ICAN(www.ican.or.jp) まにらブログ

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被災者の目線から

まずはこちらをお読みください。
大きな十字架:http://blogs.yahoo.co.jp/icanmanilaoffice/31570544.html
エルビーが残したもの:http://blogs.yahoo.co.jp/icanmanilaoffice/31763596.html

しょう@まにら

最近のブログでレイテ土砂災害のお話がありました。ICANとは直接関係はないのですが、災害というつながりで、今日は僕の経験したことを書きたいと思います。

僕は新潟県の出身です。まだ記憶に新しいと思いますが、2004年10月23日午後6時ころ、新潟県中越地方を大きな地震が襲いました。

この時僕は東京で、友達が出ているバスケの試合を観戦しているところでした。東京も少し揺れたのですが、さほど大きなものではなかったので、特に気にせず観戦を続けていました。しかし、周りから「新潟のあたりで地震があったらしい」と聞こえてきました。すぐに実家へ電話をかけたのですがつながりません。友達の方もつながらず、どうしていいかわからない状態でした。

幸いにも僕の家は震源から少し距離があったため、大きな被害はありませんでした。しかし、僕が高校時代通っていた長岡というところは、震源から近く、かなりの被害が出ているという話を聞きました。(僕の母校も避難所になりました)3年間通ったところですから、「何かしたい」と思い、学校の授業をさぼって新潟に帰ることにしました。

帰ったのは、地震から約1週間ほど過ぎたあたりでした。長岡の中心部はそれほどの被害はなかったようですが、震源に近いところでは、道路には亀裂が走り、マンホールは道から突き出ていました。家は崩れる寸前であったり、多くには、「立ち入り禁止」と書かれた紙が張ってありました。(専門家の調査による)

ボランティアセンターからの派遣で「赤十字から出ている被災者への健康管理に関する注意事項の配布」を行う機会がありました。また配布と同時に、被災者のニーズも聞いてくることも頼まれました。5人で移動し、避難所を数箇所回りました。

そこである被災者の方が言いました。「温かいものが食べたい。パンやおにぎりなどはたくさん頂いてありがたいけど、そのようなものばかりだ。」確かに11月に入り、もう寒い時期ですから、暖かいものがほしいのは当たり前です。

「なぜ隣の避難所には暖かい汁物が出るのに、こちらでは出ないんだ?」ここの避難所は小学校と中学校が隣に位置するところで、それぞれの体育館が避難所になっていました。

そして1番気になったのがこの言葉。「この前小泉さん(首相)が現地視察で違う避難所に来たというのがニュースで流れていて(ここの避難所には被災者への情報提供のためテレビが設置されていました)、そこでは温かいものが被災者に支給されていた。でもここではそういうようなものは出たことがない。やはり首相が来るから、ああいうことをするのだろうか?来ないところには何もしないのか?」

この差は何なのでしょうか?何かしようとしてたくさんの人たちが集まっても、このような差が生まれてしまっていることが悲しかったです。これはテレビの情報だけではわからないことですし、被災者の目線に立たなければわかり得ないことです。

今も仮設住宅で暮らしている方がたくさんいらっしゃいます。この地震のストレスなどの間接的な要因で入院している方、そして亡くなる方もいるという状況です。


そして話は戻ってレイテです。どのようなめぐり合わせかわかりませんが、明日からレイテの現地視察および支援物資提供(の補助)を新スタッフのマイエンさんとしてきます。また、CDRCとLCDEというNGOなどが行うミーティングにも参加します。それらの情報と自分の目で見てきた事を、早い段階でみなさんに伝えていきたいと思います。

災害というのは被災者でない方にとっては、すぐに忘れてしまうことなのかもしれません。世界各地で大きな災害が起こると、日本ではすぐに報道され、国民の関心もそれに寄っていきます。ですが、一定の期間を過ぎると、その報道はピタリと止み、その後被災者および被災地がどうなったのかはほとんど伝えられません。

でもそれで大切な人を亡くした方もたくさんいらっしゃいます。まだ苦しんでいる方もたくさんいらっしゃいます。それを決して忘れてはいけない。そして、「私ができること」をしていかなくてはならない。それがどんな些細なことであってもです。

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新潟の地震はしょう君にとってとっても身近なものだったんだね。私の人生の大きな転機は今思えば阪神淡路大震災でした。しょう君のブログを読んでそれを思い出し『私ができること』は何かを忘れてはいけないと思いました。その気持ちを忘れずにいれば、必ず『何かできる自分』になれると信じています。 削除

2006/4/6(木) 午前 10:07 [ すずき@まにら ] 返信する

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