「平成」「修文」「正化」の3案に絞り込んだ。昭和64年1月7日に開いた有識者による「元号に関する懇談会」では「8人のうち6人が『平成がいい』と言った。違う案がいいと言った2人も、議論しているうちに納得した」と明かした。 最大の問題だったのは、神道色が強い「大嘗祭」と憲法上の政教分離の両立だ。戦後初の代替わりのため過去の例は踏襲できず、有識者らの意見を踏まえて皇室行事とすることとした。石原氏は「政府が主催する行事に神道形式は採れない。戦前の皇室絡みの儀式はいずれも神道形式が染みこんでいた。それをどう仕分けるかが大変大きな課題だった」と苦労を思い返した。 中心儀式である「大嘗宮の儀」は深夜から始まる。「陛下をたいまつでご案内し、暗闇の中で待った。外だから雨が心配だった」と回想した。(2018/04/01-14:10) |
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そして「令和」と決まった。今は令和零年5日
2019/4/6(土) 午前 8:01 [ IB ]
おひさ。いよいよ、令和改元も秒読みだな。
今更感満載だが、ヤブロ終わるってよ。移行先決めたのか?
2019/4/29(月) 午前 1:33
令和おめでたう!
2019/5/1(水) 午前 0:30